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教化学へのアプローチ
立正安国・お題目結縁運動にむけての教化
日蓮宗現代宗教研究所長 田澤元泰
本年度より宗門では、「立正安国・お題目結縁運動」の宗門運動を新しく展開することになりました。現代社会は大きな問題を数多く抱えており、将来に向けて明るい展望や希望を抱ける状況ではありません。そうした中での宗門運動は、宗門だけではなく、ひろく社会にたいしても大きな影響を及ぼす運動でなくてはなりません。それは、単に社会に対する啓蒙運動ではなく、また政治的な運動でもありません。日蓮聖人によって示された法華経流布の願いを現実のものにする、教化活動を基とした信仰運動です。
教化ということ
法華経の本文中では、「教化」という文字は四十八箇所にみられますが、当然、この他にも同じく意味する箇所は多くみられます。釈尊みずからが、教化について述べられたところをいくつか提示します。(岩波文庫・法華経)
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諸仏は、但、菩薩のみを教化したもう(方便品)
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われは、定んで当に仏と作りて、天・人のために敬われ無上の法輪を転じて、諸の菩薩を教化すべし(譬喩品)
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仏土を浄めんがための故に、常に仏事を作して、衆生を教化せるなり(受記品)
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教化すべきこと難しと難も、我等当に大忍力を起こして此の経を読誦し、持説し、書写し、種々に供養して、身命を惜まざるべし(勧持品)
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われは、この娑婆世界において、阿耨多羅三藐三菩提を得おわりて、この諸の菩薩を教化し、示導し、その心を調伏して、道の意を発さしめたり(涌出品)
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常に法を説きて、無数億の衆生を教化して、仏道に入らしむ。(寿量品)
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教化とは、一切衆生を仏道に導き入れることです。
教主釈尊は
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「われ、本、誓願を立て、一切衆生をして、われの如く等しくして、異なることなからしめんと欲せり。わが昔の所願如きは、己に満足し、一切衆生を化して、皆仏道に入らしめたり。」(方便品)
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と、過去における仏の誓願として、仏道すなわち法華経の世界に導き入れることが本願であることを表明されています。さらに本仏開顕の後に、
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「毎に自らこの念をなす。何をもってか衆生をして、無上道に入り、速かに仏身を成就することを得せしめんと」(寿量品)
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と、現在・未来永劫にいたる本仏としての誓願が示されています。寿量品において久遠の本仏が明かされ、一切三世諸仏すべての誓願であることが示されています。つまり時間的にも空間的にも、すべての世界が常に本仏の本願に基づき、一切衆生への教化が行われていることになります。
宗祖にとっての教化
宗祖にとっての教化とは、末法において法華経を弘めることであり、不信・邪見・謗法の者を開悟させる、顛 ※倒の衆生を成仏させるために教え導びくことです。そのためには、釈尊在世および正法・像法とは違う、釈尊にとっても特別な意味をもつ末法娑婆という時空であり、地涌の菩薩という特別な仏弟子による、弘教という絶対条件が必要でした。それは宗祖にとって、上行菩薩としての自覚につながるものでした。さらに宗祖にとって、末法における教とは妙法五字であり、化とは蘇生・開発のことです。教化とは背信から人々を蘇生させ、本心を失った不信謗法の者の心を開悟し成仏させることであり、妙薬たる妙法五字の受持にほかなりません。
社会にむけての教化とは
日蓮聖人は、法華経で示された教化の実践の姿を娑婆即寂光土の即という意味として、また清めること、浄化することとして捉えられました。それは立教開宗で日本の柱として、法華経の行者として、仏使として立邪謗国を立正安国へ改め、末法の一切衆生を救済するという誓願を心身に抱いて生きぬく、という覚悟につながるものでありました。さらに『立正安国論』奏進をはじめ、誓願を実証し成就していく、教化の継続のご生涯となりました。日蓮聖人が『立正安国論』を奏進されたのは「ひとえに国のため、法のため、人のため」でした。鎌倉北条幕府の時代になって、国家の意識が具体的に形成されたといわれていますが、そうした状況の中での国を司る権力者としての幕府に対する諫言でした。仏教者として、久遠本仏の弟子として、謗法の国を正法の国に改めるために、国に関る責任ある者に対しての直接的なはたらきかけでした。当時の北条時頼は出家して入道になっていたとはいえ、実権は握っていたと思われます。それと同時に、幕府を左右する仏教界に対しても同様の意思を伝えられました。つまり、形式的な幕府に対しての奏進ではなく、当時の日本の権カ者達に対して諫言されたのでした。
現代における立正安国
現在の日本は民主主義の社会です。日本を指導するのは政治だけではなく、経済、教育、医療、科学、企業、などの各分野にそれぞれ組織が構築され、責任ある者によって運営されています。政治家だけに対して諫言することが、現代の立正安国奏進とは言えません。また鎌倉時代の精神的背景は仏教を中心としたものといえますが、現在は宗教のみならずあらゆる方面からの思想の影響を受けています。一口に謗法といっても、仏教教判では済まされません。宗教に対する無理解、さらには科学的という新しい価値観などに対して、法華経の示す唯有一仏乗の仏国土顕現にむけての提言が必要となっています。また、現代社会のかかえる問題は、家庭崩壊から地球環境問題までと多岐にわたっています。さらには、日本だけではなく世界全体という視野が重要になっています。こうした社会問題に対して、現実に即した教化のあり方が問われています。
新たなる宗門運動の意味
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「現代は自らの知的、技術的に支配できる存在者以外のものを無視し、さらにはこうした自らの存在忘却について問うことも忘却した。人間中心主義の絶頂期間であり、20世紀の全体主義や大地の破壊もこの存在忘却に由来する。」(岩波哲学・思想事典)
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と指摘されています。神々が忘れさられた時代と言われて久しい今、真の神々の復活を求める声も大きくなりつつあります。そうしたうねりの中から新興宗教も増え、新たに人々を翻弄しさらに宗教そのものへの不信を増大させるといった、謗法拡大の現状も否定できません。諸天捨国が一層進んで、宗祖の憂いが現実のものとなりつつあるといえましょう。そうした今日、宗門が「立正安国・お題目結縁運動」として教化活動を展開することは大きな意味をもつといえます。現代における「立正安国」とはいかなるものかをはじめとする、布教展開に伴う課題は重要かつ難題ともいえます。そのような時こそ、世間の目線に立った教化に関する基本理念の構築が急務といえます。
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