日蓮宗 現代宗教研究所
Nichiren Buddhism Modern Religious Institute
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S師の手紙から考える<質疑応答> ←前次→

〈質疑応答〉
Q:先日アメリカからおいでになって日蓮宗の僧侶の資格をとられた方のお話を聞きましたが、やはりアメリカにはアメリカの方が布教し、またそれでないとなかなか根付かないと思うんですけど。
A:私は昭和三十九年に身延山高校に入りまして、その時にジョン・ラビット・プラボーというアメリカ人の方が出家されたんです。その方と二年ぐらい付き合いました。ところがあの方はその後、日蓮宗から離れたと聞きました。日蓮宗は、「違うものを受け入れるのが下手だ」という体質があると思うんです。相手を見た時に違いを見出して、それを批判するというのが先に立ちます。そうすると批判された方は逃げ出してしまうと思うんです。ブラボー師が離れていったということを考えました時に、そういう大きな問題点があると思うんです。信仰を押し付けるというのではなくて、やはり相手が違った考え方を持っていても、それが徐々に花開いてくるのを待つという考え方が、これからの日蓮宗の教化の場合必要とされるのではないかと思うわけです。アメリカ人の日蓮宗が生れてもよいと考えたいですね。
Q:外国へと宗教が進出する場合に、行く先の条件を知る必要があるのではないか。国外もそうなんですが、国内も同じじゃないか。今、生きている人が一体何を悩んで何を苦しんで何を求めているのか、ということについて我々は調べようともしない。人が何を望んでいるのか……その人達に寄り添いながら伝えられないものか。
A:私も米国布教における問題というよりも、現在の日本において教化していく場合でも、ほとんど同じ問題があるのではないかと思いました。私達は如来の使いだと言うのですが、如来のように広い心をもっているかというと持っていない。ただ自分の思っていることをぶつけようとしているだけで、相手を知ろうとしないということは本当は反対ですね。教化していく場合に相手の考えを聞いていく、そして仏様のような広い心で相手を包んで、共に歩んでいくという、こういう所に一番大事な点があるのではないかと思います。日蓮聖人の下種結縁の思想の大本にあるものは、仏様の救済と無縁な人々に何とかご縁をつけたいということにあるんだということを考えていかないと、折伏逆化という言葉に酔って全く精神が反対になってしまうと感じております。そのようなことをこのS師は切々と私に訴えられていると思われます。違和感を感じる点もあろうかと思いますが、どうかその辺りを汲み取って下さい。

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