去る9月7日(水)午前10時半から8日(木)午後4時まで、宗務院で本年度の中央教化研究会議を開催しました。
昨年の中央教研では、日蓮宗の教化学を考えました。今年はあの戦争終結から60周年にあたり、昨年末からこれの特集がマスコミで取り上げられており、世間の関心も高いことから、終戦前の宗門の行動を総括し、再び戦争にならないよう、教化のうえからも取り上げるべきと考え、「日蓮宗の教化学を考える−教団の歴史から学ぶ平和と戦争」をメインテーマとしました。
伊藤立教現代宗教研究所主任の基調報告(映像資料放映を含む)をうけ、5名(パネラー3名、アドバイザー1名、コーディネーター1名)によるパネルディスカッションを行い、宗内の意見を代弁する形で問題点を語り、参加者中の95名にもアンケート集計機で賛否を表明してもらい、これらを問題提起として、3分科会に分かれて研究を深めてもらう、自身が語り考える教化研究の場、としていただきました。
パネルディスカッション中のアンケート結果
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御遺文削除・曼荼羅本尊不敬事件があったことを、中央教研に参加する前に知っていましたか?
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知っていた…68%
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| 2、 |
戦争に加担してしまった日蓮宗について
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やむを得なかった…37%
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間違いだった…53%
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どちらとも言えない…19%
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| (最初の質問で、参加者が集計機の扱い不慣れのため、合計109%となってしまった)
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| 3、 |
御遺文削除など、布教を捨てた戦時下宗門の状況に対して、宗教者である私たちを含めた現在の宗門は深く反省すべきか?
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反省すべき…66%
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| 4、 |
国策として戦争が想定されるとしたら、仏教者として戦争やむなしとしますか?
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戦争やむなし…9%
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| 5、 |
(再度の質問)戦争に加担してしまった日蓮宗について
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やむを得なかった…30%
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間違いだった…57%
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どちらとも言えない…11%
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つづいて、
第一分科会「現代と教学」…皇道仏教問題から学ぶもの
第二分科会「教団・教化」…宗制から見た戦前戦後の日蓮宗
第三分科会「現代社会」…国家と宗教−戦争のない社会を作れますか?
に分かれて、話し合っていただきましたあと、全体会議を行いました。
歴史認識の多様さが目立ち、第三分科会から、「宗教が国家によって精神的動員をされない」アピールを全体会議で採決するよう、要望が出されましたが、意見が分かれ、今後も自身の問題として考えよう、という合意で終わりました。
江東区の「東京大空襲・戦災資料センター」での現地研修には、67名が参加しました。
115名の参加(実数、申込数141名のうち台風14号の影響などで26名が欠席)がありました。(定員100名)
東京(東)1名、東京(西)2名、東京(南)2名、東京(北)0名、神奈川(1)0名、神奈川(2)1名、神奈川(3)2名、千葉(東)1名、千葉(西)0名、千葉(南)2名、千葉(北)3名、埼玉2名、群馬1名、茨城0名、栃木1名、山梨(1)1名、山梨(二)0名、山梨(3)0名、山梨(4)2名、静岡(東)1名、静岡(中)2名、静岡(西)1名、長野2名、岐阜1名、愛知(名)0名、愛知(尾)1名、愛知(三)1名、三重1名、新潟(東)0名、新潟(西)1名、新潟(北)0名、富山1名、石川(一)1名、石川(二)0名、福井(中)2名、福井(南)0名、福井(北)0名、京都(一)0名、京都(二)1名、大阪(市)0名、大阪(和)0名、大阪(三)1名、大阪(豊)1名、滋賀0名、奈良0名、和歌山1名、兵庫(東)2名、兵庫(西)1名、兵庫(北)1名、岡山2名、広島1名、山口0名、島根1名、鳥取2名、香川0名、徳島0名、愛媛1名、高知1名、福岡2名、熊本1名、佐賀2名、長崎0名、大分1名、宮崎鹿児島沖縄0名、福島1名、宮城1名、山形0名、岩手0名、秋田3名、青森1名、北海道(東)2名、北海道(西)1名、北海道(南)2名、北海道(北)2名、現宗研研究員13名、現宗研顧問7名、現宗研嘱託19名、現宗研6名
中央教化研究会議は、現代宗教研究所の年度通年研究調査項目と連動した3分科会に分かれ、中央教研での成果を通年研究調査に取り込み、年度末に研究紀要『現代宗教研究』に報告しています。
自由民主党第2代総裁にして内閣総理大臣となった石橋湛山師は、明治17(1884)年、日蓮宗僧侶杉田湛誓師(日布、身延山久遠寺81世法主)の長男として生まれました。戦前、東洋経済新聞社主幹として、保守リベラリズムの立場から言論活動をおこない、植民地全放棄、「小日本主義」、軍国主義批判を展開しました。昭和21(1946)年政界に入り、第一次吉田茂内閣の大蔵大臣に就任、進駐連合軍総司令部(GHQ)の指示に盲従せず、4年間公職追放されました。追放解除後の昭和27年立正大学学長に就任、翌年第一次鳩山一郎内閣通商産業大臣に就任、昭和31年内閣総理大臣となりましたが、老人性急性肺炎を患い、自ら潔く3ヶ月で総理総裁を辞職しました。体調回復後、日中米ソ平和同盟を主張し、内外の反対のなか、訪中2回、訪ソ1回を果たしました。昭和43年立正大学学長退任、昭和48年死去。日蓮宗の僧階を持っておられます。
その石橋湛山師に、「靖国神社廃止の儀、難きを忍んで敢て提言す」(『東洋経済新報』昭和20年10月13日号「社論」)という文章があります。
高橋哲哉著『靖国問題』(筑摩書房ちくま新書、平成17年6月10日発行)228〜235頁から、抜粋紹介します。
石橋は冒頭に述べる。「記者は深く諸般の事情を考え敢てこの提議を行うことを決意した。謹んで靖国神社を廃止し奉れと云うそれである」。 なぜ、靖国神社を「廃止」するのがよいのか。長くなるが、重要なので逐一引用したい。
靖国神社は、言うまでもなく明治維新以来軍国のことに従い戦没せる英霊を主なる祭神とし、其の祭典には従来陛下親しく参拝の礼を尽させ賜う程、我が国に取っては大切な神社であった。併し今や我が国は国民周知の如き状態に陥り、靖国神社の祭典も、果して将来これまでの如く儀礼を尽して営み得るや否や、疑わざるを得ざるに至った。殊に大東亜戦争の戦没将兵を永く護国の英霊として崇敬し、其の武功を讃える事は我が国の国際的立場に於て許さるべきや否や。のみならず大東亜戦争の戦没者中には、未だ靖国神社に祭られざる者が多数にある。之を今後従来の如くに一々調査して鄭重に祭るには、2年或いは3年は日子を要し、年何回かの盛んな祭典を行わねばなるまいが、それは可能であろうか。啻に有形的のみでなく、亦精神的武装解除をなすべしと要求する連合国が、何と之を見るであろうか。万一にも連合国から干渉を受け、祭礼を中止しなければならぬが如き事態を発生したら、却て戦没者に屈辱を与え、国家の蒙る不面目と不利益とは莫大であろう。
石橋によれば、まず問題になるのは「我が国の国際的立場」である。「大東亜戦争」の戦没将兵を祭神に祭り、英霊として顕彰し続けることは、「大東亜戦争」の敗戦という事態によってもはや困難になった。そのことを石橋は、彼一流のプラグマティックな観点を滲(にじ)ませ、「国家の蒙る不面目と不利益」にも訴えながら説いている。今日、中国、韓国等から「A級戦犯」合祀問題で首相参拝が批判されるのも、日本の政治がいまだにこの「国際的立場」を理解しえていない表われだと言えよう。
しかし、問題は、このような国際関係上の考慮だけではない。石橋は続ける。
又右の如き国際的考慮は別にしても、靖国神社は存続すべきものなりや否や。前述の如く、靖国神社の主なる祭神は明治維新以来の戦没者にて、殊に其の大多数は日清、日露両戦役及び今回の大束亜戦争の従軍者である。然るに今、其の大東亜戦争は万代に拭う能わざる汚辱の戦争として、国家を殆ど亡国の危機に導き、日清、日露両戦役の戦果も亦全く一物も残さず滅失したのである。遺憾ながら其等の戦争に身命を捧げた人々に対しても、之を祭って最早「靖国」とは称し難きに至った。とすれば、今後此の神社が存続する場合、後代の我が国民は如何なる感想を抱いて、其の前に立つであろう。ただ屈辱と怨恨との記念として永く陰惨の跡を留むるのではないか。若しそうとすれば、之れは我が国家の将来の為めに計りて、断じて歓迎すべき事でない。
言うまでもなく我が国民は、今回の戦争が何(ど)うして斯かる悲惨の結果をもたらせるかを飽まで深く掘り下げて検討し、其の経験を生かさなければならない。併しそれには何時までも怨みを此の戦争に抱くが如き心懸けでは駄目だ。そんな狭い考えでは、恐らく此の戦争に敗けた真因をも明かにするを得ず、更生日本を建設することはむずかしい。我々は茲で全く心を新にし、真に無武装の平和日本を実現すると共に、引いては其の功徳を世界に及ぼすの大悲願を立てるを要する。それにはこの際国民に永く怨みを残すが如き記念物は仮令如何に大切なものと雖も、之れを一掃し去ることが必要であろう。記者は戦没者の遺族の心情を察し、或は戦没者の立場に於て考えても、斯かる怨みを蔵する神として祭られることは決して望む所でないと判断する。
石橋にとって、靖国神社「廃止」が望ましい最大の理由はここにある。靖国神社の祭神の多数は今では圧倒的多数が「大東亜戦争」の戦没将兵であるが、その「大東亜戦争」は「万代に拭う能わざる汚辱の戦争」であって、「国家を殆ど亡国の危機に導き、日清、日露両戦役の戦果も亦全く一物も残さず滅失した」。そのような戦争の戦死者を祭って「靖国」神社と称することはもはやできない。なぜなら「靖国(ヤスクニ)」とは、「国(クニ)を安(ヤス)んずる」こと、すなわち国を平和に保つことであるのだが、実際には「国を安んずる」ことができなかったからである。靖国神社は「靖国」神社ではなかった。「亡国の危機」を招き、日清・日露戦争の「戦果」をも「滅失」させてしまったのである。だから、もしもこの神社が存続するなら、「屈辱と怨恨との記念として永く陰惨の跡を留むる」だけになるだろう。
「日清、日露両戦役の戦果も亦全く一物も残さず減失した」という表現は、朝鮮・台湾・樺太等の植民地全放棄論を持論とした石橋のものであることに留意が必要である。「小日本主義」者の石橋にとって、これは自らの主張が結果的に実現したことを意味する。「記者は戦没者の遺族の心情を察し、或は戦没者の立場に於て考えても、斯かる怨みを蔵する神として祭られることは決して望む所でないと判断する」と石橋が言うとき、石橋自身が「戦没者の遺族」であったことも間違いなく背景にある。海軍主計中尉であった次男和彦が、1944年2月6日、マーシャル諸島のクウェゼリン島で戦死している。靖国神社の祭神に予定された次男の遺族が、「何時までも怨みを此の戦争に抱くが如き心懸けでは駄目だ」と言って、靖国神社の廃止を提言しているのである。続く最後のパラグラフはこうだ。
以上に関連して、茲に一言付加して置きたいのは、既に国家が戦没者をさえも之れを祭らず、或は祭り得ない場合に於て、生者が勿論安閑として過し得るわけはないと云うことである。首相宮殿下の説かれた如く、此の戦争は国民全体の責任である。併し亦世に既に論議の存する如く、国民等しく罪ありとするも、其の中には自ずから軽重の差が無ければならぬ。少なくとも満州事変以来軍官民の指導的責任の位地に居った者は、其の内心は何(ど)うあったにしても重罪人たることを免れない。然るに其等の者が、依然政府の重要の位地を占め或は官民中に指導者顔して平然たる如き事は、仮令連合国の干渉なきも、許し難い。靖国神社の廃止は決して単に神社の廃止に終わるべきことではない。
「万代に拭う能わざる汚辱の戦争」という「大東亜戦争」観は、戦争責任論と対応していることが分かる。たしかにこの戦争責任論は、第二章で論じた歴史認識の観点から見れば、きわめて不十分だ生言わざるをえない。「少なくとも」と断わってはいるが、問題を「満州事変以来」に限定している。東京裁判の射程と同じである。また、この「責任」は誰に対する責任なのか、それが明らかでない。「国民全体の責任」と「其の中」の「重罪人」の存在とを指摘しているが、天皇の責任が意識されている様子はない。だが、それにしても、敗戦直後のこの段階で「少なくとも満州事変以来軍官民の指導的責任の位地に居った者」の「重罪」を指摘したこと、そしてそれが靖国神社廃止論とつながっていることの意味は決して小さくない。
本書の見地からさらに注目すべきは、「真に無武装の平和日本を実現する」という一節である。「靖国神社廃止の儀」が出されたこの時点では、日本国憲法第九条のルーツとされるマッカーサー三原則(1946年2月)はもとより、日本側からも政府・野党・民間を含めて何一つ新憲法草案は出されていなかった。その意味でもこの「無武装の平和日本」論は興味深いが、ここでは靖国神社廃止論との関係が重要である。私は第五章で、国立追悼施設が「第二の靖国」化しないための必要条件として、「国」が真に戦争を放棄すること、軍事力の実質的な廃棄を挙げた。石橋の中でどこまでこの連関が意識されていたかは別として、少なくとも敗戦直後の日本に、靖国神社の廃止と「無武装」国家の実現を同時に考える思考があったことをここに確認できるのである。
石橋湛山の「靖国神社廃止」の提言は、当時の日本では顧みられることがなかった。たしかにある意味では、靖国神社は結果的に「廃止」されたとも言える。石橋が「廃止」を望んだ当時の靖国神社は「別格官幣社」であり、陸軍省・海軍省所管の国家機関であったが、「神道指令」による国家神道廃止、日本国憲法の政教分離規定の導入により、靖国神社は廃止となるか宗教法人として存続するかの選択を迫られ、後者の道を選んだ。「国立」顕彰施設としての靖国神社は法制度上は廃止されたのである。
ところが、それはあくまで法制度上の建て前でしかなかったことも否めない事実である。靖国神社と国家との癒着は戦後も陰に陽につづいた。靖国神社は戦後も「霊璽奉安祭」を繰り返し行ない、戦死者の合祀をつづけてきたが、それは厚生省が作成し靖国神社に提供する戦死者名簿に基づかなければ不可能なことだった。首相や閣僚の参拝は今日までさまざまな形でつづけら札ており、七〇年代までは天皇の参拝もつづけられていた。これらのことが国家の政治(ナショナル・ポリティクス)としてもたらすさまざまな効果を考えれば、「国家機関」としての靖国神社がどこまで廃止されたのかも疑問がないとは言えない。
石橋が廃止を主張した時期と違って、すでに法制度上は国家の機関ではなく一宗教法人にすぎない靖国神社を政治的に廃止することはできない。自由社会においては信教の自由は最重要の権利のひとつとして保障されなければならない。逆に、信教の自由は徹底した政教分離のもとでしか保障されえない。また、信教の自由がどんな人権侵害のアリバイになってもならない。
「靖国問題」の解決は、次のような方向で図られるべきである。
| 一、 |
政教分離を徹底することによって、「国家機関」としての靖国神社を名実ともに廃止すること。首相や天皇の参拝など国家と神社の癒着を完全に絶つこと。
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一、 |
靖国神社の信教の自由を保障するのは当然であるが、合祀取り下げを求める内外の遺族の要求には靖国神社が応じること。それぞれの仕方で追悼したいという遺族の権利を、自らの信教の自由の名の下に侵害することは許されない。
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この二点が本当に実現すれば、靖国神杜は、そこに祀られたいと遺族が望む戦死者だけを祀る一宗教法人として存続することになるだろう。
そのうえで、
| 一、 |
近代日本のすべての対外戦争を正戦であったと考える特異な歴史観(遊就館の展示がそれを表現している)は、自由な言論によって克服されるべきである。
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一、 |
「第二の靖国」の出現を防ぐには、憲法の「不戦の誓い」を担保する脱軍事化に向けた不断の努力が必要である。
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前回の宗報8月号に続いて、鎌倉新書発行月刊誌「仏事」2005(平成17)年8月号の慶應義塾大学中島隆信教授インタビュー記事(後編)22〜24頁をご紹介します。
前回、寺院をめぐる組織が制度疲労をおこしており、寺院に活力がなくなり、活動が停滞していることを指摘しています。
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(お寺の檀家になる意義)
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お坊さんの人柄に触れて「このお坊さんだったら、この寺の檀家になりたい」とか、「このお坊さんが守ってくれているのだったら」ということで檀家になるということでしょうね(中略)引っ越しとか、何らかの形で関係が切れれば、その後また別のお寺と新しい関係が作れると思いますが、基本的には縁を切りづらいですね。縁を切りづらいので、なるべく自分の菩提寺に足を運んで、そこの住職と本当に仲良くなっていくということやったほうが、ほかへ移るということを考えるよりは、楽かもしれませんね。(中略、良くないお寺だったら)その場合にはコストをかけても移したほうがいいんじゃないですか。良くない、ひどいということが明らかならかまわないと思います。理由がしっかりとある訳ですから。
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(信仰がないのに宗派にこだわる人)
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「うちは○○宗だから」ということで、○○宗のお坊さんを一生懸命捜すという人もいますね。そのこだわりは何から来るのかちょっと私にもわからない。そういう調査をしませんでしたのでわからないですけれど、若い人にはそういうこだわりはないのではないでしょうか。(中略、そういうことを教えるのは)親というよりはむしろお祖父さんお祖母さんが重要だと思います。(中略)
三世代の同居が減ってきていることが子どもに対する仏教の布教がうまくいかなくなってきていることにもつながっているのだと思います。
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(現代人が信仰で仏教に顔を向ける可能性)
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いろいろな苦しみから救うということですよね。(中略)うまく取り除くことができない苦しみもあります。それは人間の内面を高めることや、苦しみを克服するという方向でしか取り除くことのできないものです。仏教は、そういう苦しみを取り除くことのできないものです。仏教は、そういう苦しみを克服するための役割を果たすことが、当然できると思うんですね。(中略、障害がある)自分の子どもにはほとんど物欲がありません。(中略)人間の向上心というのは人間を進歩させるために大事なんです。でも、それは彼にはあまりない。しかし、仏教の本を読むと、まさに彼のようにこだわりを持たない人間になろうとしてお坊さんたちが修行に耐えている。ということは、彼はそういうものを目指した後の状態になっているんだと思ったのですよ。だったら彼の生涯を生涯として受け入れよう、そういう気持ちになって救われたのです。(中略)うちの子どもは、今は養護学校ですけれど、以前は普通の小学校に行っていました。そうすると、彼のところに近づいてくる子がいるのです。どういう子かというと、気の優しい子や少し内面的な悩みを抱えているように見える子が私の子どものところへ近づいてきていろんな話をしている。私は自分の大学のゼミのいろいろな行事に子どもを連れて行きます。そうすると、よく話しかけてくるゼミ生がいます。大抵そうした学生は決まったメンツです。わたしは最初その理由がよくわかりませんでした。でも、仏教のそういった教えを読んでみてわかりましたね。彼のような存在は人々にとって救いになるのだと。彼は欲得づくで行動しないし、むしろ本当に悟りの境地に入っているような感じになっていて、それが評価されるのです。仏教の教えを勉強しなかったらこういう気持ちにはなれませんでしたね。お坊さんはもっと話をしたらいいと思うんですよ。仏教の教えなんか自分には必要ないんだ、という人もいるかもしれないけれど、中には仏教の素晴らしさを評価する人もいるはずです。人々の本来持っているいろんなニーズというものをくみ取る努力をお寺は今までしてこなかったんです。それはまさに葬式仏教で、決められた行事をもとに決められてことをやって、それで生計が成り立っていくから、本来の役目を放棄してずっとやってきたんです。だけど、需要がある。それをお坊さんたちの努力次第で掘り起こすことができる。つまり仏教というのはそれだけ意味のある教えであって、仏教そのものがなくなることは考えられない。仏教本来の教えを人々に伝えて、苦しみから救う役目を果たすのが、大乗仏教の発想です。お坊さんはそれを今までやってこなかった。お坊さんが話さないので、自分で本を読んだりしないと仏教の素晴らしさに気づくことがない。お坊さんがちゃんと教えればいいんです、お話を聞かせればいい。中には、わかってくれる人が必ずいますから。
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(一般社会のニーズとお寺の可能性を結ぶ技術)
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だからそこを市場のメカニズムを使っていとうことになるわけです。少なくとも信者さんたちがお寺を選べるようになって、少しお坊さんも危機意識をもって、「本来の俺たちの仕事は何だったんだろう」とおもうようになればよい方向に向かうと思います。一生懸命に信仰に向かえば、それに共鳴してお寺に戻ってくる檀家さんもいるでしょうし。
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(一般社会のニーズとお寺の可能性を結ぶ技術)
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今のままでは、あまりにも工夫がなさすぎます。
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(お寺が進む三つの道)
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葬祭に特化したあり方
現世利益
信仰の拠り所
都会ではかなり分業が進んでますから、お坊さんの出る幕がなくなっちゃっている。(中略)お寺の坊さんが自らその中で存在感を示していくのは、都会では大変かなと思います。
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(お坊さんが存在感を示す可能性)
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住職がどのくらい意欲を持ってやるかですね。
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(これからのお寺)
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人々が何を望んでいるかということに対して、もっと敏感になるべきじゃないかなという感じはありますね。そういうものに敏感じゃない業種というのは、行政の保護下におかれた産業として日本の中にいろいろあるんですよ。だけどだいたいダメになっている。(中略、大学・お寺・金融機関)今まで同じやりかたで長いこと続いてきて、ある時に現実をつきつけられるわけですね。そのきっかけは、例えば少子高齢化だったりするわけです。(中略)お寺の市場は、本当に行政が助けてくれない市場ですよ。信教の自由ということで、行政の関与を切っていて、最も規制をされないようにしている市場です。自ら変えていくしかないのです。でも、お寺の人たちはそれを変えていく意欲を持っていないという非常に残念な状況になっている。利益の追求とかそういう意味じゃなくてね、信仰だって一つの経済活動であって、それには需要と供給というものがちゃんとあるんです。だから人々が何を望んでいるのかというニーズに、常にしっかり目を配っていなければ、これはもう産業としては必ずダメになります。(中略)いろんな生き残り方はあると思います。それは個々のお寺の住職が考えることですよね。そういうことをやっていかなければ絶対ダメになる。これが市場というものです。お寺に限らずいろんな業種に共通していますけれど、消費者のニーズをくみ上げられないところはみんなダメになってきている。(中略)お寺にこもっているんじゃなくて、世の中に出ていって、世の中の人々のニーズをくみ取る努力をすべきでしょう。(中略)経済学者の立場としては、市場のニーズという観点からの意見になります。市場の中では、宗教や信仰も特別なものではないのです。経済というのはイコール営利ではなくて、人々の満足を高めること、それは金銭的な満足もあるし、宗教的な、信仰の上での満足もあるし、いろんな満足があります。人々がなぜお寺に行くのか、なぜお墓の前で手を合わせるのか、なぜわけのわからない儀式をやるのか、何か動機があるわけですよね。そうした人々の動機というものを的確にキャッチして、時代の先を読んで、新しいサービスを開発していくというか、信仰のあり方を考えていくというのは事業者としてお寺がやるべきことです。お寺だから宗教だからやらなくて良いというものではない。
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(お寺にとって大変だが面白い時代)
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おっしゃるとおりですよ。だから将来を悲観する必要は全然ありません。今のままで行けばおそらく衰退産業になってしまうでしょう。でもニーズというものは必ずあります。全体的には衰退するとしても、個々のお寺で伸びるということもありますしね。
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