日蓮宗 現代宗教研究所
Nichiren Buddhism Modern Religious Institute
S師の手紙から考える
三 原 正 資
今から三十有余年前、一九七〇年代の末のことですが、私は米国布教をされていたS師に手紙を送り、そのご返事をいただいたことがあります。それは長く筐底に眠っていましたが、この機会に皆様に紹介することにいたしました。いただいた手紙は三通残っております。
一、S師の状況と決意
まず三十余年前、S師がどのような状況に身をおいて、いかなる決意をされていたのか、そのことを示す部分を紹介します。
「私はもはやA市の日蓮宗教会にはおりません。と申すより、もはや日系人の社会から完全に離脱して白人布教に専念しております。これから将来もずっと。現在、B市のユニテリアン教会において白人相手の仏教講習会を開催しております。各地に同時に開催する心づもりですが、まだ始めたばかりです。現在三十名ほど熱心に聴講しています。」
このようにS師は述べて、続いて第一講から第十講に至る仏教全般に亘る講習会の内容を示されています。この手紙に表われている決意はいわば檀家制寺院を離れて、スッタニパータの言葉を借りますと、犀の如く一人で行くという、まさに宗教者の典型的な行動に出たわけです。私がS師の手紙を三十年余りも保存していたのは、このS師の行動への感激と共感があったからです。
二、S師の宗学観
S師は日蓮宗の宗学の現状について、次のように述べられています。
「我々のように常に異民族の中にあって国際的視野に立って正法を普及するものは、常に自分の反省を強いられますので、宗学というものの歴史的、地域的な価値観というようなものを特に持っています。例えばマグロの刺身は日本人にはご馳走であっても、一般の西洋人には食欲の対象とならないようなものです。日蓮宗学も現在のままで西洋諸国に弘まると考えるのはあまりに虫がよすぎます。」
S師はこのように宗学の現状に対して痛烈な批判を加えています。
そしてこのような状況になった原因は歴史的な日本仏教のあり方にあるとして、次のように述べます。「現在の日本の宗派仏教はインドにもシナにもなく、日本独特なものであることは既にお分かりのことと思います」。このようにS師は、日本の寺檀制度の上に成立している宗派仏教の宗学では米国布教はできないと考えていたのです。
皆様はどうお考えでしょうか。米国どころか現在の日本でも難しいことではないでしょうか。
三、S師の理想とする宗学とは
さて、S師は理想とする宗学について次のように述べています。
「アメリカという新世界では仏教は再び統一的傾向を辿ることは確かです。座禅の組み方を知らない仏教僧侶でも困るし、縁起思想を知らない僧侶でも困ります。まして般若の空思想を知らないでは話になりません。」
確かに現在の日蓮宗の教師は座禅の組み方を知る必要はありません。原始仏教の縁起思想や般若の空思想は「通仏教」的なものだから説く必要はないと考える人もいるでしょう。ところがS師は米国布教において西洋思想と対決するためには、日本の宗派仏教の枠組み、常識は通用しないと考えて次のように仏教の全体的把握を試みています。
「法華一乗の思想は西洋の二元論に対する回答であり、般若思想は実在論の否定であり、縁起の諸論は自己中心主義を破壊するに効能があります。」
S師の理想とする宗学はこのように、一乗思想と般若思想と縁起思想とが、すなわち法華経のもとに全仏教が渾然一体となったものといえましょう。
四、S師の実践論
では、実践論についてS師はどのように考えているのでしょうか。
「寛容と叡智とを以ていかなる邪見に対しても太陽が霜を溶かすようにいきたいものです。戦斗的な正義など一時代の産物に過ぎません。一地方色に過ぎません。善いことでも、それにとらわれると、もはや善いと言われなくなります。宗学者の欠点は宗学に囚われることです。一乗は相対の一乗で絶対の一乗ではないのです。人間の見た一乗観で諸仏の境地に立った一乗でないので、どこまでも比較と判釈がついて回ります。」
これによれば折伏的態度というよりも摂受、寛容的態度で布教していこうとされたことが伺えます。
また、具体的な修行法について次のように述べています。
五、S師の修行方法
「座禅は確かに一応万国向きの方法ですが、これも生活様式が違うので膝坊主が曲がらず決して安楽行ではありません。唱題は何か斗争的なわざとらしい虚勢的なところがあります。知的な境地は水のような静けさの中にあるのではないでしょうか。」
ずいぶん思い切ったことを述べています。日本で珍重される白い焼き物を外国の強い光りの下にもっていって鑑賞しますと、いつもの魅力を感じることができないと言われておりますが、同じことが起こるのではないでしょうか。昨年ドイツのハノーバー法要に行かれた方がどう感じられたか、お聞きしたいことです。
六、S師の利益観
また、ご利益について次のように述べています。
「ご利益は日本人のもっとも好物ですが、それは日本人が生活に窮しているから、また天災などでいじめられているから弱いのです。国民性でしょう。アメリカ人で宗教から利益を望む根性はあまりありません。キリスト教を見てもわかるでしょう。ご利益を説く宗教は低級です。」
この文章の背景には当時の創価学会の流行がありますが、ご利益の必要性については国民性があるという指摘は心にとめておいてもよいかと思います。
七、今までの経験、知識に囚われずに考える
さて、皆様はS師が三十年前に私に書き送ってきた手紙についてどう思われたでしょうか。S師が考えられたことは一六〇年ほど前に優陀那院日輝師がほぼ同じように述べられています。時代やその状況が大きく変化した場合には一時代、一地方で誕生した宗教を継承する場合には大きな課題が生じるということを物語っているのではないでしょうか。私達は日蓮聖人から法華経の信仰という大変すばらしいものを頂いているわけですが、それを私達は寺檀制度の上に成立している寺院仏教という枠組みの中に適応する形で、理解しているのではないでしょうか。これにはこれの必然性がありますから、それはそれでよいのですが、あまりに適応し過ぎるものは変化の中で滅びるということが自然界の鉄則であることを考慮しますと、状況が大きく変化しようとしている現在、真剣な対応が必要と思われます。
S師の手紙からもう一節紹介しておきます。
「仏教を学問として学ぶうちは仏教を理解したことになりません。一切の諸法を学ぶということは先人の経験、知識を知ることで、それがそのまま自分に役立つものではありません。学んだ知識は一旦全部忘れてしまって何も持たない【自分も忘れた】人間となって出直した時、初めて先師【日蓮聖人はもとより】の気持ちがわかるのではないでしょうか。」
米国という今までの経験、知識が通用しない場所に立ったS師の本心が伺えると思います。教化について考える、私どもの心に留めたい一節であると思います。とともに教化の根本となるべき教学の把握と表現に一考を要する時期にきているのではないか、S師の手紙から改めてそう考えるものです。ただ、ここで日蓮聖人の教えが普遍的でないといっているのではありません。例えば湯田豊先生は『仏教思想史』(北樹出版)の中で仏教学者シューマンの「苦は試練であるという思想は仏教には無縁である」という考え方を紹介しています。しかし、私達は日蓮聖人の宗教は苦悩の中から生まれ、人間の苦悩にいかに大きな意味を与えたかを知っています。この意味で日蓮聖人の宗教は仏教に豊かな肉付けをしてきたのです。
しかし、同時に、そういう日蓮聖人のお考え、私たちがこれは仏教だと思っている常識はヨーロッパの思想史の中で大きく考えると、それは仏教ではない、それは甚だユダヤ教的な考え方であるということになるわけです。私達はこの意味で聖人の教えを広い思想史の上で捉え直し、豊かな意味を見出す時期にきているといえます。考え方の違いを憎まないで考え方の違いを楽しむという考え方、異なる考え方の枠組みの中に自分の考え方をおいてみるという試みが、これからますます必要になってくるのではないでしょうか。
S師の手紙を紹介させていただきました。三十年余り前の手紙ですので、現状と違うこともあろうかと思いますが、皆様のご意見を頂きたいと思います。
(日蓮宗現代宗教研究所嘱託広島県 妙長寺住職)
Copyright (c)2001-2006 Nichiren Buddhism Modern Religious Institute. All Rights Reserved.