日蓮宗 現代宗教研究所
Nichiren Buddhism Modern Religious Institute
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宗報 平成14年6月号 第171号 改訂 第3号

有事立法に思う
現代宗教研究所長 石川浩徳 

 「軍隊を捨てた国コスタリカ」(早乙女勝元制作)の映画を観賞した。日本の九州と四国を合わせたほどの広さのコスタリカ。日本から見て地球の裏側に位置する国コスタリカは、美しい白然と動植物の宝庫といわれる国である。国民一人当たりの国内総生産(GDP)は三千ドルと、決して裕福とはいえないこの国ではあるが、他の国なら軍備にあてる金を、平和教育に注ぎ、本当の幸せとは何かを小学生のころから学校で教え込む。その効果で、平和の大切さや互いに助け合うことの大切さを、幼い頃から身につける。軍隊が不必要であることが、普段の生活の中に溶け込んでいるのである。
 1949年に、当時のコスタリカ大統領ホセ・フィゲレス氏は内戦を治めて後、新憲法を発布した。その憲法の第12条に軍隊の禁止を明記した。この決断に至るまでには、自国をはじめ周辺諸国、特にアメリカとのいくつかの難題を越えなければならなかった。ホセ・フィゲレス大統領は、ただちに、「積極的非武装中立を宣言して世界各国の世論に訴え、軍隊を廃止し常に対話を求め続けた。その徹底した姿勢が国の内外に影響を与え」(配布資料による)軍隊を持たない国コスタリカ共和国を誕生させたのであった。
 それまで、コスタリカの国民は戦争の恐ろしさと悲惨さを味わい苦しんできた。こんな小さな国でも国を守るため軍隊を持てば周辺国は警戒する。ちょっとした摩擦でも武力に訴えて攻めてこよう。軍隊があれば武力の行使は当然起こる。人命が失われ、建物は破壊され、経済は破綻し、憎しみは消えることがない。これではいつになっても平和は訪れまい。軍隊が無ければ攻めて来ないし、こちらからも攻めようがない。軍隊を捨て武器を捨て、永久に持たないことだ。大統領は、国家の将来や国民の本当の幸せを考えるなら、それは戦争をしないことだと、結論づけた。そして、「軍備に金がかからないから、その分の国家予算を子供の教育やその他自然環境の保全の充実に使える」と、その後の歴代の大統領も軍隊も武器も持たない政策を続け実行してきた。
 映画の中で市民たちは「警察だって邪魔なくらいなのに軍隊なんて考えられない」「戦争は人を殺し悲しみと不幸をもたらすだけでしょ」「軍隊があることは不幸と同居しているようなもの」「男の子を生んでも兵役がないから安心して育てられる」と、平和であることを喜びながら語っている。爾来、コスタリカは他国から攻められることもなく、半世紀にわたり戦争を忘れた平和で明るい健康的な国家として存続してきたのである。
 コスタリカが、絶対平和永世中立国となって今日を迎えることができたのも、ホセ・フィゲレス大統領と彼を信頼し支持して平和憲法を守ってきた全国民の力である。今では軍隊がないということと平和であるということは、この国の常識となっているという。
 「軍隊を廃止し、平和教育を徹底し、清潔な選挙制度を確立して民主的制度を改革し、積極的な平和外交を展開すれば、外国から侵略されることはありません。国費の三分の一の軍事費を教育と福祉に当てることができ、コスタリカを前進させています」と明言するのはホセ・フィゲレス元大統領の夫人のカレン・オルセンさん(元国連大使)である。軍隊がないからこそ、平和国家が続いているという自信に満ちた声である。中米に位置する小さな国家コスタリカ共和国は、そんな国なのだ。

 立ち返って今の日本を見るに、それとは逆行するような自衛隊を増強し、有事法制を立法化しようとやっきになっている。平和を願い戦争の臭いが少しでもするようなことは、遠ざけたいと思っている人達の気持ちを逆なでするような法案を、国会で何が何でも通そうというのだ。見えない敵国を想定し、「有事」のためと称して危険な法律をつくろうとしている。できれば憲法を改悪してでも「自衛隊」ではない軍隊を堂々と持ちたい、そして危険を察知しただけでも軍隊が出動できるようにしたいと言い、再び軍国日本を蘇らせるような愚行法案を国会に提案した。誰だって戦争を忌避し平和を願っている。有事法案が、平和のためになるか、今後の日本を不幸にしていくか、その判断はむずかしいが、内容を見ると黙って見過ごす訳にはいかない。
 日本は五十数年前、憲法第9条で、戦争を永久に放棄し軍事力はすべて持たない、と謳ったのではなかったか。それが、自衛隊という軍隊を持ち、今ではアジア一の強大な軍事力を誇る国となっている。アメリカの要請で後方支援の名のもとに、戦艦とともに隊員を派遣したりする。平和憲法にまったく反した行為であろう。日本を再び戦争へと導く方向づくりを着々と進めているかのようである。
 今度の有事法案は明らかにこの国が戦場になることを想定して作られている。有事とは具体的に外国が武力攻撃してきた事実のことである。直接侵略攻撃が予測される事態のとき、総理大臣には直接命令権限がある。地方自治体や指定公共機関には必要な措置を実施する義務を負わせる。隣組の復活、価格統制や配給制度の復活もありうる。徴用や罰則も盛り込んである。このように、かつての戦時中をそのまま再現しようとするような内容だ。では、どこの国が具体的に攻めてくるというのか、もしその気配を感じるとすればそれは日本が軍事大国になっているからだと言えまいか。小泉首相は、すぐ「備えあれば憂いなし」などと言っているが、「備えあるから憂いが増す」と言い直した方がいい。日本の軍事力を見れば周辺諸国が警戒するのも当然であろう。自分から無理に敵を作っているようなものである。コスタリカのように軍隊もない、武器もない、永世中立国を宣言し平和外交に徹していればだれも危険視しないし警戒しない。かつて日本が敗戦の憂き目を負い、国民は塗炭の苦しみを味わって、食うものも住む家も着るものもなく、国中が焼け野原と化し経済は破綻し全く国カがなかったとき、どこの国が攻めて来たというのか。だれも日本を危険視しないから攻めてくることなどなかった。逆に援助の手を伸ばしてくれたほどだ。あれから半世紀、戦争放棄したはずの国が、専守防衛のためなら軍備を持ってもよいという理屈をつけて、警察予傭隊が生まれ、保安隊になり、自衛隊と名を改めるたびに武器弾薬を増強し、今では軍事大国になった。たしかに今日まで戦争もなく平和を保ってきたが、これは備えがあるからではない。他国への進出が押さえられていたからだ。有事法などが通ればこれからはどうなるかわからない。周辺諸国はますます日本を警戒するようになるだろう。
 北風と太陽の物語は幼い子も知っている。外国とは北風外交ではなく太陽外交こそが大事であるということも教えている物語だ。どの国とも等距離で外交すれば、信頼され万事穏やかに温かく受け入れられのである。日本のように資源の乏しいしかも人口の多い国は、平和外交こそがこれからもっと必要になってくるであろう。軍備を持たないで平和外交に徹していれば警戒もされないし仮想敵国などできるはずがない。諸外国は、日本の勤勉で技術力に富んだ国とは平和的に国交をしたいとみんな願っている。日本が、憲法を文字どおり順守しコスタリカのように軍隊を放棄すれば、理想的な国家となろう。

 仏教は絶対平和主義である。法華経は慈悲と平等を説き、日蓮聖人は立正安国論を明かして、法華経に基づく人類の平和と幸せのために行動せよと教えられた。いかなる理由をつけても仏教信仰者が武器をもって戦うことに同調すべきではない。第二次世界大戦時において、仏教界は戦争に協力した。終戦と同時に、それまで戦争に加担したことは間違いであったと深く反省して、それぞれの教団は一変して平和運動を展開してきた。専守防衛のためであっても自衛隊の存在を苦々しく思ってきた。今度の有事法案は攻撃のための出動も是とするものだ。いかなる事情があってもこうした憲法違反の法案は阻止しなければ、戦後の教団ぐるみの反省は嘘になる。
 本宗は日蓮聖人の立正安国の理念に基づき、特に立正平和運動を信仰と布教教化の中心において取り組み、僧俗一体となって今日まで推進してきた。宗会においても過去に国連に向けて核廃絶軍備撤廃を主張し、特別総会には代表を送り込んで世界立正平和を叫んできた。お題目総弘通運動の活動項目にも「世界平和活動への積極的取り組み」とある。立教開宗七五〇年の今年、この有事立法が国会で審議されている。思うに、改めて戦後の本宗における平和運動の真価を、日蓮聖人から問われているのではないだろうか。
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