日蓮宗 現代宗教研究所
Nichiren Buddhism Modern Religious Institute
| 宗報 平成16年3月号 第192号 改訂 第24号 |
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スローフードを過疎地寺院で立ち上げてみませんか
日蓮宗現代宗教研究所長 久住謙是
知られているように過疎過密問題は、日本の都市と農村の構造的杜会問題である。
戦後、日本の第二次・三次産業が急速に発展したため、農村の労働人口が都市に移動し、農村と都市の人口比率が逆転した。
このため、農村人口の減少、家族の分散、第一次産業の停滞、地域共同体の崩壊など、過疎問題は、高度経済成長の裏で、国の対策が講じられてきた。
このような変化のなか、過疎地の寺院は、人口の流出、檀家減少により、寺族の経済生活や寺院護持が困難となり、無住寺院が増えてきているのである。
一方、急激に人口が集中した都市では、社会資本が整わず、快適な生活には程遠い過密の中の、孤独や疎外、ストレスやうつ病など、都市特有の心身の障害が指摘されるようになった。
都市は雇用のチャンスがあり、文化を享受でき、暮らしの利便さは農村にない魅力である。
都市生活者にとってファーストフードは、24時間いつでもハンバーグやカレー、牛丼などを、待つことなく、口にすることができる便利なものとして普及した。
家庭における食事も、ファーストフード的になった。「ホテル族」といわれるごとく、家族の食事団欒は稀で、個食・孤食といった一人食いが多く、弁当類、調理済みの副食類が食卓に並び、煮炊きしない市販品依存が益々強くなった。個々の家庭の味が消えつつある。
簡単、便利な食事で済ましてしまううちに、大切なものが失われつつあるのではないだろうか。
徳育や体育と同じように、「食育」という言葉がある。食による育みは、速成されるものではない。心をこめ、食べる人を念頭において食事をとることで、育てていくものである。食材の「いのち」に感謝し、つくり手に思いをはせ、食事を用意してくれた人(父母)を思っていただくことが、食、だとしたら、ファーストフードの個食は、あまりにも「心まずしい」行為ではないか。
このような背景から、スロー、ゆっくりと「食育」に適う考え方、スローフード運動が提唱された。
イタリアに発祥して世界中に広がり、本来の食の意味づけ、食文化から、食糧問題、環境問題まで発展してきている。
そこで、過疎地寺院におけるスローフードの実践を提唱したいのである。
森林浴を可能にする豊かな森、地域に適った有機農法の農作物、その栽培と調理法を提供する地元の高齢者の知恵と経験が生かされた、農村の自然と伝統のライフサイクルを体験する。
都市生活に疲れて病んだ人々が、寺に自然の生活を求め、地元産の食材を煮炊きし調理する、いわゆる「食育」の実践である。
小鳥のさえずり、小川のせせらぎ、森林の香りといった自然の風景の中で、五感を癒す。本堂での勤行を中心に、寺院生活体験で心の充足が行われる。
何よりも、寺院という存在が精神性を高め、「食育」を通して人間回復をはかるのである。
過疎地寺院がその環境を逆用し、種々の方法でスローフード運動を進めることができると考えるのである。
スローフードをインターネットで検索すると、数百件に及ぶ。「食」に関わって人間らしさを求める実践が、紹介されているのである。
寺院におけるスローフード活動は、寡聞ではあるが、未だ、その例を知らない。
スローフード、「食育」の環境にふさわしい、人間回帰、心の故郷、その創成の役割を担うことによって過疎地寺院が復活できないだろうか。過疎地寺院とスローフード、未知の分野ではあるが、可能性を信じ提唱するものである。
現代宗教研究所は、推進のための情報を提供してゆきたいと思う。
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