日蓮宗 現代宗教研究所
Nichiren Buddhism Modern Religious Institute
生きた僧侶や寺を作ろう
蟹 江 一 肇
私達は僧侶である前に人間であります。人間として生き方を示された日蓮聖人は、開目抄の始めに「夫れ一切衆生の尊敬すべきものに三つあり、『主・師・親』これなり。又、習うべきものに三つあり、所謂『儒・外・内』これなり」と教えられております。この教えから見て教師のあり方、お寺のあり方について考えてみる必要があると思います。そのためには寺の活用方法をもっと考えてみるべきではないだろうか。
そうしたことを考えた時に、様々な出来事や事象は全て人によって始まっております。人によって終わっているといっても過言ではないと思います。全て人が作って、人に始まって人に終わっていくというようなことであると思います。危機意識を欠いた宗教家が宗教を危うくしているのではないでしょうか。現実を見ると国家や社会はもとより政治、経済、憲法、教育、文化、宗教と様々な事象は全て人が生み出したもので、その生み出されたものに人々の生存、人生が左右されています。
私達僧侶の世界も乱れに乱れてはいませんでしょうか。「仏恩、師恩、親の恩」も忘れてしまって、世の中の流れや経済の動き、老化問題、少子化問題、青少年問題、医療問題、機構改革等の諸問題等様々に起こる問題の実態を把握せずに、命の尊さも考えずに、ただ僧侶は法要儀式や葬儀等を行っていればこと足りると思っていないだろうかということです。ある時、私が日蓮系の信者さんに「何か聞くことはありませんか」と問いを発して見ましたら「何一つお坊さんに聞いても返事が返ってきません。現在起きている青少年問題、少子化、あるいは医療問題等話をしてみましたら、よくわかりませんと言います。坊さんは何を考えているかと思って、ゴルフや車のことや歓楽街のことなどを聞いてみましたら、的確に話されました。私はびっくりしました」と言われております。「坊さんは人の気持ちなど、充分考えず、自分の言わんとすることだけを主張する人が多い。坊さんは教養がないです」との一言に何一つ返事をすることはできませんでした。
釈尊は方便品の中に「我れ本誓願を立てて一切の衆をして、我が如く等しくして異なることなからしめんと欲しき」ということは、皆さんもよくご存知だと思いますが、日蓮聖人もまた、「日本第一の智者となし給え」と誓願を立てられており、「虚空蔵菩薩の御恩に報ぜんがため」、また、同時に師の道善坊に対する御書の中には「此の恩を報ぜんがために清澄山おいて仏法を弘め、道善御坊を導き奉らんと欲す」と述べられているように、知恩報恩を日蓮聖人は明確に示しておいでになります。
そして命がけの布教の出発であったと考えられます。それで私達は「父母の家を出て出家の身となるは、必ず父母を救わんがためなり」と述べられているのに、私達は「これでよいのか」ということを問わざるを得ないと思います。なかなか自分を生んでくれた父母によって五体を作られたにも関わらず、父の尊厳すら忘れてしまって、私達はいつも父母は人が作ったように考えてしまったり、あるいはまた、目、鼻、耳、口全て自分のあるべき現在の姿とか磨くべきこと、いかようにして私達は教えに基づいて磨き続けておるだろうか。五体をもらったのはみんな親なんです。親からもらっておりながら、それを忘れてしまって、自分が生まれてきて自分がやっているんだというような意識があるのではないだろうかということを、僧侶としてよく考えてみる必要があるのではないだろうかということです。
私達は幸いにして学ぶべき機関があるということ。学ぶべき現状を与えられているということ。そうしたことを思った時にどれだけ私達は幸せかわかりませんけれども、そうした感激の喜びというものはどこにあるだろうかということを考える時に、お坊さんとしての生き方、開目抄にはっきり日蓮聖人がお示しになった生き方、というものに対する論理というものが、私達はわかっているようでわかっていない面がたくさんあるような気がいたしておりますので、そうしたことをもう一度考えてみる必要がある。
一 寺院の在り方
一 寺院の役割
寺の在り方については、『信行道場読本』の中で明確に示されております。信行道場読本によって、皆さん達が信行道場に入場中にいろいろ教えられたことがたくさんあると思います。帰ってきてから『信行道場読本』をお読みになった方が何人あるかと思います。ほとんど『信行道場読本』に説かれたことが、知らない人が多いわけです。
例えば『信行道場読本』の中に釈尊の教えだとか日蓮聖人の教義だとか、あるいは寺院のあり方に対して布教活動はどうあるべきかということが細かに説かれております。そうしたものを見た時に、一体どのように自分が信行道場において学び終えてきたのかをもう一度振り返ってみて、お寺のあり方というものと、お坊さんの役割というものを考えてみていただくことは、必要じゃないかと思います。
『信行道場読本』の中には、お坊さんのあり方とか役割というものも明確に示されております。そうして、あるべき自分達が学んだことを現実においてそれを我々がどう用いていくかという路線が、はっきりしていると思います。いろいろな社会情勢を話してもお坊さんはほとんど知らない。しかし、知っているのはゴルフとか車のこととか歓楽街の話は良く知っています。それでいいのだろうかということです。そういうお坊さんがほとんどだということを一般の世間では言われています。
そうしたことを考えてみた時に、私達は一体、お寺をどのようにして活用すべきか。またお坊さんはどのように生きるべきか、ということを一度本当に考えてみる必要がないのかと思っています。
二 布教活動
『信行道場読本』には寺院の役割についてこう述べられています。「寺院は住職や寺族だけのものではなく、布教活動の他、社会の中で活用されることが大切であります。活きている寺とは檀信徒ばかりでなく、地域社会の集いの場となったり、社会の中で起きてくる施設、医療、青少年教育、福祉等、多岐に渡る諸問題の相談や指導にあたるなど、社会浄化の場として解放されることが肝要であります。そのためには檀信徒の中のあらゆる人材を活用することが大切であります」と『信行道場読本』に書かれております。
私共もそうした教育を信行道場で行われてきたわけですが、実際の場において活用されている姿がほとんど見当たらなくて、法要儀式ばかりに専念されているような感じがしてならないのであります。
次に布教活動についてこう記されています。「カウンセリング、家庭児童相談室、電話相談室のように、悩み苦しみなど個々の相談にのれる場を積極的に作り、更にビハーラ活動、インターネットによる布教、社会福祉活動への参加など新しい教化の方法をますます幅広く行うことが大切であります」と明確に示されています。その場合、私達がいかように、その社会活動に利益になるような、本当の布教活動をしているかどうかということも考えてみていただく必要があると思うわけです。
それから最後に教師の役割とあり方について、「自らを磨き、生きる喜びを与え、傷ついた心に「癒し」「安らぎ」を与えることができるように努力することです」と『信行道場読本』に説かれております。法華経の寿量品には「我此土安穏天人常充満」、ご存知だと思いますけれども、「我此土安穏天人常充満」と言われておりながら、自分のおり場所というものをどれだけ考えていったかどうか。どうしても教師というのは目線を教師間の付き合いの関係を考えてしまっては、互いに教師間の遊興的な付き合いだけが、中心になっていることであります。
三 私の寺では
私も実は自坊としての体験として申し上げさせていただきますと、私の自坊では毎月一日、十五日は「法話の会」を行っております。夜、昼、二回に分けまして、昼は一二時から(約一三〇人)、夜は約一〇〇人前後の檀信徒に来ていただいて「法話の会」を開催しております。また、約二十箇所に近い家庭における「法話の会」を設けておりまして、常に法華経の教えや日蓮聖人の教えを説き続けてきております。小さいところは十名程度から多いところでは八十名程度に及ぶところがあります。なお、その場所は宗派に関係なく仏法の本質を教えながら宗派を超えて大乗の教え、法華経の教えを中心として説き続けているのが現状であります。
地域活動としては、老人会などの連携を保ちながら心のケアを行ったり、布教活動をしております。それから老人介護や保健施設、福祉法人の施設への布教の心のケアなども行ってきているのが現状であります。実は私のお寺でも福祉法人で「日本ライフ老人ホーム」の経営に参加しておりますけれども、そこには五十人と、今度新しく地域の要請によりまして三十人ほどの特別養護老人ホームを作ったわけでありますが、それにより地域の参加が多くなってきまして、いろんな分野において方向付けができてきたのが現状であります。
また、老人や病人の見舞い活動は当然のことでありますけれども、その他、経済問題については、株の問題では株の専門家を呼んで株の話をしてみたり、遺産相続の話をしてみたり、社会資源の活用の問題の話をしてみたりすることは、医療とか施設介護等におけるケアのやり方、それから医師の関係、あるいは弁理士、弁護士、経理士等々の皆さんでありますから、そういう方に対する斡旋をしたりして、檀信徒の間に問題が起こった時には相談をしていけば安心ですのでそうした形をとっております。
それから日常生活としての家庭問題としては姑、嫁との問題も多く相談にのったり、青少年問題や就職問題もいろいろな形でやっております。その他、ビハーラ研究会を月一回開催。僧侶を中心として約十名の方々に集まっていただいて、宗派を超えていろんな形でやっております。それから勉強会というのは、檀信徒にも布教できるような体制を作っていこうということで、檀信徒教育をしております。それから情報誌の発行としては「道心」という小誌も作っておりまして、現在二五二回になりました。それから年四回は情報等の家庭に配る「どうしん」のチラシを作っております。
最後のまとめとしまして、日蓮聖人の御遺文や『信行道場読本』から見つめてみる時に、真の伝道教団として、私はこれでいいのかどうか一回よく考えていこうと、お互いに皆で仏教を語りあっていくことが大切であると思います。私のお寺の活動状態とも関連しましてお話を申し上げた次第です。
(日蓮宗現代宗教研究所顧問愛知県 道心寺院首)
Copyright (c)2001-2006 Nichiren Buddhism Modern Religious Institute. All Rights Reserved.