|
「但行礼拝で広宣流布を」
日蓮宗現代宗教研究所主任 伊藤立教
昨年11月の当研究所主催「教化学研究発表大会」で発表された愛知県泉龍寺住職服部即明師が、今年10月の退隠を記念して小冊子を配布される予定で、その原稿を皆さんに批評願いたい、と送ってこられました。「教化学研究発表大会」での所説を論文化されたもので、特に第五章は新宗門運動への具体的提案ですので、ここに掲載し、紹介させていただきます。
まえがき
私は1975年に、小学校教員を辞めて寺を継ぎました。
小学校では、初め一年生の担任で給食主任をしていた先生の副担任になり、次の年、その組の担任になりました。女の子が一人不登校になり、本人と母親を伴って児童相談所へ行きますと、精神医の母親への的確なアドバイスで、又元気に登校するようになりました。
それがきっかけで教育心理学の夏期講習を受け、続いて精神分析の「愛育心理研究会」に所属し、現在に至っています。
精神分析では、自分の心の歪みを直さなければ本物にならないとの事で、岐阜の山村道雄先生から教育分析を受け乍ら、メニンガーやアンナ・フロイドの本を読みました。これが私の精神的素養になっています。
寺に入ってから最初の一年は、仏教概論や通仏教の本や日蓮宗関係の本を、手当り次第に読みました。しばらくして、茂田井教亨師の『開目抄講讃』を読んで感動し、茂田井師の本を次々に読みました。
それから、立正安国会の『本尊集』を拝見するようになりました。毎晩、「不動・愛染感見記」を含めて129幅を2時間かけて拝見し、感動していました。
近所の坊さん達と一緒に「日蓮教学研修会」を立ち上げて、月2回程、『平成新修遺文』の輸読会をし、現在に至っています。
日蓮宗教学研究発表大会に何度か所論を発表し、勧学院へも論文を提出し、教化学研究発表大会でも所見を述べていますが、もっと広く底辺から呼びかけていかなければと思い、この小論をまとめました。僧俗・宗派を問わず、多くの人に訴えたいと思います。
目次
第一章 『法華経』を一連の物語として読む
第二章 魂魄を傾けて一大秘法を開顕
第三章 大曼荼羅本尊
1、首題
2、御名・花押
3、左右の梵字
4、誡文
第四章 三大秘法の開示
第五章 妙法の広宣流布
第六章 一大仏教への統合
※御書の頁数を()内に、上段は昭和定本、下段は平成新修遺文に依って示す。
第一章 『法華経』を一連の物語として読む
日蓮聖人が依経とされた『法華経』は、八巻二十八品から成っています。
中国の天台大師は、釈尊が説かれたとされる多くの経典を五時八教にまとめて、『法華経』中心の教判を立てられました。五時というのは、華厳・阿含・方等・般若・法華涅槃という順に、それぞれのお経を説かれたというのです。八教は略します。
『法華経』を半分に分けて、前半の十四品を迹門として、水に映った月影に、後半の十四品を本門として、月そのものに譬えました。迹門の中心は「方便品」で、一切衆生が成仏すること、本門の中心は「寿量品」で、釈尊が実は久遠実成の本仏であることを明かすとされています。
日蓮聖人は、このような天台大師の考えを引継ぎながらも、更に独自の見解を示されています。
中でも重要なことは、『法華経』を一連の展開として読まれていることです。
「序品第一」は一経のはしがきとして、「方便品第二」から「人記品第九」までは聴衆のレベルアップの章で、「法師品第十」で如来使としての自覚を促し、「宝塔品第十一」から「嘱累品第二十二」まで、仏も聴衆も共に虚空に昇り、仏のレベルに近づいて、仏から秘法を伝授される付属の儀が説かれます。これが『法華経』の本論であり、「薬王菩薩本事品第二十三」から後は、付属を受けた人の実践例が示されます。日蓮聖人は、精神修養の為の個々の教義よりも一経全体の仏の願いを重要視されたのです。これこそ、本来のお経の読み方であります。巷間に珍重される観音様も、『法華経』の「観世音菩薩普門品第二十五」を独立させて現世利益に借用したもので、本来の法華の筋から見ると、法華行者の手本で、行者自身が観音様の慈悲を体現すべきものなのです。
このような読み方をされた日蓮聖人は、自らを釈尊の要請に応じた菩薩に仮託し、初めは、「勧持品」の菩薩に、次いで、「涌出品」の地涌の菩薩に、そして晩年は「不軽品」の不軽菩薩として身を挺されたのです。
第二章 魂魄を傾けて一大秘法を開顕
文永八年、五十歳で竜口での首の座の法難を受けられた日蓮聖人は、不思議にも一命を助かり、佐渡流罪になりましたが、心情的には竜口で肉体的生涯を終え、精神的存在として佐渡で復活し、法門を開陳されました。『開目抄』(590、247)に「此は魂魄佐渡の国にいたりて」と述べられています。
『開目抄』は人開顕の書と言われ、日蓮聖人が法華経の行者か否かに重点が置かれ、『本尊抄』は法開顕の書と言われ、釈尊から上行菩薩に付属された衆生救済の法門が明かされました。そして二ヶ月半後に、大曼荼羅本尊が始顕されました。
これを後に『法華取要抄』(815、348)に、「秘法とは(中略)本門の本尊と戒壇と題目の五字となり」と言われ、『曽谷入道殿許御書』(902、401)には、「此の四大菩薩は(中略)此の一大秘法を持して」と示されています。
日蓮聖人は、釈尊から地涌の菩薩に付属された一大秘法を三つに分解して判り易く解説されたと思います。しかし従来は、戒壇についての説明はなかったとし、門下の推量で述べられてきました。
しかし、日蓮聖人がはっきり三秘の名目を挙げられた以上、解説がなかったとは思えません。『報恩抄』(1248、631)には、「一には日本乃至一閻浮提一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし。(中略)二には本門の戒壇。三には(中略)他事をすてて南無妙法蓮華経と唱うべし。(後略)」と述べられています。これは、戒壇は本尊に同じという意味です。
第三章 大曼荼羅本尊の図顕
日蓮聖人は、佐渡配流の足かけ四年、正味二年半の中で、まず『開目抄』『本尊抄』を述作、続いて「始顕大曼荼羅本尊」を図顕されました。御真蹟は明治八年の身延大火で焼失しましたが、佐渡流罪の直前から、簡単な大曼荼羅の習作が始まり、種々試行を重ねて、御本尊の決定版として揮毫されたと思います。
最も重要なものは、中央に大書されています七字のお題目ですが、次に御名と花押、その次に左右の端にかかれている梵字、それから誡文があります。この四つについて、説明します。
1、首題
首題は必ず中央に大書され、『本尊集』の127幅中、船中本尊1幅だけが楷書体で、所謂ひげ題目、正式には光明点、がありませんが、他の126幅は、法の字を除く六字は筆端を伸ばして書かれています。これは従来、智慧と慈悲の光だとされていますが、今一つ、戒めの意味も加えなければならないと思います。
首題の七字は、久遠実成の本仏釈尊を象徴しています。
2、御名・花押
首題が127幅すべてにあると同時に、御名・花押も欠けることがありません。日蓮聖人が命がけで到達された、本仏釈尊の象徴的なお姿を図顕したのは、本化(元からの弟子)としての自覚に立った日蓮、であることを示されているからだと思います。
文永年間の大曼荼羅は、だいたい御名と花押が離れていますが、建治年間になりますと、御名の下に花押が位置するようになり、更に弘安年間には、花押の中に蓮の字が入ってしまうようになります。そこから、花押に秘められた重大性が伺えるように思います。
日蓮という名は、「如来神力品第二十一」の「日月の光明のよく諸の幽冥を除くが如く」と、「涌出品第十五」の「世間の法に染まらざること蓮華の水に在るが如し」という経文から採られたとされています。まさに、釈尊の大法を弘通する覚悟がそのまま御名になったと思います。
花押については、日蓮聖人が自ら語られてはいませんが、『本尊論資料』にあるような馬でも俵でもなく、一眼の亀の形であろうと思います。これは、「妙荘厳王本事品第二十七」に出てきますが、値い難い『法華経』に値った感激をこの亀に託しての表現だと思います。亀の頭部は初め「へ」の字の形ですが、段々に「わらび手」状になり、やがてはっきりと「一眼の亀」になってきます。
花押の母字は、弘安元年の五月を境にして二期に分かれています。
前期の母字は、梵字のバン字説・妙字・州字等各種ありますが、私は妙字説をとります。後期の母字は、梵字のボロン字・久字・州字等の説がありますが、私は、不と州の合成だと思います。
日蓮聖人のお気持ちを素直に拝しますと、前期は妙以外に考えられません。値い難い『法華経』に値えたという感動と感激を表明されるのに、妙法の妙以外にはないと思います。
弘安元年は、元寇の第二次襲来が予想される世情の不安と、日蓮教団への外圧と、更に日蓮聖人御自身の体調の衰えとを考え合せ、単なる感動感激を表明された妙字の花押を、末法万年広宣流布につながる実践を予想する、不と州の合成に替えられたと思います。不は不軽菩薩の不であり、亀の体を埋めていた  の字を  に替えられたと拝察いたします。
3、左右の梵字
竜口法難の首の座をまぬがれて佐渡流罪の直前に図された楊子御本尊が、現存最初の大曼荼羅ですが、首題と御名・花押、左右に梵字のカン・ウンという最も簡略な形ですが、これが大曼荼羅の基本形です。左右の梵字は、127幅中117福に図されています。
従来は、カンは不動明王、ウンは愛染明王とされてきました。しかし、真言亡国と言われた日蓮聖人が、最も大切な大曼荼羅の主要な要素に、真言の祈祷本尊である二明王を図される筈はありません。
『不動・愛染感見記』(16、2)は、日食の否定、身字の御真蹟との不合等、根拠になりませんし、御書中の記述に殆ど出ていませんから、不動・愛染とは考えられません。
梵字を欠く10幅の大曼荼羅を検証しますと、仏・菩薩などの尊名は中央の首題に吸収されるとしますと、佐渡・妙法寺蔵の船中御本尊は、首題の右に「日月衆星」、左に「四天大王」とあり、これ等が守護される仏土を表すものと思われます。
このほかに、首題の左右に書かれた文言の中に、閻浮提・三界の文言あるものが5幅あります。これも、仏土を表しています。
他の4幅は、一般的な大曼荼羅から左右の梵字だけ欠けた体のもので、特殊な4幅と言えましょう。
日蓮聖人は、真言曼荼羅の基本の上に、大曼荼羅を図されたと思いますが、基本に添って、釈尊の仏土を梵字によって表現されたと思われます。弘安期の大曼荼羅は、梵字が種々に変化した形に表現されています。子供の頃の影ふみを連想させます。梵字は世間の影と見ることができます。
梵字の上下に四天を配された大曼荼羅が73幅あります。四天は四州の中央に位置する須弥山の中腹に居住して、常に四州を巡回しながら守護される存在とされています。地図上の方角とは異なりますが、右上に東方持国天、右下に西方広目天、左下に南方増長天、左上に北方毘沙門天と、巡回を意識された配置になっています。
4、誡文
始顕大曼荼羅本尊には、誡文が記載されていました。通常殆どの大曼荼羅に讃文が書かれていますが、従来はこの誡文の中に、文も含めて考えられてきました。しかし、その意味も、書き表し方も、讃文とは性質を異にしています。私は、『立正安国論』等に出ています「誡文」という文言が良いと考えています。
始顕本尊を拝見しますと、首題の下右側の空間を埋めるように「仏滅度後(中略)未曽有の大曼荼羅なり(後略)」という讃文が書かれ、花押に冠せるように、「自已誡文」が書かれています。そして梵字の内側に、「病即消滅」系の誡文が記載されています。
誡文は、始顕曼荼羅の前の試行的大曼荼羅で予行されています。本土寺蔵の一念三千御本尊には、右側上に胎蔵界大日を表す梵字のアーンクを図し、下に「当に知るべし身土は一念の三千也、故に成道の時」、左上に金剛界大日を表す梵字のバーンクを図し、下に「この本理にかなって一身一念法界に遍ねし」と書かれています。これが誡文です。上の方の二つの梵字は、文永十一年正月に佐渡の土民が「太陽が二つに見えた」と騒いだ事に、「この地球と人類とは、身心一如であるから、二日(にじつ)という現象は、上(かみ)の同志討ちを表明している」と、時輔の乱を予言された時の御図顕と思われます。
妙宣寺蔵の女人成仏本尊も特異な一幅で、一見普通の構図の大曼荼羅の右肩の所に、小字で斜め書きに舎利弗と四大声聞の尊名が書かれ、左肩には、梵天・帝釈の尊名が小字で縦書きにされています。これは、後に書かれる誡文の書き方と同じです。
『開目抄』の記述の中に、これらの尊格が、『法華経』によって成仏できた恩に報いる為に法華経の行者を守護する重大任務があること、梵・釈などの守護者は、行者守護の誓いを忘れたら存在価値を失うことが力説されていますから、行者は安心して『法華経』を受持すべきであるという意を表明されていると思われます。
行者の受持に自信を与えて、信行に励むように考えられていると思います。
始顕本尊と同系列の「病即消滅系」の誡文曼荼羅は6幅が現存し、末法の衆生の重病である五逆と謗法を治療するには、お題目の要法しかないことが強調されています。
「有供養者系」の誡文曼荼羅は8幅が現存し、『法華経』乃至行者を供養する者は福を得、そしる者は罰を受けるという意味のものです。
それから、「今此三界系」のものが5幅現存し、仏の慈愛に包まれた非常に穏やかなものであります。
日蓮聖人の戒壇法門の内容は、一般大衆に向けた三種の戒めと、弘教者自身の忍難慈勝の自已誡文との四つの戒めになると思います。
第四章 三大秘法の開示
日蓮聖人が三つの法門と言われる、所謂三大秘法は、本門の本尊、本門の戒壇、本門の題目です。
これを『宗義大綱』を始めとして従来は、本門の本尊、本門の題目、本門の戒壇と言い変えて、戒壇の説明はなかったと言われてきました。これは、戒壇と本尊が同内容の法門である事に気付かなかったからです。
『報恩抄』(1248、631)には、「一には日本乃至一閻浮提(世界中)一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし。(中略)二には本門の戒壇。三には(中略)一同に他事をすてて南無妙法蓮華経と唱うべし。(後略)」と述べられています。
この三秘は、日蓮聖人が一大秘法の法門を判り易くする為に、三つに分解して示された教学ですが、『宗義大綱』にありますように、行法と考えられてきたことも大きな誤りでした。
釈尊が上行等地涌の菩薩に付属されたのは一大秘法であり、日蓮聖人は当然乍ら私共に、一大秘法の題目を伝授された筈でしよう。門下は、その一大秘法を後世に伝えていくべき筈のものでしょう。お題目には一大秘法のそれと、三大秘法の解説としてのそれと、二いろあることを知らねばなりません。一秘の題目は身唱の題目であり、三秘の題目は口唱どまりのものと一言えましょう。
従来の門下の信行は、万遍講に代表される口唱の題目が主流でした。これは、広宣流布には繋がりません。一秘の、身唱の題目を信行しなければならないと思います。
三秘を学習して本化の教学を理解したら、三秘を一秘に統合して、実践に移さなければなりません。本門の本尊、大曼荼羅御本尊を心に体し、四つの本門戒を意識して広宣流布のお題目を身唱するのです。
お題目の身唱には、二種が考えられます。一は小の信行で、人の為、世の為に身を挺することです。日常普通の善行です。布施が基本になる、六度の菩薩行です。二は大の信行で、これが広宣流布の行です。次の章で論じたいと思います。
第五章 妙法の広宣流布
日蓮聖人は、初めは自身を「勧持品」の菩薩に擬して、法難を恐れず、法華経受持に身を挺されました。
三十二歳、清澄山で立教開宗を宣言されると、すぐ東条景信の難があり、清澄を追われます。三十九歳で『立正安国論』を幕府に上呈されると、すぐ松葉ケ谷の焼き討ちに遭い、四十歳で伊豆流罪、四十三歳で小松原襲撃、五十歳で竜口斬首乃至佐渡流罪というように、「勧持品」を色読されました。
この間に言説によって信者を獲得されていきますが、大きなねらいは諸宗との公場対決でありました。しかし幕府や諸宗の高僧達は、宗論ではなく処罰を以て対応してきました。佐渡では塚原問答が行われましたが、都での問答とは異なり、広宣流布には繋がりませんでした。
一方、佐渡流罪で、『法華経』の経文通りに色読できたとして本化上行菩薩の自覚をされ、一大秘法の法門を開示されました。
開・本両抄を著述して、自身が法華経の行者であることと、釈尊が上行等の菩薩に付属された一大秘法を述べ、本門の本尊と本門の戒壇の法門を、大曼荼羅として図示されました。
流罪赦免後すぐに、平左衛門尉に対して三回目の諌暁をされましたが聞き入れられず、身延入りされたのが聖人五十三歳でありました。
公場対決による広宣流布は一番手っ取り早いのですが、身延に入山されてからも噂にはあったようですが、実現しませんでした。
五十七歳の日蓮聖人は、公場対決をあきらめて、七年間に亘って使用されてきた花押を、妙字から不と州の合成に替えて、御自身を先頭に門下を挙げて、不軽菩薩の下種行による広宣流布一本に切り替えられたのではないでしょうか。
このように日蓮聖人の御一生を概観して、聖人滅後の広宣流布の姿勢を振り返ってみますと、遅々として進まない理由が判るように思います。
明治の巨匠田中智学居士が、幕府や政府の宗教弾圧によって低迷していた日蓮門下の布教姿勢を批判して、折伏正意の宗風を宣揚し、題目系の活性化を図られましたが、国粋主義の時代潮流に乗って一時的には広まりましたが、日蓮聖人の正統からは外れていきました。
昭和初期に活躍された宮沢賢治氏は、日蓮聖人の思想を正確に把握されていたと思いますが、残念ながら短命で亡くなりました。しかし、その遺稿は、日本だけでなく、広く世界に愛読されています。日蓮聖人や『法華経』の思想を作品にされたことを知らない人の方が多いかもしれませんが、「雨にも負けず」の詩にあるデクノボウは、不軽菩薩をイメージしたものだと言われています。
日本山妙法寺の藤井日達上人は、西天開教を目指して世界中を歩き、各地に仏舎利塔を建てられました。末法は建造物の時代ではありませんが、その精神は、日蓮聖人の思想を最も良く理解されているように思います。門下がこぞって同調していたら、広宣流布の輸はもう少し広がっていたと思います。
一大秘法のお題目は、口唱のお題目ではありません。身唱の、実践のお題目です。『寺泊御書』(515、187)に、「法華経は三世説法の儀式なり。過去の不軽品は今の勧持品、今の勧持品は過去の不軽品なり。今の勧持品は未来の不軽品たるべし。其の時は日蓮即ち不軽菩薩たるべし」とありますように、今末法の時代は、不軽の行を実践すべき時でありましょう。
不軽菩薩は、『法華経』を知りませんでした。専ら経典は読まず、街に出て行き交う人々を礼拝し、「私はあなたを尊敬します。決して軽んじません。なぜならあなたは、人の役に立つことをして、やがて仏になられる方ですから」と、言葉をかけて歩きました。
『崇峻天皇御書』(1397、696)に「一代の肝心は法華経、法華経の修行の肝心は不軽品にて候なり」と述べられているように、不軽菩薩の但行礼拝こそ広宣流布の行法なのです。
『法華経』を知らなくても、お題目を唱えなくても、人を礼拝すればいいのです。そして、その人の良いところを見つけて誉めればよいのです。家族・親類、近所の人、同じ職場の人、同好の人等、誰でもよいから、良い点を誉めましょう。
日蓮聖人は、悪い点を指摘して直させようとされましたが、これは「勧持品」の行です。
未来は不軽菩薩だと言ってみえますから、誉めるだけでいいのです。私達もどんどん実行しましょう。必ず世の中が良くなります。明るくなります。
宗門、門下連合、更には天台宗等も合同して、すばらしい人や団体を見つけて、「あなたのなさっていることは、法華経に説かれていることです。あなたこそ法華経の行者です」と認定していけば、知らず識らずのうちに、『法華経』の広宣流布が実現するでしよう。
キリスト者の法華経の行者、イスラム教の法華経の行者、無神論者の法華経の行者もありましょう。そして命終の時に、『法華経』を聞く人も出て来ましょう、これが、『法華経』に説かれる広宣流布ではないでしょうか。
第六章 一大仏教への統合
『法華経』は、教菩薩法です。菩薩とは、自分のことよりも他の人を優先して良かれと願う人のことです。お題目を口唱するのは、本来、菩薩になります。菩薩行を実践します、という誓いのことばなのです。それが、自已を高めることです。
自已を高めて、人をも高めて、この世を常寂光土にしていくことが、お題目を身に唱えることなのです。
日蓮門下の行ってきた自行的な修行や仏事は、他宗派と特に変わった点はないでしょう。もしそうであれば、広宣流布の但行礼拝以外は、宗派を別にする必要はないと言ってもいいのではないでしょうか。ただ、唱える文言の違いだけではないでしょうか。宗派間で情報交換して、向上を計るほうが良いのではないでしょうか。仏教そのものが、世界宗教の中の少数派です。大同団結して、一大仏教として協カし合う時期ではないでしょうか。その中で、不軽の行の広宣流布を展開するのが良いと思います。『法華経』は、もともとあらゆる教え・思想をまとめていく開会の教えなのですから。
あとがき
この小冊子は、一般向けです。専門的な論文をお望みの方は、別に請求してください。まえがきに述べましたように、これは思考・思想の流れを調整しようとする精神分析からの論説です。日蓮教学・宗門史・古書学等の各分野の研究者の方々によって賛否の論究が盛んになって、学問的にも活性化することを願っています。
この書が一人でも多くの人に読まれ、世界が平和で住みよくなることを願っています。
コピーをしても結構です。もし外国語に翻訳できる方は、外国の方にも広げてください。
お読みになったら、身近のどなたかにあげてください。
各宗のお坊様は、あなたの宗派でもこのような試みをしてください。
2006年10月8日
即明 拝
|