日蓮宗 現代宗教研究所
Nichiren Buddhism Modern Religious Institute
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平成14年2月5日(火)
日蓮宗現代宗教研究所:平成13年度
第12回教団論研究セミナー    
イスラームの「原理主義」の誤解をただす
−仏教者の視点と役割−
中央大学教授
眞 田 芳 憲
I.9・11事件とイスラーム
1.イスラームと原理主義とテロ行為資料
2.なぜタリバーンはバーミャンの石仏を破壊したか;イスラーム神学の論争資料
3.なぜアルカイダにサウディアラビア人が多いのか;イスラーム復興運動の先駆けとしてのワッハーブ派とサウディアラビア王国の建設
II.ムスリムのアイデンティティ自覚のための歴史認識
1.イスラーム世界の繁栄と凋落
2.ムハンマド・アサド(元パキスタン イスラーム再建省大臣、同国国連大使)の所説資料
3.ユースム・アル=カラダーウィー(現代アラブ世界を代表するイスラーム法学者)の所説資料
4.ムスリム同胞団(1929年、エジプトでハサン・アルバンナーによって創設。現在、イスラーム世界最大のイスラーム主義団体)のイスラーム観:ハサン・アルバンナーの「20の原則」資料
III.ジャーヒリーヤー(無明時代)とイスラーム
1.白法隠没の時代相としてのジャーヒリーヤー資料
2.イスラームにおける預言者ムハンマドの位置づけ資料
3.ムハンマドと日蓮上人
4.イブラーヒーム(アブラハム)の宗教としてのイスラーム資料
IV.宗教(Din)としてのイスラーム
1.神に直結した宗教(アッラーの色染め)=宗教則生活:生活則宗教→在家宗教
2.Islam(イスラーム、唯一神に対する絶対的服従・帰依)、Muslim(ムスリム、イスラーム教徒)、Salam(平和)の三位一体性
3.イスラーム=唯一神に対して絶対的服従・帰依の道に努力する(jahada→jihad);涅槃寂静と仏道精進
4.イスラームの六信五行
六信:唯一神アッラー、諸啓典、諸預言者、諸天使、復活、天命を信ずる。
五行:信仰告白、礼拝、喜捨、断食、聖地巡礼を行う。
V.イスラームの社会構成原理
1.イスラームの三極構造(イスラーム社会の解析の鍵原理)
(1) タウヒード(一化=神の唯一性)・・・・・・・・・・・・・・仏帰依
 聖と俗、個人と社会、肉体と精神、現世と来世の対立・分化の絶対的排除
(2) ウンマ(ムスリム共同体)・・・・・・・・・・・・・・僧帰依
 ワタニーヤ(国家民族主義);カウミーヤ(アラブ民族主義);ウンマ・イスラーミーヤ(汎イスラム主義)
(3) シャリーヤ・・・・・・・・・・・・・・法帰依
 第一次的法源
  クルアーン(イスラームの聖典)・・・・・・・・・・・・妙法蓮華経
  スンナ(ムハンマドの言行と黙認)・・・・・・・・・日蓮上人の御遺文
  イジュマーウ(法学者の意見の一致)
  キヤース(類推)
 第二次的法源
  イジュティハード(1.〜4.の法源に解決の道を見出せないときに、新しい法を発見するためにイスラームの一般原理の精神に立脚して公益を考慮し、第一次的法源を根拠として演繹する法学者の学的努力)
  ウルフ(慣習)
  カーヌーン(国家制定法)
2.シャリーアとカーヌーン
エジプト憲法第2条 「イスラーム法学は立法の主要な淵源である。」
サウディアラビア憲法第1条「サウディアラビア王国は、アラブのムスリム独立王国であり、その宗教はイスラームであり、クルアーンと聖預言者ムハンマドのスンナが法律上及び憲法上の諸規定の究極の主要な淵源である。」
3.神の代権者(khalifah)としての国家:イスラーム国家論の出発点
4.国家に対するムスリムの抵抗権
VI.イスラームとテロリズム
1.クルアーンの明文とテロリズム
2.テロと合法化された自衛戦争(シャリーアによって正当化された戦争)
3.イスラームの戦争と平和の理論としてのシヤル(国際法)
VII.仏教者の役割
1.「正義の戦争」の意味するもの
2.仏教の縁起観と9・11事件
3.テロ行為の奥に秘むもの
憎悪 不公正 圧制 閉塞感
4.平和への道
(1) 日蓮上人の『立正安国論』
(2) ムハンマドのスンナ:「人間社会にふたつのものがある。これが健全だと、すべての人が健全であるが、これが腐っていると、すべての人が腐ってしまう。そのふたつとはウラマー(宗教指導者)とウマラー(政治指導者)である。」
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付属資料

I−1
 イスラーム諸国も、タリバーンの石仏破壊中止の説得に乗り出していた。イスラーム諸国会議機構(OIC)は、タリバーンと同じスンニー派に属するエジプト・アズハルの宗教指導者である共和国ムフティのムハンマド・ワースイル師等で構成する代表団をアフガニスタンに派遣した。
 新聞の伝えるところによれば(日本経済新聞2001年3月13日)、代表団はタリバーン幹部に「仏像破壊はイスラーム法の観点からも適切ではなく、イスラーム社会からの同調を得られない」と主張し、タリバーン最高指導者のムハンマド・オマル師の仏像破壊令公布の白紙撤回を要請した。これに対して、タリバーン側は「要請は法的、宗教的根拠が欠如している。代表団はイスラームの遺跡が破壊されたインドやイェルサレムに行くべきだ」と反論した。
 代表団によるタリバーンの説得が失敗に終わったことを伝えたエジプトの政府系紙アル=アフラームは、13日、「タリバーンはイスラームとイスラーム教徒のイメージをゆがめた。真のイスラームが求めているのは、表現、思想、報道の自由や人道尊重など文明世界に合致する文化的な創造だ」と論じ、仏像破壊を強く批判したのであった。
(眞田「シャリーアから見たタリバーンの石仏破壊」)
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I−2
ワッハーブ派
 18世紀半ばにアラビア半島のナジュド出身のムハンマド・ブン・アブドゥル・ワッハーブ(1903−91)によって起こされたイスラーム復興改革運動である。枯れ葉ハンバリー派(イスラーム四大法学派の内、最も厳格な派)の法学を学び、14世紀の同派の法学者イブン・タイミーヤの思想に強い影響を受けて、コーラン(クルアーン)と預言者のスンナ(預言者ムハンマドの言行録から得られる正しい伝統)に厳密に基づく、純粋な初期イスラームの思想に戻ることを主張した。特にスーフイズムによって汚染された聖者崇拝や聖者の墓に詣でるなどの偶像崇拝につながる行為を激しく非難し、神の唯一性(タウヒード)と神の予定(カダル)を強調した。ナジュドのダルイーヤの豪族であったムハンマド・ブン・サウードの保護を受け、サウード家の勢力拡大運動に参加した。サウード家は19世紀初めにイラクのカルバラーを攻撃したり、メッカ、マディーナを占領したが、オスマン帝国の指令を受けたエジプトのムハンマド・アリー軍によって滅ぼされた。しかし1916年にアブドゥル・アジーズ・ブン・サウードがリヤードを奪回し、1932年にサウジアラビア王国を建設すると、この思想はアラビア半島の主流思想となった。現在のサウジアラビア王国はこの思想に基づく宗教国家体制を取っている。ワッハーブ派という呼称は部外者からのものであり、サウジアラビアでは法学上はハンバリー派であるとし、信徒はムワッヒドゥーン(一神教徒)と呼ばれている。サウード家の興亡と一体となって展開したこの改革運動は近代のイスラーム復興主義運動の先駆けとなった。
(NHK学園『イスラームの世界必携』)
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II−2
ムハンマド・アサド
クルアーンの頁に見たものは物質的な宇宙観ではない。全く逆に、強烈な神の意識であり、神の創造による全宇宙の知的および合理的認識が要求されていることである。知性と肉体、精神面の欲求と社会的必要が手を取り合う調和の世界。ムスリムの衰退は、イスラームの欠点からではなく、それを実践しないムスリム自身の失敗によるものである。……ムスリムがイスラームを高貴にしたのではない。イスラームがムスリムを偉大にしたのだ。だが、時とともに信仰が習慣となり、未来へ向かって推し進められるべき人世と社会のプログラムであることを止めたときから、彼らの文明の原動力は失われ、創造的衝動は影をひそめ、怠惰と硬化と文化的衰退に侵されていったのである。」
(ムハンマド・アサド(アサド・クルバンアリー訳)「メッカへの道」)
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II−3
ユースム・アル=カラダーウィー
 「イスラムの覚醒です。それも加古にしがみつくのではなく、近代化に沿った形でイスラム共同体を広げるのが目的です。(政教分離の)世俗主義を排した民族主義的なイスラム運動でもある。そのためには政権と民衆の間の溝を、それぞれが暴力に訴えるという破壊ではなく、対話による建設的な手段で埋めなくてはならない。そうした運動に対する警戒心がイスラム世界の政権内部にもあるのは、嘆かわしい。」
(朝日新聞、2000年4月29日「新世紀を語る
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II−4
(ムスリム同胞団のイスラーム観=サラフィー主義[イスラーム復古主義:イスラーム原点回帰主義])
 第1原則:「イスラームは人間生活の全ての現象に対応する包括的なシステムである。それは国家と祖国、あるいは政府とウンマ[宗教共同体]であり、倫理と権力、あるいは慈悲と正義であり、文化と法、あるいは学問と司法制度であり、物資と財、あるいは利得と富であり、ジハード[聖戦]と宣教、あるいは軍隊と思想であり、またそれは真なる信条であると同時に正しい宗教儀礼形態なのである。」
 第2原則:「クルアーンとスンナ[預言者の言行]こそ、全てのムスリムがイスラームの規範を知るための典拠である。クルアーンは、アラビア語の語法に則って解釈されねばならず、煩瑣に堕してはならず、かといって恣意的であってもならない。またスンナの解釈は信頼の於ける伝承学者の拠らねばならない。」
(ムスタァー・アッスィバーイー著(中田孝訳)『預言者伝』2001年5月)

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III−1 その1
絶対的一神教
 コーランによれば、イスラームは根源を一つにするユダヤ教はキリスト教を啓示宗教として他の宗教と区別しているが、神の絶対的唯一性においてその二大啓示宗教と一線を画している。イスラームの崇拝の対象は唯一無比の神アッラーだけであり、「言え、かれはアッラー、唯一なる御方であられる。アッラーは永遠なるもの、生まず生まれず、一人として並ぶものはない。」(第112章)とコーランにアッラーの特質が述べられている。この点に関して、ユダヤ教とキリスト教は、「ユダヤ教徒は、アッラーの子なるエズラと言い、キリスト教徒は、アッラーの子なるキリストと言う。これは彼らの口先のことばであり、かつての背信者のことばにならっているのである。」(第9章30節)「彼らはアッラーをさしおいて、自分たちの律法学者や修道士を、またマリアの子キリストを主とみなしている。彼らはほかに神なき唯一なる神を拝せと命じられているのに。」(同31節)とコーランの中で厳しく非難されている。エズラという人はユダヤ教中興の祖で、第二のモーゼと見なされている律法学者である。
(NHK学園『イスラームの世界必携』)
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III−1 その2
ジャーヒリーヤ時代(無明時代) Jahiliyah
 一般にはアラビア半島でイスラームが布教される以前の時代をさす。また狭義ではイエスの没後からムハンマドが布教を開始するまでの、預言者不在の時代を意味する。イスラームの光がいまださしそめる以前の時代ということで、無明時代という日語訳が一般的である。
 イスラーム東條以前のアラビア半島では、多神教崇拝や宿命観(マナーヤー)が一般的であった。
 当時のアラビア人は、もっぱら部族意識を基調に生活していた。部族こそすべて、個人の利益、価値判断はすべて部族のそれに優先されるような状況のもとで、個の意識の成長、発展、それにもとづく文化的繁栄などは、望まれるよしもなかった。同族の者に対する強い愛情と、それに匹敵するような異部族敵視の共存、すなわち主従関係を前提とする同族間の愛情と他部族に対する対抗心は、結局当時のアラビア半島をちりぢりに分断するばかりであった。
 無明時代のアラビア人の理想的美質は、ムルーア(男らしさ)の中に要約される。精神的、肉体的に強健で、親しい者には優しく、寛大で、敵に対してはすばらしい勇気を示す。苛酷な気候、風土のもので生活する部族の柱となる人間には、とりわけこのような特質が要求されていた。当時は一年のうち、不文律で神聖月とされていた四か月を除いては、異部族間の略奪が公然と許されていたのである。
 その後6世紀の後半に及んで、アラビア半島の住民、とりわけメッカを中心とする人々の間に生活形態の変化が起ってくる。それ以前から聖地メッカの主宰権をもっていたクラィシュ族は、当時台頭してきた東西仲継貿易を積極的に営み、これに成功して巨額の利益をあげていた。その結果メッカの豪商たちの間では、徐々に現世的な富のみを最高の価値とし、その他の価値には盲いているような金権的倫理が優勢を占めるようになってきた。利潤のあくなき追求に目を奪われ、商業の独占を計ってたがいに他を排除せんとする排金主義者たちの倫理は、在来の部族倫理とも抵触し、一種の道徳的不安をかもし出さずにはおかなかった。
 宗教的には多神教、倫理的には部族的倫理とその後の金権的倫理の登場が、ジャーヒリーヤ時代の基本的な特徴である。
(黒田壽郎編『イスラーム辞典』)
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III−2
25人の預言者
 イスラームの聖典コーランの中には預言者の名前が25人記されている。その預言者たちは同時に使徒でもある。その25人は次の通りである。アーダム(アダム)、イドリース(エノクであるとの説あり)、ヌーフ(ノア)、フード、サーリフ、イブラーヒーム(アブラハム)、ルート(ロト)、イスマーイール(イシュマエル)、イスハーク(イサク)、ヤアコーブ(ヤコブ)、ユースフ(ヨセフ)、シュアイブ、アイユーブ(ヨブ)、ズルキフル、ムーサー(モーゼ)、ハールーン(アロン)、ダーウード(ダビデ)、スライマーン(ソロモン)、イリヤース(エリヤ)、アルヤサア(エリシャ)、ユーヌス(ヨナ)、ザカリーヤー(ザカリヤ)、ヤヒヤー(ヨハネ)、イーサー(イエス)、ムハンマドである。
(NHK学園『イスラームの世界必携』)
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III−4
イブラーヒームの宗教
 「啓典の民よ、なぜ汝らはイブラーヒームのことで論争するのか。律法と福音とは、彼以後に下されたのではないか。」(第3章65節)「イブラーヒームはユダヤ教徒でもキリスト教徒でもなかった。しかし枯れ葉純粋なムスリム(帰依する者)であり、多神教徒ではなかった。本当にイブラーヒームに最も近い人々は、彼の追従者とこの預言者(ムハンマド)、またこの教えを信奉するものたちである。」(第3章67−68節)。このような啓示を受けたムハンマドはイスラームの教えはイブラーヒームの宗教の復興であると宣言し、ユダヤ教徒の非難に対抗した。コーランの内容がユダヤ教徒の律法と食い違うのは、コーランが間違いなのではなく、ユダヤ教徒たちがイブラーヒーム以来の正しい教えを改竄したからに他ならないと、ムハンマドは主張した。
(NHK学園『イスラームの世界必携』)
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