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現宗研の調査研究ノート 教化学へのアプローチ(5) ご遺文の墨塗り事件から
日蓮宗現代宗教研究所所長 田澤元泰
小生が所持するご遺文全集講義のなかに、墨が塗られている箇所があります。いわゆるご遺文削除に関するものか、と思われます。
ご遺文削除は、昭和7年(1932)10月1日、内務省警保局が日蓮聖人遺文の字句の中に不敬に該当するものがあると指摘したことからはじまり、昭和9年11月10日にもご遺文削除問題が再燃しました。具体的には、出版停止・問題筒所の空白あるいは「伏字」などの対応が求められました。さらに、昭和12年に宇都宮日綱著『日蓮聖人自叙伝』(昭和11年10月発行、日蓮宗布教助成会)のうち、6ページが削除される事態が生じました。昭和16年3月、日蓮宗は「大政翼賛会立正報国運動」を開始し、同月6月より宗綱審議会を開き、日蓮聖人遺文削除箇所の自主的嫡出と宗定遺文編集問題の審議を開始し、同年6月に成案を決定しました。また同年8月には、当時ひろく読まれていた加藤文雅編霊艮閣版縮刷遺文『日蓮聖人御遺文』を絶版とし、発売を禁止しました。さらに、同年12月24日新改編『日蓮聖人御書』が編纂されました。昭和19年4月には、さらに削除訂正換字135ヵ所を決定しましたが、翌年の敗戦で意味を失いました。以上が、日蓮宗におけるご遺文削除問題に関する簡単な経緯です。
小生が所持する著書は、『日蓮聖人遺文全集講義』(平楽寺書店東京店大林閣版)の中のものです。この全集について、故石川教張先生は『講座「日本近代と仏教」6戦時下の仏教(日蓮遺文削除と国神勧請問題)』の中で、ご遺文削除に関する事例として、「遺文字句の一部を伏字出版している」と紹介され、11箇所が提示されています。ところが小生所持の本には、これ以外で黒々と墨が塗られた頁があります。この書籍は昭和11年から12年にかけて発行されたものであり、すでに関係当局の干渉を受け、伏字になっている箇所がみられます。さらに何かの理由で、後に誰かの手によって墨が塗られたものと思われます。
その箇所を紹介します。
一、『日蓮聖人遺文全集講義』第17巻(神国王御書)の100頁から101頁にかけての全文。
このところは、見出しは「第三節略して神仏守護の我国の王難を疑う」と題して、安徳・後烏羽・土御門・順徳の四天王の難にふれ、百王守護の誓願があるのに、なぜ天照大神が守護されなかったのか、八幡大菩薩の誓願はどうなったのかと、皇族の難の実例を示した部分です。
二、同17巻(種々御振舞御書)の318頁から319頁にかけての全文。
この部分では、「わづかの天照大神正八幡なんどと申は此の国には重ずけれども梵釈日月四天王に対すれば小神ぞかし」「教主釈尊の御使なれば天照大神正八幡宮も頭をかたぶけ手を合わせ他に伏し給べき事也」の表現が原因かと思われます。
三、『日蓮聖人遺文全集講義』第22巻(妙法比丘尼御返事)の40ページから41頁にかけての全文。
このところは、見出しに「仏法修行の人皆悪人に殺さる」と題して、桓武および嵯峨天皇は正法を弘通されたので国も安穏であったが、欽明・用明の諸王は外道を信じたり神を崇めて釈迦仏の大怨敵となったので、身を亡ぼし、世も安穏ではなかった。その時の聖人はみな大難にあった」といった内容が記載されており、墨塗りの原因になったと思われます。
同第22巻(本尊問答鈔)の170頁全文。
この箇所は「弘法・慈覚・智證の三大師
を超えることが出来なく、日本国中真言の寺になっている。経文では法華最大一と読んでも、こころでは法華経が第2第3と思っている。これは法華経の大怨敵である」という内容です。ところが前頁の原文にはほとんど墨を塗らず、原文が二行と解説掲載頁が塗られています。原文の二行「上一人より下万民に至るまで法華経の大怨敵也」}とその解説に問題がある、と判断したものと思われます。しかし、具体的な神や天皇の名前が表示されているわけでもないことから、なぜ墨が入ったのか疑問はのこります。
すでに述べましたように、この全集では11箇所の伏字があると石川教張先生が指摘されていますが、ここで紹介した17巻および22巻での伏字は、つぎのようなものです。
17巻では、『神国王御書』93頁「この王は源ノ頼朝将軍にせめられて口口□□口口口口□口口□□」とあり、□の部分「海中のいろくづの食となり給」が伏字になっています。
22巻では、『本尊問答鈔』196頁「・・・・・法華経の大怨敵となりぬ。」とあり、「国主とともに」が伏字になっています。
同じく197頁では、「・・・・・・・大悪法の檀那と成定まり給ぬる也。」とあり、「隠岐法皇のごとく」が伏字になっています。
このように伏字は、その箇所のみが四角や点の記号で字を伏せていますが、頁全体を墨で塗りつぷすということは、どんな理由があるのかわかりません。当所述べましたように、すでに干渉されたものを後からさらに墨を塗るというのは、出版されたあとに自主的な形で行われたことだと思われます。その箇所を水で拭いてみますと、黒く溶け出すところから、印刷処理ではないことが判明しました。しかも、墨の塗り方が乱暴な印象を受けます。
誰がなぜ何時そのようなことをしたのかは、今となっては正確に知る由もありませんが、いずれにせよ、時代の大きなうねりによって宗祖のご遺文に手が加えられた事実は、そうしなければならなかった当時の宗門教師の心中を察すると、今でも、怒りとともに悲しみを感じざるをえません。
戦後の宗門では、国内のみならず海外でも教線の拡張がはかられてきました。そうしたなかで、文化の違いによる、これまでにはなかったいろいろな問題点が生じています。また、環境問題や医療の進歩による問題がますます増え、さらに複雑化するでしょう。宗祖のご遺文から直接答えを導き出すことが難しい場面も、想定できます。こうした場合に私たちは、宗祖の御心を前提に判断せざるを得ないわけですが、その時々のムードや短絡的な考え方が先行しないよう注意することが必要ではないでしょうか。今回提示したご遺文削除に関する事例からも、その場合の基本的な対応について、しっかりした論理を構築しておくことが必要でしょう。
教化学とは、布教する現場の目線から、そうした点を研究することだと思います。
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