
| 主催 | 日蓮宗宗務院教務部
日蓮宗現代宗教研究所 日蓮宗中部教区六宗務所 |
| 担当 | 日蓮宗長野県宗務所 |
〒390-0311 長野県松本市水汲69−2
電話 0263―34−7100
長野県松本文化会館
○期 日 平成12年10月30日(月)
○会 場 長野県松本文化会館
| 受 付 | 1階 玄関ホール | 第一分科会 | 3階 第2会議室 |
| 全体会場 | 3階 第2会議室 | 第二分科会 | 1階 中ホール手前側 |
| 講師来賓控室 | 3階 第4会議室 | 第三分科会 | 3階 第3会議室 |
○日 程
9:30〜10:00 受 付
10:00〜10:30 開 会 式
開会の辞
法味言上(如日月光明)
挨 拶
日程説明
趣旨説明
10:30
休 憩
10:40〜11:30 基調講演 (第一分科会のプレゼンテーションも兼ねる)
演題「青少年問題と教化 ーカルト宗教入信者と、その
家族に対するカウンセリングから見えるものー 」
講師 現代宗教研究所主任
影山教俊先生
11:30〜12:20 分科会プレゼンテーション
第二分科会「政治と宗教」
中島光民先生
第三分科会「インターネット布教の研究」小倉孝昭先生
12:20〜13:00 昼 食
13:00〜15:00 分 科
会
15:30
休 憩
15:10〜15:50 全体会議
議長挨拶
座長報告
質疑応答
講 評
15:50〜16:00 閉 会 式
次期開催地挨拶
閉会の辞
玄題三唱
16:00
終 了
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分科会
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基調講演 (第一分科会のプレゼンテーションも兼ねる)
「青少年問題と教化」
ーカルト宗教入信者と、その家族に対するカウンセリングから見えるものー
<問題提起>
昨今、世間を震撼させております「17才事件」に象徴されるように、いま子供たちの心の荒廃が取りざたされており、日本の将来を危ぶむ声すら聞こえております。
しかし、それと呼応するように、現在、日蓮宗の教師・寺族の宗教ばなれ、いやそれどころか寺族・寺庭ばかりではなく、教師が新宗教へと入信し、お寺を拠点に布教活動をしていた実態が明らかになったり、また僧侶の中では立派な寺院教師と評価されていても、実際には家庭的に破綻し、また犯罪者として社会的な制裁を受け苦しんでいる事実が報告されております。
これはまさに「宗門の宗教が危機的な状況にあること」を物語っているのではないでしょうか。もはや私たち僧侶や寺族のより所であるお寺は、信仰という名の法城に護られた治外法権の場所ではなく、社会問題をそのまま反映しております。いま私たち自身は宗教者として「教えを説く立場」にあるという漫然とした錯覚から目覚め、すでに社会問題の波に呑まれ溺れていることに気づき、私たちの信仰が本来の姿へと回帰すべき時期を迎えているのではないでしょうか。
ここに「青少年問題と教化」ーカルト宗教入信者と、その家族に対するカウンセリングから見えるものーと題してお話したいと思います。とくに次の論点からお話しを進めます。
★論点:現代社会における宗教の役割について(現代宗教の問題点)
おらくほとんどの方々は、地球が丸いということを知っており「それは子供でも知っている事実である」と思っております。しかし、実際に丸いことを自分の目で見た人は、日本人ではわずか3人だけのはずです。
この事実と同じように、宗教というものも、自分では知っているつもりでいても、本当に「宗教とは何か」の問に答えられる人は少なく、答へは曖昧模糊としております。今回の論題「青少年問題と教化」を考えるにあたって、この10年の間、カルト宗教入信者と、その家族に対するカウンセリングを行っている過程で見えてきた「現代社会における宗教の役割について」、現代の宗教問題の争点である「なぜ、多くの若者がカルト宗教などの主張に魅せられるのか」という現象を行動科学的な方法から、説明して行きたいと思います。
ところで、この行動科学的な研究方から明らかになるものは、従来のような宗教の哲学的な理解とは異なり、実際の宗教行為そのものの働き、宗教の機能的な側面が浮き彫りにされます。
そして、その宗教の機能的な側面から眺めますと、いままでオウム真理教や顕正会などカルト宗教への入信者たちが、「その宗教は間違っていますよ」と、誰になんと説得されようとも、場合によってはその宗教によって自分の家庭が崩壊しようとも、「彼らはどのような理由で、その宗教の信仰を棄てないのか」という疑問が理解できます。
それは入信者である彼らが、そのカルト宗教に宗教の機能的な側面である「救いや癒しという安心の宗教体験」を見い出しているからなのです。
具体的には、次の3点からお話したいと思います。
1 宗教と社会の関わりについて
2 入信に至る家庭的な心理背景
3 現代社会の若者たちと、いま求められる宗教とは
とくに私たちの問題という視点から、私たちは僧侶であり、宗教者であるという視点から、考えて行きたいと思います。
1 宗教と社会の関わりについて
○薄くなった信仰心の原因について
現代社会に生きる私たち仏教徒の大きな欠点は、恐らくお釈迦さまの教えの根幹である「六道輪廻」が信じられないところにあるといえます。実際、来日しているタイ、スリランカ、チベットの仏教徒たちは、みな一様に日本の仏教徒は「六道輪廻」を信じていないと指摘します。
六道輪廻は「善因善果、悪因悪果」、因果応報の法則に従って、私たちが地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の六道を、生まれ変わり死に変わり、経めぐるという教えですが、たしかに私たちは彼らが言うようには信じられません。
現代人として教育を受けた私たちにとって、現在の宗教的な知識は、単に飾りというようなアクセサリーになっていないだろうか。残念なことに私たちには、嘘をつくと閻魔さまに舌を抜かれる話、地獄の屏風絵図など、すでにもう恐ろしくない。いや、それどころかそんなことに目も向いていないのが実情でしょう。
いまここで現代人の薄くなった信仰心をいくら嘆いても、話しは先へと進みませんが、なぜタイ、スリランカ、チベットの仏教徒は篤い信仰心に支えられているのだろうかと、一つ視点を変えて考えることにいたしましょう。
人の行動には必ず意味があります。当然のこと信仰するにも動機が必要ですから、こう考えますと現代に信仰が希薄化している背景には、いま信仰を持てない何らかの原因が考えられます。
日本でも明治や大正時代の人たちは、今よりずっと信仰深かったはずです。たしかに私たちの祖父母は、陰徳を積み、お百度を踏み、後生を思う生き方をしておりました。
それはなぜでしょうか。少し調べてみますと、まずその時代の人たちは、男性41才、女性42才が平均余命(大正10年第1回国勢調査)であった事実にぶつかります。乳幼児はおおよそ3割余りも亡くなってしまい、生き残った子供も、疱瘡などの流行病で多く亡くなりました。そのころの庶民は、今では祝節の行事となっている七五三のお祝いは、その時代にあってはその年までは、生き延びてもらいたいという親のせつなる祈りだったのです。
いま日本は世界で一番の長寿国、平均余命女性82才、男性76才ですが、日本はついこの間まで、といいても150年ほど前の幕末の100万都市に生きる江戸庶民の生活は、食事は2度があたりまえで、お米のご飯に、総菜として野菜の煮物が主で、月に1度ほど動物性の栄養としては目刺しが1,2匹ほど付けば大したもの、それでは極端に栄養が不足して、病気の原因となり、この時代のお寺の過去帳を調べますと、その時代の未熟な医療も加わり、およそ平均死亡年齢は、男性27.7才、女性28.6才といわれます。(1973年 須田圭三)
また、横浜や長崎に入港する外国船から、インフルエンザが上陸すれば、1日50キロの人の歩く速さで日本全国へと蔓莚し、100万人単位で死人が出る。江戸でも少なくとも30万人以上が死に、浅草あたりのお寺では、棺桶を運ぶ荷車で交通渋滞が何日も続いたといいます。
このことから分かりますように、タイ、スリランカ、チベットの仏教徒たちの信仰心の背景には、現在でも日本の江戸期前後に見られたような生老病死の現実苦がはっきり刻まれているということです。(厚生統計協会刊 『国民衛生の動向』1999年)私たちは今、本当の自分の姿、生まれたら死ぬ存在であることが、見えなくなってしまった。こんなところに、現代の私たちに信仰が見えない理由が考えられます。
○宗教者の反省を踏まえて本題に入ります
あまり難しいことをいわなくとも、私たちの情緒性の変化を眺めて行きますと「なぜ私たちは信仰心が薄くなってしまったのか」が理解できると思います。
そして、これからは、まず宗教者として自分自身を反省しながらお話しますと、現在、オウム真理教を始め多くのカルト教団が、はびこっている背景には、私たち既成の宗教教団がその宗教的な機能を果たし得ていないためであると考えられます。
私たちが創価学会を批判しても、その背後には800万世帯以上の創価学会教のこぎ手がいる、その教団を維持している信者組織がある。ある種の機能を果たしているからこそ、人が集うのです。
これは戦後まもなく、すでにキリスト教の福音が機能していないために、多くの人は宗教に救いや癒しを期待しなくなったヨーロッパ社会の脱宗教化の状況を指摘した文章です。
そして、先ほど指摘しましたような「信仰の希薄化」は、社会的な病理として大凡40年後の今、現代の日本社会へと波及しております。
まさしくこのような宗教者自身の社会的な病理といえる「信仰の希薄化」の波、宗教者自身が自ら信仰している宗教によって「救われ、癒されていない」という事実、私たちの宗教が機能していない事実は、そのまま現代の日本社会の宗教事情を物語っているといえます。
○多くの若者が宗教へと癒しや救いを求めることは事実なのだろうか
ところで、以上のような宗教の機能について、その言葉を探しますと仏教ではそれを「抜苦与楽」といいます。簡単には「心も身体も楽になったお釈迦さまの、楽になるための教えと、楽になるための方法」、四苦八苦の解決方法として機能していたといえます。
実際に日蓮遺文に目を向けてみますと、聖人は心の病ばかりではなく「されば悲母をいのりて候しかば現身に病をいやすのみならず四箇年の寿命をのべたり」(『可延定業書』真蹟遺文)と、また各宗派の祖師方におきましてもそのような霊験奇蹟の事実、信仰による身体的な病気に対する癒しなどの事実をも伝えておりますから、その指摘の妥当性がうかがえます。
また精神医学から見た宗教の機能について、「お寺や僧侶は、地域社会の心の安全弁」であると、現筑波大名誉教授学の小田晋博士は述べられ、宗教が現実の社会に根付いてきたのは、古典的な伝統や文化遺産の継承ということばかりではなく、地域社会の心の病に対する精神治療的な役割をしっかりと担ってきたからであると指摘しました。
心理テストが物語る宗教の機能について、ある宗教法人が運営する「悩み事カウンセリング・ルーム」でこの10年間に来談された方々に心理テストなどを実施したところ、実にその7割強の方々(実施559人中に424人)に神経症乃至神経症領域的傾向が確認できましたといいます。一般的には神経症乃至神経症領域の平均指数約40%ですから、現代においても地域社会の人々が、それを意識するしない関わらず、お寺や僧侶に求めているものは、そのような「心の安全弁」という宗教機能の大きな側面であることが指摘できます。
このようなことから理解できることは、どのようなカルト教団であっても、その宗教に入信したり、また入信したいと思っている方々には「現在、何らかの理由で救われたい!、癒されたい!現実苦を抱えている」ということであり、先ほどの数字が物語るように、場合によっては神経症的な心の形によってもたらされる人間関係など、現実苦からの脱却を求めている方が多く見受けられるのです。あたかも現代社会が癒しの時代であると称せられるように。
2 入信に至る具体的な家庭の心理背景
○カルト問題の背景に家庭問題が見える
ところで、日蓮正宗顕正会入信者と、その家族に対するカウンセリングを行っておりますと、オウム真理教に入信した優秀な多くの若者たちとその家族の心の形が共通していることの気づきます。
具体的には、顕正会入信者の両親への心理テストの結果には、心理的な不安を生む家庭構造が見えております。具体的に顕正会入信者の両親13組(26人)に心理テストを実施しました。
結果として、子どもに対し過干渉であったり、子どもに対し過剰に是非の判断にこだわったりすることで、これまでも現代の若者の特徴として指摘されている「僕たちの気持ちを聞いて欲しいストレス」「僕たちを無条件で認めて欲しいストレス」を抱え込んでいる若者たちは、すでに安らぐべき家庭内で溺れ、ご両親の狭間で喘いでおり、そのような若者が顕正会ばかりではなく、破壊的カルト教団へと救いや癒しを求めて入信し、マインドコントロールされてしまう構造が確かめられました。
3 現代社会の若者たちと、いま求められる宗教について
○不登校が物語る家庭崩壊の事実
社会的な問題はまず始めに子供たちに反映する。平成9年の児童生徒の不登校は10万人代になり、平成2年度から倍増したことを文部省が発表しております。また、昨年は一挙に13万人代になった。なぜ急に3万人増えたのか。そのれは昨年から長期欠席の理由の中で、勉強嫌いを不登校にカウントしたため。お役人はことを隠す傾向がある。
不登校の深刻さは、少子化が進んでいる関係で、実際の数からは読むことが出来ない。
☆平成 9年度 不登校率 全体の0.81%(不登校数約10万人/総数約1200万人)
☆昭和57年度 不登校率 全体の0.12%(不登校数約23000人/総数約1750万人)
15年間で8倍近く増えている。少子化で絶対数が減っているにもかかわらず、不登校が増える、統計的に反比例する異常な数字です。
実際の不登校者数は、不登校児と関わりを持っている臨床家のほぼ一致した見解では、不登校乃至不登校予備軍は、児童生徒総数約1200万人の中で、凡そ2割弱の200万人あるという。
その理由として、現在、各市町村の教育委員会は、不登校児たちの学校生活の復帰を支援するため適応指導教室を設け、不登校の児童生徒の興味、関心、能力等を行っている。例えば初期段階では夕方に給食のパンを受け取りに来るだけで出席扱いにするなど、実際には不登校であるにも関わらず出席になっているなど、文部省の発表した不登校者の数字よりは実数がはるかに上回ることが予想できる。
このように不登校の児童生徒に対して教育委員会は苦肉の救済策を行っているのが実状で、抜本的な解決策の糸すら掴めていないのです。
そして、この不登校問題に現代社会が抱えている青少年問題が集約されているといって
も過言ではないのです。これらの問題は、青少年の単なる生命の軽視や、単なる非行などという問題ではなく、そこには母子関係の問題を引き起こすような家庭環境の劣悪化が存在していると指摘できます。
具体的には平成10年度は結婚80万組の中で離婚25万組と倍増し、戦後の統計では最大の離婚者数であり、このような子供を囲む家庭環境の悪化、本年文部省が認めたように学級崩壊、東京都では5クラスに1クラスが学級崩壊であると認めており、その悪化はその事実を裏付けている。
これを背景に、昨今の「17才事件」に象徴される子供たちの心ゆがみが生まれている。
新潟少女監禁事件、京都てるくはのる事件、佐賀バスジャック事件、豊川市主婦刺殺事件などが上げられます。
○このような社会的な病理の波は宗教者の家庭をも直撃している(寺族たちの崩壊)
このような病理は、宗教本来の癒しや救いという機能を失い、宗教的体験のレベル、修行のレベルを失い、倫理や道徳という「教えのレベル」に成り下がってしまった既成の宗教教団の僧侶の家庭をも直撃している。
ある僧侶は自身の所属する宗教で癒されず新新宗教の「幸福の科学」へ入信し、僧侶の資格を取りい上げられました ある宗派の僧侶の奥さん、南無の会という在家の信仰者の会である僧侶と出会い「心の安らぎを求め僧侶と結婚しました」が、その夢が破れた結果、恐ろしいことに娘の同級生の園児を殺害しました。
ある僧侶の奥さんは、自身のお寺の宗教に救いを求めずに、ある新々宗教へと入信して広告塔になっております。
今まさに宗教者自身の社会的な病理の波、宗教者自身が自ら信仰している宗教によって「救われ、癒されていない」という事実が問われております。ここに新々宗教の問題が見えており、そして、現代社会における宗教の役割が明らかにされておりといえないでしょうか。即ち、僧侶が自分自身の宗教を実践し、救いや癒しという宗教機能を社会へと提供することである。
一連のカルト問題、また昨今の17歳問題は、まず寺に宗教が生きづいているかが問われている。なぜなら、お寺は地域社会の心の安全弁だからです。
略歴
影山教俊(かげやまきょうしゅん)
1951年 東京生まれ
1976年 立正大学仏教学部仏教学科卒業
1980年 立正大学大学院文学部仏教学専攻科修士課程修了
1994年 米国南カリフォルニア大学院人間行動学博士課程修了
同年 学位請求論文「PSYCHOLOGICAL AND PHYSIOLOGICAL STADY OF<TENDAI-SYOU-SIKAN BY TENDAI>」(『天台小止観』の心理学的、生理学的研究)にて、人間行動学博士(PH.D)学位記取得
現在、鴨川市釈迦寺住職
千倉町蓮重寺代務住職
日蓮宗現代宗教研究所主任
蓮重寺悩みごとカウンセリングルーム室長
米国カリフォルニア州公認SIHS大学院日本センター講師
研究テーマ
修行の生理学的、心理学的な研究を通じ、修行のもつ心理療法的効果の研究をしている。
所属学会
立正大学仏教学会
国際宗教・超心理学会
日本心理学会
日本バイオフィードバック学会
日本ホリステック医学協会
学会活動
1998年 国際宗教・超心理学第21回年次大会講演「宗教とは何か」
第51回日蓮宗教学発表大会「天台止観に見られる治病法ーインド仏教 医学の身体観を前提にー」
1999年 第52回日蓮宗教学発表大会「律蔵経典群に見える仏教医学についてー 律蔵とインド古典医学の比較からー」
第9回全身咬合医学学術学会特別講演「読経と脳波について」
第2分科会
「政治と宗教」
山梨県金竜寺住職、日蓮宗専任布教師、護法専修師 中 島 光 民
政治と宗教の講演内容
衆議院議員選挙の総括の説明
選挙の結果池田大作氏が―人勝ちし、与党3党が負けたと言える訳。
選挙団体創価学会
宗教団体の名を借りた利益集団の実態
創価学会二重構造の実態と組織
創価学会の二重構造の実態と組織の説明、公称八百万人の信徒とは?
創価学会の各種団体
組織の実態と池田大作氏の権力
収入源
集金方法と実態
創価学会と自民党との関係。
票に群がる自民党の政治家を明かにする。
創価学会の広告灯
「民音」の実態
企業への圧力
財務と称する寄付行為による資金方をバックに、財界制圧をねらう姿の実態
結論
略歴
山梨県金竜寺住職。日蓮宗専任布教師、護法専修師。
中小企業経営者の集い「酔仙会」主宰。
著書に 『カルト教団創価学会』
『5パーセントの集団暴力』
『巨大教団の政界ジャック 釈尊への裏切り』
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自坊 山梨県南巨摩郡身延町塩之沢1920
金龍寺 住職 中 島 光 民
電 話 05566-2-2605
東京連絡所 東京都練馬区貫井2-5-17-403
電 話 03-3825-7585
第3分科会
「インターネット布教の研究」
秋田県教化センター長 久城寺住職 小 倉 孝 昭
過去の「産業革命」以来の私たちの生活そのものを変化させようとしている「IT革命」。この成果を最も端的に示すのが、IT技術に支えられたパソコンの一般家庭への普及である。
IT技術の高度化→情報インフラの拡がり→eビジネスの拡大により、ITの影響がさまざまな分野に及ぶ。結果、個人のライフスタイルが必然的に変化する。
まさに、21世紀を迎えようとしている今日、日毎私たちは伝統に培われた既成概念を石臼にかけながら、しかも最先端の情報技術を取り入れながらポスト750を見つめて行かなければならない大事な時と思う。
私自身、パソコンと関わりあったのは、平成7年・第14回東北教区教研会議からで、5年になる。秋田県教化センターでホームページを開設したのが2年前、平成10年8月25日。当教化センターの総会(6月4日)でどうにかホームページ開設の承認を得てからの2ヶ月間、毎日キーボードを打つ連続であった。作業に携わった人数は3人。兎に角夢中で公開にこぎつけた。それから2年、最近ようやく落ち着きをもってデータ―の収集に目を向けることが出来るようになった。
さて、今宗門の関連したホームページは、海外を含めざっと103のサイトを見ることができる。検索機関に載せないサイトを含めると凡そ倍近くになるのではないだろうか。
このうち、国内の寺院・教会・結社等のホームページを訪問して次のように分類してみた。
@ 寺院紹介のみのサイト 29
A 布教に役立つと思われるサイト 15
B 興味を持って次々と扉を開けたくなるサイト 7
C メールにて意見・相談口を設けているサイト 18
D 時代を反映して、永代供養の案内をしているサイト 5
以上のことから、広告掲載に近いホームページが30パーセントを占めている。また、地元の観光協会等の作成、更新から2年を経ているもの、同じ地域なのにリンクされていないものなど教師自らが布教目的をもって作られたホームページとは格段の違いがあり、同宗門なのにという率直に格差の大きさを感じた。
また一方、日蓮宗新聞社のホームページでは12,014人目のアクセスがありながらニュース記事は、1998年7月21日〜同年10月12日で終わっている。9月19日アクセスで、前項の記事はカット、伊豆諸島噴火及び災害義援金募るの記事のみに変更。せっかくのアクセスがあるのだからと少々無念さを感じる。
早期に私たち教師間の連携を持ってのネットワークづくりが急務と考える。
「マルチメディア館」当教研の運営委員長が命名してくれた「部屋」
実は本年9月に開催された第33回中央教研で放映した「清澄散策」のビデオを、宮淵委員長の手を煩わせ15分の動画として秋田県教化センターのホームページに公開した。ただ読む時代から音を聞き、映像を見ながら学習に入るという、また一つ新たなインターネット布教の手段、技術を学ぶことができた。お陰で私はこれから地元秋田の四季「春夏秋冬」を映像に納め、自然の営みの中に「伝道布教」という新たな仕事を見つけることが出来たような気がする。
是非、皆で「宗徒の信条」のもとに、情報の内容を構築して行きたいものである。
略歴
秋田市久城寺住職。
日蓮宗現代宗教研究所嘱託。
秋田県教化センター事務局。
秋田県教化センターのホームページを作成し、「教化センター情報」や日蓮宗秋田県宗務所管内で行われた、立教開宗750年慶讃布教に関わる法話・講演などを掲載している。ここ数年中央教研で、インターネット布教のワークショップを行っている。本年は、清澄寺を紹介するビデオを作成し、インターネット上にテレビを見るようなデーターとして映像を掲載している。