日蓮宗 現代宗教研究所
Nichiren Buddhism Modern Religious Institute
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貞観政要

『貞観政要』の原文  〔▽頁〕内の頁は『新釈漢文体系』
『貞観政要』
目次
貞観政要を上る表〔▽二一頁〕 3
衛尉少卿兼修国史弘文館学士臣呉競撰并びに序〔▽二五頁〕 4
貞観政要巻第一〔▽二九頁〕 5
君道第一 5
政体第二 10
貞観政要巻第二〔▽一〇五頁〕 22
任賢第三 22
求諌第四 30
納諌第五 34
貞観政要巻第三〔▽一八五頁〕 41
君臣鑒戒第六 41
論択官第七 44
論封建第八 51
貞観政要巻第四〔▽二五九頁〕 57
論太子諸王定分第九 57
論尊師伝第十 60
教戒太子諸王第十一 65
規諌太子第十二 69
貞観政要巻第五〔▽三五五頁〕 77
論仁義第十三 77
論忠義第十四 80
論孝友第十五 86
論公平第十六 88
論誠信第十七〔▽四一二頁〕 92
下巻 104
貞観政要巻第六〔▽四六一頁〕 104
論倹約第十八 104
論謙譲第十九 106
論仁惻第二十 108
慎所好第二十一 109
慎言語第二十二 111
杜讒佞第二十三〔▽四九八頁〕 113
論悔過第二十四 117
論奢縦第二十五 119
論貪鄙第二十六 122
貞観政要巻第七〔▽五四九頁〕 126
崇儒学第二十七 126
論文史第二十八 129
論礼楽第二十九 131
貞観政要巻第八〔▽六一九頁〕 143
務農第三十 143
論刑法第三十一 145
論赦令第三十二 153
論貢献第三十三 156
貞観政要巻第九〔▽六八五頁〕 158
議征伐第三十四 158
議安辺第三十五 168
貞観政要巻第十〔▽七五一頁〕 173
論行幸第三十六 173
論佃猟第三十七 175
論祥瑞第三十八 177
論災異第三十九 178
論慎終第四十 181
貞観政要〔附篇〕(初進本である写字臺本)〔▽八一七−九〇四頁〕 189
貞観政要巻第四 189
輔弼第九 189
直言諌争第十 193
興廃第十一 206
求媚第十二 210
貞観政要〔補篇〕〔▽九〇五−九二八頁〕 210
(南本・菅本・写字本には無く、刊本だけにある章、及び刊本に重出するものを補篇とした。なお、刊本は中国では一三三三年、日本ではそれが一六〇〇年に刊行された。) 210
○巻二 納諌篇 211
○巻二 納諌篇直諌附 212
○巻三 君臣鑒戒篇 214
○巻五 公平篇 215
○巻六 貪鄙篇 215
○巻八 貢献篇禁末作附 216
○巻八 弁興亡篇 217



貞観政要を上る表〔▽二一頁〕
臣競言す、臣愚比嘗みに朝野の士庶の国家の政教に論及する者有るを見るに、咸云ふ、若し陛下の聖明を以て、克く太宗の故事に遵はば、則ち遠く上古の述を求むるを仮らずして、必ず太平の業を致さん、と。故に天下の蒼生の陛下に望む所の者は、誠に亦厚きを知る。易に曰く、聖人は人心を感ぜしめて、天下和平なり、と。今聖徳の感ぜしむる所は、深しと謂ふ可きなり。〔▽二一頁〕
竊かに惟るに、太宗文武皇帝の政化は、曠古よりして求むるに、未だ此の如きの盛んなる者は有らざるなり。唐尭虞舜、夏禹殷湯、周文武、漢のの文景と雖も、皆逮ばざる所なり。賢を用ひ諌を納るるの美、代に垂れ教を立つるの規、以て大猷を弘闡し、至道を増崇す可き者に至りては、竝びに国籍を煥乎として、鑒を来葉に作せり。微臣早に史職に居るを以て、誦を成して心に在らざるは莫し。其の質を委し名を策し、功を立て徳を樹て、正詞議、志、君を匡すに在る者有らば、竝事に随つて載録し、用て勧誡に備へ、撰して十帙十巻、合せて四十篇を成せり。仍りて貞観政要を以て目と為し、謹んで表に随ひ奉進す。天鑒を紆らし、善を択んで行ひ、引きて之を申べ、類に触れて長ぜんことを望む。〔▽二二頁〕
易に云はずや、聖人は其の道に久しうして、天下化成す、と。伏して願はくは之を行ひて恒有り、之を思ひて倦む無ければ、則ち貞観巍巍の化、得て致す可きなり。昔、殷湯、尭舜に如かざるは、伊尹之を恥づ。陛下儻し祖業を修めざれば、微臣も亦之を恥づ。詩に曰く、我が皇祖を念へば、廷に陟降す、と。又云く、爾が祖を念ふこと無からんや、厥の徳を聿べ修む、と。此れ誠に祖先に欽奉するの義なり。伏して惟るに、陛下之を念へよや。則ち万方の幸甚なり。誠懇の至りに勝へず。謹みて明福門に詣り、表を奉りて以聞し謹みて言す。〔▽二三−四頁〕


衛尉少卿兼修国史弘文館学士臣呉競撰并びに序〔▽二五頁〕
有唐の良相、侍中安陽公、中書令河東公と曰ふ。時、聖明に逢ひ、位、宰輔に居るを以て、寅みて帝道を亮かにし、王政を弼け諧へ、一物の所に乖かんことを恐れ、四維の張らざらんことを慮る。毎に己に克ち精を励まし、緬かに故実を懐ひ、未だ嘗て乏しきこと有らず。太宗の時、政化良に観る可きに足り、振古よりして来、未だ之れ有らざるなり。世に垂れ教を立つるの美、典謨諌奏の詞、以て大猷を弘闡し、至道を増崇す可き者に至りて、爰に下才に命じて、備に甄録を加へしめ、体制大略、咸く成規を発す。〔▽二五頁〕
是に於て開く所を綴集し、旧史を参詳し、其の指要を撮り、其の弘綱を挙ぐ。詞は質文を兼ね、義は懲勧に在り、人倫の紀備り、軍国の政存す。凡て一帙十巻、合はせて四十篇。名づけて貞観政要と曰ふ。庶はくは国を有ち家を有つ者、克く前軌に遵ひ、善を択びて従はば、則ち久しかる可きの業益々彰はれ、大なる可きの功尤も著はれん。豈に尭舜を祖述し、文武を憲章するを仮るのみならんや。其の篇目次第、之を左に列す。〔▽二六−二七頁〕

第一 君道 政体
第二 任賢 求諌 納諌
第三 君臣鑒戒 論択官 論封建
第四 太子諸王定分 尊敬師伝 教戒太子諸王 規諌太子
第五 論仁義 論忠義 論孝友 論公平 論誠信
第六 論倹約 論謙譲 論仁惻 慎所好 慎言語 杜讒邪 論悔過 論奢縦 
   論貪鄙
第七 崇儒学 論文史 論礼楽
第八 務農 論刑法 論赦令 論貢賦
第九 議征伐 議安辺
第十 論行幸 論畋猟 論祥瑞 論災害 論慎終〔▽二七−八頁〕


貞観政要巻第一〔▽二九頁〕
史臣呉競撰
君道第一
第一章

貞観の初、太宗、侍臣に謂ひて曰く、君たるの道は、必ず須く先づ百姓を存すべし。若し百姓を損じて以て其の身に奉ぜば、猶ほ脛を割きて以て腹に啖はすがごとし。腹飽きて身斃る。若し天下を安んぜんとせば、必ず須く先づ其の身を正すべし。未だ身正しくして影曲り、上理まりて下乱るる者は有らず。朕、毎に之を思ふ。其の身を傷る者は、外物に在らず。皆、嗜欲に由りて、以て其の禍を成す。若し滋味に耽り嗜み、声色を玩び悦べば、欲する所已に多く、用ふる所も亦大なり。既に政事を妨げ、又、生人を擾す。且つ復た一の非理の言を出せば、万姓之が為に解体す。*怨とく(えんとく)既に作り、離叛も亦興る。朕、毎に此を思ひ、敢て縦逸せず、と。〔▽二九−三〇頁〕
諌議大夫魏徴対へて曰く、古者、聖哲の主は、皆亦近く諸を身に取る。故に能く遠く諸を物に体す。昔、楚、何を聘し、其の国を理むるの要を問ふ。何対ふるに身を修むるの術を以てす。楚王、又、国を理むること何如と問ふ。何曰く、未だ身理まりて国乱るる者を聞かず、と。陛下の明かにする所は、実に古義に同じ、と。〔▽三〇−一頁〕


第二章

貞観二年、太宗魏徴に問ひて曰く、何をか謂ひて明君・暗君と為す、と。徴対へて曰く、君の明かなる所以の者は、兼聴すればなり。其の暗き所以の者は、偏信すればなり。詩に云く、先人言へる有り、芻蕘に詢ふ、と。昔、尭舜の治は、四門を闢き、四目を明かにし、四聡を達す。是を以て、聖、照らさざるは無し。故に共鯀の徒、塞ぐを得る能はざりしなり。靖言庸回、惑はず能はざりしなり、と。〔▽三二頁〕
秦の二世は、則ち其の身を隠蔵し、疎賎を捐隔して、趙高を偏信し、天下、潰叛するに及ぶまで、聞くを得ざりしなり。梁の武帝は*朱い(しゅい)を偏信して、侯景、兵を挙げて闕に向ふも、竟に知るを得ざりしなり。隋の煬帝は虞世基を偏信して、諸賊、城を攻め邑を剽むるも、亦知るを得ざるなり。故に人君、兼ね聴きて下を納るれば、則ち貴臣、擁蔽するを得ずして、下情、必ず上通するを得るなり、と。太宗甚だ其の言を善しとす。〔▽三三頁〕


第三章

貞観十年、太宗、侍臣に謂ひて曰く、帝王の業、草創と守文と孰れか難き、と。尚書左僕射房玄齢対へて曰く、天地草昧にして、群雄競ひ起る。攻め破りて乃ち降し、戦ひ勝ちて乃ち剋つ。此に由りて之を言へば、草創を難しと為す、と。魏徴対へて曰く、帝王の起るや、必ず衰乱を承け、彼の昏狡を覆し、百姓、推すを楽しみ、四海、命に帰す。天授け人与ふ、乃ち難しと為さず。然れども既に得たるの後は、志趣驕逸す。百姓は静を欲すれども、徭役休まず。百姓凋残すれども、侈務息まず。国の衰弊は、恒に此に由りて起る。斯を以て言へば、守文は則ち難し、と。〔▽三四−五頁〕
太宗曰く、玄齢は、昔、我に従つて天下を定め、備に艱苦を嘗め、万死を出でて一生に遇へり。草創の難きを見る所以なり。魏徴は、我と与に天下を安んじ、驕逸の端を生ぜば、必ず危亡の地を践まんことを慮る。守文の難きを見る所以なり。今、草創の難きは、既に以に往けり。守文の難きは、当に公等と之を慎まんことを思ふべし、と。〔▽三六頁〕
貞観十一年、特進魏徴上疏して曰く、臣、古より図を受け運に膺り、体を継ぎ文を守り、英傑を控御し、南面して下に臨むを観るに、皆、厚徳を天地に配し、高明を日月に斉しくし、本枝百世、祚を無窮に伝へんと欲す。然れども終を克くする者鮮く、敗亡相継ぐ。其の故は何ぞや。之を求むる所以、其の道を失へばなり。殷鑒遠からず、得て言ふ可し。〔▽三七−八頁〕
昔在、有隋、寰宇を統一し、甲兵彊盛に、三十余年、風、万里に行はれ、威、殊俗を動かす。一旦挙げて之を棄て、尽く他人の有と為れり。彼の煬帝は豈に天下の治安を悪み、社稷の長久を欲せず、故らに桀虐を行ひ、以て滅亡に就かんや。其の富強を恃み、後患を虞らず、天下を駆りて以て欲に従ひ、万物を*つく(つく)して自ら奉じ、域中の子女を採り、遠方の奇異を求め、宮苑を是れ飾り、*臺しゃ(だいしゃ)を是れ崇くし、徭役、時無く、干戈、*おさめ(おさめ)ず、外、厳重を示し、内、険忌多く、讒邪の者は必ず其の福を受け、忠正の者は其の生を保つ莫く、上下相蒙ひ、君臣道隔たる。民、命に堪へず、率土分崩し、遂に四海の尊を以て、匹夫の手に殞し、子孫殄絶し、天下の笑ひと為れり。痛まざる可けんや。〔▽三八−九頁〕
聖哲、機に乗じ、其の危溺を拯ひ、八柱傾きて復た正しく、四維絶えて更に張り、遠きは粛し迩きは安きこと、期月を踰えず、残に勝ち殺を去ること、百年待つ無し。今、宮観*臺しゃ(だいしゃ)尽く之に居る。奇珍異物、尽く之を収む。姫姜淑媛、尽く則に侍す。四海九州、尽く臣妾と為れり。若し、能く彼の亡ふ所以を鑒み、我の得る所以を念はば、日、一日を慎み、休しと雖も休しとする勿く、鹿臺の宝衣を焚き、阿房の広殿を毀ち、危亡を峻宇に懼れ、安処を卑宮に思はば、則ち神化潜通し、無為にして治まらん。徳の上なり。若し成功を毀たず、即ち其の旧に仍り、其の不急を除き、之を損じて又損じ、茅茨を桂棟に雑へ、玉砌を*土かい(どかい)に参へ、悦びて以て人を使ひ、其の力を竭さず、常に、之に居る者は逸し、之を作る者は労するを念はば、億兆悦びて以て子のごとく来り、群生仰ぎて性を遂げん。徳の次なり。若し、惟れ聖も念ふ罔く、厥の終を慎まず、締構の艱難を忘れ、天命の恃む可きを謂ひて、採椽の恭倹を忽せにし、雕牆の靡麗を追ひ、其の基に因りて以て之を広め、其の旧を増して之を飾り、類に触れて長じ、止足を思はずんば、人、徳を見ずして、労役を是れ聞かん。斯を下と為す。〔▽四〇−一頁〕
譬へば薪を負ひて火を救ひ、湯を揚げて沸を止むるが如し。暴を以て乱に易へ、乱と道を同じくす。其れ則る可けんや。後嗣何をか観ん。夫れ事、観る可き無ければ、則ち人怨み神怒る。人怨み神怒れば、則ち災害必ず生ず。災害既に生ずれば、則ち禍乱必ず作る。禍乱既に作りて、而も能く以て身名全き者は鮮し。天に順ひ命を革むるの后、将に七百の祚を隆んにし、厥の孫謀を貽し之を万葉に伝へんとす。得難くして失ひ易し。念はざる可けんや、と。〔▽四三頁〕
是の月、徴又上疏して曰く、臣聞く、木の長ぜんことを求むる者は、必ず其の根本を固くす。流の遠からんことを欲する者は、必ず其の泉源を浚くす。国の安からんことを思ふ者は、必ず其の徳義を積む、と。源深からずして流の遠からんことを望み、根固からずして木の長ぜんことを求め、徳厚からずして国の治まらんことを思ふは、臣、下愚なりと雖も、其の得可からざるを知るなり。而るを況んや明哲に於てをや。人君、神器の重きに当り、域中の大に居り、将に極天の峻を崇くし、永く無疆の休を保たんとし、安きに居りて危きを思ひ、奢を戒むるに倹を以てするを念はず、徳、其の厚きに処らず、情、其の欲に勝へざるは、斯れ亦根を伐りて以て木の茂らんことを求め、源を塞ぎて流の長からんことを欲する者なり。凡百の元首、天の景命を承けて、殷憂して道著れ、功成りて徳衰へざるは莫し。始を善くする有る者は寔に繁く、能く終を克くする者は蓋し寡し。豈に其の之を取ることは易くして、之を守ることは難きならずや。昔、之を取りて余り有り、今、之を守りて足らざるは、何ぞや。〔▽四四−五頁〕
夫れ殷憂に在りては、必ず誠を竭して以て下を待ち、既に志を得れば則ち情を縦にして以て物に傲る。誠を竭せば則ち胡越も一体と為り、物に傲れば則ち骨肉も行路と為る。之を董すに厳刑を以てし、之を振はすに威怒を以てすと雖も、終に苟くも免れて仁に懐かず、貎恭しけれども心服せず。怨は大に在らず、畏る可きは惟れ人なり。舟を載せ舟を覆す、宜しく深く慎むべき所なり。奔車朽索、其れ忽せにす可けんや。人に君たる者、誠に能く欲す可きを見れば、則ち足るを知りて以て自ら戒むるを思ひ、将に作す有らんとすれば、則ち止まるを知りて以て人を安んずるを思ひ、高危を念へば、則ち謙沖にして自ら牧ふを思ひ、満溢を懼るれば、則ち江海の百川に下るを思ひ、盤遊を楽しめば、則ち三駆以て度と為すを思ひ、懈怠を憂ふれば、則ち始を慎みて終を敬するを思ひ、擁蔽を慮れば、則ち心を虚くして以て下を納るるを思ひ、讒邪を懼るれば、則ち身を正しくして以て悪を黜くるを思ひ、恩の加はる所は、則ち喜びに因りて以て賞を謬る無きを思ひ、罰の及ぶ所は、則ち怒に因りて刑を濫にする無きを思ふ。此の十思を総べ、茲の九徳を弘め、能を簡びて之に任じ、善を択び之に従へば、則ち智者は其の謀を尽くし、勇者は其の力を竭くし、仁者は其の恵を播き、信者は其の忠を効し、文武争ひ馳せ、君に在りては事無く、以て豫遊の楽を尽くす可く、以て松喬の寿を養ふ可く、琴を鳴らし垂拱し、言はずして化せん。何ぞ必ずしも神を労し思を苦しめ、下司の職に代り、聡明の耳目を役し、無為の大道を虧かんや、と。〔▽四六−七頁〕
太宗、手詔して答へて曰く、頻りに表を抗ぐるを省するに、誠、忠款を竭し、言、切至を窮む。披覧して倦むを忘れ、毎に宵分に達す。公が国を体する情深く、匪躬の義重きに非ずんば、豈に能く示すに良図を以てし、其の及ばざるを匡さんや。〔▽四九頁〕
朕聞く、晋の武帝、呉を平げしより已後、務め驕奢に在り、復た心を治政に留めず。何曾、朝より退き、其の子劭に謂ひて曰く、吾、主上に見ゆる毎に、経国の遠図を論ぜず、但だ平生の常語を説く。此れ厥の子孫に貽す者に非ざるなり。爾が身は猶ほ以て免る可し、と。諸孫を指さして曰く、此れ等必ず乱に遇ひて死せん、と。孫の綏に及び、果して淫刑の戮する所と為る。前史之を美め、以て先見に明かなりと為す。朕が意は然らず。謂へらく曾の不忠は、其の罪大なり、と。夫れ人臣と為りては、当に進みては誠を竭くさんことを思ひ、退きては過を補はんことを思ひ、其の美を将順し、其の悪を匡救すべし。共に治を為す所以なり。曾、位、台司を極め、名器崇重なり。当に辞を直くして正諌し、道を論じて時を佐くべし。今乃ち退きては後言有り、進みては廷諍する無し。以て明智と為すは、亦謬らずや。顛りて扶けずんば、安んぞ彼の相を用ひん。公の陳ぶる所、朕、過を聞けり。当に之を几案に置き、事、弦韋に等しくすべし。必ず彼の桑楡を収め、之を歳暮に期せんことを望む。康きかな良きかなをして独り往日に盛んに、魚の若しく水の若きをして遂に当今に爽は使めざらん。嘉謀を復さんことを遅つ、犯して隠すこと無かれ。朕将に襟を虚しくし志を静かにして、敬みて徳音を佇たんとす、と。〔▽五〇−一頁〕
※『源平盛衰記』巻四


第五章

貞観十五年、太宗、侍臣に謂ひて曰く、天下を守ること難きや易きや、と。侍中魏徴対へて曰く、甚だ難し、と。太宗曰く、賢能に任じ諌諍を受くれば則ち可ならん。何ぞ難しと為すと謂はん、と。徴曰く、古よりの帝王を観るに、憂危の間に在るときは、則ち賢に任じ諌を受く。安楽に至るに及びては、必ず寛怠を懐く。安楽を恃みて寛怠を欲すれば、事を言ふ者、惟だ競懼せしむ。日に陵し月に替し、以て危亡に至る。聖人の安きに居りて危きを思ふ所以は、正に此が為なり。安くして而も能く懼る。豈に難しと為さざらんや、と。〔▽五三頁〕



政体第二
第一章

貞観の初、太宗、*蕭う(しょうう)に謂ひて曰く、朕、少きより弓矢を好む。自ら謂へらく、能く其の妙を尽くせり、と。近ごろ良弓、十数を得、以て弓工に示す。工曰く、皆、良材に非ざるなり、と。朕、其の故を問ふ。工曰く、木心正しからざれば、則ち脈理皆邪なり。弓、剛勁なりと雖も、箭を遣ること直からず。良弓に非ざるなり、と。朕、始めて悟る。朕、弧矢を以て四方を定め、弓を用ふること多し。而るに猶ほ其の理を得ず。況んや、朕、天下を有つの日浅く、治を為すの意を得ること、固より未だ弓に及ばず。弓すら猶ほ之を失す。何ぞ況んや治に於てをや、と。是より京官五品以上に詔し、更中書内省に宿せしめ、毎に召見して、皆、坐を賜ひ、与に語りて外事を詢訪し、務めて百姓の利害、政教の得失を知る。〔▽五五頁〕


第二章

貞観元年、上、黄門侍郎王珪に謂ひて曰く、中書の出す所の詔勅、頗る意見同じからざる有り。或は錯失を兼ねて是とし、相正すに否を以てす。元、中書・門下を置くは、本、過誤を相防がんことを擬す。人の意見は、毎に同じからざる或り。是非とする所有るは、本、公事の為めなり。或は己の短を護りて、其の失を聞くを忌み、是有り非有れば、咸以て怨と為す有り。或は苟くも私隙を避け、顔面を相惜み非を知れども正さず、遂に即ち施行する有り。一官の小情に違はんことを惜み、頓に万人の大弊を為す。此れ実に亡国の政なり。〔▽五七頁〕
隋日の内外の庶官政、依違を以て禍乱を致す。人、多く深く此の理を思ふ能はず。当時、皆、禍は身に及ばずと謂ひ、面従背言し、以て患と為さず。後、大乱一たび起り、家国倶に喪ぶるに至りて、身を脱するの人有りと雖も、縦ひ刑戮に遭はざるも、皆辛苦して僅かに免れ、甚だ時論の貶黜する所と為れり。卿等特に須く私を滅して公に徇ひ堅く直道を守り、庶事相啓沃し、上下雷同する勿るべきなり、と。〔▽五八頁〕


第三章

貞観二年、太宗、黄門侍次郎王珪に問ひて曰く、近代の君臣、国を理むること、多く前古に劣れるは、何ぞや、と。対へて曰く、古の帝王の政を為すは、皆、志、清静を尚び、百姓を以て心と為す。近代は則ち惟だ百姓を損じて、以て其の欲に適はしめ、其の任用する所の大臣、復た経術の士に非ず。漢家の宰相は、一経に精通せざるは無し。朝廷に若し疑事有れば、皆、経を引きて決定す。是に由りて、人、礼教を識り、理、太平を致せり。近代は武を重んじて儒を軽んじ、或は参ふるに法律を以てす。儒行既に虧け、淳風大いに壊る、と。太宗深く其の言を然りとす。此より百官中、学業優長にして、兼ねて政体を識る者は、多く其の階品を進め、累りに遷擢を加ふ。〔▽五九−六〇頁〕


第四章

貞観三年、太宗、侍臣に謂ひて曰く、中書・門下は、機要の司なり。才を擢んでて居らしめ、委任実に重し。詔勅如し便ならざる有らば、皆、須く執論すべし。比来、惟だ旨に阿り情に順ふを覚ゆ。唯唯として苟過し、遂に一言の諌争する者無し。豈に是れ道理ならんや。若し惟だ詔勅に署し、文書を行ふのみならば、人誰か堪へざらん。何ぞ簡択して以て相委付するを煩はさんや。今より詔勅に穏便ならざる有るを疑はば、必ず須く執言すべし。妄りに畏懼すること有り、知りて寝黙するを得ること無かれ、と。房玄齢等叩頭して血を出だす。〔▽六一頁〕


第五章

貞観四年、太宗、*蕭う(しょうう)に問ひて曰く、隋の文帝は何如なる主ぞや、と。対へて曰く、己に克ちて礼に復り、勤労して政を思ひ、一たび朝に坐する毎に、或は日の側くに至り、五品已上、坐に引きて事を論じ、宿衛の人をして、*そん(そん)を伝へて食はしむるに至る。性、仁明に非ずと雖も、亦是れ励精の主なり、と。〔▽六二−三頁〕
上曰く、公は其の一を知りて、未だ其の二を知らず。此の人は性至察なれども心明かならず。夫れ心暗ければ則ち照すこと通ぜざる有り、至察なれば則ち多く物を疑ふ。又、孤兒寡婦を欺き、以て天下を得、恒に群臣の内に不服を懐かんことを恐れ、肯て百司を信任せず、事毎に皆自ら決断す。神を労し形を苦しむと雖も、未だ尽くは理に合すること能はず。朝臣其の意を知るも、亦、敢て直言せず。宰相以下、惟だ承順するのみ。〔▽六三−四頁〕
朕の意は則ち然らず。天下の広きを以てして、千端万緒、須く変通に合すべし。皆、百司に委ねて商量せしめ、宰相に籌画せしめ、事に於て穏便にして、方めて奏して行ふ可し。豈に一日万機を以て、独り一人の慮に断ずるを得んや。且つ日に十事を断ずれば、五條は中らざらん。中る者は信に善し。其れ中らざる者を如何せん。日を以て月に継ぎ、乃ち累年に至らば、乖謬既に多く、亡びずして何をか待たん。豈に広く賢良に任じ、高く居り深く視るに如かんや。法令厳粛ならば、誰か敢て非を為さん、と。因りて諸司に令し、若し詔勅頒下し、未だ穏便ならざる者有らば、必ず須く執奏すべし。旨に順ひて便即ち施行するを得ず、と。務めて臣下の意を尽くさしむ。〔▽六四−五頁〕


第六章

貞観五年、太宗、侍臣に謂ひて曰く、国を治むると病を養ふとは異なること無きなり。病は人愈ゆるを覚ゆれば、弥々須く将護すべし。若し触犯有らば、必ず命を殞すに至らん。国を治むるも亦然り。天下稍安ければ、尤も須く競慎すべし。若し便ち驕逸せば、必ず喪敗に至らん。今、天下の安危、之を朕に繋く。故に日に一日慎み、休しとすと雖も休しとすること勿し。然れども耳目股肱は、卿が輩に寄す。既に義、一体に均し。宜しく力を協せ心を同じくすべし。事、安からざる有らば、極言して隠すこと無かる可し。儻し君臣相疑ひ、備に肝膈を尽くす能はずんば、実に国を治むるの大害為るなり、と。〔▽六六頁〕


第七章

貞観六年、上、侍臣に謂ひて曰く、朕、古の帝王を看るに、盛有り、衰有ること、猶ほ朝の暮有るがごとし。皆、其の耳目を蔽ふが為めに時政の得失を知らず。忠正なる者は言はず、邪諂なる者は日に進む。既に過失を見ず、滅亡に至る所以なり。朕、既に九重に在り、尽くは天下の事を見ること能はず。故に之を卿等に布き、以て朕の耳目と為す。天下無事、四海安寧なるを以て、便ち意に存せざること莫かれ。書に云く、愛す可きは君に非ずや。畏る可きは人に非ずや、と。天子は道有れば則ち人推して主と為す。道無ければ則ち人棄てて用ひず。誠に畏る可きなり、と。〔▽六七−八頁〕
魏徴対へて曰く、古より、国を失ふの主は、皆、安きに居りて危きを忘れ、理に処りて乱を忘るるを為す。長久なること能はざる所以なり。今、陛下、富、天下を有ち、内外清晏なるも、能く心を治道に留め、常に深きに臨み薄きを履むが如くならば、国家の暦数、自然に霊長ならん。臣又聞く、古語に云ふ、君は船なり。人は水なり。水は能く舟を載せ、亦能く舟を覆す、と。陛下、以て畏る可しと為す。誠に聖旨の如し、と。〔▽六九頁〕


第八章

貞観六年、太宗、侍臣に謂ひて曰く、古人云ふ、危くして持たず、顛りて扶けずんば、焉んぞ彼の相を用ひん、と。君臣の意、忠を尽くして匡救せざるを得んや。朕嘗て書を読み、桀の関龍逢を殺し、漢の錯を誅するを見、未だ嘗て書を廃して嘆息せずんばあらず。公等、但だ能く正詞直諌し、政教を裨益せよ。終に顔を犯し旨に忤ふを以て妄に誅責すること有らず。〔▽七〇−一頁〕
朕、比来、朝に臨みて断決するに、亦、律令に乖く者有り。公等、以て小事と為し、遂に執言せず。凡そ大事は皆小事より起る。小事、論ぜずんば、大事、又、将に救う可からざらんとす。社稷の傾危、此に由らざるは莫し。隋主残暴にして、身、匹夫の手に死し、率土の蒼生嗟痛するを聞くこと罕なり。願はくは、公等、朕の為めに隋氏の滅亡の事を思ひ、朕、公等の為めに龍逢・錯の誅を思ひ、君臣保全せば、豈に美ならずや、と。〔▽七二頁〕


第九章

貞観七年、太宗、秘書監魏徴と、従容として古よりの治政の得失を論ず。因りて曰く、当今大乱の後、造次に治を致す可からず、と。徴曰く、然らず。凡そ人、安楽に居れば則ち驕逸す。驕逸すれば則ち乱を思ふ。乱を思へば則ち理め難し。危困に在れば則ち死亡を憂ふ。死亡を憂ふれば則ち治を思ふ。治を思へば則ち教へ易す。然らば則ち乱後の治め易きこと、猶ほ飢人の食し易きがごときなり、と。太宗曰く、善人、邦を為むること百年にして、然る後、残に勝ち殺を去る、と。大乱の後、将に治を致すを求めんとす。寧ぞ造次にして望む可けんや、と。〔▽七三頁〕
徴曰く、此れ常人に拠る。聖哲に在らず。聖哲化を施さば、上下、心を同じくし、人の応ずること響きの如し。疾くせずして速かに、朞月にして化す可し。信に難しと為さず。三年にして功を成すも、猶ほ其の晩きを謂ふ、と。太宗、以て然りと為す。封徳彝等に対へて曰く、三代の後、人漸く澆訛す。故に秦は法律に任じ、漢は覇道を雑ふ。皆、治まらんことを欲すれども能はざればなり。豈に治を能くすれども欲せざるならんや。魏徴は書生にして、時務を識らず。若し魏徴の説く所を信ぜば、恐らくは国家を敗乱せん、と。〔▽七四−五頁〕
徴曰く、五帝・三王は、人を易へずして治む。帝道を行へば則ち帝たり。王道を行へば則ち王たり。当時の之を化する所以に在るのみ。之を載籍に考ふれば、得て知る可し。昔、黄帝、蚩尤と七十余戦し、其の乱るること甚し。既に勝つの後、便ち太平を致せり。九黎、徳を乱り*せんぎょく(せんぎょく)、之を征す。既に克つの後、其の治を失はず。桀、暴虐を為して、湯、之を放つ。湯の代に在りて、即ち太平を致せり。紂、無道を為し、武王、之を伐つ。成王の代、亦、太平を致せり。若し、人漸く澆訛にして純樸に反らずと言はば、今に至りては、応に悉く鬼魅と為るべし。寧ぞ復た得て教化す可けんや、と。徳彝等、以て之を難ずるなし。然れども咸以て不可なりと為す。〔▽七六頁〕〔類似▽八五〇頁〕
太宗、毎に力行して倦まず。数年の間にして、海内康寧なり。因りて群臣に謂ひて曰く、貞観の初、人皆、異論して云ふ、当今は必ず帝道王道を行ふ可からず、と。惟だ魏徴のみ、我に勧む。既に其の言に従ふに、数載を過ぎずして、遂に華夏安寧にして、遠戎賓服するを得たり。突厥は古より以来、常に中国の勍敵たり。今、酋長竝びに刀を帯びて宿衛し、部落、皆衣冠を襲ぬ。我をして干戈を動かさずして、数年の間に、遂に此に至らしめしは、皆、魏徴の力なり、と。〔▽七七−八頁〕
顧みて徴に謂ひて曰く、「玉、美質有りと雖も、石間に在りて、良工の琢磨に値はざれば、瓦礫と別たず。若し良工に遇へば、即ち万代の宝と為る。朕、美質無しと雖も、公の切磋する所と為る。公が朕を約するに仁義を以てし、朕を弘むるに道徳を以てするを労して、朕の功業をして此に至らしむ。公も亦良工と為すに足るのみ。唯だ恨むらくは封徳彝をして之を見しむるを得ざることを、と。徴、再拝して謝して曰く、匈奴破滅し、海内康寧なるは、自ら是れ陛下盛徳の加ふる所にして、実に群下の力に非ず。臣、但だ身、明世に逢ふを喜ぶのみ。敢て天の功を貪らず、と。太宗曰く、朕能く卿に任じ、卿委ぬる所に称ふ。其の功独り朕のみに在らんや。卿何ぞ煩はしく飾譲するや、と。〔▽七九頁〕


第十章

貞観九年、太宗、侍臣に謂ひて曰く、往者初めて京師を平げしとき、宮中の美女珍玩、院として満たざるは無し。煬帝は意猶ほ足らずとし、徴求已む無し。兼ねて東西に征討し、兵を窮め武を黷す。百姓、堪へず、遂に滅亡を致せり。此れ皆、朕の目に見る所なり。故に夙夜孜孜として、惟だ清静にして天下をして無事ならしめんと欲す。徭役興らず、年穀豊稔し、百姓安楽なるを得たり。夫れ国を治むるは、猶ほ樹を栽うるが如し。本根、揺がざれば、則ち枝葉茂盛す。君能く清静ならば、百姓なんぞ安楽ならざるを得んや、と。〔▽八一頁〕


第十一章

貞観八年、太宗、房玄齢等に謂ひて曰く、我が居る所の殿は、即ち是れ隋の文帝の造りし所なり。已に四十余年を経るも、損壊の処少し。唯だ承乾の殿は、是れ煬帝の造りしもの。工匠多く新奇を覓め、*斗きょう(ときょう)至小なり。年月近しと雖も、破壊の処多し。今、改更を為さんとし、別に意見を作さんと欲するも、亦、此の屋に似ることを恐るのみ、と。〔▽八二頁〕
魏徴対へて曰く、昔、魏の文侯の時、租賦歳に倍す。人、賀を致すもの有り。文侯曰く、今、戸口加はらずして、租税歳に倍す。是れ課斂多きに由る。譬へば皮を治むるが如し。大ならしむれば則ち薄く、小ならしむれば則ち厚し。民を理むるも亦復た此くの如し、と。是に由りて魏国大いに理まる。臣、今之を量るに、陛下理を為し、百夷賓服す。天下已に安く、但だ須らく今日の理道を守り、亦之を厚きに帰すべし。此れ即ち是れ足らん、と。〔▽八三頁〕


第十二章

貞観八年、太宗、群臣に謂ひて曰く、理を為すの要は、努めて其の本を全うす。若し中国静かならざれば、遠夷至ると雖も、亦何の益あらん。朕、公等と共に天下を理め、中夏をして乂安に四方をして静粛ならしめしは、竝びに公等咸忠誠を尽くし、共に庶績を康んずるの致す所に由るのみ。朕、実に之を喜ぶ。然れども安くして危きを忘れず、亦兼ねて以て懼る。〔▽八四頁〕
朕、隋の煬帝の纂業の初を見るに、天下隆盛なり。徳を棄て兵を窮め、以て顛覆を取る。頡利近ごろ強大と為すに足る。志意既に盈ち、禍乱斯に及び、其の大業を喪ひ、朕に臣と為る。葉護可汗も亦太だ強盛なり。自ら富実を恃み、使を通じて婚を求め、道を失ひ過を怙み、以て破滅を致す。其の子既に立つや、便ち猜忌を肆にし、衆叛き親離れ、基を覆し嗣を絶つ。〔▽八五頁〕
朕、遠く尭舜禹湯の徳を纂ぐ能はざるも、此の輩を目賭すれば、何ぞ誡懼せざるを得んや。公等、朕を輔けて、功績已に成れり。唯だ当に慎んで以て之を守り、自ら長世を獲べし。竝びに宜しく勉力すべし。不是の事有らば、則ち須らく明言すべし。君臣心を同うせば、何ぞ理らざるを得んや、と。〔▽八五−六頁〕
侍中魏徴対へて曰く、陛下、至理を弘め、以て天下を安んじ、功已に成れり。然れども常に非常の慶を覩、弥々危きを慮るの心を切にす。古より至慎以て此に加ふる無し。臣聞く、上の好む所、下必ず之に従ふ、と。明詔の奨励、懦夫をして節を立たしむるに足る、と。〔▽八六頁〕
太宗、拓跋の使人に問ひて曰く、拓跋の兵馬、今、幾許有りや、と。対へて曰く、見に四千余人有り。旧は四万余人有り、と。太宗、侍臣に謂ひて曰く、朕聞く、西胡、珠を愛し、若し好珠を得れば、身を劈きて之を蔵す、と。侍臣咸曰く、財を貪り己を害し、実に笑ふ可しと為す、と。〔▽八七頁〕
太宗曰く、唯だ胡を笑ふ勿れ。今、官人、財を貪りて性命を顧みず。身死するの後、子孫辱めを被れるは、何ぞ西胡の珠を愛するに異ならんや。帝王も亦然り。情を恣にして放逸、楽を好むこと度無く、庶政を荒廃し、長夜返るを忘る。行う所此くの如くなれば、豈に滅亡せざらんや。隋の煬帝は奢侈自ら賢とし、身、匹夫に死す。笑ふ可しと為すに足る、と。〔▽八八頁〕
魏徴対へて曰く、臣聞く、魯の哀公、孔子に謂ひて曰く、人好く忘るる者有り、宅を移して乃ち其の妻を忘る、と。孔子曰く、又、好く忘るること此れよりも甚だしき者有り。丘、桀紂の君を見るに、乃ち其の身を忘れたり、と。太宗曰く、朕、公等と既に人を笑ふことを知る。今、共に、相匡輔し、庶くは人の笑ひを免れん、と。〔▽八八頁〕


第十四章

貞観九年、太宗、侍臣に謂ひて曰く、帝王為る者は、必ず須らく其の与する所を慎むべし。只だ鷹犬鞍馬、声色殊味の如きは、朕若し之を欲すれば、随つて須らく即ち至るべし。此れ等の事の如き、恒に人の正道を敗る。邪佞忠直、亦時君の好む所に在り。若し任ずること賢を得ざれば、何ぞ能く滅びること無からんや、と。〔▽八九頁〕
侍中魏徴対へて曰く、臣聞く、斉の威王、*淳于こん(じゅんうこん)に問ふ。寡人の好む所、古の帝王と同じきや否や、と。*こん(じゅんうこん)曰く、古者の聖王の好む所四有り。今、王の好む所唯だ其の三有り。古者色を好む。王も亦之を好む。古者馬を好む。王も亦之を好む。古者味を好む。王も亦之を好む。唯だ一事の同じからざる者有り。古者賢を好む。王独り好まず、と。斉王曰く、賢の好む可き無ければなり、と。*こん(じゅんうこん)曰く、古の美食は、西施・*毛しょう(もうしょう)有り。奇味は即ち龍肝・豹胎。善馬は即ち飛兎・緑耳有り。此れ等は今既に之無し。王の厨膳、後宮外厩、今亦備具せり。王以て今の賢無しと為す。未だ前世の賢、王と相見るを得るや否やを知らず、と。太宗深く之を然りとす。〔▽九〇頁〕


第十五章


貞観十年、太宗、侍臣に謂ひて曰く、月令は早晩有りや、と。侍中魏徴対へて曰く、今、礼記の載す所の月令は、呂不韋より起る、と。太宗曰く、但だ化を為すに専ら月令に依らば、善悪復た皆記する所の如きや不や、と。魏徴又曰く、秦漢以来、聖王、月令の事に依るもの多し。若し一に月令に依る者は、亦未だ善有らず。但だ古は教を設け人に勧めて善を為さしむ。行ふ所皆時に順はんと欲せば、、善悪亦未だ必ずしも皆然らざるなり、と。〔▽九二頁〕
太宗又曰く、月令は既に秦時より起る。三皇五帝は、竝びに是れ聖主なり。何に因りて月令を行はざるや、と。徴曰く、計るに月令は、上古より起る。是を以て尚書に云ふ、敬みて民に時を授く、と。呂不韋は止だ是れ古を修むるのみ。月令は未だ必ずしも始めて秦代より起らざるなり、と。〔▽九三頁〕
太宗曰く、朕、比書を読み、見る所の善事は、竝びに即ち之を行ひ、都て疑ふ所無し。人を用ふるに至りては則ち善悪別ち難し。故に人を知るは極めて易からずと為す。朕、比公等数人を使ふ。何に因りて理政猶ほ文景に及ばざるや、と。〔▽九三頁〕
徴又曰く、陛下、心を理に留め、臣等に委任すること、古人に逾ゆ。直だ臣等の庸短に由り、陛下の委寄に称ふ能はざるのみ。四夷の賓服、天下の無事を論ぜんと欲せば、古来、未だ今日に似たるもの有らざるなり。文景に至りては、以て聖徳に比するに足らず、と。徴曰く、古より人君初めて理を為すや、皆、隆を尭舜に比せんと欲す。天下既に安きに至つては、即ち其の善を終ふること能はず。人臣初めて任ぜらるるや、亦、心を尽くし力を竭さんと欲す。富貴に居るに及びては、即ち官爵を全うせんと欲す。若し遂に君臣常に懈怠せざれば、豈に天下安からざるの道有らんや、と。太宗曰く、論至り理誠なること公の此の語の如くせん、と。〔▽九四頁〕


第十六章

貞観十六年、太宗、侍臣に謂ひて曰く、或は君、上に乱れ、臣、下に理む。或は臣、下に乱れ、君、上に理む。二者苟くも違はば、何者をか甚だしと為す、と。特進魏徴対へて曰く、君、心理まれば即ち照然として下の非を見る。一を誅して百を勧めば、誰か敢て威を畏れて力を尽くさざらん。若し上に昏暴にして、忠諌、従はずんば、百里奚・伍子胥の徒、虞・呉に在りと雖も、其の禍を救はず、敗亡も亦促らん、と。〔▽九五頁〕
太宗曰く、必ず此の如くならば、斉の文宣は昏暴なるに、楊遵彦、正道を以て之を扶けて理を得たるは、何ぞや、と。徴曰く、遵彦、暴主を弥縫し、蒼生を救理し、纔に乱を免るるを得たるも、亦甚だ危苦せり。人主厳明にして、臣下、法を畏れ、直言正諌して、皆、信用せらるるとは、年を同じくして語る可からざるなり、と。〔▽九六−七頁〕


第十七章

貞観十九年、太宗、侍臣に謂ひて曰く、朕、古来の帝王を観るに、驕矜にして敗を取る者、勝げて数ふ可からず。遠く古昔を述ぶる能はざるも、晋武、呉を平げ、隋文、陳を伐つの已後の如きに至りては、心逾驕奢にして、自ら諸を己に矜り、臣下復た敢て言はず。政道茲に因りて弥々紊る。朕、突厥を平定し、高麗を破りしより已後、海内を兼并し、鉄勒以て州県と為し、夷狄遠く服し、声教益々広まる。〔▽九七−八頁〕
朕、驕矜を懐かんことを恐れ、恒に自ら抑折し、日*くれて(暮れて)食し、坐して以て晨を待つ。毎に思ふ、臣下、*とう言(とうげん)直諌し、以て政教に施す可き者有らば、当に目を拭ひて、師友を以て之を待つべし、と。此の如くせば、時康く道泰きに庶幾からん、と。〔▽九八頁〕


第十八章

太宗、即位の始めより、霜旱、災を為し、米穀踊貴し、突厥侵抄し、州県騒然たり。帝の志は人を憂ふるに在り。鋭精、政を為し、節倹を崇尚し、大いに恩徳を布く。是の時、京師より河東・河南・隴右に及ぶまで、飢饉尤も甚しく、一匹の絹、纔に一斗の米を得。百姓、東西に食を逐ふと雖も、未だ嘗て嗟怨せず、自ら安んぜざるは莫し。貞観三年に至りて、関中豊熟し、咸自ら郷に帰り、竟に一人の逃散するもの無し。其の人心を得ること此の如し。加ふるに諌に従ふこと流るるが如きを以てし、雅より儒学を好み、孜孜として士を求め、務は官を択ぶに在り、旧弊を改革し、制度を興復し、毎に一事に因り、類に触れて善を為す。〔▽九九−一〇〇頁〕
初め息隠・海陵の黨、同に太宗を害せんと謀りし者、数百千人。事寧き後引きて左右近侍に居く。心術豁然として、疑阻すること有らず。時論、以て能く大事を断決し、帝王の体を得たりと為す。深く官吏の貪濁を悪み、法を枉ぐるの財を受くる、者有れば、必ず赦免する無し。在京の流外、贓を犯す者有れば、皆、執奏せしめ、其の犯す所に随ひ、*お(お)くに重法を以てす。是に由りて官吏多く自ら清謹なり。〔▽一〇一頁〕
王公妃主の家、大姓豪猾の伍を制馭す。皆、威を畏れて跡を屏め、敢て細人を侵欺する無し。商旅野次し、復た盗賊無く、囹圄常に空しく、馬牛、野に布き、外戸、動もすれば則ち数月閉ぢず。又、頻りに豊稔を致し、米、斗に三四銭。行旅、京師より嶺表に至り、山東より滄海に至るまで、皆、糧を賚すを用ひず、給を道路に取る。又、山東の村落、行客の経過する者、必ず厚く供待を加へ、或は時に贈遺有り。此れ皆、古昔未だ之れ有らざるなり。〔▽一〇一−二頁〕


第十九章

貞観三年、上、房玄齢に謂ひて曰く、古人の善く国を為むる者は、必ず先づ其の身を理む。其の身を理むるには、必ず其の習ふ所を慎む。習ふ所正しければ則ち其の身正し。身正しければ則ち令せずして行はる。習ふ所正しからざれば、則ち身正しからず。身正しからざれば、則ち令すと雖も従はず。是を以て舜、禹を誡めて曰く、隣なる哉、隣なる哉、と。周公、成王を誡めて曰く、其れ明かにせよ、其れ明かにせよ、と。此れ皆、其の習近する所を慎むを言ふなり。〔▽一〇三頁〕
朕、比歳、朝に臨みて事を視るより、園苑の間の遊賞に及ぶまで、皆、魏徴・虞世南を召して侍従せしむ。或は与に政事を謀議し、経典を講論するに、既に常に啓沃を聞けり。直に身に於て益有るのみに非ず、社稷に在りても、亦、久安の道と謂ふべし、と。〔▽一〇三−四頁〕



貞観政要巻第二〔▽一〇五頁〕
任賢第三
第一章

房玄齢は、*斉州臨し(せいしゅうりんし)の人なり。初め隋に仕へて隰城の尉と為り、事に坐して名を除かれて上郡に徒さる。太宗、地を渭北に徇ふるや、玄齢、策を杖つきて軍門に謁す。太宗、一見して便ち旧識の如く、渭北道の行軍記室参軍に署す。玄齢既に知己に遇ふを喜び、遂に心力を*けい竭(けいけつ)す。是の時、賊冦平ぐ毎に、衆人競ひて金宝を求む。玄齢、独り先づ人物を収め、之を幕府に致す。及び謀臣猛将有れば、皆之と潜に相申結し、各々其の死力を致さしむ。累りに秦王府の記室を授けられ、陝東道の行臺考功郎中を兼ぬ。〔▽一〇五頁〕
玄齢、秦府に在ること十余年、恒に管記を典る。隠太子、太宗の勲徳日に隆きを見、転た忌嫉を生じ、玄齢及び杜如晦、太宗の親礼する所と為るを以て、甚だ之を悪み、高祖に譖す。是に由りて如晦と竝びに駆斥せらる。隠太子の将に変有らんとするや、太宗、玄齢・如晦を召して、道士の衣服を衣せしめ、潜かに引きて閤に入れて事を計る。太宗、春宮に入るに及び、擢でて太子右庶子に拝す。〔▽一〇六−七頁〕
貞観元年、中書令に遷る。三年、尚書左僕射に拝せられ、国史を修む。既に百司に任総し、虔恭夙夜、心を尽くし節を竭くし、一物も所を失ふを欲せず。人の善有るを聞けば、己之を有するが若くす。吏事に明達し、飾るに文学を以てす。法令を審定するに、意は寛平に在り。備はるを求むるを以て人を取らず、己の長を以て物を格せず、能に随ひて収叙し、卑賎を隔つる無し。論者称して良相と為す。累りに梁国公に封ぜらる。十三年、太子少師を加へらる。〔▽一〇八頁〕
玄齢、自ら一たび端揆に居ること十有五年なるを以て、頻に表して位を辞す。優詔して許さず。十有六年、進みて司空を拝せらる。玄齢、復た年老いたるを致仕せんと請ふ。太宗、使を遣はして謂ひて曰く、国家久しく相任使す。一朝忽ち良相無ければ、両手を失ふが如し。公若し筋力衰へずんば、此の譲を煩はすこと無かれ、と。玄齢遂に止む。太宗又嘗て王業の艱難、左命の匡弼を追思し、乃ち威鳳の賦を作りて以て自ら喩へ、因りて玄齢に賜ふ。其の称せらるること類ね此の如し。〔▽一〇八−九頁〕


第二章

杜如晦は、京兆万年の人なり。武徳の初、秦王府の兵曹参軍と為る。俄かに陝州総管府の長史に遷さる。時に府中、英俊多く、外遷せらるるもの衆し。太宗、之を患ふ。記室房玄齢曰く、府僚の去る者、多しと雖も、蓋し惜むに足らず。杜如晦は聡明識達、王佐の才なり。若し大王、藩を守りて端拱せば、之を用ふる所無からん。必ず四方を経営せんと欲せば、此の人に非ざれば、可なる莫からん、と。太宗、遂に奏して府属と為し、常に帷幄に参謀せしむ。時に軍国多事、剖断、流るるが如し。深く時輩の服する所と為る。累りに天策府の従事中郎に除せられ、文学館学士を兼ぬ。〔▽一一〇頁〕
隠太子の敗るるや、如晦、玄齢と功等し。擢んでられて太子左庶子に拝せらる。俄かに兵部尚書に遷さる。進んで蔡国公に封ぜられ、実封一千三百戸を賜る。貞観二年、本官を以て侍中を検校す。三年、尚書左僕射に拝せられ、兼ねて選事を知す。仍ほ房玄齢と共に朝政を掌り、臺閣の規模、典章・文物に至るまで、皆二人の定むる所なり。甚だ当代の誉を獲、時に房杜と称す。〔▽一一一頁〕


第三章

魏徴は鉅鹿の人なり。近く家を相州の臨黄に徒す。武徳の末、隠太子の洗馬と為る。太宗と隠太子と陰に相傾奪するを見、毎に建成を勧めて早く之が計を為さしむ。太宗、隠太子を誅するに及び、徴を召して之を責めて曰く、汝、我が兄弟を離間するは、何ぞや、と。衆皆之が為めに危懼す。徴、慷慨自若、従容として対へて曰く、皇太子、若し臣が言に従はば、必ず今日の禍無かりしならん、と。太宗、之が為めに容を斂め、厚く礼異を加へ、擢でて諌議大夫に拝し、数々之を臥内に引き、訪ふに政術を以てす。〔▽一一三頁〕
徴、雅より経国の才有り。性又抗直にして、屈撓する所無し。太宗、之と言ふ毎に、未だ嘗て悦ばずんばあらず。徴も亦、知己の主に逢ふを喜び、其の力用を竭くす。又、労ひて曰く、卿が諌むる所、前後三百余事、皆、朕が意に称へり。卿が誠を竭くし国に奉ずるに非ずんば、何ぞ能く是の若くならん、と。三年、秘書監に累遷し、朝政に参預す。深謀遠算、弘益する所多し。太宗嘗て謂ひて曰く、卿が罪は、鉤に中つるよりも重く、我の卿に任ずるは、管仲より逾えたり。近代の君臣相得ること、寧ぞ我の卿に於けるに似たる者有らんや、と。〔▽一一四頁〕
六年、太宗、近臣を宴す。長孫無忌曰く、王珪・魏徴は、往に息隠に事へ、臣、之を見ること讎の若し。謂はざりき今者又此の宴を同じくせんとは、と。太宗曰く、魏徴は往者実に我が讎とする所なりき。但だ其の心を事ふる所に尽くすは、嘉するに足る者有り。朕能く擢でて之を用ふ。何ぞ古烈に慙ぢん。然れども徴毎に顔を犯して切諌し、我が非を為すを許さず。我の之を重んずる所以なり、と。〔▽一一五頁〕
七年、侍中に遷り、累りに鄭国公に封ぜらる。尋いで疾を以て職を解かんことを請ふ。太宗曰く、公独り金の鉱に在るを見ずや、何ぞ貴ぶに足らんや。良冶鍛へて器と為せば、便ち人の宝とする所と為る。朕方に自ら金に比し、卿を以て良匠と為す。卿疾有りと雖も、未だ衰老と為さず。豈に便ち爾るを得んや、と。徴、乃ち止む。後復た固辞す。侍中に解くを聴し、授くるに特進を以てし、仍ほ門下省の事を知せしむ。〔▽一一六頁〕〔類似▽八九九頁〕
十二年、帝、侍臣に謂ひて曰く、貞観以前、我に従ひて天下を平定し、艱険に周旋したるは、玄齢の功、与に譲る所無し。貞観の後、心を我に尽くし*忠とう(ちゅうとう)を献納し、国を安んじ人を利し、我が今日の功業を成し、天下の称する所と為る者は、唯だ魏徴のみ。古の名臣、何を以てか加へん、と。是に於て、親ら佩刀を解き、以て二人に賜ふ。〔▽一一七頁〕〔類似▽八九九頁〕
十七年、太子太師に拝せられ、門下の事を知するは故の如し。尋いで疾に遇ふ。徴の宅内、先に正堂無し。太宗、時に小殿を営まんと欲す。乃ち其の材を輟めて為に造らしむ。五日にして就る。中使を遣はして、賜ふに布被素褥を以てし、其の尚ぶ所を遂げしむ。後数日にして薨ず。太宗親臨して慟哭し、司空を贈り、諡して文貞と曰ふ。太宗親ら為めに碑文を製し、復た自ら石に書す。特に其の家に賜ひ、実封九百戸を食ましむ。〔▽一一八頁〕〔類似▽九〇〇頁〕
太宗、嘗て侍臣に謂ひて曰く、夫れ銅を以て鏡と為せば、以て衣冠を正す可し。古を以て鏡と為せば、以て興替を知る可し。人を以て鏡と為せば、以て得失を明かにす可し。朕常に此の三鏡を保ち、以て己が過を防ぐ。今、魏徴徂逝し、遂に一鏡を亡へり、と。因りて泣下ること久しうす。詔して曰く、昔、惟だ魏徴のみ、毎に余が過を顕す。其の逝きしより、過つと雖も彰すもの莫し。朕豈に独り往時に非にして、皆茲日に是なること有らんや。故は亦庶僚苟順して、龍鱗に触るるを難る者か。己を虚くして外求し、迷を披きて内省する故なり。言へども用ひざるは、朕の甘心する所なり。用ふれども言はざるは、誰の責ぞや。斯れより以後、各々乃の誠を悉くせ。若し是非有らば、直言して隠すこと無かれ、と。〔▽一一九頁〕〔類似▽九〇〇頁〕


第四章

王珪は*瑯や(ろうや)臨沂の人なり。初め隠太子の中允と為り、甚だ建成の礼する所と為る。後、其の陰謀の事に連るを以て、*すい州(すいしゅう)に流さる。建成誅せられ、太宗、召して諌議大夫に拝す。毎に誠を推し節を尽くし、献納する所多し。珪嘗て封事を上りて切諌す。太宗謂ひて曰く、卿が朕を論ずる所、皆、朕の失に中る。古より人君、社稷の永安を欲せざるは莫し。然れども得ざる者は、祇だ己の過を聞かず、或は聞けども改むる能はざるが為めの故なり。今、朕、失ふ所有らば、卿能く直言し、朕復た過を聞きて能く改むれば、何ぞ社稷の安からざるを慮らんや、と。太宗、又嘗て珪に謂ひて曰く、卿若し常に諌官に居らば、朕必ず永く過失無からん、と。顧待益厚し。〔▽一二一頁〕
貞観元年、黄門侍郎に遷り、政治に参預し、太子右庶子を兼ぬ。二年、進んで侍中に拝せらる。時に房玄齢・魏徴・李靖・温彦博・載冑、珪と同じく国政を知す。嘗て同に宴に侍す。太宗、珪に謂ひて曰く、卿は識鑒清通、尤も談論を善くす。玄齢等より、咸く宜しく品藻すべし。又、自ら諸子の賢に孰与なるかを量る可し、と。対へて曰く、毎に諌諍を以て心と為し、君の尭舜に及ばざるを恥づるは、臣、魏徴に如かず。孜孜として国に奉じ、知りて為さざる無きは、臣、玄齢に如かず。才、文武を兼ね、出でては将たり入つては相たるは、臣、李靖に如かず。敷奏詳明に出納惟れ允なるは、臣、彦博に如かず。繁を処し劇を理め、衆務必ず挙がるは、臣、載冑に如かず。濁を激し清を揚げ、悪を嫉み善を好むが如きに至りては、臣、数子に於て、頗る亦、一日の長あり、と。太宗深く其の言を嘉す。群公も亦各々以て己が懐ふ所を尽くすと為し、之を確論と謂ふ。〔▽一二二頁〕


第五章

李靖は京兆三原の人なり。大業の末、馬邑郡の丞と為る。会々高祖、太原の留守と為る。靖、高祖を観察し、四方の志有るを知る。因りて自ら候して変を上り、将に江都に詣らんとし、長安に至り、道塞がりて通ぜずして止む。高祖、京城に克ち、靖を執へ、将に之を斬らんとす。靖大いに呼びて曰く、公、義兵を起し暴乱を除く。大事を就さんと欲せずして、私怨を以て壮士を斬るや、と。太宗も亦、救靖を加ふ。高祖遂に之を捨す。〔▽一二四頁〕
武徳中蕭銑・*輔公せき(ほこうせき)を平ぐるの功を以て、揚州大都督府の長史に歴遷す。太宗、位を嗣ぎ、召して刑部尚書に拝す。貞観二年、本官を以て中書令を検校す。三年、兵部尚書に転じ、代州道の行軍総官と為り、進みて突厥の定襄城を撃ちて之を破る。突厥の諸部落、竝磧北に走る。突利可汗来り降り、頡利可汗大いに懼る。四年、退きて鉄山を保ち、使を遣はして入朝して罪に謝し、国を挙げて内附せんと請ふ。〔▽一二五頁〕
頡利、外は降を請ふと雖も、而も内は猶豫を懐く。詔して鴻臚卿唐倹を遣はして之を慰諭せしむ。靖、副将張公謹に謂ひて曰く、詔使、彼に到る、虜は必ず自ら寛くせん。乃ち精騎を選び、二十日の糧を賚し、兵を引きて白道より之を襲はん、と。公謹曰く、既に其の降を許し、詔使、彼に在り。未だ宜しく討撃すべからず、と。靖曰く、此れ兵機なり。時、失ふ可からず、と。遂に軍を督して疾く進む。行きて陰山に到り、其の斥候千余帳に遇ひ、皆、俘にして以て軍に随ふ。頡利、使者を見て甚だ悦び、官兵の至るを虞らざるなり。靖の前鋒、霧に乗じて行く。其の牙帳を去ること七里、頡利始めて覚り、兵を列ぬるも、未だ陣を為すに及ばず、単馬軽走す。虜衆因りて潰散す。男女を俘にすること十余万、土界を斥くこと、陰山の北より大磧に至り、遂に其の国を滅ぼす。尋いで頡利可汗の別部落に獲、余衆悉く降る。〔▽一二七頁〕
太宗大いに悦び、顧みて侍臣に謂ひて曰く、朕聞く、主憂ふれば臣辱められ、主辱めらるれば臣死す、と。往者、国家草創の時、突厥強梁なり。太上皇、百姓の故を以て、臣を頡利に称せり。朕、未だ嘗て痛心疾首せずんばあらず。匈奴を滅ぼさんことを志し、坐、席に安んぜず。食、味を甘んぜず。今者、暫く偏師を動かし、往くとして捷たざるは無く、単于*稽そう(けいそう)恥其れ雪がんか、と。群臣、皆万歳と称す。尋いで靖を尚書左僕射に拝し、実封五百戸を賜ふ。又、西のかた吐谷渾を征し、大いに其の国を破る。改めて衛国公に封ぜらる。靖の妻亡するに及びて、詔有りて墳塋の制度、漢の衛霍の故事に依り闕を築きて突厥の内の鉄山、吐谷渾の内の積石の二山を象るを許し、以て殊績を旌す。〔▽一二八−九頁〕


第六章

虞世南は、会稽余姚の人なり。貞観七年、秘書監に累遷す。太宗、万機の隙毎に、数々之を引きて談論し共に経史を観る。世南、容貌懦弱にして衣に勝へざるが若しと雖も、而も志性抗烈にして、論じて古先帝王の政を為すの得失に及ぶ毎に、必ず規諷を存し、補益する所多し。〔▽一三〇頁〕
太宗、嘗て侍臣に謂ひて曰く、朕、暇日に因りて虞世南と古今を商略す。朕に一言の善有れば、世南未だ嘗て悦ばずんばあらず。一言の失有れば、未だ嘗て悵恨せずんばあらず。近ごろ嘗みに戯れに一詩を作り、頗る浮艶に渉る。世南進表して諌めて曰く、陛下の此の作工なりと雖も、体、雅正に非ず。上の好む所、下必ず之に随ふ。此の文一たび行はるれば、恐らく風靡を致さん。軽薄俗を成すは、国を為むるの利に非ず。賜ひて継ぎ和せしむれば、敢て作らずんばあらず。而今よりして後、更に斯の文有らば、継ぐに死を以て請ひ、詔を奉ぜざらん、と。其の懇誠なること此の若し。朕用つて焉を嘉す。群臣、皆世南の若くならば、天下何ぞ理まらざるを憂へん、と。因りて帛一百五十段を賜ふ。〔▽一三一頁〕
太宗嘗て称す、世南に五絶有り。一に曰く、徳行。二に曰く、忠直。三に曰く、博学。四に曰く、詞藻。五に曰く、書翰、と。卒するに及び礼部尚書を贈り、諡して文懿と曰ふ。太宗、魏王泰に手勅して曰く、虞世南の我に於けるは猶ほ一体のごときなり。遺を拾ひ闕を補ひ、日として暫くも忘るること無し。実に当代の名臣、人倫の準的なり。吾に小善有れば、必ず将順して之を成し、吾に小失有れば、必ず顔を犯して之を諌む。今、其れ云に亡す。石渠・東観の中、復た人無し。痛惜豈に言ふ可けんや、と。〔▽一三二頁〕


第七章

李勣は曹州離狐の人なり。本姓は徐氏。初め李密に仕へて右武候大将軍と為る。密、後、王世充の破る所と為り、衆を擁して国に帰す。勣猶ほ旧境十郡の地に拠る。武徳二年、其の長史郭孝恪に謂ひて曰く、魏公既に大唐に帰せり。今、此の人衆土地は、魏公の有する所なり。吾若し上表して之を献ぜば、即ち是れ主の敗を利して、自ら己の功と為し、以て富貴を邀むるなり。是れ吾の恥づる所なり。今宜しく具に州県及び軍人戸口を録し、総て魏公に啓し、公の自ら献ずるに聴すべし。此れ則ち魏公の功なり。亦可ならずや、と。〔▽一三四頁〕
乃ち使を遣はして李密に啓す。使人初めて至るや、高祖、表無くして惟だ啓の李密に与ふる有るのみなるを聞き、甚だ之を怪しむ。使者、勣の意を以て聞奏す。高祖方めて大いに喜びて曰く、徐勣、徳に感じて功を推す。実に純臣なり、と。黎州の総管に拝し、姓を李氏と賜ひ、属籍を宗正に附す。其の父の蓋を封じて済陰王と為す。王爵を固辞す。乃ち舒国公に封じ、散騎常侍を授く。尋いで勣右武候大将軍を加ふ。〔▽一三五頁〕
李密反叛して誅せらるるに及びて、勣、喪を発し服を行ひ、君臣の礼を備へ、表請して密を収葬せんとす。高祖遂に其の屍を帰す。是に於て大いに威儀を具へ、三軍縞素して、黎陽山に葬る。礼成り服を釈きて散ず。朝野、之を義とす。尋いで竇建徳の攻むる所と為り、勣、竇建徳に陥る。又、自ら抜きて京師に帰る。太宗に従ひて王世充・竇建徳を征して之を平らぐ。貞観元年、并州都督に拝せらる。令すれば行はれ禁ずれば止み、号して職に称へりと為す。突厥甚だ畏憚を加ふ。〔▽一三六頁〕
太宗、侍臣に謂ひて曰く、隋の煬帝、賢良を精選して辺境を鎮撫するを解せず。惟だ遠く長城を築き、広く将士を屯して、以て突厥に備ふ。朕、今、李勣に并州を委任し、遂に突厥威に畏れて遠く遁れ、塞垣安静なるを得たり。豈に数千里の長城に勝らずや、と。其の後、并州、改めて大都督府を置き、又、勣を以て長史と為す。累に英国公に封ず。并州に在ること凡て十六年、召して兵部尚書に拝し、兼ねて政事を知せしむ。〔▽一三七頁〕
勣時に暴疾に遇ふ。験方に云ふ、鬚灰を以て之を療す可し、と。太宗自ら鬚を剪り其れが為めに薬を和す。勣、頓首して血を見、泣きて以て陳謝す。太宗曰く、吾、社稷の為めに計るのみ。深謝するを煩はさず。公は往に李密を遺れず。今豈に朕に負かんや、と。〔▽一三八頁〕


第八章


馬周は博州荏平の人なり。貞観五年、京師に至り、中郎将常何の家に舎す。時に太宗、百官をして上書して得失を言はしむ。馬周、何の為めに便宜二十余事を陳べ、之を奏せしむ。事、皆、旨に合す。太宗、其の能を怪しみ、何に問ふ。何答へて曰く、此れ臣が発慮する所に非ず。乃ち臣が家の客馬周なり、と。太宗、即日、之を召す。未だ至らざるの間、凡そ四度、使を遣はして催促す。謁見するに及びて、与に語りて甚だ悦ぶ。門下省に直せしめ、尋いで監察御史を授け、累に中書舎人に除す。〔▽一三九頁〕
周、機弁有り。敷奏を能くし、深く事端を識る。故に動けば中らざる無し。太宗嘗て曰く、我、馬周に於て、暫時、見ざれば、則便ち之を思ふ、と。十八年、中書令に歴遷し、太子右庶子を兼ぬ。周既に職、両宮を兼ね、事を処すること中允にして甚だ当時の誉を獲たり。又、本官を以て吏部尚書を摂す。太宗、嘗て侍臣に謂ひて曰く、馬周、事を見ること敏速、性、甚だ貞正なり。人物を論量するに至りては、道を直くして言ひ、多く朕が意に称ふ。実に此の人に藉りて、共に時政を康くするなり、と。〔▽一四〇頁〕


求諌第四
第一章

太宗、威容厳粛にして、百寮の進見する者、皆、其の挙措を失ふ。太宗、其の此の若くなるを知り、人の事を奏するを見る毎に必ず顔色を仮借し、諌諍を聞き、政教の得失を知らんことを冀ふ。貞観の初、嘗て公卿に謂ひて曰く、人、自ら照らさんと欲すれば、必ず明鏡を須ふ。主、過を知らんと欲すれば、必ず忠臣に藉る。若し主自ら賢聖を恃まば、臣は匡正せず。危敗せざらんと欲するも、豈に得可けんや。故に君は其の国を失ひ、臣も亦独り其の家を全くすること能はず。隋の煬帝の暴虐なるが如きに至りては、臣下、口を鉗し、卒に其の過を聞かざらしめ、遂に滅亡に至る。虞世基等、尋いで亦誅せられて死す。前事、遠からず。公等、事を看る毎に、人に利ならざる有らば、必ず須く極言規諌すべし、と。〔▽一四一−二頁〕


第二章

貞観元年、太宗、侍臣に謂ひて曰く、正主、邪臣に任ずれば、理を致すこと能はず。正臣、、邪主に事ふれば、亦、理を致すこと能はず。惟だ君臣相遇ふこと、魚水に同じきもの有れば、則ち海内、安かる可し。朕、不明なりと雖も、幸に諸侯数々相匡救す。冀くは直言*こう議(こうぎ)憑りて、天下を太平に致さん、と。〔▽一四三頁〕
諌議大夫王珪対へて曰く、臣聞く、木、縄に従へば則ち正しく、君、諌に従へば則ち聖なり、と。故に古者の聖主には、必ず諍臣七人あり。言ひて用ひられざれば、則ち相継ぐに死を以てす。陛下、聖慮を開き、芻蕘を納る。愚臣、不諱の朝に処る。実に其の狂瞽を*つく(つく)さんことを願ふ、と。太宗、善しと称し、詔して是より宰相内に入りて、国計を平章するときには、必ず諌官をして随ひ入りて、政事を預り聞かしめ、関説する所有らしむ。〔▽一四四頁〕


第三章

貞観二年、太宗、侍臣に謂ひて曰く、明主は短を思ひて益々善に、暗主は短を護りて永く愚なり。隋の煬帝、好みて自ら矜誇し、短を護り諌を拒ぎ、誠に亦実に犯忤し難し。虞世基、敢て直言せざるは、或は恐らくは未だ深罪と為さざらん。昔、微子、佯狂にして自ら全うす。孔子、亦、其の仁を称す。煬帝が殺さるるに及びて、世基は合に同じく死すべきや否や、と。〔▽一四六頁〕
杜如晦対へて曰く、天子に諍臣有れば、無道なりと雖も、其の天下を失はず。仲尼称す、直なるかな史魚。邦、道有るも矢の如く、邦、道無きも矢の如し、と。世基、豈に煬帝の無道なるを以て、諌諍を納れざるを得んや。遂に口を杜ぢて言ふ無く、重位に偸安し、又、職を辞し退を請ふ能はざるは、則ち微子が佯狂にして去ると、事理、同じからず。昔、晋の恵帝・賈后、将に愍懐太子を廃せんとす。司空張華、竟に苦諍する能はず、阿隠して苟くも免る。趙王倫、兵を挙げて后を廃するに及び、使を遣はして華を収めしむ。華曰く、将に太子を廃せんとするの日、是れ言ふ無きに非ず。当時、納れ用ひられず、と。其の使曰く、公は三公たり。太子、罪無くして廃せらる。言既に従はれずんば、何ぞ身を引きて退かざる、と。華、辞の以て答ふる無し。遂に之を斬り、其の三族を夷ぐ。〔▽一四七頁〕
古人云ふ、危くして持せず、顛して扶けずんば、則ち将た焉んぞ彼の相を用ひん、と。故に君子は大節に臨みて奪う可からざるなり。張華は既に抗直にして節を成す能はず、遜言して身を全くするに足らず、王臣の節、固に已に墜ちたり。虞世基、位、宰補に居り、言を得るの地に在り、竟に一言の諌諍無し。誠に亦合に死すべし、と。〔▽一四九頁〕
太宗曰く、公の言是なり。人君必ず忠良の補弼を須ちて、乃ち身安く国寧きを得。煬帝は、豈に下に忠臣無く、身、過を聞かざるを以て、悪積り禍盈ち、滅亡斯に及べるならずや。若し人主、行ふ所、当らず、臣下、又匡諌すること無く、苟くも阿順に在り、事、皆、美を称すれば、則ち君は暗主たり、臣は諛臣たり。君暗く臣諛へば、危亡遠からず。朕、今、志、君臣上下、各々至公を尽くし、共に相切磋し、以て理道を為すに在り。公等各々宜しく務めて*忠とう(ちゅうとう)を尽くし、朕が悪を匡救すべし。遂に直言して意に忤ふを以て、輒ち相責怒せざらん、と。〔▽一五〇頁〕


第四章

貞観五年、太宗、房玄齢等に謂ひて曰く、古より帝王、多くは情に任せて喜怒し、喜べば則ち濫りに功無きを賞し、怒れば則ち濫りに罪無きを殺す。是を以て天下の喪乱、此に由らざるは莫し。朕、今、夙夜未だ嘗て此を以て心と為さずんばあらず。常に公等の情を尽くして極諌せんことを欲す。公等も亦須く人の諌語を受くべし。豈に人の言の己の意に同じからざるを以て、便即ち短を護りて納れざるを得んや。若し人の諌を受くる能はずんば、安んぞ能く人を諌めんや、と。〔▽一五一頁〕


第五章

貞観八年、上、侍臣に謂ひて曰く、朕、閑居静坐する毎に、則ち自ら内に省み、恒に、上、天心に称はず、下、百姓の怨む所と為らんことを恐れ、但だ人の匡諌せんことを思ひ、耳目をして外通し、下の冤滞無からしめんことを欲す。又、比、人の来りて事を奏する者を見るに、多く怖慴する有りて、言語、次第を失ふを致す。尋常の事を奏するすら、情猶ほ此の如し。況んや諌諍せんと欲するは、、必ず当に逆鱗を犯すを畏るるなるべし。所以に諌者有る毎に、縦ひ朕の心に合はざるも、朕亦、以て忤ふと為さず。若し即ち嗔り責めば、深く人の戦懼を懐かんことを恐る。豈に肯て更に言はん、や。〔▽一五二−三頁〕


第六章

貞観十五年、太宗、魏徴に問ひて曰く、比来、朝臣、都て事を論ぜざるは、何ぞや、と。徴対へて曰く、陛下、心を虚しくして採納す。誠に宜しく言者有るべし。然れども古人云ふ、未だ信ぜられずして諌むれば、則ち謂ひて己を謗ると為す。信ぜられて諌めざれば、則ち謂ひて之を尸禄と為す、と。但だ人の才器は各々同じからざる有り。懦弱の人は、忠直を懐けども言ふこと能はず。疎遠の人は、信ぜられざらんことを恐れて言ふことを得ず。禄を懐ふ人は、身に便ならざらんことを慮りて敢て言はず。相与に緘黙し、俛仰して日を過す所以なり、と。〔▽一五四頁〕
太宗曰く、誠に卿の言の如し。朕、毎に之を思ふ。人臣、諌めんと欲すれば、輒ち死亡の禍を懼る。夫の*鼎かく(ていかく)に赴き、白刃を冒すと、亦何ぞ異ならんや。故に忠貞の臣は、誠を竭さんと欲せざる者には非ず。敢て誠を竭す者は、乃ち是れ極めて難し。禹が昌言を拝せし所以は、豈に此が為ならずや。朕、今、懐抱を開いて、諌諍を納る。卿等、怖懼を労して、遂に極言せざること無かれ、と。〔▽一五五頁〕


第七章

貞観十六年、太宗、房玄齢等に謂ひて曰く、自ら知る者は明なり。信に難しと為す。属文の士、伎巧の徒の如きに至つては、皆自ら己が長は、他人は及ばずと謂へり。若し名工・文匠、商略詆訶すれば、蕪詞拙跡、是に於て乃ち見はる。是に由りて之を言へば、人君は須く匡諌の臣を得て、其の愆過を挙ぐべし。一日万機、独り聴断す。復た憂労すと雖も、安んぞ能く善を尽くさん。常に念ふ、魏徴、事に随ひて諌諍し、多く朕の失に中り、明鏡の形を鑒みて、美悪畢く見はるるが如し、と。因りて觴を挙げて玄齢等数人に賜ひ、以て之を勗めしむ。〔▽一五六頁〕


第八章

貞観十七年、太宗、嘗て諌議大夫*ちょ遂良(ちょすいりょう)に問ひて曰く、昔、舜、漆器を造り、禹、其の俎に雕る。当時、舜・禹を諌むるもの十有余人なり、と。食器の間、何ぞ苦諌を須ひん、と。遂良曰く、雕琢は農事を害し、纂組は女工を傷る。奢淫を首創するは、危亡の漸なり。漆器已まざれば、必ず金もて之を為らん。金器已まざれば、必ず玉もて之を為らん。所以に諍臣は、必ず其の漸を諌む。其の満盈に及びては、復た諌むる所無し、と。〔▽一五七−八頁〕
太宗曰く、卿の言、是なり。朕が為す所の事、若し当らざる有り、或は其の漸に在り、或は已に将に終らんとするも、皆宜しく進諌すべし。比、前史を見るに、或は人臣の事を諌むる有れば、遂に答へて云ふ、業已に之を為せり、と。或は道ふ、業已に之を許せり、と。竟に為に停改せず。此れ則ち危亡の禍、手を反して待つ可きなり、と。〔▽一五九頁〕



納諌第五
第一章

貞観の初、太宗、黄門侍郎王珪と宴語す。時に美人有りて側に侍す。本、盧江王*えん(えん)の姫なり。*えん(えん)敗れ、籍没して宮に入る。太宗、指して珪に示して曰く、盧江、不道にして、其の夫を賊殺して、其の室を納る。暴虐の甚だしき、何ぞ亡びざる者有らんや、と。珪、席を避けて対へて曰く、陛下、盧江の之を取るを以て是と為すや、非と為すや、と。太宗曰く、安んぞ人を殺して其の妻を取ること有らんや。卿、乃ち朕に是非を問ふは、何ぞや、と。〔▽一六〇頁〕
対へて曰く、臣聞く、管子曰く、斉の桓公、郭国に之き、其の父老に問ひて曰く、郭は何の故に亡びたるか、と。父老曰く、其の善を善とし、悪を悪としたるを以てなり、と。桓公曰く、子の言の若くんば、乃ち賢君なり。何ぞ亡ぶるに至らんや、と。父老曰く、然らず。郭君は善を善とすれども用ふること能はず。悪を悪とすれども、去ること能はず。亡びし所以なり、と。今、此の婦人、尚ほ左右に在り。臣、竊に聖心、之を是と為すと以へり。陛下、若し以て非と為さば、此れ所謂、悪を知れども去らざるなり、と。太宗、大いに悦び、称して至言となり、遽に美人をして其の親族に還さしむ。〔▽一六一頁〕


第二章

貞観三年、太宗、司空裴寂に謂ひて曰く、比、上書して事を奏する有り。條数甚だ多し。朕総て之を屋壁に黏し、出入に観省す。孜孜として倦まざる所以は、臣下の情を尽くさんことを欲すればなり。一たび理を致さんことを思ふ毎に、或は三更に至りて方めて寝ぬ。亦、公が輩、心を用ふること倦まず、以て朕が懐に副はんことを望む、と。〔▽一六二−三頁〕


第三章

貞観四年、詔して卒を発して洛陽宮の乾元殿を修め、以て巡狩に備ふ。給事中張玄素、上書して諌めて曰く、微臣竊に思ふに、秦の始皇の君たるや、周室の余に藉り、六国の盛に因り、将に之を万代に貽さんとするも、其の子に及びて亡べり。良に嗜を逞しくし慾に奔り、天に逆ひ人を害ふに由る者なり。是に知る。天下は力を以て勝つ可からず、神祇は親を以て恃む可からず、惟だ当に倹約を弘にし、賦斂を薄くすべし。終を慎しむこと始の如くにせば以て永固なる可し。〔▽一六三−四頁〕
方今、百王の末を承け、凋弊の余に属す。必ず之を節するに礼制を以てせんと欲せば、陛下宜しく身を以て先と為すべし。東都は未だ幸期有らざるに、即ち補葺せしむ。諸王、今竝びに藩に出で、又須く営構すべし。興発既に多きは、豈に疲人の望む所ならんや。其の不可なるの一なり。陛下、初め東都を平らげしの始め、層楼広殿、皆、撤毀せしめ、天下翕然として、心を同じくして欣仰せり。豈に初めは則ち其の侈靡を悪み、今は乃ち其の雕麗を襲ふ有らんや。其の不可なるの二なり。音旨を承くる毎に、未だ即ち巡幸せず。此れ即ち不急の務を事とし、虚費の労を成す。国に兼年の積無し、何ぞ両都の好を用ひん。労役、度に過ぎ、*怨とく(えんとく)将に起らんとす。其の不可なるの三なり。百姓、乱離の後を承け、財力凋尽す。天恩含育し、粗ぼ存立を見る。飢寒猶ほ切に、生計未だ安からず。五六年の間には、未だ旧に復する能はざらん。奈何ぞ更に疲人の力を奪はん。其の不可なるの四なり。昔、漢の高祖、将に洛陽に都せんとす。婁敬一言して、即日西に賀す。豈に地は惟れ土の中、貢賦の均しき所なるを知らざらんや。但だ形勝の関内に如かざるを以てなり。伏して惟みるに、凋弊の人を化し、澆漓の俗を革め、日たること尚ほ浅く、未だ甚だしくは淳和ならず。事宜を斟酌するに、*なん(なん)ぞ東幸す可けんや。其の不可なるの五なり。〔▽一六五−六頁〕
臣又嘗て隋室の初め此の殿を造るを見るに、楹棟宏壮なり。大木は隋近の有る所に非ず、多く豫章より採り来る。二千人、一柱を曳き、其の下に轂を施す。皆、生鉄を以て之を為る。若し木輪を用ふれば、便即ち火出づ。略ぼ一柱を計るに、已に数十万の功を用ふれば、則ち余費又此れに過倍す。臣聞く、阿房成りて、秦人散じ、章華就りて、楚衆離る、と。然して乾陽、功を畢へて、隋人、解体す。且つ陛下の今時の功力を以て、隋日に何如とす。凋残の後を承け、瘡痍の人を役し、億万の功を費し、百王の弊を襲ふ。此を以て之を言へば、恐らくは煬帝よりも甚だしき者あらん。深く願はくは陛下、之を思はんことを。由余の笑ふ所と為る無くんば、則ち天下の幸甚なり、と。〔▽一六七−八頁〕
太宗、玄素に謂ひて曰く、卿、我を以て煬帝に如かずとす。桀紂に何如、と。対へて曰く、若し此の殿卒に興らば、所謂同じく乱に帰するなり、と。太宗歎じて曰く、我、思量せず、遂に此に至る、と。顧みて房玄齢に謂ひて曰く、今、玄素の上表を得たり。洛陽は実に亦未だ宜しく修造すべからず。後必ず事理須く行くべくば、露坐すとも亦復た何ぞ苦しまん。有らゆる作役は、宜しく即ち之を停むべし。然れども卑を以て尊を干すは、古来、易からず。其の至忠至直に非ずんば、安んぞ能く此の如くならん。且つ衆人の唯唯は、一士の諤諤に如かず。絹五百匹を賜ふ可し、と。魏徴歎じて曰く、張公、遂に回天の力有り。仁人の言、其の利博きかな、と謂ふ可し、と。〔▽一六九−七〇頁〕


第四章

貞観六年、太宗、御史大夫韋挺・中書侍郎杜正倫・秘書少監虞世南・著作郎姚思廉等、封事を上りて旨に称へるを以て、召して謂ひて曰く、朕、古よりの人臣、忠を立つるの事を歴観するに、若し明主に値へば、便ち誠を尽くして規諌するを得。龍逢・比干の如きに至つては、竟に孥戮を免れず。君たること易からず、臣たること極めて難し。朕又聞く、龍は擾して馴れしむ可し。然れども喉下に逆鱗有り、之に触るれば則ち人を殺す。人主も亦逆鱗有り、と。卿等、遂に犯触を避けずして、各々封事を進むること、常に能く此の如くならば、朕豈に宗社の傾敗を慮らんや。毎に卿等の此の意を思ひ、暫くも忘るる能はず。故に宴を設けて楽を為すなり、と。仍りて帛を賜ふこと差有り。〔▽一七一頁〕


第五章

太常卿韋挺、嘗て上疏して得失を陳す。太宗、書を賜ひて曰く、上る所の意見を得るに、極めて是れ*とう言(とうげん)にして、辞理、観る可し。甚だ以て慰と為す。昔、斉境の難に、夷吾、鉤を射るの罪有り。蒲城の役に*勃てい(ぼつてい)、袂を斬るの仇たり。而るに小白、以て疑と為さず、重耳、之を待つこと旧の若し。豈に各々主に非ざるに吠え、志、二無きに在るに非ずや。卿の深誠、斯に見はる。若し能く克く此の節を全くせば、則ち永く令名を保たん。如し其れ之を怠らば、惜しまざる可けんや。勉励して此を終へ、範を将来に垂れ、当に後の今を観ること、今の古を視るがごとくならしむべし。亦美ならずや。朕、比、其の過を聞かず、未だ其の闕を覩ず。頼に忠懇を竭くし、数々嘉言を進め、用て朕が懐に沃げ。一に何ぞ道ふ可けんや、と。〔▽一七三頁〕


第六章

李大亮、貞観中、涼州都督と為る。嘗て臺使有り、州境に至る。名鷹有るを見、大亮に諷して之を献ぜしむ。大亮密に表して曰く、陛下久しく畋猟を絶つ。而るに使者、鷹を求む。若し是れ陛下の意ならば、深く昔旨に乖かん。如し其れ自ら擅にせば、便ち是れ使、其の人に非ざらん、と。〔▽一七五頁〕
太宗、其れに書を下して曰く、卿が文武を兼ね資し、志、貞確を懐くを以て、故に藩牧を委ね、茲の重寄に当つ。比、州鎮に在りて、声績遠く彰る。此の忠勤を念ひ、寤寐に忘るること無し。使、鷹を献ぜしむるに、遂に曲順せず。今を論じ古を引き、遠く直言を献じ、腹心を披露し、非常に懇至なり。覧を用つて嘉歎し、已む能はざるのみ。臣有ること此の若し、朕復た何ぞ憂へん。宜しく此の誠を守り、終始、一の如くすべし。詩に曰く、爾の位を靖恭し、是の正直を好む。神之れ之を聴き、爾の景福を介にせん、と。古人称す、一言の重き、千金に*ひと(ひと)し、と。卿の此の言、深く貴ぶに足る。今、卿に金壷瓶・金椀各々一枚を賜ふ。千溢の重き無しと雖も、是れ朕が自用の物なり。〔▽一七五−六頁〕
卿、志を立つること方直、節を竭くすこと至公、職に処り官に当り、毎に委ぬる所に副ふ。方に大いに任使し、以て重寄を申ねんとす。公事の間、宜しく典籍を観るべし。兼ねて卿に荀悦の漢紀一部を賜ふ。此の書、叙致簡要、論議深博、政を為すの体を極め、君臣の義を尽くす。宜しく尋閲を加ふべし、と。〔▽一七七頁〕


第七章

貞観八年、陝県の丞皇甫徳参、上書して旨に忤ふ。太宗以て*さん謗(さんぼう)と為す。侍中魏徴、奏言す、昔、賈誼、漢の文帝の時に当りて、上書して云ふ、痛哭を為す可き者三、長歎を為す可き者五、と。古より上書は、率ね激切多し。若し激切ならざれば、則ち人主の心を起す能はず。激切は即ち*さん謗(さんぼう)に似たり。惟だ陛下、其の可否を詳かにせよ、と。太宗曰く、公に非ざれば、能く此を道ふ者無し、と。徳参に物一百三十段を賜はしむ。〔▽一七八頁〕


第八章

貞観中、使を遣はして西域に詣り、葉護河干立てしむ。未だ還らざるに、又人をして多く金帛を賚し、諸国を歴て馬を市はしむ。魏徴諌めて曰く、今、使を発するは、河干を立つるを以て名と為す。河干未だ立つを定めざるに、即ち諸国に詣りて馬を市はしむ。彼必ず以て意は馬を市ふに在り、専ら河干を立つるが為めならずと為さん。河干、立つを得とも、則ち甚だしくは恩を懐はざらん。立つを得ざれば、則ち深怨を生ぜん。諸蕃、之を聞かば、且に中国を重んぜざらんとす。但だ彼の土をして安寧ならしめば、則ち諸国の馬、求めずして自ら至らん。〔▽一七九−八〇頁〕
昔、漢文、千里の馬を献ずる者有り。帝曰く、吾、吉行は日に三十、凶行は日に五十、鸞輿、前に在り、属車、後に在り、吾独り千里の馬に乗りて、将に以て安くに之かんとするや、と。乃ち其の道里の費を償ひて之を返せり。又、光武、千里の馬及び宝剣を献ずる者有り。馬は以て鼓車に駕し、剣は以て騎士に賜ふ。〔▽一八〇頁〕
今、陛下の凡そ施為する所、皆*はるか(はるか)に三王の上に過ぎたり。奈何ぞ此に至りて、孝文・光武の下と為らんと欲するや。又、魏の文帝、西域の大珠を市はんことを求む。蘇則曰く、若し陛下、恵、四海に及ばば、則ち求めずして自ら至らん。求めて之を得るは、貴ぶに足らざるなり、と。陛下縦ひ漢文の高行を慕ふ能はずとも、蘇則の正言を畏れざる可けんや、と。太宗、遽に之を止めしむ。〔▽一八一頁〕


第九章

貞観十七年、太子右庶子高李輔、上疏して得失を陳す。特に鍾乳一剤を賜ひ、謂ひて曰く、卿、薬石の言を進む。故に薬石を以て相報ゆ、と。〔▽一八二頁〕


第十章

太宗、嘗て苑西面監穆裕を怒り、朝堂に命じて之を斬らしむ。時に太帝、皇太子たり。遽に顔を犯して進諌す。太宗、意乃ち解く。司徒長孫無忌曰く、古より太子の諌むる、或は閑に乗じて従容として言ふ。今、陛下、天威の怒を発し、太子、顔を犯すの諌を申ぶ。斯れ古今未だ有らず、と。〔▽一八三頁〕
太宗曰く、夫れ人久しく相与に処れば、自然に染習す。朕が天下を御めしより、虚心正直なり。即ち魏徴有りて、朝夕進諌す。徴云に亡せしより、*劉き(りゅうき)・岑文本・馬周・*ちょ遂良(ちょすいりょう)等、之に継ぐ。皇太子幼にして朕の膝前に有り、毎に朕が心に諌者を悦ぶを見、因りて染まりて以て性を成す。故に今日の諌有り、と。〔▽一八四頁〕



貞観政要巻第三〔▽一八五頁〕
君臣鑒戒第六
第一章

貞観六年、太宗、侍臣に謂ひて曰く、朕聞く、周秦、初め天下を得たるは、其の事、異ならず。然れども、周は即ち惟だ善を是れ務め、功を積み徳を累ぬ。能く七百の基を保ちし所以なり。秦は乃ち其の奢淫を恣にし、好んで刑罰を行ひ、二世に過ぎずして滅ぶ。豈に善を為す者は、福祚延長にして、悪を為す者は、降年永からざるに非ずや。朕又聞く、桀紂は帝王なり。匹夫を以て之に比すれば、則ち以て辱と為す。顔閔は匹夫なり。帝王を以て之に比すれば、則ち以て栄と為す、と。此れ亦帝王の深恥なり。朕毎に此の事を将て、以て鑒戒と為す。常に逮ばずして人の笑ふ所と為らんことを恐る、と。〔▽一八五−六頁〕
魏徴曰く、臣聞く、魯の哀公、孔子に謂ひて曰く、人、好く忘るる者有り。宅を移して、乃ち其の妻を忘る、と。孔子曰く、又、好く忘るること此よりも甚だしき者有り。丘、桀紂の君を見るに、乃ち其の身を忘る、と。願はくは、陛下、毎に此の如きを慮と為すを作さば、後人の笑を免るるに庶からんのみ、と。〔▽一八六−七頁〕
(貞観六年、太宗謂侍臣曰、朕聞、周秦初得天下、其事不異。然周則惟善是務、積功累徳。所以能保七百之基。秦乃恣其奢淫、好行刑罰、不過二世而滅。豈非為善者福祚延長、為悪者降年不永。朕又聞、桀紂、帝王也。以匹夫比之、則以為辱。顔閔、匹夫也。以帝王比之、則以為栄。此亦帝王之深恥也。朕毎将此事以為鑒戒。常恐不逮為人所笑。
魏徴曰、臣聞、魯哀公謂孔子曰、有人好忘者、移宅乃忘其妻。孔子曰、又有好忘甚於此者。丘見桀紂之君、乃忘其身。願陛下毎作如此為慮。庶免後人笑耳。)一八五−七頁)


第二章

貞観十四年、高昌平ぎたるを以て、侍臣を召して宴を賜ふ。太宗、房玄齢に謂ひて曰く、高昌若し臣の礼を失はずんば、豈に滅亡に至らんや。朕、此の一国を平げ、益々危懼を懐く。今、克く久大の業を存せんと欲せば、惟だ当に驕逸を戒めて以て自ら防ぎ、忠謇を納れて以て自ら正し、邪佞を黜け、賢良を用ひ、小人の言を以てして君子を議せざるべし。此を以て之を守らば、安きを獲るに庶幾からんか、と。〔▽一八八頁〕
魏徴進んで曰く、臣、古来の帝王を観るに、乱を撥め業を創むるときは、必ず自ら戒懼し、芻蕘の議を採り、*忠とう(ちゅうとう)の言に従ふ。天下既に安ければ、則ち情を恣にし、欲を肆にし、諂諛を甘楽し、正諌を聞くを悪む。張良は、漢王の計画の臣なり。高祖が天子と為り、当に嫡を廃して庶を立てんとするに及び張良曰く、今日の事は、口舌の能く争ふ所に非ざるなり、と。終に敢て復た関説するところ有らず。況んや陛下功徳の盛んなる、漢祖を以て之を方ぶるに、彼は準ずるに足らず。位に即きて十有五年、聖徳光被す。今、又、高昌を平殄したるも、猶ほ安危を以て意に繋け、方に忠良を納用し、直言の道を開かんと欲す。天下の幸甚なり。〔▽一八八−九頁〕
昔、斉の桓公・管仲・鮑叔牙・*ねい戚(ねいせき)の四人飲す。桓公、叔牙に謂ひて曰く、盍ぞ寡人の為に寿せざるや、と。叔牙、觴を捧げて起ちて曰く、願はくは、公、出でて*きょ(きょ)に在りしときを忘るる無く、管仲をして、魯に束縛せられしときを忘るる無からしめ、*ねい戚(ねいせき)をして、車下に飯牛せしときを忘るる無からしめんことを、と。桓公、席を避けて再拝して曰く、寡人と二大夫と、能く夫子の言を忘るること無くんば、則ち社稷、危からざらん、と。太宗、徴に謂ひて曰く、朕、必ず敢て布衣の時を忘れざらん。公等も叔牙の人と為りを忘るるを得ざれ、と。〔▽一九〇頁〕


第三章

貞観十五年、太宗、特進魏徴に問ひて云く、朕、己に克ちて政を為し、前烈を仰止し、積徳・累仁・豊功・厚利の四者に至りては、朕皆之を行ふ。何等の優劣あるや、と。徴曰く、徳・仁・功・利は、陛下兼ねて之を行ふ。然れば則ち乱を撥めて正に反し、戎狄を除くは、是れ陛下の功なり。黎元を安堵し、各々生業有るは、是れ陛下の利なり。此に由りて之を言へば、功利は多きに居る。惟だ徳と仁とは、願はくは陛下自ら彊めて息まざれば、必ず致す可きなり、と。〔▽一九二頁〕


第四章

貞観十七年、太宗、侍臣に謂ひて曰く、古より草創の主、子孫に至りて乱多きは、何ぞや、と。司空房玄齢曰く、此れ、幼主は深宮に生長し、少くして富貴に居るが為めに、未だ嘗て人間の情偽、理国の安危を識らず。政を為すこと乱多き所以なり、と。〔▽一九三頁〕
太宗曰く、公の意は、過を主に推す。朕は則ち罪を臣に帰す。夫れ功臣の子弟は、多く才行無く、祖父の資蔭に藉りて、遂に大官に処り、徳義、修まらず、奢縦を是れ好む。主、既に幼弱にして、臣、又不才、顛るるも扶けず。豈に能く乱無からんや。隋の煬帝、宇文述が藩に在りしときの功を録して、化及を高位に擢づ。報効を思はず、翻つて殺逆を行へり。此れ豈に臣下の過に非ずや。朕が此の言を発するは、公等が子弟を戒勗し、愆犯無からしめんことを欲す。即ち国家の慶なるのみ、と。〔▽一九四頁〕
太宗、又曰く、化及と楊玄感とは、即ち隋の大臣にして、恩を受くること深き者なり。子孫皆反す。其の故は何ぞや、と。岑文本対へて曰く、君子は乃ち能く徳を懐ひ、小人は恩を荷ふこと能はず。玄感・化及の徒は。竝びに小人なり。古人、君子を貴びて小人を賎しむ所以なり、と。太宗曰く、然り、と。〔▽一九五頁〕



論択官第七
第一章

貞観元年、太宗、房玄齢等に謂ひて曰く、理を致すの本は、惟だ審かに才を量り職を授け、務めて官員を省くに在り。故に書に称す、官に任ずるは惟だ賢才をせよ、と。又云ふ、官は必ずしも備へず、惟だ其の人をせよ、と。孔子曰く、官事、必ずしも摂せず、焉んぞ倹と称するを得ん、と。若し其の善なる者を得ば、少しと雖も亦足らん。其の不善なる者は、縦ひ多きも亦何をか為さん。古人も亦、官に其の才を得ざるを以て、地に画きて餅を為すも食ふ可からざるに比するなり。卿宜しく詳かに此の理を思ひ、庶官の員位を量定すべし、と。〔▽一九六頁〕
玄齢等是に由りて置く所の文武官、総べて六百四十三員とす。太宗、之に従ふ。因りて玄齢に謂ひて曰く、此より儻し楽工雑類、仮使、術、儕輩に逾ゆる者有るも、只だ特に銭帛を賜ひて以て其の能を称す可し。必ず官爵を超授して、夫の朝賢君子と肩を比べて立ち、坐を同じくして食ひ、諸の衣冠をして以て恥累と為さしむ可からざるなり、と。〔▽一九七頁〕


第二章

貞観二年、太宗、侍臣に謂ひて曰く、朕、毎夜、恒に百姓間の事を思ひ、或は夜半に至るまで寐ねず。惟だ都督・刺史の、百姓を養ふに堪ふるや否やを恐る。故に屏風の上に於て、其の姓名を録し、坐臥恒に看る。官に在りて、如し善事有らば、亦、具に名下に列ぬ。朕、深宮の中に居りて、視聴、遠きに及ぶこと能はず。委むる所の者は、惟だ都督・刺史のみ。此の輩は実に理乱の繋る所なり。尤も須く人を得べし、と。〔▽一九八頁〕


第三章

貞観二年、上、尚書右僕射封徳彝に謂ひて曰く、安きを致すの本は、惟だ人を得るに在り。比来、卿をして賢を挙げしむるに、未だ嘗て推薦する所有らず。天下の事は重し、卿、宜しく朕が憂労を分つべし。卿既に言はずんば、朕将た安くにか寄せん、と。対へて曰く、臣愚豈に敢て情を尽くさざらんや。但だ今の見る所、未だ奇才異能有らず、と。上曰く、前代の明王、人を使ふこと器の如くす。才を異代に借らずして、皆、士を当時に取る。豈に伝説を夢み、呂尚に逢ふを待ちて、然る後に、政を為さんや。何の代か賢無からん。但々遺して知らざるを患ふるのみ、と。徳彝慙赧して退く。〔▽一九九−二〇〇頁〕


第四章

貞観二年、太宗、房玄齢・杜如晦に謂ひて曰く、卿は僕射たり。当に朕の憂を助け、耳目を広開し、賢哲を求訪すべし。比聞く、卿等、詞訟を聴受すること、日に数百有りと。此れ即ち符牒を読むに暇あらず、安んぞ能く朕を助けて賢を求めんや、と。因りて尚書省に勅し、細務は皆左右丞に付し、惟だ冤滞の大事の、合に聞奏すべき者のみ、僕射に関せしむ。〔▽二〇一頁〕


第五章

貞観三年、太宗、吏部尚書杜如晦に謂ひて曰く、比、吏部の人を択ぶを見るに、惟だ其の言詞刀筆のみを取り、其の景行を悉さず。数年の後、悪跡始めて彰はれ、刑戮を加ふと雖も、而も百姓已に其の弊を受く。如何して善人を獲可き、と。〔▽二〇二頁〕
如晦対へて曰く、両漢の人を取る、皆、行、郷閭に著れ、然る後に入れ用ふ。故に当時、号して多士と為す。今、毎年選集し、数千人に向なんとす。厚貎飾詞、知悉す可からず。選司但だ其の階品を配するのみ。才を得る能はざる所以なり、と。上乃ち将に漢家の法に依りて、本州をして辟召せしめんとす。会々功臣等、将に世封を行はんとし、其の事遂に止む。〔▽二〇三頁〕


第六章

貞観六年、上、魏徴に謂ひて曰く、古人云ふ、王者は須く官の為めに人を択ぶべし。造次に即ち用ふ可からざ、と。朕、今、一事を行へば、則ち天下の観る所と為り、一言を出せば、則ち天下の聴く所と為る。徳好の人を用ふれば、善を為す者皆勧む。誤りて悪人を用ふれば、不善の者競い進む。賞、其の労に当れば、功無き者自ら退く。罰、其の罪に当れば、悪を為す者誡懼す。故に知る、賞罰は軽々しく行ふ可からず、人を用ふることは弥々須く慎んで択ぶべし、と。〔▽二〇四頁〕
徴対へて曰く、人を知るの事は、古より難しと為す。故に績を考へて黜陟し、其の善悪を察す。今、人を求めんと欲せば、必ず須く審かに其の行を訪ふべし。若し其の善を知りて然る後に之を用ひば、縦ひ此の人をして事を済す能はざらしむとも、只だ是れ才力の及ばざるにて、大害を為さざらん。誤りて悪人を用ひば、縦し強幹ならしめば、患を為すこと極めて多からん。但だ乱代は惟だ其の才を求めて、其の行を顧みず。太平の時は必ず才行倶に兼ぬるを須ちて、始めて之を任用す可し、と。〔▽二〇五頁〕


第七章

貞観十一年、侍御史馬周、上疏して曰く、天下を理むる者は、人を以て本と為す。百姓をして安楽ならしめんと欲せば、惟だ刺史と県令とのみに在り。今、県令既に衆く、皆賢なる可からず。若し毎州、良刺史を得ば、則ち合境蘇息せん。天下の刺史、悉く聖意に称はば、則ち陛下、巌廊の上に端拱す可く、百姓、安からざるを慮らざらん。古より、郡守・県令、皆、賢徳を妙選す。遷擢して宰相と為す有らんと欲すれば、必ず先づ試みるに人に臨むを以てす。或は二千石より、入りて丞相及び司徒・大尉と為る者多し。朝廷は必ず独り内官のみを重んじ、刺史・県令は、遂に其の選を軽くす可からず。百姓の未だ安からざる所以は、殆ど此に由る、と。太宗因りて侍臣に謂ひて曰く、刺史は朕当に自ら簡択すべし。県令は京官の五品以上に詔して、各々一人を挙げしめよ、と。〔▽二〇六−七頁〕


第八章

貞観十一年、治書侍御史*劉き(りゅうき)上疏して曰く、臣聞く、尚書の万機は、寔に政の本と為す、と。伏して尋ぬるに、此の選は、授受誠に難し。是を以て、八座は文昌に比べ、二丞は管轄に方ぶ。爰に曹郎に至るまで、上、列宿に膺る。苟くも職に称ふに非ざれば位を竊み譏りを興す。伏して見るに、比来、尚書省、詔勅稽停し、文案擁滞す。臣誠に庸劣なれども、請ふ其の源を述べん。〔▽二〇八頁〕
貞観の初、未だ令僕有らず。時に省務繁雑なること、今に倍多す。而して左丞載冑・右丞魏徴、竝びに吏方に暁達し、質性平直にして、事の当に弾挙すべきは、廻避する所無し。陛下又仮すに恩慈を以てし、自然に物を粛せり。百司、懈らざりしは、抑も此に之れ由れり。杜正倫が続ぎて右丞に任ずるに及びて、頗る亦下を励ませり。〔▽二〇九頁〕
比者、綱維、挙がらざるは、竝びに勲親、位に在り、器、其の任に非ず、功勢相傾くるが為なり。凡そ官僚に在るもの、未だ公道に循はず、自ら強めんと欲すと雖も、先づ囂謗を懼る。所以に郎中の与奪、惟だ諮稟を事とす。尚書依違して、断決する能はず。或は聞奏を憚り、故らに稽延を事とす。案、理窮まると雖も、仍ほ更に盤下す。去ること程限無く、来ること遅きを責めず。一たび手を出すを経れば、便り年載を渉る。或は旨を希ひて情を失ひ、或は嫌を避けて理を抑ふ。勾司、案成るを以て事畢ると為し、是非を究めず。尚書、便僻を用て奉公と為し、当不を論ずる莫し。互に相姑息し、惟だ弥縫を事とす。且つ衆を選び能に授くること、才に非ざれば挙ぐる莫し。天工、人代る。焉んぞ妄りに加ふ可けんや。懿戚・元勲に至りては、但だ宜しく其の礼秩を優にすべし。或は年高くして耄及び、或は病積み智昏きは、既に時に益無し、宜しく当に之を致すに閑逸を以てすべし。。久しく賢路を妨ぐるは、殊に不可なりと為す。〔▽二一〇頁〕
将に茲の災弊を救はんと欲せば、且つ宜しく尚書左右丞及び左右司郎中を精簡すべし。如し竝びに人を得ば、自然に綱維備に挙がらん。亦当に趨競を矯正すべし。豈に惟だ其の稽滞を息むるのみならんや、と。疏奏す。尋いで*き(き)を以て尚書右丞と為す。〔▽二一二頁〕


第九章

貞観十三年、太宗、侍臣に謂ひて曰く、朕聞く、太平の後には、必ず大乱有り、大乱の後には、必ず太平有り、と。大乱の後を承くるは、則ち是れ太平の運なり。能く天下を安んずる者は、惟だ賢才に在り。公等、既に賢を知る能はず、朕、又、遍く知る可からず。日復た一日、人を得るの理無し。今、人をして自ら挙げしめんと欲す。事に於て如何、と。魏徴曰く、人を知る者は智、自ら知る者は明なり。人を知ること既に以て難しと為す。自ら知ること誠に亦易からず。且つ愚暗の人、皆、能に矜り善に伐る。恐らくは澆競の風を長ぜん。自ら挙げしむ可からず、と。〔▽二一三頁〕


第十章

貞観十四年、特進魏徴、上疏して曰く、臣聞く、臣を知るは君に若くは莫く、子を知るは父に若くは莫し、と。父、其の子を知る能はざれば、則ち以て一家を睦まじくする無し。君、其の臣を知る能はざれば、則ち以て万国を斉しくする無し。万国咸寧く、一人、慶有るは、必ず、惟れ良、弼と作るに藉る。俊乂、官に在れば、則ち庶績其れ煕まり、無為にして化す。故に尭舜文武、前載に称せらるるは、咸、人を知るは則ち哲なるを以てなり。多士、朝に盈ち、元凱、巍巍の功を翼け、周邵、煥乎の美を光にす。然れば則ち四岳・九官・五臣・十乱は、豈に惟だ之を嚢代に生じて、独り当今に無き者ならんや。求むると求めざると、好むと好まざるとに在るのみ。〔▽二一四頁〕
何を以て之を言ふ。夫れ美玉明珠、孔翠犀象、大宛の馬、西旅の*ごう(ごう)は、或は足無きなり、或は情無きなり、八荒の表に生れ、途、万里の外に遥なるに、重訳入貢し、道路、絶えざる者は、何ぞや。蓋し中国の好む所なるに由るなり。況んや従仕する者、君の栄を懐ひ、君の禄を食む。之を率ゐて与に義を為せば、将た何くに往くとして至らざらんや。〔▽二一六頁〕
臣以為へらく、之と与に忠を為せば、則ち龍逢・比干に同じからしむ可し。之と共に孝を為せば、曾参・子騫に同じからしむ可し。之と与に信を為せば尾生・展禽に同じからしむ可し。之と共に廉を為せば、伯夷・叔斉に同じからしむ可し、と。然れども今の群臣、能く貞白卓異なる者罕なるは、蓋し之を求むること切ならず、之を励ますこと未だ精ならざるが故なり。若し之を勗むるに忠公を以てし、之を期するに遠大を以てし、各々分職有りて、其の道を行ふを得、貴ければ則ち其の挙ぐる所を観、富みては則ち其の与ふる所を観、居りては則ち其の好む所を観、学べば則ち其の言ふ所を観、窮すれば則ち其の受けざる所を観、賎しければ則ち其の為さざる所を観、其の材に因りて之を取り、其の能を審かにして以て之に任じ、其の長ずる所を用ひ、其の短なる所を掩ひ、之を進むるに六正を以てし、之を戒むるに六邪を以てせば、則ち厳ならずして而も自ら励み、勧めずして而も自ら勉めん。〔▽二一七頁〕
故に説苑に曰く、人臣の行に、六正有り、六邪有り。六正を修むれば則ち栄え、六邪を犯せば則ち辱めらる。何をか六正と謂ふ。一に曰く、萌芽未だ動かず、形兆未だ見はれざるに、照然として独り存亡の機を見て、豫め未然の前に禁じ、主をして超然として顕栄の処に立たしむ。此の如き者は聖臣なり。二に曰く、虚心白意にして、善に進み道に通じ、主を勉めしむるに礼義を以てし、主を喩すに長策を以てし、其の美を将順し、其の悪を匡救す。此の如き者は良臣なり。三に曰く、夙に興き夜に寐ね、賢を進めて懈らず、数々往古の行事を称して、以て主の意を励ます。此の如き者は忠臣なり。四に曰く、明かに成敗を察し、早く防ぎて之を救ひ其の間を塞ぎ、其の源を絶ちて、禍を転じて以て福と為し、君をして終に已に憂無からしむ。此の如き者は智臣なり。五に曰く、文を守り法を奉じ、官に任じ事を職り、禄を辞し賜を譲り、衣食節倹す。此の如き者は貞臣なり。六に曰く、国家昏乱するとき、為す所、諛はず、敢て主の厳顔を犯し、面のあたり主の過失を言ふ。此の如き者は直臣なり。是を六正と謂ふ。〔▽二一八−九頁〕
何をか六邪と謂ふ。一に曰く、官に安んじ禄を貪り、公事を務めず、代と沈浮し、左右観望す。此の如き者は具臣なり。二に曰く、主の言ふ所は、皆、善しと曰ひ、主の為す所は、皆、可なりと曰ひ、隠して主の好む所を求めて之を進め、以て主の耳目を快くし、偸合苟容し、主と楽を為し、其の後害を顧みず。此の如き者は諛臣なり。三に曰く、中実は*険ぴ(けんぴ)にして外貎は小謹、言を巧にし色を令くし、善を妬み賢を嫉み、心に進めんと欲する所は、則ち其の美を明かにして其の悪を隠し、退けんと欲する所は、則ち其の過を揚げて其の美を匿し、主をして賞罰、当らず、号令、行はれざらしむ。此の如き者は奸臣なり。四に曰く、智は以て非を飾るに足り、弁は以て説を行ふに足り、内、骨肉の親を離し、外、乱を朝廷に構ふ。此の如き者は讒臣なり。五に曰く、権を専らにして勢を擅にし、以て軽重を為し、私門、黨を成し、以て其の家を富まし、擅に主命を矯め、以て自ら貴顕にす。此の如き者は賊臣なり。六に曰く、主に諂ふに佞邪を以てし、主を不義に陥れ、朋黨比周して、以て主の明を蔽ひ、白黒、別無く、是非、間無く、主の悪をして境内に布き、四隣に聞えしむ。此の如き者は亡国の臣なり。是を六邪と謂ふ。賢臣は六正の道に処り、六邪の術を行はず。故に上安くして下治まる。生けるときは則ち楽しまれ、死するときは則ち思はる。此れ人臣の術なり、と。〔▽二二〇−一頁〕
礼記に曰く、権衡誠に懸かれば、欺くに軽重を以てす可からず。縄墨誠に陳すれば、欺くに曲直を以てす可からず。規矩誠に設くれば、欺くに方円を以てす可からず。君子、礼を審かにすれば、誣ふるに姦詐を以てす可からず、と。然れば則ち臣の情偽は、之を知ること難からず。又、礼を設けて以て之を待し、法を執りて以て之を禦し、善を為す者は賞を蒙り、悪を為す者は罰を受けば、安んぞ敢て企及せざらんや、安んぞ敢て力を尽くさざらんや。国家、忠良を進め不肖を退けんと欲するを思ふこと、十有余載なり。〔▽二二三頁〕
若し賞、疎遠を遺れず、罰、親貴に阿らず、公平を以て規矩と為し、仁義を以て準縄と為し、事を考へて以て其の名を正し、名に循ひて以て其の実を求めば、則ち邪正、隠るる莫く、善悪自ら分れん。然る後、其の実を取りて、其の華を尚ばず、其の厚きに処りて、其の薄きに居らずんば、則ち言はずして化せんこと、朞月にして知る可きなり。若し徒らに美錦を愛して製せず、人の為めに官を択び、至公の言有りて、至公の実無く、愛すれば則ち其の悪を知らず、憎みて遂に其の善を忘れ、私情に徇ひて以て邪佞を近づけ、公道に乖きて忠良を遠ざくれば、則ち夙夜怠らず、神を労し思を苦しめ、将に至治を求めんとすと雖も、得可からざるなり、と。太宗、甚だ之を嘉納す。〔▽二二四頁〕


第十一章

貞観二十一年、太宗、翠微宮に在り、司農卿李緯に戸部尚書を授く。房玄齢、是の時、京城に留守たり。会々京師より来る者有り。太宗問ひて云く、玄齢、李緯が尚書に拝せらるるを聞きて、如何、と。対へて曰く、玄齢但だ李緯は大好髭鬚と云ひ、更に他の語為し、と。是に由りて遽かに改めて緯に洛州の刺史を授く。〔▽二二六頁〕



論封建第八
第一章

貞観元年、中書令房玄齢を封じて刑国公と為し、兵部尚書杜如晦を蔡国公と為し、吏部尚書長孫無忌を斉国公と為し、竝びに第一等と為し、実封千三百戸なり。皇従父淮安王神通、上言すらく、義旗初めて起るや、臣、兵を率ゐて先づ至れり。今、房玄齢・杜如晦等は、刀筆の人、功、第一に居る。臣、竊に服せず、と。〔▽二二七頁〕
太宗曰く、国家の大事は、惟だ賞と罰とのみ。若し、賞、其の労に当れば、功無き者自ら退く。罰、其の罪に当れば、悪を為す者戒懼す。則ち賞罰は軽々しく行ふ可からざるを知る。今、勲を計りて賞を行ふ。玄齢等は、帷幄に籌謀し、社稷を画定するの功有り。漢の蕭何は、馬に汗すること無しと雖も、蹤を指し轂を推す、故に功第一に居るを得る所以なり。叔父は国に於て至親なり。誠に愛惜する所無し。但だ私に縁りて濫りに勲臣と賞を同じくす可からざるを以てなり、と。是に由りて諸功臣自ら相謂ひて曰く、陛下、至公を以て賞を行ひ、其の親に私せず。吾が属何ぞ妄りに訴ふ可けんや、と。〔▽二二八頁〕
初め高祖、宗正の籍を挙げ、弟姪・再従・三従の孩童已上、王に封ぜらるる者数十人なり。是の日に至りて、太宗、群臣に謂ひて曰く、両漢より已降、惟だ子及び兄弟のみを封ず。其の疏遠なる者は、大功有ること漢の賈・択の如きに非ざれば、竝びに封を受くるを得ず。若し一切、王に封じ、多く力役を給せば、乃ち是れ万姓を労苦せしめて、以て己の親族を養ふなり、と。是に於て、宗室の先に郡王に封ぜられ、其の間に功無き者は、皆降して郡公と為す。〔▽二二九−三〇頁〕


第二章

貞観十一年、太宗以へらく、周は子弟を封じて、八百余年、秦は諸侯を罷めて、二世にして滅ぶ。呂后、劉氏を危くせんと欲するも、終に宗室に頼りて安きを獲たり。親賢を封建するは、当に是れ子孫長久の道なるべし、と。乃ち制を定め、子弟、荊州の都督荊王元景・安州の都督呉王恪等二十一人を以て、又、功臣、司空趙州の刺史長孫無忌・尚書左僕射宋州の刺史房玄齢等一十四人を以て、竝びに世襲刺史と為す。〔▽二三一頁〕
礼部侍郎李百薬、奏論して以て世封の事を駁して曰く、臣聞く、国を経し民を庇ふは、王者の常制、主を尊び上を安んずるは、人情の大方なり。治定の規を闡きて、以て長世の業を弘めんとする者は、万古、易はらず、百慮、帰を同じくす。然れども命暦に促の殊なる有り、邦家に治乱の異なる有り。遐く載籍を観るに、之を論ずること詳かなり。〔▽二三二頁〕
咸云ふ、周は其の数に過ぎ、秦は期に及ばず。存亡の理は、郡国にあり。周氏は以て夏殷の長久に鑒み、唐虞の竝び建つるに遵ひ、維城盤石、根を深くし本を固くし、王綱弛廃すと雖も、而も枝幹相持す。故に逆節をして生ぜず。宗祀をして絶えざらしむ。秦氏は古を師とするの訓に背き、先王の道を棄て、華を剪り険を恃み侯を罷め守を置き、子弟、尺土の邑無く、兆庶、治を共にするの憂罕なり。故に一夫号呼して、七廟*きZ(きひ)す、と。〔▽二三三頁〕
臣以為へらく、古より皇王、宇内に君臨するは、命を上玄に受け、名を*帝ろく(ていろく)に飛ばし、締構、興王の運に遇ひ、殷憂、啓聖の期に属せざるは莫し。魏武の攜養の資、漢高の徒役の賎と雖も、止だ意に覬覦あるのみに非ず、之を推すも亦去る能はざるなり。若し其れ獄訟、帰せず、菁華已に竭くれば、帝尭の四表に光被し、大舜の上七政を斉ふと雖も、止だ情に揖譲を存するのみに非ず、之を守るも亦固くす可からざるなり。放勲・重華の徳を以てすら、尚ほ克く厥の後を昌にする能はず。是に知る、祚の長短は、必ず天時に在り、政或は盛衰するは、人事に関る有るを。〔▽二三四頁〕
隆周、世を卜すること三十、年を卜すること七百。淪胥の道斯に極まると雖も、文武の器猶ほ存す。斯れ則ち亀鼎の祚、已に懸に杳冥に定まるなり。南征して反らず、東遷して逼を避け、*いん祀(いんし)、綫の如く、郊畿守らざらしむるに至りては、此れ乃ち陵夷の漸、封建に累はさるる有り。暴秦、運、閏余に距り、数、百六に鍾る。受命の主、徳、禹湯に異なり、継世の君、才、啓誦に非ず。借ひ李斯・王綰の輩をして、咸く四履を開き、将閭・子嬰の徒をして、倶に千乗を啓かしむとも、豈に能く帝子の勃興に逆ひ、龍顔の基命に抗する者ならんや。〔▽二三六頁〕
然れば則ち得失成敗、各々由る有り。而るに著述の家、多く常轍を守り、情、今古を忘れ、理、澆淳に蔽はれざるは莫く、百王の李を以て、三代の法を行ひ、天下五服の内、尽く諸侯を封じ、王畿千里の間、倶に菜地と為さんと欲す。是れ則ち結縄の化を以て、虞夏の朝に行ひ、象刑の典を用つて劉曹の末を治むるなり。紀綱の弛紊すること、断じて知る可し。船に*きざ(きざ)みて剣を求む、未だ其の可なるを見ず。柱に膠して文を成す。弥々惑ふ所多し。徒らに、鼎を問ひ隧を請ひ、勤王の師を懼るる有り、白馬素車、復た藩籬の援無きを知り、望夷の釁、未だ*げいさく(げいさく)の災よりも甚だしからざるを悟らず。高貴の殃、寧ぞ申繪の酷に異ならんや。此れ乃ち欽明昏乱、自ら安危を革むるなり。固に守宰公侯の、以て興廃を成すに非ず。且つ数世の後、王室*ようや(ようや)く微なること、藩屏より始まり、化して仇敵と為り、家、俗を殊にし、国、政を異にし、強、弱を陵ぎ、衆、寡を暴し、*疆えき(きょうえき)彼此、干戈侵伐し、狐駘の役、女子尽く*ざ(ざ)し、*こう陵(こうりょう)の師、隻輪、反らず。斯れ蓋し略ぼ一隅を挙ぐ。其の余は勝げて数ふべからず。〔▽二三七−八頁〕
陸士衡、方に規規然として云ふ、嗣王、其の九鼎を委て、凶族、其の天邑に拠る。天下晏然として、治を以て乱を待つ、と。何ぞ斯の言の謬まれるや。而して官を設け職を分ち、賢に任じ能を使ひ、循良の才を以て、共治の寄に膺る。刺挙、竹を分つ、何の世にか人無からん。地をして或は祥を呈し、天をして宝を愛まず、民をして父母を称し、政をして神明に比せしむるに至る。〔▽二四一頁〕
曹元首、方に区区然として称す、人と其の楽を共にする者は、人必ず其の憂を分ち、人と其の安きを同じくする者は、人必ず其の危きを拯ふ、と。豈に以て侯伯とせば、則ち其の安危を同じくし、之を牧宰に任ずれば、則ち其の憂楽を殊にす容けんや。何ぞ斯の言の妄なるや。封君列国、慶を門資に藉りて、其の先業の艱難を忘れ、其の自然の崇貴を軽んじ、世々淫虐を増し、代々驕侈を益さざるは莫く、離宮別館、漢に切し雲を凌ぎ、或は、人力を刑して将に尽きんとし、或は諸侯を召して共に楽す。陳霊は則ち君臣、霊に悖り、共に徴舒を侮り、衛宣は則ち父子、*ゆう(ゆう)を聚にし、終に寿・朔を誅す。乃ち云ふ、己が為めに治を思ふ、と。豈に是の若くならんや。〔▽二四二−三頁〕
内下の群官、選ぶこと朝廷よりし、士庶を擢でて以て之に任じ、水鏡を澄まして以て之を鑒し、年労、其の階品を優にし、考績、其の黜陟を明かにす。進取、事切に、砥砺、情深く、或は俸禄、私門に入らず、妻子、官舎に之かず、班條の貴き、食、火を挙げず、割符の重き、衣、惟だ補葛、南陽の太守、弊布、身を裹み、莱蕪の県長、凝塵、甑に生ず。専ら云ふ、利の為めに物を図る、と。何ぞ其れ爽へるや。〔▽二四四−五頁〕
総べて之を云ふに、爵は世及に非ざれば、賢を用ふるの路斯れ広し。民に定主無ければ、下を附くるの情、固からず。此れ乃ち愚智の弁ずる所なり。安んぞ惑ふ可けんや。国を滅ぼし君を殺し、常を乱り紀を干すが如きに至りては、春秋二百年の間、略ぼ寧才無し。次*すい(すい)咸秩し、遂に玉帛の君を用ふ。魯道、蕩たる有り、毎に衣裳の会に等し。縦使西官の哀平の際、東洛の桓霊の時、下吏の淫暴なるも、必ず此に至らず。政を為すの理、一言を以て焉を蔽ふ可し。〔▽二四六頁〕
伏して惟みるに、陛下、紀を握り天を御し、期に膺り聖を啓き、億兆の焚溺を救ひ、*氛しん(ふんしん)寰区より掃ひ、業を創め統を垂れ、二儀に配して以て徳を立て、号を発し令を施し、万物に妙にして言を為す。独り神衷に照らし、永く前古を懐ひ、将に五等を復して旧制を修め、万国を建てて以て諸侯を親しまんとす。〔▽二四七頁〕
竊かに以ふに、漢魏より以還、余風の弊未だ尽きず、勲華既に往き、至公の道斯に革まる。況んや晋氏、馭を失ひ、宇県崩離す。後魏、時に乖き、華夷雑処す。重ぬるに関河分阻し、呉楚県隔するを以てす。文を習ふ者は長短縦横の術を学び、武を習ふ者は干戈戦争の心を尽くす。畢く狙詐の階と為し、弥々澆浮の俗を長ず。開皇の運に在るや、外家に因藉し、群英を臨御し、雄猜の数に任じ、坐ながら時運を移し、克定の功に非ず。年、二紀を踰ゆるも、人、徳を見ず。大業の文に嗣ぐに及びて、世道交々喪ひ、一人一物、地を掃ひて将に尽きんとす。天縦の神武、冦虐を削平すと雖も、兵威、息まず、労止未だ康からず。陛下、慎んで聖慈に順ひ、嗣ぎて宝暦に膺りてより、情深く治を致さんとし、前王を綜覈す。至道は名づくる無く、言象の絶ゆる所なりと雖も、略ぼ梗概を陳ぶるは、実に庶幾ふ所なり。〔▽二四八頁〕
愛敬蒸蒸として、労して倦まざるは、大舜の孝なり。安を内豎に訪ひ、親ら御膳を嘗むるは文王の徳なり。憲司が罪を*げつ(げつ)し、尚書が獄を奏する毎に、大小必ず察し、枉直咸く挙げ、断趾の法を以て、大辟の刑に易へ、仁心陰惻、幽顕に貫徹するは、大禹の辜に泣けるなり。色を正し言を直くし、心を虚しくして受納し、鄙訥を簡せにせず、芻蕘を棄つる無きは、帝尭の諌を求むるなり。弘く名教を奨め、学徒を観励し、既に明経を青紫に擢で、正に碩儒を卿相に升せんとするは、聖人の善く誘ふなり。〔▽二四九−五〇頁〕
群臣、宮中暑湿にして、寝膳或は乖くを以て、徙りて高明に御し、一小閣を営まんことを請ふ。遂に家人の産を惜み、竟に子来の願を抑へ、陰陽の感ずる所を吝まず、以て卑陋の居に安んず。頃歳霜倹、普天饑饉、喪乱甫めて爾り、倉廩空虚なり。聖情矜愍し、勤めて賑恤を加へ、竟に一人の道路に流離するもの無し。猶ほ且つ食は惟れ*藜かく(れいかく)楽は*しゅんきょ(しゅんきょ)を徹し、言は必ず悽動し、貎は*く痩(くそう)を成す。〔▽二五一頁〕
公旦は重訳を喜び、文命は其の即叙を矜る。陛下、四夷款附し、万里仁に帰するを見る毎に、必ず退きて思ひ、進みて省み、神を凝らし慮を動かし、妄りに中国を労して、以て遠方を求めんことを恐れ、万古の英声を藉らずして、以て一時の茂実を存し、心、憂労に切に、跡、遊幸を絶つ。毎旦、朝を視、聴受、倦むこと無く、智は万物に周く、道は天下を済ふ。朝を罷むるの後、名臣を引き進めて、是非を討論し、備に肝膈を尽くし、惟だ政事に及びて更に異辞無し。纔に日昃くに及べば、必ず才学の師に命じて、賜ふに静閑を以てし、高く典籍を談じ、雑ふるに文詠を以てし、間ふるに玄言を以てす。乙夜、疲るるを忘れ、中宵まで寐ねず。此の四道は、独り往初に邁ぐ。斯れ実に生民より以来、一人のみ。〔▽二五二頁〕
茲の風化を弘め、昭かに四方に示す。信に朞月の間を以て、天壌を弥綸す可し。而るに淳粋尚ほ阻たり、浮詭未だ移らず。此れ習の永久に由り、以て卒に変じ難きなり。請ふ、琢雕を朴と成し、質を以て文に代へ、刑措くの教一たび行はれ、登封の礼云に畢るを待ちて、然る後、疆理の制を定め、山河の賞を議せんこと、未だ晩しと為さず。易に称す、天地の盈虚は、時と消息す、況んや人に於てをや、と。美なるかな斯の言や、と。〔▽二五四頁〕
中書人馬周、又上疏して曰く、伏して詔書を見るに宗室勲賢をして、藩部に鎮と作り、厥の子孫に貽し、嗣ぎて其の政を守らしめ、大故有るに非ずんば、黜免すること或る無からん、と。臣竊かに惟みるに、陛下、之を封植するは、誠に之を愛し之を重んじ、其の胤裔承守し、国と与に疆無からんことを欲するなり。臣以為へらく、詔旨の如くならば、陛下宜しく之を安存し、之を富貴にする所以を思ふべし。然らば則ち何ぞ世官を用ひんや。〔▽二五五頁〕
何となれば則ち尭舜の父を以て、猶ほ朱均の子有り。況んや此より下る以還にして、而も父を以て兒を取らんと欲せば、恐らくは之を失ふこと遠からん。儻し孩童の職を嗣ぐ有りて、万一驕恣なれば、則ち兆庶、其の殃を被りて、国家、其の敗を受けん。政に之を絶たんと欲するや、則ち子文の治猶ほ在り。政に之を留めんと欲するや、而ち欒黶の悪已に彰はる。其の見存の百姓を毒害せんよりは、則ち寧ろ恩を已亡の一臣に割かしめんこと明かなり。〔▽二五六頁〕
然らば則ち向の所謂之を愛するは、乃ち適に之を傷ふ所以なり。臣謂ふに宜しく賦するに茅土を以てし、其の戸邑を疇しくし、必ず材行有りて、器に随ひて方に授くべし。則ち其の*翰かく(かんかく)強きに有らずと雖も、亦、以て尤累を免るるを獲可し。昔、漢の光武、功臣に任ずるに吏事を以てせず。其の世を終全する所以は、良に其の術を得たるに由るなり。願はくは陛下、深く其の宜を思ひ、夫をして大恩を奉ずるを得て、子孫をして其の福禄を終へしめんことを、と。太宗竝びに其の言を嘉納す。是に於て、竟に子弟及び功臣の刺史を世襲するを罷む。〔▽二五七頁〕



貞観政要巻第四〔▽二五九頁〕
論太子諸王定分第九
第一章

貞観七年、蜀王恪に斉州の都督を授く。太宗、侍臣に謂ひて曰く、父子の情、豈に常に相見るを欲せざらんや。但だ家国、事殊なる。須く出して藩屏と作し、且つ其をして早く定分有らしめ、覬覦の心を絶ち、我が百年の後、其の兄に事へて危亡の慮無からしむべきなり、と。〔▽二五九頁〕


第二章

侍御史馬周、貞観十一年、上疏して曰く、漢晋より已来、諸王、皆、樹置宜しきを失ひ、豫め定分を立てざるが為めに、以て滅亡に至る。人主、其の然るを熟知す。但だ私愛に溺る。故に前車既に覆れども、後車をして輒を改めざらしむるなり。今、諸王、寵遇の恩を承くること、厚きに過ぐる者有り。臣の愚慮、惟だ其の恩を恃みて驕矜するを慮るのみならざるなり。〔▽二六〇頁〕
昔、魏の武帝、陳思を寵樹す。文帝、位に即くに及びて、防守禁閉、獄囚に同じき有り。先帝が恩を加ふること太だ多きを以て、故に嗣主、疑ひて之を畏るるなり。此れ則ち武帝の陳思を寵するは、適に之を苦しむる所以なり。且つ帝子は何ぞ富貴ならざるを患へん。身、大国を食み、封戸、少からず。好衣美食の外、又何の須むる所あらん。而して毎年、別に優賜を加ふること、曾て紀極無し。俚語に曰く、貧は倹を学ばず、富は奢を学ばず、と。自然なるを言ふなり。今、陛下、大聖を以て業を創む。豈に惟だ見在の子弟処置するのみならんや。当に須く長久の法を制し、万代をして遵行せしむべし、と。疏奏す。太宗甚だ之を嘉し、物三百段を賜ふ。〔▽二六一頁〕


第三章

貞観十三年、諌議大夫*ちょ遂良(ちょすいりょう)、毎月特に魏王泰の府に料物を給すること皇太子に逾ゆる有るを以て、上疏して諌めて曰く、昔、聖人、礼を制するや、嫡を尊び庶を卑しみ、之を儲君と謂ふ。道、霄極に亜ぎ、甚だ崇重と為す。物を用ふること計らず、泉貨財帛、王者と之を共にす。庶子は体卑し。例と為すを得ず。嫌疑の漸を塞ぎ、禍乱の源を除く所以なり。而して先王必ず人情に本づきて、然る後法を制す。国家を有つに必ず嫡庶有るを知る。然して庶子は愛すと雖も、嫡子の正体に超越し、特に尊崇を須ふるを得ず。如し明かに定分を立つる能はず、遂に当に親しかるべき者をして疎く、当に尊かるべき者をして卑しからしめば、則ち邪佞の徒、機を承けて動かん。私恩、公を害し、或は国を乱るに至らん。〔▽二六三頁〕
臣愚、伏して見るに、儲后の料物、翻つて魏王より少く、朝見野聞、以て是と為さず。伝に曰く、子を愛すれば、之に教ふるに義方を以てす、と。忠孝恭倹は、義方の謂ひなり。昔、漢の竇太后及び景帝、遂に梁の孝王を驕恣ならしめ、四十余城に封じ、苑は方三百里、大いに宮室を営み、複道弥望し、財を積むこと鉅万計入るに警し出づるに蹕す。小しく意を得ず、病を発して死せり。〔▽二六四頁〕
且つ魏王既に新に閤を出づ。伏して願はくは、恒に礼訓を存し、師伝を妙択し、其の成敗を示し、既に之を敦くするに節倹を以てし、又之に勧むるに文学を以てし、惟れ忠惟れ孝、因りて之を奨め、道徳斉礼せんことを。乃ち良器と為らん。此れ謂はゆる聖人の教、粛ならずして成る者なり、と。太宗深く其の言を納れ、即日、魏王の料物を減ず。〔▽二六五−六頁〕


第四章

貞観十六年、太宗、侍臣に謂ひて曰く、当今、国家、何事か最も急なる。各々我が為めに之を言へ、と。尚書右僕射高士廉曰く、百姓を養ふこと最も急なり、と黄門侍郎*劉き(りゅうき)曰く、四夷を撫すること最も急なり、と。中書侍郎岑文本曰く、伝に称す、之を道くに徳を以てし、之を斉ふるに礼を以てす、と。斯れに由りて言へば、礼義を急と為す、と。〔▽二六六−七頁〕
諌議大夫*ちょ遂良(ちょすいりょう)曰く、即日、四方、徳を仰ぐ、誰か敢て非を為さん。但だ太子・諸王は、須く定分有るべし。陛下、宜しく万代の法を為りて、以て子孫に遺すべし。此れ最も当今の急と為す、と。〔▽二六七頁〕
太宗曰く、此の言、是なり。朕、年将に五十ならんとし、已に衰怠を覚ゆ。既に長子を以て器を東宮に守らしむ。諸弟及び庶子は、数将に四十ならんとす。心常に憂慮するは、正に此に在るのみ。但だ古より嫡庶、良無くんば、何ぞ嘗て家国を傾敗せざらんや。公等、朕の為めに賢徳を捜訪して、以て儲宮を輔け、爰に諸王に及ぶまで、咸く正士を求めよ。且つ官人の王に事ふるは、宜しく歳久しくすべからず。歳久しければ則ち分義、情深し。非意の*ゆ(きゆ)、多く此に由りて作る。其れ王府の官僚は、四考に過ぎしむる勿れ、と。〔▽二六八頁〕


第五章

貞観中、皇子の年少き者、多く授くるに、都督・刺史を以てす。諌議大夫*ちょ遂良(ちょすいりょう)、上疏して諌めて曰く、昔、両漢、郡国を以て人を理む。郡を除く以外には、諸子を分立し、土を割き疆を分ち、周制を雑へ用ふ。皇唐の郡県は、粗ぼ秦の法に依る。幼年にして或は刺史を授けらる。陛下豈に骨肉を以て四方を鎮扞せざらんや。聖人、制を造る、道、前烈に高し。〔▽二六九頁〕
臣の愚見の如きは、小しく未だ尽くさざる有り。何となれば、刺史は師帥にして、万人瞻仰して以て安し。一の善人を得れば、部内蘇息す。一の不善に遇へば、闔州労弊す。是を以て、人君、百姓を愛恤し、常に為めに賢を択ぶ。或は称す、河は九里を潤ほし、京師、福を蒙る、と。或は人、歌詠を興し、生ながら為めに祠を立つ。漢の宣帝云く、我と理を共にする者は、但だ良二千石か、と。〔▽二七〇頁〕
臣の愚見の如き、陛下の兒子の内、年歯尚ほ幼にして、未だ人に臨むに堪へざる者は、且く請ふ京師に留め、教ふるに経学を以てせん。一には則ち天の威を畏れ、敢て禁を犯さざらん。二には則ち常に朝儀を観ば、自然に成立せん。此に因りて積習し、自ら人と為るを知り、州に臨むに堪ふるを審かにして、然る後遣りて出でしめよ。〔▽二七一−二頁〕
謹みて按ずるに、漢の明・章・和三帝、能く子弟を友愛す。茲より已降、以て準的と為し、封じて諸王を立つ。各々土を有つと雖も、年尚ほ幼少なる者は、召して京師に留め、訓ふるに礼法を以てし、垂るるに恩恵を以てす。三帝の世を訖りて、諸王数十人、惟だ二王のみ稍や悪し。自余は*そん和(そんわ)染教して、皆善人と為る。此れ則ち前事已に験あり。惟だ陛下詳かに察せよ、と。太宗、之に従ふ。〔▽二七二−三頁〕



論尊師伝第十
第一章

太子少師李綱、貞観三年、脚疾有り、践履に堪へず。太宗、特に歩輿を賜ひ、三衛をして挙して東宮に入れしめ、皇太子に詔して引きて殿に上り、親ら之を拝せしむ。太だ崇重せらる。綱、太子の為めに、君臣父子の道、問寝視膳の方を陳ぶ。理順ひ辞直く、聴く者、倦むを忘る。〔▽二七三−四頁〕
太子嘗て古来の君臣の名教、忠を竭くし節を尽くす事を商略す。綱、懍然として曰く、六尺の孤を託し、百里の命を寄すること、古人以て難しと為す。綱は以て易しと為す、と。論を吐き言を発する毎に、皆、辞色慷慨し、奪ふ可からざるの志有り。太子未だ嘗て聳然として礼敬せずんばあらず。〔▽二七四−五頁〕


第二章

貞観六年、詔して曰く、朕、比、経史を尋討するに、明王・聖帝、曷ぞ嘗て師伝無からんや。前に進むる所の令、遂に三師の位を覩ず。意ふに将に未だ可ならざらんとす。何を以て然る。黄帝は太顛に学び、*せんぎょく(せんぎょく)は録図篆に学び、尭は尹寿に学び、舜は務成昭に学び、禹は西王国に学び、湯は成子伯に学び、文王は子期に学び、武王は叔に学ぶ。前代の聖人、未だ此の師に遭はざりせば、則ち功業、天下に著れず、名誉、千載に伝はらざりしならん。〔▽二七五−六頁〕
況んや朕、百王の末に接し、智、聖人に周からざるをや。其れ師伝無くんば、安んぞ以て億兆に臨む可き者ならんや。詩に云はずや、愆らず忘れず、旧章に率由す、と。夫れ学ばざれば、則ち古の道に明かならず。而も能く政、太平を致す者は、未だ之れ有らざるなり。即ち令に著して三師の位を置く可し、と。〔▽二七六頁〕


第三章

貞観八年、太宗、侍臣に謂ひて曰く、上智の人は、自ら染まる所無し。中人は恒無く、教に従ひて変ず。況んや太子の師保は、古より其の選を難んず。成王幼少なりしとき、周召、保伝と為り、左右皆賢に、日に雅訓を聞き、以て仁を長じ徳を益し、便ち聖君と為るに足る。〔▽二七七頁〕
秦の胡亥は、趙高を用ひて伝と作し、教ふるに刑法を以てす。其の位を嗣ぐに及びて、功臣を誅し、親族を殺し、酷暴、已まず。未だ踵を旋らさずして亡ぶ。故に知る、人の善悪は、誠に近習に由るを。朕、今、太子・諸王の為めに、師伝を精選し、其れをして礼度を式瞻し、裨益する所有らしめんとす。公等、正直忠臣なる者を訪ひ、各々三両人を挙ぐ可し、と。〔▽二七八頁〕


第四章

貞観十一年、礼部尚書王珪を以て、魏王の師を兼ねしむ。太宗、尚書左僕射房玄齢に謂ひて曰く、古来、帝子、深宮に生れ、其の人と成るに及びて、驕逸ならざるは無し。是を以て傾覆相踵ぎ、能く自ら済ふこと少し。我、今、厳に子弟を教へ、皆安全なるを得しめんと欲す。王珪は、我久しく駆使し、甚だ剛直にして志忠孝に存するを知り、選びて子の師と為す。卿宜しく泰に語るべし。王珪に対する毎に、我が面を見るが如く、宜しく尊敬を加ふべく、懈怠するを得ざれ、と。珪も亦師道を以て自ら処り、時議、之を善しとす。〔▽二七九頁〕


第五章

貞観十七年、太宗、司徒長孫無忌・司空房玄齢に謂ひて曰く、三師は、徳を以て人を導く者なり。若し師体卑しからば、太子、則を取る所無からん、と。是に於て、詔して、太子の三師に接する儀注を撰せしむ。太子・殿門を出でて迎へ、先づ拝す。三師答拝す。門毎に譲る。三師坐す。太子乃ち坐す。三師に与ふる書は前に名惶恐とし、後に名惶恐再拝とす。〔▽二八〇頁〕


第六章

貞観十八年、天帝初めて立ちて皇太子と為る。尚ほ未だ賢を尊び道を重んぜず。太宗、又、嘗に太子をして、寝殿の側に居り、絶えて東宮に往かざらしむ。散騎常侍*劉き(りゅうき)上書して曰く、臣聞く、四方に郊迎するは、孟侯の徳を成す所以なり。学に歯して三譲し、元良是に由りて貞を作す。斯れ皆、主祀の尊を屈して、下交の義を申ぶ。故に芻言咸く薦め、睿問旁く通ずるを得、軒庭を出でずして、坐ながら天壌を知る。茲の道に率由するは、永く鴻基を固くする者なり。〔▽二八一頁〕
深宮の中に生れ、婦人の手に長じ、未だ曾て其の憂懼を識らず、風俗を暁るに由無きが若きに至りては、神機測られず、天縦生知と雖も、而も物を開き務を成すは、終に外奨に由る。夫の彼の干籥を崇び、茲の謡頌を聴くに匪ずんば、何を以てか庶類を弁章し、彝倫を甄覈せん。聖賢を歴考するに、咸く琢玉に資る。是の故に周儲の上哲なる、望・*せき(せき)を師として裕を加ふ。漢恵の深仁なる、園・綺を引きて徳を昭かにす。原ぬるに夫れ太子は、*宗ちょう(そうちょう)是れ繋る。善悪の際、興亡斯に在り。始に勤めずんば、将に終に悔いんとす。是を以て、錯、上書して、先づ政術に通ぜしめ、賈誼、策を献じて、礼教を前知するを務めしむ。〔▽二八三頁〕
竊に惟みるに、皇太子、玉裕挺生し、金声夙に振ふ。明允篤誠の美、孝友仁義の方、皆、天姿より挺で、審諭を労するに非ず。固に以ふに、華夷、徳を仰ぎ、翔泳、風を希ふ。然れば則ち寝門に膳を視ること、已に三たび朝するに表し、芸宮に道を論ずること、宜しく四術を弘むべし。則ち春秋鼎盛にして、躬を飭むること漸有りと雖も、実に恐らくは歳月の往き易く、業を惰り譏を興さんことを。適を宴安に取ること、方に此より始まる。臣、愚短を以て、幸に侍従に参す。儲明を広めんことを思ひ、輒ち聞徹せんことを願ふ。敢て曲に故事を陳べず、請ふ聖徳を以て之を言はん。〔▽二八五頁〕
伏して惟みるに、陛下、叡哲、図に膺り、登庸歴試し、多才多芸、道、匡時に著れ、允武允文、功、纂祀に成る。万方、叙に即き、九国、清晏なり。尚ほ且つ休なりと雖も休とする勿く、日に一日を慎み、異聞を振古に求め、叡思を当年に労す。乙夜に書を観、事、漢帝よりも高く、馬上に巻を披き、勤、魏君に過ぎたり。陛下、自ら励むこと此の如し。而るに太子をして優游して日を棄て、図書を習はざらしむ。臣が未だ諭らざる所の一なり。加ふるに暫く機務を屏くれば、即ち常に雕虫に寓するを以てす。宝思を天文に紆らせば、則ち長河、映を韜み、玉字を仙札に*の(の)ぶれば、則ち流霞、彩を成す。固に以ふに、万代を錙銖にし、百王に冠絶す。屈宋も以て堂に昇るに足らず、鍾張も何ぞ室に入るに階せん。陛下、自ら好むこと此の如し。而るに太子をして悠然として静処し、篇翰を尋ねざらしむ。臣が未だ諭らざる所の二なり。陛下、衆妙を備該し、独り寰中に秀づ。猶ほ天聡を晦まし、俯して凡識に詢ふ。朝を聴くの隙に、群官を引見し、降すに温願を以てし、訪ふに今古を以てす。故に朝廷の是非、里閭の好悪を得、凡そ巨細有るは、必ず聴覧に関る。陛下、自ら行ふこと此の如し。而るに太子をして久しく入りて趨侍し、正人に接せざらしむ。臣が未だ諭らざる所の三なり。〔▽二八七頁〕
陛下、若し益無しと謂はば、則ち何ぞ神を労する事とせん。若し成る有りと為さば、則ち宜しく貽厥を申ぶべし。蔑ろにして急にせざるは、未だ其の可なるを見ず。伏して願はくは、俯して叡範を推し、訓、儲君に及び、授くるに良書を以てし、之が嘉客を娯ましめ、朝に経史を披きて、成敗を前蹤に観、晩に賓遊に接して、得失を当代に訪ひ、間ふるに書札を以てし、継ぐに篇章を以てせんことを。則ち日々に未だ聞かざる所を聞き、日々に未だ見ざる所を見、副徳逾々光あらん。群生の福なり。〔▽二八九頁〕
竊かに以ふに、*良てい(りょうてい)の選、中国に遍し。仰ぎて聖旨を惟みるに、本、内助を求む。微を防ぎ遠きを慎むの慮、固より群下の議する所に非ざるなり。人物を徴簡するに曁びては、則ち聘納と相違ふ。監撫すること二周なれども、未だ一士をも延かず。愚謂へらく内既に彼が如し、外も亦宜しく然るべし、と。不れば、恐らくは物議を招き、将に陛下は外を軽んじて内を重んずと謂はんとす。〔▽二九〇頁〕
古の太子、安を問ひて退くは、敬を君父に広くする所以なり。宮を異にして処るは、別を嫌疑に分つ所以なり。今、太子、一たび*天い(てんい)に侍し、動もすれば旬朔を移す。師伝已下、接見するに由無し。仮令、供奉、隙有り、暫く東朝に還るとも、拝謁既に疎に、且つ欣仰を事とす。規諌の道、固に未だ暇あらざる所なり。陛下、以て親しく教ふ可からず、*宮さい(きゅうさい)、因つて以て言を進むる無し。具寮有りと雖も、竟に将た何をか補はん。〔▽二九一頁〕
伏して願はくは、俯して前躅に循ひ、稍々下流を抑へ、遠大の規を弘にし,師友の義を展べんことを。則ち離徽克く茂に、帝図斯に広からん。凡そ黎元に在るもの、孰か慶頼せざらん。太子、温良恭倹、聡明叡哲なるは、含霊の悉くす所なり。臣豈に知らざらんや。而も浅識勤勤として、愚忠を効さんことを思ふは、滄溟、潤を益し、日月、華を増さんことを願へばなり、と。太宗乃ち*き(き)をして岑文本・馬周等と与に、逓日に東宮に往来して、皇太子と談論せしむ。〔▽二九二頁〕



教戒太子諸王第十一
第一章

貞観七年、上、太子の左庶子于志寧、杜正倫に謂ひて曰く、卿等、太子を輔道する、当に須く為めに百姓の間の利害の事を説くべし。朕、年十八、猶ほ人間に在り、百姓の艱難、諳練せざるは莫し。帝位に居るに及びて、毎に商量処置す。或は時に乖疎有り、人の諌諍を得て、方に始めて覚悟す。若し忠諌する者為めに説くこと無くんば、何に因りて好事を行ひ得可けんや。況んや太子、深宮に生長し、百姓の艱難、都て聞見せざるをや。〔▽二九三頁〕
且つ人主は安危の繋る所なり。輒く驕縦を為す可からず。朕若し情を肆にして驕縦せんと欲せば、但だ勅を出して、諌むる者有らば即ち斬らん、と云はば、必ず天下の士庶、敢更にて直言を発する無きを知る。故に己に克ち精を励まし、諌諍を容納す。卿等当に須く此の意を以て共に其れ談説すべし。不是の事有るを見る毎に、宜しく極言切諌し、裨益する所と有らしむべきなり、と。〔▽二九四頁〕


第二章

貞観十八年、太宗、侍臣に謂ひて曰く、古、世子に胎教する者有り。朕は即ち暇あらず。但だ近ごろ、太子を建立せしより、物に遇へば、必ず誨諭する有り。其の食に臨みて将に飯せんとするを見て、謂ひて曰く、汝、飯を知るや、と。対へて曰く、知らず、と。凡そ稼穡の艱難は、皆、人力より出づ。其の時を奪はざれば、常に此の飯有り、と。其の馬に乗るを見て、又謂ひて曰く、汝、馬を知るや、と。対へて曰く、知らず、と。曰く、能く人の労苦に代る者なり。時を以て消息し、其の力を尽くさざれば、則ち以て常に馬有る可きなり、と。其の船に乗るを見て、問ひて云く、汝、船を知るや、と。対へて曰く、知らず、と。曰く、船は人君に況ふる所以、水は黎庶に比する所以なり。水は能く船を載せ、又能く船を覆す。爾は方に人主たり。畏懼せざる可けんや、と。其の曲木の下に休するを見て、謂ひて曰く、汝、此の樹を知るや、と。対へて曰く、知らず、と。此の木は曲ると雖も、縄を得れば則ち正し。人君と為りて、無道なりと雖も、諌を受くれば、則ち聖なり。此れ亦、伝説の言ふ所なり。以て自ら鑒みる可し、と。〔▽二九五−六頁〕


第三章

貞観七年、太宗、侍中魏徴に謂ひて曰く、古より侯王、能く自ら保全する者は甚だ少し。皆、富貴に生長し、驕逸を好尚し、多くは君子に親しみ小人を遠ざくるを解せざるに由るの故のみ。朕が有らゆる子弟、前言往行を見しめんと欲し、其の以て規範と為さんことを冀ふ、と。因りて徴に命じ、古来の帝王の子弟の成敗の事を録せしめ、名づけて古より諸侯王善悪録と為し、以て諸王に賜ふ。〔▽二九七頁〕
其の序に曰く、夫の期に膺り命を受け、図を握り宇を御するを観るに、咸く懿親を建て、王室に藩屏とす。布きて方策に在り、得て言ふ可し。軒が二十五子を分ち、舜が一十六族を挙げしより、爰に周漢を歴て、以て陳隋に逮ぶまで、山河を分裂し、大いに盤石を啓く者衆し。或は王家に乂保し、時と昇降し、或は其の土宇を失ひ、祀られずして忽諸したり。然れども其の盛衰を考へ、其の興滅を察するに、功成り名立つは、咸く始封の君に資り、国喪び身亡ぶるは、多く継体の后に因る。〔▽二九八頁〕
其の故は何ぞや。始封の君は、時、草昧に逢ひ、王業の漢阻なるを見、父兄の憂勤せるを知る。是を以て、上に在りて驕らず、夙夜、懈らず、或は醴を設けて以て賢を求め、或は*そん(そん)を吐きて士に接す。故に能く忠言の耳に逆ふに甘んじ、百姓の潅心を得、至徳を生前に樹て、遺愛を身後に流す。夫の子孫継体に曁びて、多く太平に属し、深宮の中より生れ、婦人の手に長じ、高危を以て憂懼と為さず。豈に稼穡の艱難を知らんや。小人を昵近し、君子を疎遠し、哲婦に綢繆し、明徳に傲狠し、義を犯し礼に悖り、淫荒、度無く、典憲に遵はず、潜差、等を越え、一顧の権寵を恃み、便ち廃嫡の心を懐き、一事の微労に矜り、遂に厭く無きの望有り、忠貞の正路を棄て、*姦き(かんき)の迷塗を蹈み、諌に愎り卜に違ひ、往きて返らず。梁孝・斉冏の勲庸、淮南・東阿の才俊と雖も、摩霄の*逸かく(いつかく)を摧き、窮轍の涸鱗と成り、桓文の大功を棄て、梁董の顕戮に就く。垂れて鑒戒と為る、惜まざる可けんや。〔▽二九九−三〇〇頁〕
皇帝、聖哲の姿を以て、傾頽の運を拯ひ、七徳を曜かして以て六合を清くし、万国を総べて百霊に朝し、四荒を懐柔し、九族を親睦し、華蕚を棠棣に念ひ、維城を宗子に寄せ、心に愛し、日として思はざるは靡し。爰に下臣に命じて、載籍を攷覧し、博く鑑鏡を求め、厥の孫謀を貽す。臣輒ち愚浅を竭くし、諸を前訓に稽ふるに、凡そ藩と為り翰と為り、国を有ち家を有つもの、其の興るや、必ず善を積むに由り、其の亡ぶや、皆、悪を積むに在り。故に知る、善、積まざれば、以て名を成すに足らず。悪、積まざれば、以て身を滅ぼすに足らざるを。然れば則ち禍福は門無く、吉凶は己に由る。惟だ人の招く所のままなり。豈に徒言ならんや。〔▽三〇一−二頁〕
今、古よりの諸王の行事の得失を録し、其の善悪を分ち、各々一篇と為し、名づけて諸王善悪録と曰ふ。善を見ては斉しからんことを思ひ、以て名を不朽に揚ぐるに足り、悪を聞きては改むるを知り、庶くは大過を免るるを得しめんと欲す。善に従へば則ち誉有り、過を改むれば則ち咎無し。興亡是れ繋る、勉めざる可けんや、と。太宗、覧て善しと称し、諸王に謂ひて曰く、此れ宜しく常に座右に置き、用つて身を立つるの本と為すべし、と。〔▽三〇三頁〕


第四章

貞観十年、太宗、荊王元景・呉王恪等に謂ひて曰く、前代の侯王、甚だ衆し。惟だ東平及び河間王、最も令名有り、其の禄位を保つを得たり。楚王*い(い)の徒の如き、覆亡、一に非ず。我聞く、徳を以て物を服す、と。信に虚説に非ず。〔▽三〇四頁〕
桀紂は、是れ天子なりと雖も、今若し相喚びて桀紂と作さば、人必ず大いに怒らん。顔回・閔子騫・郭林宗・黄叔度は、是れ布衣なりと雖も、今若し相称賛して、此の四賢に類すと道はば、必ず当に大いに喜ぶべし。故に知る、人の身を立つる、貴ぶ所の者は、惟だ徳行に在り。何ぞ必ずしも栄貴を論ずるを要せん。汝等、位、藩王に列し、家、実封を食む。更に能く克く徳行を修めば、豈に具美ならずや。故に我、賢才を簡択して、汝が師伝と為す。宜しく其の諌諍を受くべし。自ら専らにす可からず。欲を縦にし情を肆にして、自ら刑戮に陥る勿れ、と。〔▽三〇五頁〕


第五章

貞観十年、太宗、房玄齢に謂ひて曰く、朕、前代の撥乱創業の主を歴観するに人間に生長し、皆、情偽を識達し、破亡に至ること罕なり。継世守文の君に、逮びては、生れながらにして富貴にして、疾苦を知らず、動もすれば夷滅に至る。朕少小より以来、経営多難にして、備に天下の事を知るも、猶ほ逮ばざる所有らんことを恐る。荊王諸弟の如きに至りては、深宮より長じ、識、遠きに及ばず。豈に能く此を念はんや。朕、一食毎に、便ち稼穡の艱難を念ひ、一衣毎に、則ち紡績の辛苦を思ふ。諸弟何ぞ能く朕を学ばんや。今、良左を選びて、以て藩弼と為す。庶くは其の善人に習近して、愆過を免るるを得んのみ、と。〔▽三〇六−七頁〕


第六章

貞観十一年、太宗、呉王恪に謂ひて曰く、父の子を愛するは、人の常情なり。教訓を待ちて知るに非ざるなり。子能く忠孝なれば則ち善し。若し誨誘に遵はず、礼を忘れ法を棄つれば、必ず自ら刑戮を致さん。父、之を愛すと雖も、将た之を如何せん。昔、漢武既に崩じ、昭帝継ぎて立つ。燕王旦、素より驕縦、*ちゅう張(ちゅうちょう)にして服せず。霍光、一折簡を遣はして之を誅すれば、則ち身死し国除かる。夫れ臣子為るもの、慎まざるを得ず。〔▽三〇八頁〕



規諌太子第十二
第一章

貞観五年、李百薬、太子の右庶子と為る。時に太子、頗る意を典墳に留む。然れども閑讌の後、嬉戯、度に過ぐ。百薬、賛導の賦を作りて以て諷す。〔▽三〇九頁〕
其の詞に曰く、下臣側に先聖の格言を聴き、嘗て載籍の遺則を覧る。伊れ天地の元造より、皇王の建国に*およ(およ)ぶ。曰く、人紀と人綱とは、言を立つると徳を立つるとに資る。之を履めば則ち性に率ひて道を成し、之に違へば則ち念ふこと罔くして慝を作す。興廃を望めば鈞に従ふが如く、吉凶を*糾ぼく(きゅうぼく)に視る。乃ち図を受け*ろく(ろく)に膺り、鏡を握りて君臨するに至りて、万物の恩化に因り、百姓を以て心と為す。大儀の潜運に傷み、往古を来今に閲し、善を為すを乙夜に尽くし、勤労を少陰に惜む。故に能く増氷を瀚海に釈かし、寒谷を*たい林(たいりん)に変ず。人霊を総べて以て胥悦び、穹壌を極めて音を懐ふ。〔▽三〇九−一〇頁〕
赫たり聖唐、大なるかな霊命。時惟れ太始、運、上聖に鍾まる。天縦の皇儲、本を固くし正に居り、機晤宏遠に、神姿凝映し、三善を顧みて必ず弘め、四徳を祇みて行と為す。毎に庭に趨りて礼を聞き、常に寝を問ひて敬を資る。聖訓を奉じて以て周旋し、天文の明命を*あきら(あきら)かにし邁きて喬を観て梓を望み、元亀と明鏡とに即く。大道云に革まり、礼教斯に起りてより、以て君臣を正しくし、以て父子を篤くし、君臣の礼、父子の親、情義を尽くして兼ね極む。諒に道徳は之れ人に在り。豈に夏啓と周誦とのみならんや、亦丹朱と商均とあり。既に雕し且つ琢し、故きを温ねて新しきを知る。惟だ忠と敬と、曰く孝と仁とは、則ち以て下、四海を光らし、上、三辰を燭らす可し。〔▽三一一−二頁〕
昔、三王の子を教ふるや、四時を兼ねて以て学に歯し、将に中外に交発せんとす。故に之に先だつに礼楽を以てす。楽は以て風を移し俗を易へ、礼は以て上を安んじ人を化す。鍾鼓に悦ぶ有るに非ず、将に志を宣べて以て神を和せんとす。玉帛に懐ふ有るに非ず、将に己に克ちて身を庇はんとす。深宮の中に生れ、群后の上に処り、未だ深く王業を思はず、自ら匕鬯を珍とせず、富貴は之れ自ら然りと謂ひ、崇高を恃みて以て矜尚するは、必ず驕很を恣にし、動もすれば礼譲を*かか(かか)げ、師伝を軽んじて礼儀を慢り姦諂に狎れて淫放を縦にす。則ち前星の曜遽に隠れ、少陽の道斯に諒し。天下を之れ家と為すと雖も、夷険を蹈むこと之れ一に非ず。或は才を以てして升され、或は讒に遇ひて黜を受く。以て厥の休咎を省み、其の得失を観る可きに足る。〔▽三一四頁〕
請ふ粗ぼ略して之を陳べん。覬はくは文を披きて質を相よ。隆周の徳を積むに在りては、乃ち契を執りて期に膺り、昌発の弐を作すに頼りて、七百の鴻基を啓く。扶蘇の秦を継ぐに逮びては、問望に虧くる有るに非ず、長嫡の隆重を以て、偏師を亭障に監す。始禍は則ち金以て寒離、厥の妖は則ち火、炎上せず。既に樹置の道に違へる。宗祀の*すみや(すみや)かに喪ぶるを見る。〔▽三一五頁〕
伊れ漢氏の世を長くするは、固に明両の逓に作ればなり。高、戚に惑ひて趙を寵し、天下を以て謔と為す。恵、皓に結びて良に因り、羽翼を寥廓に致す。景、*とう子(とうし)に慙づる有り、従理の淫虐を成す。終に患を強呉に生ずるは、怒を争博に発するに由る。徹、儲両に居る、時猶ほ幼沖なり。防年の絶義を知り、亜夫の矜功を識る。故に能く祖業を恢弘し、三代の遺風を紹ぐ。拠、博望を開く、其の明未だ融かならず。哀しいかな時命の奇舛にして、讒賊に江充に遇ふ。兵を借りて以て乱を誅すと雖も、竟に義に背きて凶終す。宣嗣、儒を好み、大猷行くゆく闡かんとす。尤を徳教に被るを嗟し、言を忠謇に発するを美とす。始め道を韋匡に聞き、終に戻を恭顕に得。太孫の雑芸は、定陶に異なりと雖も、馳道、絶たざるは、抑も惟だ小善のみ。猶ほ通人に重んぜられ、尚ほ芳を前典に伝ふ。〔▽三一六−七頁〕
中興の上嗣、明章済済たり。倶に政術に達し、咸く経礼に通ず。至情を敬愛に極め、友于を兄弟に惇くす。是を以て、東漢の遺堂を固くし、西周の継体に同じくす。五官、魏に在る、徳音を聞く無し。或は譏を妲己に受け、且つ自ら禽に従ふを悦ぶ。才高くして学富むと雖も、竟に累を荒淫に取る。貽厥を明皇に曁ぼし、崇基を三世に構ふ。秦帝の奢侈を得、漢武の才芸に亜ぎ、遂に郡臣を駆役し、又凋弊を救ふ無し。〔▽三二〇頁〕
中撫は寛愛にして、相表、奇多し。桃符を重んじて惑を致し、鉅鹿の弘規を納る。竟に能く江表の氛穢を掃ひ、要荒を挙げて羈せらる。恵、東朝に処り、其の遺跡を察するに、聖徳に在りて其れ初の如し、寔に御牀は之れ惜む可し。愍懐の云に廃するを悼み、烈風の沙を吹くに遇ひ、性霊の猥褻を尽くし、亦自ら凶邪に敗る。安んぞ能く其の粢盛を奉じ、此の邦家を承けん。〔▽三二一頁〕
惟れ聖上の慈愛なる、義方を至道に訓へ、論政を漢幄に同じくし、致戒を*京こう(けいこう)に修む。韓子の賜ふ所を鄙み、経術を重んじて宝と為す。咨、政理の美悪は、亦文身の黼藻なり。庶はくは愚夫に択ぶ有らんことを、言を遺老に乞ふを慙ぢんや。庶績を咸寧に致すは、先づ人を得て盛んと為す。帝尭は則哲を以て謨を垂れ、文王は多士を以て詠を興す。之を正人に取り、之を鑑みるに霊鏡を以てし、其の器能を量り、其の検行を審かにし、必ず宜しく機を度りて職を分つべく、方に違ひて以て政に従ふ可からず。若し其れ聴受に惑ひ、人を知るに暗ければ、則ち有道の者は咸く屈し、無用の者は畢く伸び、諂諛競ひ進みて以て媚を求め、玩好召さずして自ら臻り、直言正諌、忠信を以て罪を獲、官を売り獄を鬻ぎ、貨賄を以て親まる。是に於て、我が王度を虧き、我が彝倫を*やぶ(やぶ)る。九鼎、姦回に遇ひて遠く逝り、万姓、我を撫するを望みて仁に帰す。〔▽三二二−三頁〕
蓋し造化の至育、惟だ人霊を之れ貴しと為す。獄訟、理まらざれば、生死の異塗有り。冤結、申びざれば、陰陽の和気に感ず。士の通塞、之を属するに深文を以てし、命の修短、之を酷吏に懸く。是の故に、帝尭は象を画して、恤隠の言を陳ぶ。夏禹は辜に泣きて、哀矜の志を尽くす。〔▽三二五頁〕
因つて象を大壮に取り、乃ち宇を峻くして牆に雕り、瑶臺と瓊室とを将てす。豈に画棟と虹梁とのみならんや。或は雲を陵ぎて以て遐観し、或は天に通じて涼を納る。酔飽を極めて人力を刑し、痿蹶を命じて身の殃を受く。是の故に十家の産を惜むを言ひ、漢帝は以て倹を昭かにして裕を垂る。百里の囿を成すと雖も、周文は子来を以てして克く昌んなり。〔▽三二六頁〕
彼の嘉会して礼通ずる、旨酒の徳たるを重んず。帰るを忘るるに至りて祉を受け、斉聖に在りては温克す。若し夫れ*くえい(くえい)して以て昏を致し、酖湎して惑を為すは、殷受と潅夫と、亦家を亡ぼして国を喪ふを痛む。是を以て、伊尹は酣室を以て戒を作し、周公は邦を乱るを以て則を貽す。〔▽三二七頁〕
咨幽閑の令淑なる、実に君子に好き逑たり。玉輦を辞して愛を割く、固に班姫の恥づる所なり。簪珥を脱して愆を思ふ、亦宣姜の美たるなり。乃ち晋に禍するの驪姫、周を亡ぼすの*褒じ(ほうじ)有り。妖妍を図画に尽くし、凶悖を人理に極む。傾城傾国、昭かに後王に示さんことを思ふ。麗質冶容、宜しく永く前史に鑒みるべし。〔▽三二八頁〕
復た蒐狩の礼、馳射の場有り。之を節するに正義を以てせざれば、必ず自ら禽荒に致す。外形の疲極するのみに匪ず、亦中心にして狂を発す。夫れ高深をも懼れざるは、胥靡の徒、*こう緤(こうせつ)を娯と為すは、小竪の事なり。宗社の崇重を以て、先王の名器を持し、鷹犬と与にして竝び馳せ、艱険を凌ぎて轡を逸にす。馬に*銜けつ(かんけつ)の理有り、獣は不存の地に駭く。猶ほ獲多きに*てん面(てんめん)し、独り情の内に愧づる無からんや。〔▽三三〇頁〕
小人の愚鄙を以て、不貲の恩栄を忝くす。無庸を草沢に擢で、陋質を簪纓に歯す。大道行はれて両儀泰なるに遇ひ、元良盛んにして万国貞しきを喜ぶ。監撫の暇多きを以て、毎に論講を粛成に於てす。惟神の敏速を仰ぎ、将聖の聡明を歎ず。自ら賢を秋実に礼し、道を春卿に帰するに足る。〔▽三三一頁〕
芳年淑景、時和し気清し。華殿邃くして簾帷静に、潅木森として風雲軽し。花、香を飄して動きて笑み、鳥、嬌囀して相鳴く。物華の繁靡を以てすら、尚ほ思を将迎に絶ち、猶ほ道を蹈みて倦まず、耽翫を極めて以て精を研く。庸才に命ずるに筆を載するを以てす。*ち藻(ちそう)を天庭に謝す。洞簫の娯侍に異なり、飛蓋の情に縁るに殊なる。雅命以て徳を誦するを闕き、恩に報いて以て生を軽んずるを思ふ。敢て下拝して稽首し、願はくは永く風声を樹て、皇礼の遐寿を奉じ、振古の鴻名に冠たらんことを、と。〔▽三三二頁〕
太宗見て使を遣はして百薬に謂ひて曰く、朕、皇太子の所に於て、卿が作る所の賦を見るに、古来の儲弐の事を述べ、以て太子を誡む。甚だ是れ典要なり。朕、卿を選びて以て太子に輔弼せしむるは、正に此の事の為なり。太だ委ぬる所に称ふ。但だ須く始を善くし終を令くすべきのみ、と。詔して厩馬一匹、綵物三百段を賜ふ。〔▽三三三−四頁〕


第二章

貞観中、太子承乾、数々礼度を虧く。太子の右庶子于志寧、諌苑二十巻を撰して之を諷す。太宗大いに悦び、黄金一斤、絹三百匹を賜ふ。是の時、太子の右庶子孔穎達、毎に顔を犯して進諌す。承乾の乳母遂安婦人、穎達に謂ひて曰く、我が太子成長せり。何ぞ宜しく屡々面折するを得べき、と。対へて曰く、国の厚恩を蒙る。死すとも恨む所無からん、と。諌諍逾々切なり。太宗甚だ之を嘉し、帛五百段、黄金一斤を賜ひ、以て承乾の意を励ます。〔▽三三四−五頁〕


第三章

貞観十三年、太子の右庶子張玄素、太子承乾、頗る遊畋を以て学を廃するを以て、上書して諌めて曰く、臣聞く、皇天は親しむ無し、惟だ徳を是れ輔く、と。苟に天道に違へば、人神同に棄つ。然して古の三駆の礼は、殺を教へんと欲するに非ず、将に百姓の為めに害を除かんとす。故に湯、一面に羅し、天下、仁に帰す。今、苑内、猟を娯むは、名は遊畋に異なりと雖も、若し之を行ひて恒無くんば、終に雅度を虧かん。〔▽三三六頁〕
且つ伝【伝説】に曰く、学、古を師とせざるは、説が聞く攸に匪ず、と。然れば則ち道を弘むるは、古を学ぶに在り。古を学ぶは、必ず師の訓に資る。既に恩詔を奉じ、孔穎達をして侍講せしむ。望むらくは数々顧問を存し、以て万一を補ひ、仍ほ博く名行有る学士を選び、兼ねて朝夕侍奉し、聖人の遺教を覧、既往の行事を察し、日に其の足らざる所を知り、月に其の能くする所を忘るる無からんことを。此れ則ち善を尽くし美を尽くす。夏啓・周誦、焉んぞ言ふに足らんや。〔▽三三七頁〕
夫れ人の上たる者は、未だ其の善を求めずんば有らず。但だ性の情に勝たざるを以て、耽惑して乱を為す。耽惑既に甚だしければ、忠言遂に塞がる。故に臣下苟順し、君道漸く虧く。古人、言へる有り、小悪を以てして去らず、小善を恥ぢて為さざる勿れ、と。故に知る、禍福の来るは、皆、漸より起るを。殿下、地、儲両に居る。当に須く広く嘉猷を樹つべし。既に畋を好むの淫有り。何を以てか斯の匕鬯を主らん。終を慎むこと始の如くなるすら、猶ほ漸く衰へんことを懼る。始すら尚ほ慎まずんば、終将に安にか保たんとする、と。承乾、納れず。〔▽三三八頁〕
玄素、又、上書して諌めて曰く、臣聞く、礼に称す、皇太子、学に入りて冑に歯す、とは、太子をして君臣・父子・長幼の道を知らしめんと欲するなり。然れども君臣の義・父子の親、尊卑の序、長幼の節、之を方寸の内に用ひ、之を四海の外に弘むるは、皆、行に因りて以て遠く聞え、言を仮りて以て光に被ふ。〔▽三三九頁〕
伏して惟みるに、殿下、叡質已に隆なり。尚ほ須く文を学びて以て其の表を飾るべし。竊に孔穎達・趙弘智等を見るに、惟だ宿徳鴻儒なるのみに非ず、亦兼ねて政要に達す。望むらくは、数々侍講を得、物理を開釈し、古を覧今を諭り、叡徳を増暉せしめんことを。騎射・畋遊・酣歌・妓翫の如きに至りては、苟くも耳目を悦ばし、終に心神を穢す。漸染既に久しくば、必ず情性を移さん。古人、言へる有り、心は万事の主たり、動きて節無ければ即ち乱る、と。臣、殿下の背徳の源、此に在らんことを恐る、と。承乾、書を覧て愈々怒り、玄素に謂ひて曰く、庶子、風狂を患へるか、と。〔▽三四〇頁〕


第四章

貞観十四年、太宗、玄素が東宮に在りて、頻りに進諌有るを知り、擢でて銀青光禄大夫、行太子左庶子、を授く。時に承乾、嘗て宮中に於て鼓を打つ。声、外に聞ゆ。玄素、閤を叩きて、見えんことを請ひ、極言切諌す。承乾乃ち宮内の鼓を出し、玄素に対して之を毀る。戸奴を遣はして、玄素が早く朝するを伺ひ、陰に*馬た(ばた)を以て之を撃たしめ、殆ど死に至る。〔▽三四一頁〕
是の時、承乾、好みて亭観を営造し、奢侈を窮極し、費用日に広し。玄素、上書して諌めて曰く、臣、愚蔽を以て位を両宮に竊む。臣に在りては江海の潤有り、国に於ては秋毫の益無し。是を用つて、必ず愚誠を竭くし、臣節を尽くさんことを思ふ者なり。伏して惟みるに、皇儲の寄、荷戴殊に重し。如し其れ徳を積むこと弘からずんば、何を以てか成業を嗣ぎ守らん。〔▽三四二頁〕
聖上、殿下の親は則ち父子、事は家国を兼ぬるを以て、応に用ふべき所の物、節限を為さず。恩旨未だ六旬を踰えざるに、物を用ふること已に七万に過ぎたり。驕奢の極、孰か云に此に過ぎん。龍楼の下、惟だ工匠を聚め、望苑の内、賢良を覩ず。〔▽三四三頁〕
今、孝敬を言へば、則ち視膳問竪の礼を闕き、恭順を語れば、則ち君父の慈訓の方に違ひ、風声を求むれば、則ち学を愛し道を好むの実無く、挙措を観れば、則ち因縁誅戮の罪有り。宮臣正士、未だ嘗て側に在らず、群邪淫巧、深宮に昵近す。愛好する者は、遊手・雑色、施与する者は、竝に図画・雕鏤なり。外に在りて瞻仰するに、已に此の失有り。中に居りて隠密なるは、寧ぞ勝げて計ふ可けんや。宣猷の禁門、*かんかい(かんかい)に異ならず、朝に入り暮に出で、悪声漸く遠し。〔▽三四三頁〕
右庶子趙弘智は、経明かに行修まり、当今の善士なり。臣、毎に、奏請し、数々召し進めんことを望む。乃ち之と談論せば、徽猷令旨を広むるに庶からん。反つて猜嫌有り、臣妄りに相推引すと謂ふ。善に従ふこと流るるが如くなるも、尚ほ逮ばざらんことを恐る。非を飾り諌を拒がば、必ず是れ損を招かん。古人云はく、苦薬は病に利あり、苦言は行に利あり、と。伏して願はくは安きに居りて危きを思ひ、日に一日を慎まんことを、と。書入る。承乾大いに怒り、刺客を遣はして、将に屠害を加へんとす。俄に宮廃するに属す。〔▽三四五頁〕


第五章

貞観十四年、太子事于志寧、太子承乾が盛んに曲室を造り、奢侈、度に過ぎ、声楽を耽好するを以て、上書して諌めて云く、臣聞く、倹を克くし用を節するは、寔に道を弘むるの源、侈を崇び情を恣にするは、乃ち徳を敗るの本なり、と。是を以て、雲を凌ぎ日を概し、戎人是に於て譏を致す。宇を峻くし牆に雕る、夏書、之を以て誡めと作す。昔、趙盾、晋を匡し、呂望、周に師たり。或は之に勧むるに財を節するを以てし、或は、之を諌むるに斂を厚くするを以てす。忠を尽くして以て国を佐け、誠を竭くして以て君に奉ぜざるは莫く、茂実をして無窮に播し、英声をして物聴に被らしめんと欲す。咸く簡策に著はし、用つて美談と為す。〔▽三四六頁〕
且つ今居る所の東宮は、隋日の営建なり。之を覩る者、尚ほ其の侈を譏り、之を見る者、猶ほ其の華を歎ず。何ぞ此の中に於て、更に修造する有る容けんや。財帛日に費え、土木、停ます、斤斧の工を窮め、*磨ろう(まろう)の妙を極む。且つ丁匠・官奴、内に入り、比者、皆仗監無し。此れ等は或は兄、国章を犯し、或は弟、王法に罹る。御苑に往来し、*禁い(きんい)に出入し、鉗鑿、其の身に縁り、槌杵、其の手に在り。千牛既に自ら見ず、直長、由つて知るを得る無し。爪牙、外に在り、廝役、内に在り。所司何を以て自ら安んぜん。臣下豈に懼るる無かる容けんや。〔▽三四七−八頁〕
又鄭衛の楽は、古、淫声と謂ふ。昔、朝歌の郷に、車を回す者は*墨てき(ぼくてき)なり。夾谷の会に、剣を揮ふ者は孔丘なり。先聖既に以て非と為し、通賢将に以て失と為さんとす。頃、宮内往往鼓声を聞く。大楽の伎兒、入れば便ち出でず。之を聞く者は股慄し、之を言ふ者は心戦く。往年の口勅、伏して重ねて尋ねんことを請ふ。聖旨慇懃に、明誡懇切なり。殿下に在りては、思はざる可からず。微臣に至りては、懼るる無きを得ず。〔▽三四九頁〕
臣、宮闕に駆馳せしより、已に歳年を積む。犬馬も恩を知り、木石も感を知る。管見する有る所、敢て言を尽くさざらんや。但だ意を悦ばしめ容を取るは、蔵孫、方ぶるに疾疹を以てし、顔を犯し耳に逆ふは、春秋、之を薬石に比す。伏して願はくは、工匠の作を停め、久役の人を罷め、鄭衛の音を絶ち、群小の輩を斥けんことを。則ち三善、允に備はり、万国、貞を作さん、と。承乾、書を覧て悦ばず。〔▽三五〇頁〕
十五年、承乾、盛農の時を以て、駕士等を召して入り役せしめ、分番を許さず。人、怨苦を懐く。又、私に突厥の群竪を引きて宮に入る。志寧上書して諌めて曰く、臣聞く、上天は蓋し高し、日月、其の徳を光かにす。明君は至聖なり、輔佐、其の功を賛く、と。是を以て、周誦、儲に升り、毛畢に匡さる。漢盈、震に居り、資を黄綺に取る。姫旦、法を伯禽に抗げ、賈生、事を文帝に陳ぶ。咸く端士に慇懃に、皆、正人に懇切なり。歴代の賢君、太子に丁寧ならざる者莫し。良に、地、上嗣に膺り、位、副君に処り、善なれば則ち率土、其の恩に霑ひ、悪なれば則ち海内、其の禍に罹るを以てなり。〔▽三五一頁〕
近ごろ聞く、僕侍習馭、駕士獣医、春初より始め、茲の夏晩に迄る。恒に内役に居り、分番を放さず、と。或は家に尊親有り、*温せい(おんせい)を闕く。或は室に幼弱有り、撫養を絶つ。春既に其の耕墾を廃し、夏又其の播殖を妨ぐ。事、存育に乖く、恐らくは怨嗟を致さん。儻し天聴に聞こえば、後に悔ゆとも及ぶこと無からん。〔▽三五二頁〕
又、突厥の達哥支等は、咸く是れ人面獣心の徒なり。之を近づくれば、英声に損有り、之を昵しめば、盛徳に益無し。則ち之を引きて閤に入る。人皆驚駭す。豈に臣の愚識、独り用つて安からざるのみならんや。殿下必ず須く上、至存の聖情に副ひ、下、黎元の本望に允ふべし。微悪を軽んじて避けざる可べからず。小善を略して為さざる容き無し。正に漸を杜ぐの方を敦くし、須く萌を防ぐの術有るべし。不肖を屏退し、賢良に狎近す、此の如くならば則ち善道日に隆に、徳音自ら遠からん。〔▽三五三頁〕
承乾、大いに怒り、刺客張師政・*こつ干承基(こつかんしょうき)を遣はし、就きて之を殺さしめんとす。志寧是の時、母の憂に丁り、起復して事と為る。二人潜にその第に入り、正に苫盧に寝処するを見、竟に忍びずして止む。承乾敗るるに及びて、太宗、其の事を知り、深く志寧を勉労す。〔▽三五四頁〕



貞観政要巻第五〔▽三五五頁〕
論仁義第十三
第一章

貞観元年、太宗曰く、朕、古来の帝王を看るに、仁義を以て治を為す者は、国祚延長なり。法に任じて人を御する者は、弊を一時に救ふと雖も、敗亡も亦促る。既に前王の成事を見ば、元亀と為すに足る。今、専ら仁義誠信を以て治を為さんと欲す。近代の澆薄を革めんことを望むなり、と。〔▽三五五頁〕
黄門侍郎王珪対へて曰く、天下凋喪すること日久し。陛下、其の余弊を承けて、道を弘め風を移す。万代の福なり。但だ賢に非ざれば理まらず。惟だ人を得るに在り、と。太宗曰く、朕、賢を思ふの情、豈に夢寐にも捨てんや、と。給事中杜正倫進んで曰く、世必ず才有り。時の用ふる所に随ふ。豈に伝説を夢み、呂尚に逢ふを待ちて、然る後に治を為さんや、と。太宗、深く其の言を納る。〔▽三五六頁〕


第二章

貞観の初、太宗従容として侍臣に謂ひて曰く、周の武王、紂の乱を平げ、以て天下を有つ。秦の始皇、周の衰へたるに乗じて、遂に六国を呑む。其の天下を得たるは殊ならず、何ぞ祚運の長短は、此の若く之れ相懸るや、と。〔▽三五七頁〕
尚書左僕射*蕭う(しょうう)進みて曰く、紂、無道を為し、天下、之に苦しむ。故に八百の諸侯、期せずして会せり。周室、微なりと雖も、六国、罪無し。秦氏、専ら智力に任じて、諸侯を蠶食せり。平定するは同じと雖も、人情は則ち異なれり、と。上曰く、然らず。周既に殷に克ち、務めて仁義を弘む。秦既に志を得て、専ら詐力に任ぜり。但だ之を取ること異なる有るのみに非ず、抑も亦之を守ることも同じからず。祚の修短、意ふに茲に在らん、と。〔▽三五八頁〕


第三章

貞観二年、太宗、侍臣に謂ひて曰く、朕謂へらく、乱離の後、風俗、移し難し、と。比、百姓を観るに、漸く廉譲を知り、官人、法を奉じ、盗賊日に稀なり。故に知る、人は常の俗無く、但だ政に治乱有るのみなるを。是を以て、国を為むるの道は、必ず須く之を撫するに仁義を以てし、之に示すに威信を以てすべし。人の心に因り、其の苛刻を去り、異端を作さざれば、自然に安静なり。公等宜しく共に斯の事を行ふべし、と。〔▽三五九頁〕


第四章

貞観四年、房玄齢奏して言ふ、今、武庫を閲するに、甲仗、隋日に勝ること遠し、と。太宗曰く、兵を飭めて冦に備ふるは、是れ要事なりと雖も、然れども朕は、惟だ、卿等が心を治道に存し、務めて忠貞を尽くし、百姓をして安楽ならしめんことを欲す。便ち是れ朕の甲仗なり。隋の煬帝は、豈に甲兵足らざるが為めに、以て滅亡に至りしならんや。正に、仁義修めずして、群下怨み叛くに由るが故なり。宜しく此の心を識り、常に徳義を以て相輔くべし、と。〔▽三六〇頁〕


第五章

貞観五年、太宗、侍臣に謂ひて曰く、天道、善に福し淫に禍するは、事、猶ほ影響のごとし。昔、啓人、国を亡ひて隋の文帝に奔る。文帝、粟帛を惜まず、大いに士衆を興し、営衛安置し、乃ち存立するを得たり。既にして疆盛なり。当に須らく子子孫孫、長く徳に報ゆるを思ふべし。纔に失畢に至りて、即ち兵を起して煬帝を雁門に圍む。隋国の乱るるに及びて、又、強を恃みて深く入る。遂に昔其の国家を安立せし者をして、身及び子孫、竝びに頡利兄弟の屠戮する所と為らしむ。今、頡利破亡せり、豈に恩に乖き義を忘るるの致す所に非ずや、と。群臣咸曰く、誠に聖旨の如し、と。〔▽三六一頁〕


第六章

貞観十二年、太宗、侍臣に謂ひて曰く、林深ければ則ち鳥棲み、水広ければ則ち魚游び、仁義積めば則ち物自ら之に帰す。人は皆、災害を畏避するを知れども、仁義を行ふを知らず。仁義を行へば則ち災害生ぜず。夫れ仁義の道は、当に之を思ひて心に在らしめ、常に相継がしむべし。若し斯須も懈惰せば、之を去ること已に遠し。猶ほ飲食の身を資くるが如し、恒に腹をして飽かしむれば、乃ち其の性命を存す可し、と。王珪頓首して曰く、陛下能く此の言を知る。天下の幸甚なり、と。〔▽三六二−三頁〕



論忠義第十四
第一章

馮立、武徳中、東宮率と為り、甚だ隠太子に親遇須せらる。太子の死するや、左右多く逃散す。立、歎じて曰く、豈に生きて其の恩を受けて、死して其の難を逃るる有らんや、と。是に於て、兵を率ゐて玄武門を犯して苦戦し、屯営将軍敬君弘を殺し、其の徒に謂ひて曰く、微しく以て太子に報いたり、と。遂に兵を解きて野に遁る。〔▽三六四頁〕
俄にして来たりて罪を請ふ。太宗、之を数めて曰く、汝、昨者、兵を出して来たり戦ひ、大いに我が兵を殺傷せり。将に何を以て死を逃れんとするや、と。立、飲泣して言ひて曰く、立、出身して主に事へ、之に命を効すを期す。戦の日に当りて、顧憚する所無し、と。因りて欷歔し、悲みて自ら勝へず。太宗、之を慰勉し、左屯衛中郎将を授く。立、親む所に謂ひて曰く、莫大の恩に逢ひ、幸にして存するを獲たり。終に当に死を以て君に奉ずべし、死して後に已まん、と。〔▽三六五頁〕
未だ幾くならざるに、突厥、便橋に至る。立、数百騎を率ゐて、虜と咸陽に戦ひ、殺獲甚だ衆く、向ふ所皆披靡す。太宗、聞きて之を嘉歎して曰く、生死の間に於て、甚だ衆義備はれり。此の如きは則ち彼の尋行数里、事を矯め義を談ずる者、徒らに自ら以て人の為にするは、何ぞ此に逮ばんや、と。〔▽三六五−六頁〕
時に斉王元吉の府の左車騎謝叔方有り、兵を率ゐて、馮立と軍を合はせて拒ぎ戦ふ。敬君弘・中郎将呂衡を殺すに及びて、王師、振はず。秦府の官、護軍尉尉遅敬徳、乃ち元吉の首を伝へて、以て之に示す。叔方、馬より下りて号哭し、拝辞して遁る。明日出でて首す。太宗曰く、義師なり、と。命じて之を釈し、左翊衛郎将を授く。〔▽三六六頁〕


第二章

貞観元年、太宗、嘗て従容として、言、隋亡ぶるの事に及び、慨然として歎じて曰く、姚思廉、兵刃を懼れず、以て大節を明かにす。諸を古人に求むるに、亦何を以て加へんや、と。思廉、時に洛陽に在り、因りて物三百段を寄せ、并せて其れに書を遺りて曰く、卿が節義の風を想ふ。故に斯の贈有り、と。〔▽三六七頁〕
初め大業の末、思廉、隋の代王侑の侍読と為る。義旗、京城に剋つに及びて、時に代王の府寮多く駭き散ず。惟だ思廉のみ王に侍して、其の側を離れず。義師の甲師、将に殿に昇らんとす。思廉、声をまして謂ひて曰く、唐公、義兵を挙ぐるは、本、王室を匡すなり。卿等、宜しく王に礼無かるべからず、と。衆、其の言を壮とす。是に於て稍や却き、陛下に布列す。須臾にして高祖至る。聞きて之を義なりとし、其の侑を扶けて順陽閤下に至るを許す。思廉、泣きて拝して去る。見る者咸く歎じて曰く、忠烈の師なり。仁者必ず勇有りとは、此の謂か、と。〔▽三六八頁〕


第三章

貞観二年、将に故の息隠王建成・海陵王元吉を葬らんとす。尚書右丞魏徴、黄門侍郎王珪と、倍送に預らんことを請ひ、上表して曰く、臣等、昔、命を太上に受け、質を東宮に委し、龍楼に出入すること、将に一紀に垂なんとす。前宮、釁を宗社に結び、罪を人神に得たり。臣等、死亡して甘んじて夷戮に従ふ能はず。其の罪戻を負ひて、周行に*し録(しろく)せらる。徒らに生涯を竭くすとも、将た何ぞ上報せん。陛下、徳、四海に光き、道、前王に冠たり。崗に陟りて感有り、棠棣を追懐し、社稷の大義を明かにし、骨肉の深恩を申べ、二王を卜葬し、遠期、日有り。臣等永く疇昔を惟ひ、忝く旧臣と曰ふ。君を喪ひて君有り。居に事ふるの礼を展ぶと雖も、宿草将に列せんとし、未だ往を送るの哀を申べず。九原を瞻望するに、義、凡百よりも深し。望むらくは葬日に於て、送りて墓所に至らんことを、と。太宗、義なりとして之を許す。是に於て宮府の旧僚吏をして、尽く葬を送らしむ。〔▽三六九−七〇頁〕


第四章

貞観五年、太宗、侍臣に謂ひて曰く、忠臣・烈士、何の代にか之れ無からん。屈突通、隋の将為り、国家と潼関に戦ふ。京城陥ると聞き、乃ち兵を引きて東に走る。義兵を追ひて桃林に及ぶ。朕、其の家人を遣はして招慰せしむ。遽に其の奴を殺す。また其の子を遣はして往かしむ。乃ち云ふ、我、隋家の駆使を蒙り、已に両帝に事ふ。今者、吾、節に死するの秋なり。汝は旧我に於て父子たり。今は即ち我に於て讎敵たり、と。因りて之を射る。其の子避け走る。領する所の士卒多く潰散す。通、惟だ一身、東南に向ひて慟哭し哀を尽くして曰く、臣、国恩を荷ひ、任、将帥に当る。智力倶に尽き、此の敗亡を致せり。臣が誠を竭くさざるに非ず、と。言尽き、追兵擒獲す。太上皇、其れに官を授く。毎に疾に託して固辞せり。此の忠節、嘉尚すべきに足る、と。因りて所司に勅して、大業中の直諌して誅せられし者の子孫を採訪して聞奏せしむ。〔▽三七二頁〕


第五章

貞観六年、左光禄大夫陳叔達に礼部尚書を授け、因りて謂ひて曰く、武徳中、公曾て直言を太上皇に進め、朕が克定の大功有り、黜退す可からざるを明かにし、云はく、朕、本、性剛烈なり。若し抑挫する有らば、恐らくは憂憤に勝へず、以て疾弊の危きを致さん、と。今、公の挙の忠謇なるを賞す。故に此の遷授有り、と。叔達対へて曰く、臣以みるに隋氏の父子、自ら相誅戮し、以て滅亡に至れり。目に覆車を観て、前轍を改めざる容き無からんや。臣が誠を竭くして進諌する所以なり、と。太宗曰く、朕、公が独り朕一人の為めにするに非ず、実に社稷の計の為めにするを知る、と。〔▽三七三−四頁〕


第六章

貞観中、特進*蕭う(しょうう)、房玄齢等と、嘗て宴会に因りて、太宗、房玄齢に謂ひて曰く、武徳六年以後、太上皇、廃立の心有り。我、此の日に当りて、兄弟の容るる所と為らず。実に功高くして賞せられざるの懼れ有りき。*蕭う(しょうう)は厚利を以て之を誘ふ可からず、刑戮を以て之を維ぐ可からず。真に社稷の臣なり、と。〔▽三七五頁〕
乃ち*う(う)に詩を賜ひて曰く、疾風、勁草を知り、板蕩、誠臣を識る、と。顧みて*う(う)に謂ひて曰く、卿の道を守ること耿介、古人以て過ぐる無きなり。然れば則ち善悪太だ分明なるも、亦、時にして失有らん、と。*う(う)再拝して謝して曰く、特に誡訓を蒙り、又、臣に許すに忠諒を以てす。死するの日と雖も、猶ほ生ける年の如し、と。尋いで太子太保に拝せらる。〔▽三七六頁〕


第七章

貞観七年、将に十六道の黜陟使を発せんとす。畿内道は、未だ其の人有らず。太宗親ら定めんとし、房玄齢等に問ひて云く、此の道は事最も重し。誰か使に充つ可き、と。右僕射李靖曰く、畿内は事大なり。魏徴に非ずんば可なる莫からん、と。太宗色を作して曰く、朕、九成宮に向はんとす。事亦、小なるに非ず。寧ぞ魏徴を遣はして出でて使たらしむ可けんや。朕、行する毎に、与に相離るるを欲せざるは、適に其の朕が是非を見れば、必ず隠す所無きが為なり。今、公等の語に従ひて遣はし去らしめんと欲せば、朕若し是非得失有らば、公等能く朕を正すや否や。何に因りて輒く言ふ所有るや。大いに道理に非ず、と。乃即ち李靖をして使に充てしむ。〔▽三七七頁〕


第八章

貞観八年、太宗、侍臣に謂ひて曰く、隋の時、百姓は縦ひ財物有るも、豈に自ら保つことを得んや。朕、天下を有ちてより已来、心を撫養に存し、科差する所有る無し。人人、皆、生を営みて其の資材を守るを得るは、即ち朕が賜ふ所なり。向使朕をして科喚すること已まざらしめば、数々賞賜すと雖も、亦、得ざるに如かず、と。侍中魏徴対へて曰く、尭舜、上に在るも、百姓亦云ふ、田を耕して食ひ、井を鑿ちて飲む、と。哺を含み腹を鼓して云ふ、帝何ぞ其の間に力あらん、と。今、陛下、此の若く百姓を含養す。日に用ひて知らずと謂ふ可し、と。〔▽三七九頁〕
又、奏して称す、晋の文公出でて田し、獣を*とう山(とうざん)に逐ひ、大沢に入り、迷ひて出づる所を知らず。其の中に漁者有り。文公謂ひて曰く、我は若が君なり。道将に安くにか出でんとする。我且に厚く若に賜はんとす、と。漁者曰く、臣願はくは献ずる有らん、と。文公曰く、沢を出でて之を受けん、と。是に於て送りて沢を出づ。文公曰く、今、子が寡人に教へんと欲する所の者は何ぞや。願はくは之を受けん、と。漁者曰く、鴻鵠は河海の中に保つ。厭心して移徙して小沢に之けば、則ち必ず*そう丸(そうがん)の憂有り。*げんだ(げんだ)は深泉を保つ。厭心して出でて浅渚に之けば、則ち必ず羅網釣射の憂有り。今、君、獣を*とう(とう)に逐ひ、入りて此に至る。何ぞ行くことの太だ遠きや、と。〔▽三八〇頁〕
文公曰く、善きかな、と。従者に謂ひて曰く、漁者の名を記せよ、と。漁者曰く、君何ぞ名を以て為さん。君、天を尊び、地に事へ、社稷を敬し、四海を保ち、万人を慈愛し、賦斂を薄くし、租税を軽くせば、臣も亦之に与からん。君、天を尊ばず、地に事へず、社稷を敬せず、四国を固くせず、外、礼を諸侯に失ひ、内、人心に逆ひ、一国を流亡せば、漁者、厚賜有りと雖も、保つを得ざらん、と。遂に辞して受けず、と。太宗曰く、卿の言、是なり、と。〔▽三八一−二頁〕
※『太平記』巻二十

第九章

貞観十一年、太宗行して漢の太尉楊震の墓に至り、其の忠を以て非命なるを傷み、親ら文を為りて以て之を祭る。房玄齢進みて曰く、楊震、当年夭枉すと雖も、数百年の後、方に聖明に遇ひ、輿を停め蹕を駐め、親ら神位を降す。此れ死すと雖も生けるが如く、没すれども朽ちずと謂ふ可し。覚えず伯起を助く、幸に頼りて九泉の下に欣躍せん。伏して天文を読み、且つ感じ且つ慰む。凡百の君子、焉んぞ名節を勗め励まし、善を為すの効有るを知らざる可けんや、と。〔▽三八二−三頁〕


第十章

貞観十一年、上、侍臣に謂ひて曰く、狄人、衛の懿公を殺し、尽く其の肉を食ひ、独だ其の肝を留む。懿公の臣弘演、天を呼んで大哭し、自ら其の肝を出して、懿公の肝を其の腹中に内る。今、此の人を覓むるも、恐らくは得可からざらん、と。〔▽三八四頁〕
特進魏徴対へて曰く、君の之を待つに在るのみ。昔、豫譲、智伯の為めに讎を報い、趙襄子を刺さんと欲す。襄子、執へて之を獲、譲に謂ひて曰く、子は昔、范・中行氏に事へざりしや。智伯尽く之を滅ぼす。子、乃ち質を智伯に委し、為めに讎を報いざりき。今、智伯の為めに讐を報ゆるは、何ぞや、と。譲、答へて曰く、臣、昔、范・中行に事ふ。中行は衆人を以て我を遇せり。我、衆人を以て之に報いたり。智伯は国士を以て我を遇せり。我、国士を以て之に報ゆ、と。君の之を礼するに在るのみ。何ぞ其れ人無しと為さんや、と。〔▽三八四−五頁〕


第十一章

貞観十二年、太宗、蒲州に幸す。詔して曰く、隋の故の鷹撃郎将尭君素、往に大業に在りて、任を河東に受け、固く忠義を守り、克く臣節を終ふ。桀の犬、尭に吠え、戈を倒にするの志に乖く有りと雖も、疾風勁草、実に歳寒の心を表す。爰に茲の境を践み、往事を追懐す。宜しく寵命を錫ひて、以て勧奨を申ぶべし。蒲州の刺史を追贈す可し、と。仍りて其の子孫を訪ひて以聞せしむ。〔▽三八六−七頁〕


第十二章

貞観十三年、太宗、中書侍郎岑文本に謂ひて曰く、梁陳の名臣、誰か称す可き有りや。復た、子弟の招引するに堪ふるもの有りや否や、と。文本言ふ、隋の師、陳に入るとき、百司奔散す。惟だ尚書僕射袁憲のみ、独り其の主の傍に在り。王世充、将に隋の禅を受けんとするや、群僚、表請勧進す。憲の子国子司業承家、疾に託して独り名を署せず。此の父子、忠烈と称するに足る。承家に弟の承序有り、今、建昌の令と為る。清貞雅操、寔に先風を継ぐ、と。是に因りて召して晋王の友に拝し、兼ねて侍読せしむ。尋いで擢んでて弘文館学士を授く。〔▽三八八頁〕


第十三章

太宗、遼東の安市城を攻む。高麗の人衆、皆、死戦す。詔して権延寿・恵真等をして、降衆を領し、其の城下に止まり以て之を招かしむ。城中、固く守りて動かず。帝の幡旗を見る毎に、必ず城に乗りて鼓噪す。帝、怒ること甚だし。江夏王道宗に詔して、土山を築き以て其の城を攻めしむ。竟に剋つ能はず。太宗、将に師を旋さんとするや、安市城主が固く城を守るの節を嘉し、絹三百匹を賜ひ、以て君に事ふる者を励ます。〔▽三八九頁〕



論孝友第十五
第一章

司空房玄齢、継母に事へて能く色を以て養ひ、恭謹、人に過ぐ。其の母病み、医人を請ふ。門に至れば、必ず迎へ拝して泣を垂る。喪に居るに及びて、尤も甚だ柴毀す。太宗、散騎常侍*劉き(りゅうき)に命じ、就きて寛譬を加へしめ、寝牀に就き漸く塩菜を食せしむ。〔▽三九〇−一頁〕


第二章

虞世南、初め隋に仕へて起居舎人を歴。宇文化及の弑逆の際、其の兄の世基、時に内史侍郎たり。将に誅せられんとするとき、世南、抱持して号泣し、身を以て死に代はらんと請ふ。化及、竟に納れず。世南、此より哀毀骨立すること数載、時人、称重す。〔▽三九一−二頁〕


第三章

韓王元嘉、貞観の初*ろ州(ろしゅう)の刺史と為る。時に年十五。州に在りて、太姫疾有りと聞き、便ち涕泣して食せず。京師に至り喪を発するに及びて、哀毀、礼に過ぐ。太宗、其の至性を嗟し、屡々之を慰勉す。元嘉、閨門修整にして、寒素の士大夫に類する有り。其の弟の魯王*霊き(れいき)と、甚だ相友愛す。兄弟集まり見ゆること、布衣の礼の如し。其の身を修め己を潔くすること、当代の諸王、能く及ぶ者莫し。〔▽三九二−三頁〕


第四章

霍王元軌、武徳中、初めて封ぜられて呉王と為る。貞観七年、寿州の刺史と為る。属々高祖崩じて職を去り、毀瘠、礼に過ぐ。自後、毎に布服を衣、終身の戚有るを示す。太宗嘗て侍臣に問ひて云く、朕が子弟孰か賢なる、と。侍中魏徴対へて曰く、臣、愚暗にして、尽くは其の能を知ること能はず。惟だ呉王数々臣と言ふ。臣未だ嘗て自失せずんばあらず、と。上曰く、卿、前代を以て誰に比す、と。徴曰く、経学文雅は、亦、漢の間平なり。孝行の如きに至りては、乃ち古の曾閔なり、と。是に由りて、寵遇弥々厚し。因りて徴の女を妻はせむ。〔▽三九四頁〕


第五章

貞観中、突厥の史行昌といふもの有り、玄武門に直す。食ひて肉を捨く。人、其の故を問ふ。曰く、帰りて以て母に奉ぜん、と。太宗聞きて歎じて曰く、仁孝の性は、豈に華夷を隔てんや、と。馬一疋を賜ひ、詔して其の母に肉料を給せしむ。〔▽三九五頁〕



論公平第十六
第一章

太宗、初めて位に即きしとき、中書令房玄齢奏言す。秦府の旧左右の未だ官を得ざる者、竝びに、前宮及び斉府の左右の、処分の己に先だつを怨む、と。太宗曰く、古、至公と称する者は、蓋し平恕にして私無きを謂ふ。丹朱・商均は子なり。而るに尭舜、之を廃せり。管叔・蔡叔は兄弟なり。而るに周公、之を誅せり。故に知る、人に君たる者は、天下を以て心と為し、物に私する無きを。昔、諸葛孔明は小国の相なり。猶ほ曰く、吾が心は秤の如し、人の為めに軽重を作すこと能はず、と。況んや、我、今、大国を理むるをや。〔▽三九六頁〕
朕、卿等と、衣食、百姓より出づ。此れ則ち人力已に上に奉ずるも、上の恩未だ下に被らざるなり。今、賢才を択ぶ所以の者は、蓋し百姓を安んずるを求むるが為なり。人を用ふるには但だ堪ふるや否やを問ふのみ。豈に新故を以て情を異にせんや。凡そ一面すら尚ほ且つ相親しむ、況んや旧人にして頓に忘れんや。才若し堪へずんば、亦豈に旧人を以て先に用ひんや。今、其の能否を論ぜずして、直だ其の怨嗟を言ふは、豈に是れ至公の道ならんや、と。〔▽三九七−八頁〕


第二章

貞観元年、封事を上る者有り。秦府の旧兵、竝びに授くるに武職を以てし、追ひて宿衛に入れんと請ふ。太宗謂ひて曰く、朕、天下を以て家と為す、一物に私する能はず。惟だ才行有るものに是れ任ず。豈に新旧を以て差を為さんや。況んや古人云ふ、兵は猶ほ火の如きなり。*おさ(おさ)めずんば将に自ら焚かんとす、と。汝の此の意、政理を益するに非ず、と。〔▽三九九頁〕


第三章

貞観元年、吏部尚書長孫無忌、嘗て召されて内に入り、佩刀を解かずして、東上の閤門に入る。出でて後、監門校尉始めて覚る。尚書右僕射封徳彝議す。以ふに、監門校尉の覚らざるは、罪、死に当す。無忌の誤りて刀を帯びて入るは、徒二年、罰銅二十斤、と。太宗、之に従ふ。〔▽四〇〇頁〕
大理少卿載冑、駁して曰く、校尉の覚らざると、無忌の帯入と、同じく誤と為すのみ。臣子の尊極に於ける、誤と称するを得ず。律に准ずるに云はく、供御の湯薬・飲食・舟船、誤て法の如くせざる者は皆死す、と。陛下、若し其の功を録せば、憲司の決する所に非ず。若し当に法に拠るべくんば、罰銅は未だ衷を得たりと為さず、と。〔▽四〇〇−一頁〕
太宗曰く、法は、朕一人の法に非ず。乃ち天下の法なり。豈に無忌が国の親戚なるを以て、便ち法を撓めんと欲するを得んや、と。更に議を定むべし。徳彝、議を執ること初の如し。太宗、将に徳彝の議に従はんとす。冑、又、駁奏して曰く、校尉は無忌に縁りて以て罪を致す。法に於て当に軽かるべし。若し其の過誤を論ぜば、則ち情たること一なり。而るに生死頓に殊なれり。敢て以て固く請ふ、と。太宗、乃ち校尉の死を免す。〔▽四〇一−二頁〕
是の時、朝廷盛んに選挙を開く。或は階資を詐偽する者有り。太宗、其れをして自首せしむ。首せずんば、罪、死に至らん、と。俄にして詐偽する者有りて、事洩る。載冑、法に拠り流に断じ以て之を奏す。太宗曰く、朕、勅を下し、首せざる者は死せん、と。今、断ずること流に従ふ。是れ天下に示すに不信を以てするなり、と。冑曰く、陛下、当即に之を殺さば、臣が及ぶ所に非ず。既に所司に付さば、臣、敢て法を虧かず、と。太宗曰く、卿自ら法を守り、而して朕をして信を失はしむるか、と。〔▽四〇二−三頁〕
冑曰く、法は、国家の大信を天下に布く所以なり。言は、当時の喜怒の発する所なるのみ。陛下、一朝の忿を発して、之を殺すを許し、既に不可なるを知りて、之を法に*お(お)く。此れ乃ち小忿を忍びて大信を存するなり。若し忿に順ひて信に違ふは、臣竊に陛下の為に之を惜む、と。太宗曰く、法、失ふ所有れば、卿能く之を正す。朕、何ぞ憂へんや、と。〔▽四〇三−四頁〕


第四章

貞観二年、太宗、房玄齢等に謂ひて曰く、朕、比、隋代の遺老が、盛んに*高けい(こうけい)は善く相たる者と称するを見、遂に其の本伝を観る。公平正直にして、尤も治体を識ると謂ふ可し。隋室の安危は、其の存没に繋る。煬帝無道にして、枉げて誅夷せらる。何ぞ嘗て其の人を想見し、書を拝して欽歎せざらんや。〔▽四〇五頁〕
又、漢魏已来、諸葛亮が相たる有り。亦甚だ平直なり。亮嘗て表して廖立・李厳を南中に廃す。立、亮卒すと聞き、泣きて曰く、吾其れ左衽せん、と。厳、亮卒すと聞き、病を発して死す。故に陳寿称す、亮の政を為すや、誠心を開き、公道を布く。忠を尽くし時に益ある者は、讎と雖も必ず賞し、法を犯し怠慢なる者は、親しと雖も必ず罰す、と。卿ら豈に之に及ばんことを企慕せざる可けんや。朕、今、毎に前代の帝王の善き者を慕ふ。卿等も亦、宰相の賢なる者を慕ふ可し。若し是の如くならば、則ち栄名高位、以て長く守る可し、と。〔▽四〇五−六頁〕
玄齢対へて曰く、臣聞く、国を理むるの要道は、実に公平正直に在り、と。故に尚書に云ふ、偏無く黨無く、王道蕩蕩たり。黨無く偏無く、王道平平たり、と。又、孔子称す、直きを挙げて諸々の枉がれるを措けば則ち人服す、と。今、聖慮の尚ぶ所、誠に以て政教の源を極め、至公の要を尽くし、区宇を嚢括し、天下を化成するに足る、と。太宗曰く、此れ真に朕の懐ふ所なり。豈に卿等と与に之を言ひて行はざる有らんや、と。〔▽四〇六−七頁〕


第五章

長楽公主は、文徳皇后の生む所にして、太宗、尤も鍾愛を加ふ。貞観中、将に出降せんとす。特に所司に勅して、資送、長公主に倍せしむ。魏徴奏言す、昔、漢の明帝、其の子を封ぜんと欲す。帝曰く、朕の子、豈に先帝の子に同じくするを得んや、楚・淮陽王に半ばす可し、と。前史、以て美談と為せり。天子の姉妹を長公主と為し、天子の女を公主と為す。既に長の字を加ふるは、良に公主よりも尊きを以てなり。情、殊なる有りと雖も、礼法は逾越す可からず。若し公主の礼をして、長公主に過ぐること有らしめば、理恐らくは不可ならん。願はくは陛下、之を思はんことを、と。〔▽四〇八頁〕
太宗、善しと称し、乃ち其の言を以て后に告ぐ。后、歎じて曰く、魏徴の奏する所、甚だ是れ公平なり。乃ち能く義を以て主の情を制す。真に社稷の臣なり。妾、陛下と、結髪して夫妻と為り、曲に礼敬を蒙り、情義深重なり。将に言ふこと有らんとする毎に、必ず顔色を候ひ、尚ほ敢て軽々しく威厳を犯さず。況んや臣下に在りては、情疎にして礼隔たる。豈に言ひ難からざらんや、と。因りて請ひて中使を遣はし、帛五百匹を賚し、徴の宅に詣り、以て之に賜はしむ。〔▽四〇九頁〕


第六章

刑部尚書張亮、謀反に坐し、詔獄に下し、百官をして之を議せしむ。多くは、亮は当に誅すべし、と言ふ。惟だ殿中少監李道裕奏す、亮の反形未だ具はらず、明かに其れ罪無し、と。太宗、既に盛怒し、竟に之を殺す。俄にして刑部侍郎、闕くる有り。宰相をして其の人を妙択せしむ。累りに奏すれども可とせず。太宗曰く、朕已に其の人を得たり。往者、李道裕、張亮を議して云ふ、反形未だ具はらず、明かに其れ罪無し、と。公平なりと謂ふ可し。当時、其の言を用ひずと雖も、今に至りて追悔す、と。遂に道裕に刑部侍郎を授く。〔▽四一〇−一頁〕



論誠信第十七〔▽四一二頁〕
第一章

貞観の初、上書して佞臣を去らんことを請ふ者有り。太宗謂ひて曰く、朕の任ずる所は、皆、以て賢なりと為す。卿、佞者の誰なるかを知るや、と。対へて曰く、臣、草沢に居り、的かに佞者を知らず。請ふ、陛下、陽り怒りて以て群臣を試みよ。若し能く雷霆を畏れず、直言進諌するは、則ち是れ正人なり。情に順ひ旨に阿るは、則ち是れ佞人なり、と。〔▽四一二頁〕
帝、封徳彝に謂ひて曰く、朕聞く、流水の清濁は、其の源に在るなり、と。君は政の源、人庶は猶ほ水のごとし。君、自ら詐を為して、臣下の直を行はんことを欲するは、是れ猶ほ源濁りて而も水の清からんことを望むがごとし。理として得可からざるなり。朕、常に、魏の武帝の詭詐多きを以て、深く其の人と為りを鄙む。此の言、豈に教令と為すに堪ふ可けんや、と。上書の人に謂ひて曰く、朕、大信をして天下に行はれしめんことを欲す。詐道を以て俗に訓ふるを欲せず。卿の言は謂れ無し。朕の取らざる所なり、と。〔▽四一三頁〕


第二章

太宗、無忌に謂ひて曰く、朕が即位の初、上書する者有ること、一に非ず。或は言ふ、人主は必ず須く威権独運し、群下に委任するを得ざるべし、と。或は、兵を曜かし武を振ひて四夷を懾伏せんことを欲す。惟だ魏徴のみ朕をして革を偃し文を興し、徳を布き恵を施さしむる有り。中国既に安からば、遠人自ら服せん、と。朕、其の語に従ひ、天下大いに寧く、絶域の君長、皆来りて朝貢し、九夷訳を重ね、道に相望む。凡そ此れ等の事は、皆、魏徴の力なり。朕の任用、豈に人を得ざらんや、と。徴、拝謝して称して曰く、陛下、聖徳、天よりし、心を政術に留む。臣、庸短を以て承受するに暇あらず。豈に聖朝に益有りと称するを得んや、と。〔▽四一四−五頁〕


第三章

貞観十一年、時に屡々閹宦の外使に充つる有り、妄りに奏する所有り、太宗の怒を発す。魏徴進みて曰く、閹竪は、微なりと雖も、左右に狎近し、時に言語有れば、軽くして信じ易し。浸潤の譖、患たること特に深し。今日の明は、必ず慮る所無し。子孫の教を為すには、其の源を救絶せざる可からず、と。太宗曰く、卿に非ざれば、朕安んぞ此の語を聞くを得ん。今より以後、使に充つるは宜しく停むべし、と。〔▽四一六頁〕
魏徴曰く、臣聞く、人君たる者は、善を善みして悪を悪み、君子を近づけて小人を遠ざくるに在り、と。善を善みすること明かなれば、則ち君子進む。悪を悪むこと著るれば、則ち小人遠ざかる。君子を近づくれば、則ち朝に粃政無し。小人を遠ざくれば、則ち聴くこと邪に惑はず。小人も小善無きに非ず、君子も小過無きに非ず。君子の小過は、蓋し白璧の微瑕、小人の小善は、則ち鉛刀の一割なり。鉛刀の一割は、良工を重んぜざる所、一善は以て衆悪を掩ふに足らざるなり。白璧の微瑕は、善賈の棄てざる所、小疵は以て大美を妨ぐるに足らざるなり。小人の小善を善みして、之を善を善よすと謂ひ、君子の小過を悪みて、之を悪を悪むと謂ふが若きは、此れ則ち蒿蘭、臭を同じくし、玉石、分たざるなり。屈原が江に沈みし所以、卞和が血に泣きし所以の者なり。既に玉石の分を識り、又、蒿蘭の臭を弁じ、善を善みすれども進むる能はず、悪を悪めども去る能はざるは、此れ郭氏が墟と為る所以、史魚が恨を遺す所以の者なり。〔▽四一七頁〕
陛下、聡明神武、天姿英叡、志、泛愛に存し、引納すること途多し。善を好めども甚だしくは人を択ばず、悪を疾めども未だ佞を遠ざくること能はず。又、言を出して隠す無く、悪を疾むこと太だ深し。人の善を聞けば、或は未だ全くは信ぜず、人の悪を聞けば、以て必ず然りと為す。独見の明有りと雖も、猶ほ理或は未だ尽くさざらんことを恐る。何となれば則ち君子は人の善を揚げ、小人は人の悪を訐く。悪を言ひて必ず信ぜらるれば、則ち小人の道長ず。善を聞きて或は疑へば、則ち君子の道消す。国家を為むる者は、君子を進めて小人を退くるを急にす。乃ち君子をして道消し、小人をして道長ぜしむれば、則ち君臣、序を失ひ、上下否隔す。乱亡、*うれ(うれ)へず、将た何を以て理まらんや。〔▽四一九頁〕
且つ世俗の常人は、心、遠慮無く、常、告訐に在り、好みて朋黨を言ふ。夫れ善を以て相成す、之を同徳と謂ひ、悪を以て相成す、之を朋黨と謂ふ。今は則ち清濁、流を共にし、善悪、別無く、告訐を以て誠直と為し、同徳を以て朋黨と為す。之を以て朋黨と為せば、則ち事、信ず可き無しと謂ふ。之を以て誠直と為せば、則ち言、皆、取る可しと謂ふ。此れ君恩の下に結ばざる所以、臣忠の上に達せざる所以なり。大臣、弁正する能はず、小臣、之を敢て論ずる莫し。遠近、風を承け、混然として俗を成す。国家の福に非ず、理を為すの道に非ず。適に以て姦邪を長じ、視聴を乱り、君をして信ずる所を知らず、臣をして相安んずるを得ざらしむるに足る。若し深く其の源を絶たずんば、則ち後患未だ之れ息まざるなり。今の行にして未だ敗弊せざる者は、君が遠く慮ること有り、之を始に失ふと雖も、必ず之を終に得るに由るが故なり。若し時、少しく堕るるに逢はば、往きて反らざらん。之を悔いんと欲すと雖も、必ず及ぶ所無からん。既に以て諸を後嗣に伝ふ可からず、復た何ぞ法を将来に垂れん。〔▽四二〇−一頁〕
且つ夫れ善を進めて悪を黜くるは、人に施す者なり。古を以て鑒と作すは、己に施す者なり。貎を鑒みるは止水に在り、己を鑑みるは哲人に在り。能く古の哲王を以て、己の行事を鑑みれば、則ち貎の妍醜、宛然として目に在り、事の善悪、自ら心に得るなり。司過の史を労する無く、芻蕘の議を仮らず、巍巍の功日に著れ、赫赫の名弥々遠し。人君たる者、務めざる可けんや。〔▽四二二頁〕
臣聞く、道徳の厚きは、軒唐よりも尚きは莫く、仁義の隆なるは、舜禹よりも彰はるるは莫し、と。君、軒唐の風を継がんと欲し、将に舜禹の跡を追はんとすれば、必ず之を鎮むるに道徳を以てし、之を弘むるに仁義を以てし、善を挙げて之に任じ、善を択びて之に従ふ。善を択び能に任ぜずして、之を俗吏に委するは、既に遠度無く、必ず大体に遠し。唯だ三尺の律を奉じ、以て四海の人を縄せば、垂拱無為を求めんと欲するも、得可からざるなり。〔▽四二三頁〕
故に聖哲君臨し、風を移し俗を易ふるは、厳刑峻法に資らず、仁義在るのみ。故に仁に非ざれば、以て広く施す無く、義に非ざれば、以て身を正しくする無し。下を恵むに仁を以てし、身を正しくするに義を以てすれば、則ち其の政、厳ならずして理まり、其の教、粛ならずして成る。然れば則ち仁義は理の基なり。刑罰は理の末なり。理を為すの刑罰有るは、猶ほ御を執るの鞭策有るがごときなり。人、皆、化に従へば、刑罰、施す所無し。馬、其の力を尽くせば、則ち鞭策も用ふる所無し。此に由りて之を言へば、刑罰は理を致す可からざること、亦已に明かなり。〔▽四二四頁〕
故に潜夫論に曰く、人君の理は、道徳教化よりも大なるは莫きなり。民に性有り、情有り、化有り、俗有り。情性は心なり、本なり。俗化は行なり、末なり。是を以て、上君の世を撫する、其の本を先にして其の末を後にし、其の心に順ひて其の行を履む。心情苟に正しければ、則ち姦慝、生ずる所無く、邪意、載する所無し。〔▽四二五頁〕
是の故に、上聖は民事を治むるを務めずして、民心を理むるを務む。故に曰く、訟を聴くは、吾猶ほ人のごときなり。必ずや訟無からしめんか、と。之を導くに礼を以てし、務めて其の性を厚くして、其の情を明かにす。民相愛すれば、則ち相害傷するの意無く、動きて義を思へば、則ち姦邪を蓄ふるの心無し。此の若きは、律令の理むる所に非ざるなり。此れ乃ち教化の致す所なり。聖人甚だ徳礼を尊びて、刑罰を卑しむ。故に舜は先づ契に勅するに、敬みて五教を敷くを以てし、而る後に*咎よう(こうよう)に任ずるに、五刑を以てせしなり。凡そ法を立つる者は、以て民の短を司りて過誤を誅するに非ざるなり。乃ち以て姦悪を防ぎて禍を救ひ、淫邪を検して正道に内る。民、善化を蒙れば、則ち人、士君子の心有り、悪政を被れば、則ち人、姦乱を懐ふの慮有り。故に善化の民を養ふは、猶ほ工の*麹し(きくし)を為るがごときなり。六合の人は、猶ほ*一いん(いちいん)のごときなり。黔首の属は、猶ほ豆麦のごときなり。変化云為、将ゐる者に在るのみ。良吏に遭へば、則ち忠信を懐きて仁厚を履み、悪吏に遇へば、則ち姦邪を懐きて浅薄を行ふ。忠厚積もれば、則ち太平を致し、浅薄積もれば、則ち危亡致す。〔▽四二五−六頁〕
是を以て、聖帝・明王、皆、徳化を敦くして、威刑を薄くするなり。徳は、己を修むる所以なり。威は、人を理むる所以なり。民の生や、由ほ鑠金の炉に在るがごとく、方円薄厚は、鎔制に随ふのみ。是の故に、世の善悪、俗の薄厚は、皆、君に在り。世主、誠に能く六合の内、挙世の人をして、咸く方厚の情を懐きて、浅薄の悪無く、各々公正の心を奉じて、姦険の慮無からしめば、則ち*醇げん(じゅんげん)の俗、復た茲に見はれん、と。後王、未だ古に遵ひて専ら仁義を尚ぶ能はずと雖も、当に刑を慎み典を*うれ(うれ)へ哀敬して私無かるべし。故に管子に曰く、聖君は法に任じて智に任ぜず、公に任じて私に任ぜず。故に天下に王とし、国家を理む、と。〔▽四二七−八頁〕
貞観の初、志、公道を存す。人、犯す所有れば、一一、法に於てす。縦ひ時に臨みて処断するも、或は軽重有れば、但だ臣下の執論するを見、忻然として受納せざるは無し。民、罪の私無きを知る、故に甘心して怨みず。下、言の忤ふ無きを見る。故に力を尽くして以て忠を効す。頃年以来、意漸く深刻なり。三面の網を開くと雖も、而も川中の魚を察見す。取捨は愛憎に在り、軽重は喜怒に由る。之を愛する者は、罪、重しと雖も、而も強ひて之が辞を為し、之を悪む者は、過、小なりと雖も、而も深く其の意を探る。法、定科無く、情に任せて以て軽重す。人、執論する有れば、之を疑ふに阿偽を以てす。故に罰を受くる者は、控告する所無く、官に当る者は、敢て正言する莫し。其の心を服せずして、但だ其の口を窮む。之に罪を加へんと欲せば、其れ辞無からんや。〔▽四二九頁〕
又、五品已上、犯す有れば、悉く曹司をして聞奏せしむ。本、其の情状を察して、哀矜する所有らんと欲す。今は乃ち曲さに小節を求め、或は其の罪を重くし、人をして攻撃せしめ、惟だ深からざるを恨む。事、重條無く、之を法外に求む。加ふる所、十に六七有り。故に頃年、犯す者は上聞せんことを懼れ、法司に付するを得れば、以て多幸と為す。告訐、已むこと無く、窮理、息まず。君、上に私し、吏、下に姦す。細過を求めて大体を忘れ、一罰を行ひて衆姦を起す。此れ乃ち公平の道に背き、泣辜の意に乖く。其の人和し訟息まんことを欲するも、得可からざるなり。〔▽四三〇−一頁〕
故に体論に云はく、其れ淫逸盗竊は、百姓の悪む所なり。我、従ひて之を刑罰す。当に過ぐと雖も、百姓、我を以て暴と為さざるは、公なればなり。怨曠飢寒も、亦百姓の悪む所なり。遁れて之が法に陥る。我、従ひて之を寛宥す。百姓、我を以て偏と為さざるは、公なればなり。我の重くする所は、百姓の憎む所なり。我の軽くする所は、百姓の憐む所なり。是の故に賞軽けれども善を勧め、刑省けども姦を禁ず。〔▽四三二頁〕
之に由りて之を言へば、公の法に於ける、可ならざる無きなり。過軽も亦可なり、過重も亦可なり。私の法に於ける、可なる無きなり。過軽は則ち姦を縦し、過重は則ち善を傷る。聖人の法に於けるや公なり。然れども猶ほ其の未だしきを懼れて、之を救ふに化を以てす。此れ上古の務むる所なり。後の獄を理むる者は則ち然らず。未だ罪人を訊せざれば、則ち先づ之が意を為し、其の之を訊するに及びては、則ち駆りて之を意に致す、之を能と謂ふ。獄の由つて生ずる所を探りて之が分を為さずして、上、人主の微旨を求めて以て制を為す、之を忠と謂ふ。其の官に当るや能に、其の上に事ふるや忠なれば、則ち名利に随ひて之に与ふ。駆りて之を陥れ、道化の隆なるを望まんと欲するは、亦難からずや。〔▽四三三頁〕
凡そ訟を聴き獄を決するには、必ず父子の親に原づき、君臣の義を立て、軽重の叙を権り、浅深の量を測り、其の聡明を悉くし、其の忠愛を致し、然る後に之を察す。疑はしければ則ち衆と之を共にし、疑はしければ則ち軽き者に従ふ。之を重んずる所以なり。故に舜、*咎よう(こうよう)に命じて云く、汝、士と作れ。惟れ刑を之*うれ(うれ)へよ、と。又復た之に加ふるに三訊を以てし、衆の善しとする所にして、然る後之を断ず。是を以て法を為ること之を人情に参す。故に伝に曰く、小大の獄、察する能はずと雖も、必ず情を以てす、と。而るに世俗の拘愚苛刻の吏は、以為へらく情とは、貨を取る者なり、愛憎を立つる者なり、親戚を右くる者なり、怨讎を陥るる者なり、と。何ぞ世俗の小吏の情と夫の古人との懸に遠きや。有司、此の情を以て之を群吏に疑ひ、人主、此の情を以て之を有司に疑ふ。是れ君臣上下、通ぜずして相疑ふなり。通ざずして相疑ひ、其の忠を尽くし節を立てんことを欲するは難し。〔▽四三四頁〕
凡そ獄を理むるの情、必ず犯す所の事に本づきて以て之が主と為し、放訊せず、旁求せず、多端を貴びて以て聡明を見はさず。故に律に其の挙劾の法を正し、其の辞を参伍するは、実を求むる所以なり。実を飾る所以に非ざるなり。但だ正に参伍して明かに之を聴くべきのみ。獄吏をして鍛錬して理を飾り、辞を手に成さしめず。孔子曰く、古の獄を聴くは、之を生かす所以を求むるなり。今の獄を聴くは、之を殺す所以を求むるなり、と。故に言を析きて以て律を破り、案を詆りて以て法を成し、左道を執りて政を乱すは、皆、王誅の必ず加はる所以なり、と。〔▽四三五−六頁〕
又、淮南子に曰く、豊水の深さ十仞、金鉄、焉に在れば、則ち形、外に見はる。深く且つ清からざるに非ず。而も魚鼈、之に帰する莫きなり。故に政を為す者は、苛を以て察と為し、切を以て明と為し、下を刻するを以て忠と為し、訐多きを以て功と為す者は、譬へば猶ほ革を広くするがごとし。大は則ち大なり。裂くるの道なり、と。〔▽四三六−七頁〕
夫れ賞の疑はしきは重きに従ひ、罰の疑はしきは軽きに従ふ。君、其の厚きに居るは、百王の通制なり。故に蔵孫の厳猛、魯邦、其の亡びざるを患へ、子産の寛仁、鄭国、其の将に死せんとするを憂ふ。刑の軽重、恩の厚薄、思はるると疾まるると、其れ日を同じうして言ふ可けんや。且つ法は、国の権衡なり。時の準縄なり。権衡は、軽重を定むる所以、準縄は、曲直を正す所以なり。今、法を作るには其の寛平を貴び、人を罪するには其の厳酷を欲す。喜怒、情を肆にし、高下、心に在り。是れ則ち準縄を捨てて以て曲直を正し、権衡を捨てて軽重を定むる者なり。亦惑へるならずや。〔▽四三八頁〕
諸葛孔明は、小国の相なり。猶ほ曰く、吾が心は秤の如し。人の為に軽重を為す能はず、と。況んや万乗の主、封ず可きの日に当りて、心に任じて法を去りて、怨を人に取らんや。又、時に小事の、人の聞くを欲せざるもの有れば、則ち暴に威怒を作して、以て謀議を*とど(とど)む。若し為す所是ならば、外に聞ゆとも、其れ何ぞ傷まん。若し為す所非ならば、之を掩ふと雖も、其れ何ぞ益せん。故に諺に曰く、人の知らざらんことを欲せば、為さざるに若くは莫し。人の聞かざらんことを欲せば、言ふ勿きに若くは莫し、と。之を為して人の知らざらんことを欲し、之を言ひて人の聞かざらんことを欲するは、此れ猶ほ雀を捕へて以て目を掩ひ、鐘を盗みて耳を掩ふ者の如し。祇に以て其れ怪を取る、将た何の益あらんや。〔▽四三八−九頁〕
臣又之を聞く、常に乱るるの国無く、治む可からざるの民無し。君の善悪に在り、化の薄厚に由る、と。故に禹湯は之を以て理まり、桀紂は之を以て乱れ、文武は之を以て安く、幽は之を以て危し。是を以て、古の哲王は、己を罪して以て人を尤めず、身に求めて以て下を責めず。故に曰く、禹湯は己を罪し、其の興るや勃焉たり。桀紂は人を罪し、其の亡ぶるや忽焉たり、と。今、己を罪するの事は未だ聞かず、人を罪するの心は已むこと無し。既に惻隠の情に乖き、実に姦邪の路を啓く。温舒、之を嚢日に恨む、臣も亦、当今に恨みんと欲す。恩、人心に結ばずして、而も刑措きて用ひざらんことを望むは、聞く所に非ざるなり。〔▽四四〇頁〕
臣聞く、尭に敢諌の鼓有り、舜に誹謗の木有り、湯に司過の史有り、武に戒慎の銘有り、と。此れ皆、之を無形に聴き、之を未有に求め、己の心を虚しくして以て下を待ち、下情の上に達し、上情の私無く、君臣、徳合することを庶ふ者なり。魏の文帝云はく、有徳の君は、逆耳の言、犯顔の諍を聞くを楽み、忠臣を親しみ、諌士を厚くし、讒匿を斥け、佞人を遠ざくる所以の者は、誠に、身を全くし国を保ち、滅亡を遠避せんと欲する者なり、と。凡百の君子、期に膺り運を統べ、縦ひ未だ上下、私無く、君臣、徳を合する能はずとも、身を全くし国を保ち、滅亡を遠避せんと欲せざる可けんや。書に云く、木、縄に従へば則ち正しく、君、諌に従へば則ち聖なり、と。然らば則ち古より聖哲の君、功なり事立つは、未だ徳を同じくし心を同じくして、予違へば汝弼くるに資らざる者有らざるなり。〔▽四四一−二頁〕
昔在、貞観の初、身を側て行を励まし、謙以て益を受け、善を聞けば必ず改む。時に小過有れば、忠規を引納す。直言を聴く毎に、喜、顔色に形はる。故に凡そ忠烈に在るもの、咸く其の辞を竭くせり。頃、海内虞無く、遠夷懾伏せしより、志意盈満し、事、厥の初に異なれり。高く邪を疾むを断ずれども、旨に順ふの説を聞くを喜び、空しく*忠とう(ちゅうとう)を論ずれども、耳に逆ふの言を悦ばず。私嬖の径漸く開け、至公の道日に塞がる。往来行路も、咸く之を知れり。故に埋輪壊疏の士をして、徒らに諤諤の心を懐き、牽裾折檻の臣をして、未だ懍懍の気を申べざらしむ。国の興喪は、実に斯の道に由る。人の上たる者、勉めざる可けんや。〔▽四四三−四頁〕
臣、数年以来、明旨を奉ずる毎に、深く群下の肯て言を尽くす莫きを怪しむ。臣竊かに之を思ふに、抑も由つて来るもの有り。比者、人或は上書し、事、得失有れば、惟だ其の短なる所を述ぶるを見、未だ其の長ずる所を称する有らず。又、天居自ら高く、龍鱗、犯し難し。造次に在りて、言を尽くす可からず。時に陳ぶる所有れども、意を尽くす能はず。又、重ねて謁せんことを思へども、其の道因し無し。且つ言ふ所理に当たれども、未だ必ずしも寵秩を加へず。意或は乖忤すれば、将に恥辱の之に随ふ有らんとす。能く節を尽くす莫きは、寔に此に由る。左右近侍は、*かい(かい)に朝夕すと雖も、事或は顔を犯すは、皆顧望を懐く。況んや疎遠にして接せざるは、将た何ぞ其の忠款を極めんや。〔▽四四四−五頁〕
又、時に或は宣言して云ふ、臣下、事を見れば、祇だ来り道ふ可し。何ぞ言ふ所に因りて、即ち我が用ふるを望まん、と。此れ乃ち諌を拒ぐの辞にして誠に忠を納るるの意に非ず。何を以てか之を言ふ。主の厳顔を犯し、可を献じ否を替つるは、主の美を成し、主の過を匡す所以なり。若し主聴惑ふこと有り、事、行はざる有らば、其れをして*忠とう(ちゅうとう)の言を尽くし、股肱の力を竭くさしむるも、猶ほ恐らくは事に臨みて懼れ、肯て其の誠款を効すこと莫からん。若し其れ道ふ所を論ぜば、便ち是れ其の面従を許し、而して又其の未だ言を尽くさざるを責むるなり。進退将に何の拠る所あらんとする。必ず其れをして諌を致さしめんと欲せば、之を好むに在るのみ。〔▽四四六頁〕
所以に斉桓、紫を服するを好みて、合境、異色を虞るる無し。楚王、細腰を好みて、後宮、餓死多し。夫れ耳目の玩を以てすら、既に人猶ほ死するも違はず。況んや聖明の君、忠正の士を求むれば、千里斯に応ずること、信に難しと為さず。若し徒らに其の言有れども、内に其の実無くんば、其の必ず至らんことを欲するも、之を得可からざるなり、と。〔▽四四七頁〕
太宗、手詔して曰く、前後の諷諭を省するに、皆、切至の言にして、固に卿に望む所なり。朕、昔、衡門に在りしとき、尚ほ惟れ童幼にして、未だ師保の訓に漸らず、先達の言を聞くこと罕なり。隋氏の分崩するに値ひ、万邦塗炭し、慄慄たる黔黎、身を庇ふに所無し。朕、二九の年より、溺を拯はんことを懐ふ有り、憤を発し袂を投じ、便ち干戈を事とし、霜露を蒙犯し、東西征伐し、日、給するに暇あらず、居、寧歳無く、蒼昊の霊を降し、廟堂の略を稟け、義旗の指す所、触向すれば平夷し、弱水流沙、竝びに*ゆう軒(ゆうけん)の使を通じ、被髪左衽、竝びに衣冠の域となり、正朔の班つ所、遠しとして届らざるは無し。恭しく宝暦を承け、*つつし(つつし)みて帝図を奉じ垂拱無為にして、氛埃静息すること、茲に於て十有余年なり。〔▽四四八頁〕
斯れ蓋し股肱、帷幄の謀を*つく(つく)し、爪牙、熊羆の力を竭くして、徳を協はせ心を同じくし、以て此を致す。豈に其れ寡薄にして、独り斯の休を享けんや。毎に大宝神器は、憂深く責重きを以て、常に万機多曠にして、四聡の達せざらんことを懼る。何ぞ嘗て戦戦競競として、坐して以て旦を待たざらんや。公卿に詢ひ、以て芻蕘*そう隷(そうれい)に至り、推すに赤心を以てし、刑措かんことを庶幾ふ。昔者、徇斉叡智、風牧に資りて以て隆平を致し、翼善欽明、稷契に頼りて以て至道を康んず。然る後、文徳武功、載せて鍾石に勒し、淳風至徳、以て竹素に伝へ、克く鴻名を播き、常に称首と為る。朕、虚薄を以て多く往代に慙づ。若し舟楫に任ぜずんば、豈に彼の巨川を済るを得んや。塩梅い藉らずんば、安んぞ夫の鼎味を調ふるを得んや、と。絹三百匹を賜ふ。〔▽四五〇頁〕


第四章

貞観十五年、魏徴、上疏して曰く、臣聞く、国を為むるの基は、必ず徳礼に資る。君の保つ所は、惟だ誠信に在り。誠信立てば、則ち下、二心無し。徳礼形はるれば、則ち遠人斯に格る、と。然れば則ち徳礼誠信は、国の大網、父子・君臣在りて、斯須も廃す可からざるなり。〔▽四五二頁〕
故に孔子曰く、君、臣を使ふに礼を以てし、臣、君に事ふるに忠を以てす、と。又曰く、古より皆死在り。人、信無くんば立たず、と。文子曰く、同じく言ひて信ぜらるるは、信、言の前に在り。同じく令して誠なるは、誠、令の後に在り、と。然れば則ち言ひて行はれざるは、言、信ならざるなり。令して従はれざるは、令、誠無きなり。信ならざるの言、誠無きの令、上と為りては則ち徳を敗り、下と為りては則ち身を危くす。顛沛の中に在りと雖も、君子の為さざる所なり。〔▽四五二−三頁〕
王道休明なりしより、十有余歳、威、海外に加はり、万国来庭し、倉廩日に積み、土地日に広し。然れども道徳未だ厚きを益さず、仁義未だ博きを益さざる者は、何ぞや。蓋し下を待つの情、未だ誠信を尽くさざるに由り、始を善くするの勤有りと雖も、未だ終を克くするの美を覩ざるが故なり。〔▽四五四頁〕
夫れ君、能く礼を尽くし、臣、忠を竭くすを得るは、必ず、外内、私無く、上下相信ずるに在り。上、信ならざれば、則ち以て下を使ふ無く、下、信ならざれば、則ち以て上に事ふる無し。信の道為るや大なるかな。故に天より之を祐く、吉にして利あらざるは無し、と。〔▽四五五頁〕
昔、斉の桓公、管仲に問ひて云く、吾、能く酒をして爵に腐り、肉をして俎に腐らしめんと欲す。覇に害無きを得んや、と。管仲曰く、此れ極めて其の善なる者に非ず。然れども亦覇を害する無きなり、と。公曰く、何如せば覇を害せんか、と。管仲曰く、人を知る能はざるは、覇を害するなり。知つて用ふる能はざるは、覇を害するなり。用ひて任ずる能はざるは、覇を害するなり。任じて信ずる能はざるは、覇を害するなり。既に信じて又小人をして之に参せしむるは、覇を害するなり、と。〔▽四五六頁〕
晋の中行穆伯、鼓を攻む。年を経て下すこと能はず。餽間倫曰く、鼓の嗇夫、間倫、之を知る。請ふ士大夫を疲らす無くして、鼓、得べし、と。穆伯、応へず。左右曰く、戟を折らず、一卒を傷はずして、鼓、得可し。君奚為れぞ取らざる、と。穆伯曰く、間倫の人と為りや、佞にして仁ならず。若し間倫をして、之を下さしめば、吾、以て之を賞せざる可けんや。若し之を賞せば、是れ佞人を賞するなり。佞人、志を得れば、是れ晋国の士をして、仁を捨てて佞を為さしめん。吾、鼓を得と雖も、将た何ぞ之を用ひん、と。〔▽四五六−七頁〕
夫れ穆伯は、列国の大夫、管仲は覇者の佐なるに、猶ほ能く信任を慎み、佞人を遠避すること此の如し。況んや四海の大君と為り、千齢の上聖に応じて、巍巍の盛徳をして、復た将に間然する所有らしむ可けんや。若し君子小人をして、是非、雑はらざらしめんと欲せば、必ず之を懐くるに徳を以てし、之を待つに信を以てし、之をますに義を以てし、之を節するに礼を以てし、然る後、善を善みして悪を悪み、罰を審かにして賞を明かにするときは、則ち小人は其の佞邪を絶ち、君子は自ら強めて息まず、無為の治、何の遠きことか之れ有らん。善を善みせども進むる能はず、悪を悪めども去る能はず、罰、罪有るに及ばず、賞、功有るに加はらずんば、則ち危亡の期、或は保す可からざらん。永く祚胤を錫はんこと、将た何ぞ望まんや、と。太宗、疏を覧て歎じて曰く、若し卿に遇はずんば、何に由りて此の説を聞くを得んや、と。〔▽四五七−八頁〕


第五章

貞観十七年、太宗、侍臣に謂ひて曰く、伝に称す、食を去り信を存す、と。孔子云く、人、信無くんば立たず、と。昔、項羽既に咸陽に入り、已に天下を制す。向に能く力めて仁信を行はば、誰か能く奪はんや、と。房玄齢対へて曰く、仁智礼義信、之を五常と謂ふ。一を廃すれば不可なり。能く勤めて之を行はば、甚だ裨益有らん。殷紂、五常を狎侮し、武王、之を伐つ。項氏、仁信無きを以て、漢祖の奪ふ所と為る。誠に聖旨の如し、と。〔▽四五九頁〕




下巻
貞観政要巻第六〔▽四六一頁〕
論倹約第十八
第一章

貞観元年、太宗、侍臣に謂ひて曰く、政を為すの要は、必ず須く末作を禁ずべし。伝に曰く、雕琢刻鍾は農事を傷り、纂俎文彩は女工を害ふ、と。古より聖人、法を制するや、節倹を崇び、奢侈を革めざるは莫し。又、古より帝王、凡そ興造有るは、必ず須く物情に順ふを貴ぶべし。昔、大禹、九山を鑿ち、九江を通じ、人力を用ふること極めて広し。而るに*怨とく(えんとく)無き者は、物情の欲する所にして、衆の有する所を共にするが故なり。秦の始皇、宮室を営建して、人多く謗議する者は、其の私欲に徇ひて、衆と共にせざるが為めの故なり。朕、今、一殿を造らんと欲し、材木已に具はる。遠く秦皇の事を想ひ、遂に復た作らざるなり。〔▽四六一−二頁〕
古人云ふ、無益を作して有益を害せざれ。欲す可きを見さざれば、人の心をして乱れざらしむ、と。固に知る、欲す可きを見れば、其の心必ず乱るるを。雕鏤器物、珠玉服玩の如きに至るまで、若し其の驕奢を恣にせば、則ち危亡の期、立ちて待つ可きなり。王公より以下、第宅車服、婚娶喪葬、品秩に準じ、服用に合せざる者は、宜しく一切禁断すべし、と。是に由りて二十年の間、風俗簡朴にして、衣、錦繍無く、財帛富饒にして、饑寒の弊無し。〔▽四六三頁〕


第二章

貞観二年、公卿奏して曰く、礼に依るに、季夏の月は、以て*臺しゃ(だいしゃ)に居る可し、と。今、盛暑未だ退かず、秋霖に始まる。宮中は卑湿なり。請ふ一閣を営みて以て之に居られよ、と。上曰く、朕、気病有り、豈に下湿に宜しからんや。若し来請を遂げなば、糜費良に多からん。昔、漢文、将に露臺を起さんとす。而るに十家の産を惜む。朕が徳、漢帝に逮ばず。而るに費す所之に過ぐるは、豈に人の父母為るの道と謂はんや、と。竟に許さず。〔▽四六四頁〕


第三章

貞観四年、上、侍臣に謂ひて曰く、宮宇を崇飾し、池臺に遊賞するは、帝王の欲する所にして、百姓の欲せざる所なり。帝王の欲する所の者は放逸なり、百姓の欲せざる所の者は労弊なり。孔子云く、一言にして以て身を終るまで之を行ふ可き者有り、其れ恕か。己の欲せざる所は、人に施す勿れ、と。労弊の事は、誠に百姓に施す可からず。朕、尊きこと帝王と為り、富、四海を有つ。毎事、己に由る。誠に能く自ら節す。百姓の欲せざるが若きは、必ず能く其の情に順はん、と。〔▽四六五−六頁〕
魏徴対へて曰く、陛下、大いに万姓を憐み、毎に己を節して以て人に順ふ。臣聞く、欲を以て人に従ふ者は昌え、人を以て己を楽ましむる者は亡ぶ、と。隋の煬帝は、志、厭く無きに在り、惟だ奢侈を好む。所司、供奉営造有る毎に、小しく意に称はざれば、則ち峻罰厳刑有り。上の好む所は、下、必ず甚だしき有り。競ひ為すこと限無く、遂に滅亡に至れり。此れ書籍の伝ふる所に非ず、亦、陛下の目に親しく見る所なり。其の無道なるが為めに、故に天、陛下に命じて之に代らしむ。陛下若し以て足れりと為さば、今日、啻に足れるのみにあらず。若し以て足らずと為さば、更に万倍此に過ぐとも、亦、足らざらん、と。太宗曰く、卿の対ふる所甚だ善し。卿に非ずんば、朕安んぞ此の言を聞くを得ん、と。〔▽四六六−七頁〕


第四章

貞観十六年、太宗、侍臣に謂ひて曰く、朕、近ごろ劉聡の伝を読むに、聡、将に劉后の為めに*こう儀殿(こうぎでん)を起さんとす。廷尉陳元達、切諌す。聡大いに怒り、命じて之を斬らしむ。劉后、手疏啓請し、辞情甚だ切なり。聡怒乃ち解け、而して甚だ之を愧づ。人の書を読むに、聞見を広め以て自ら益せんことを欲するのみ。朕、此の事を見るに、以て深誡と為す可し。比者、小殿を造り、仍りて重閣を構へんと欲し、藍田に於て木を採らしめ、竝びに已に備具せり。遠く聡の事を想ひて、斯の作遂に已む、と。〔▽四六八頁〕



論謙譲第十九
第一章

貞観二年、太宗、侍臣に謂ひて曰く、人言ふ、天子と作れば、則ち自ら尊崇するを得、畏懼する所無し、と。朕は則ち以為へらく、正に合に自ら謙恭して、常に畏懼を懐くべし、と。昔、舜、禹を誡めて曰く、汝惟れ矜らず、天下、汝と能を争ふ莫し。汝惟れ伐らず、天下、汝と功を争ふ莫し、と。又、周易に云く、人道は盈を悪みて謙を好む、と。凡そ天子と為りて、若し惟だ自ら尊崇し、謙恭を守らざる者は、身に在りて儻し不是の事有りとも、誰か肯て顔を犯して諌諍せん。〔▽四七〇頁〕
朕、一言を出し一事を行ふを思ふ毎に、必ず上、皇天を畏れ、下、群臣を懼る。天は高けれども卑きに聴く、何ぞ畏れざるを得ん。群公卿士、皆、瞻仰せらる、何ぞ懼れざるを得ん。此を以て之を思ふに、但だ常に謙し常に懼るるを知れども、猶ほ天心及び百姓の意に称はざらんことを恐るるなり、と。〔▽四七一頁〕
魏徴曰く、古人云ふ、初有らざる靡く、克く終有るは鮮し、と。願はくは陛下、此の常に謙し、常に懼るるの道を守り、日、一日を慎まんことを。則ち宗社永く傾敗すること無からん。尭舜の太平なる所以は、実に此の法を用ふればなり、と。〔▽四七一−二頁〕


第二章

貞観三年、太宗、給事中孔穎達に問ひて曰く、論語に云ふ、能を以て不能に問ひ、多を以て寡に問ひ、有れども無きが若く、実つれども虚しきが若し、と。何の謂ぞや、と。〔▽四七二頁〕
穎達対へて曰く、聖人の教を設くるは、人の謙光ならんことを欲し、己、能有りと雖も、自ら矜大にせず。仍ほ不能の人に就いて能事を求訪し、己の才芸、多しと雖も、猶ほ以て少しと為し、仍ほ寡少の人に就いて、更に益する所を求め、己の有りと雖も、其の状、無きが若く、己の実てりと雖も、其の容、虚しきが若し。惟だ匹夫庶人のみに非ず、帝王の徳も、亦当に此の如くなるべし。〔▽四七三頁〕
夫れ帝王は、内、神明を蘊み、外、玄黙を須ひ、深くして測る可からず、遠くして知る可からざらしむ。故に易に称す、蒙を以て正を養ひ、明夷を以て衆に莅む、と。若し其の位、尊極に居り、聡明を*げん耀(げんよう)し、才を以て人を陵ぎ、非を飾り諌を拒がば、則ち上下、情隔たり、君臣、道乖かん。古より滅亡するは、此に由らざるは莫きなり、と。太宗曰く、易に云ふ、労謙す、君子、終有り、吉、と。誠に卿の説く所の如し、と。詔して物二百段を賜ふ。〔▽四七三−四頁〕


第三章
河間王孝恭、武徳の初、封ぜられて趙郡王と為る。累りに東南道行臺尚書左僕射を授けらる。孝恭已に蕭銑・*輔公せき(ほこうせき)を討平し、遂に江淮及び嶺南道を領し、皆、之を統摂し、八方を専制し、威名甚だ盛んなり。礼部尚書に累遷す。孝恭、性惟だ退譲にして、驕矜自伐の色無し。時に特進江夏王道宗有り。尤も将略を以て名を馳せ、兼ねて学を好み、賢士を敬慕し、動きて礼譲を修む。太宗竝びに親待を加ふ。諸宗室の中、惟だ孝恭・道宗のみ、与に比を為すもの莫し。一代の宗英為り。〔▽四七五頁〕



論仁惻第二十
第一章

貞観の初、太宗、侍臣に謂ひて曰く、婦人、深宮に幽閉さるるは、情、実に愍む可し。隋氏の末年、求採すること已む無く、離宮別館の幸御するに非ざるの所に至るまで、多く宮人を聚む。此れ皆、人の財力を竭くす。朕が取らざる所なり。且つ灑掃の余、更に何の用ふる所あらん。今将に之を出して伉儷を求むるに任せんとす。独り以て費を省くのみに非ず、兼ねて以て人を息す。亦、各々其の性を遂ぐるを得ん、と。是に於て、後宮及び掖庭、前後、出す所、三千余人なり。〔▽四七六−七頁〕


第二章

貞観二年、関中旱し、大いに饑う。太宗、侍臣に謂ひて曰く、水旱、調はざるは、皆、人君の徳を失ふが為めなり。朕が徳の修まらざる、天当に朕を責むべし。百姓、何の罪ありて、多く困窮するや。男女を鬻ぐ者有りと聞く、朕甚だ焉を愍む、と。乃ち御史大夫杜淹を遣はして巡検せしめ、御府の金宝を出して之を贖ひ、其の父母に還さしむ。〔▽四七八頁〕


第三章

貞観七年、襄州の都督張公謹卒す。上、聞きて嗟悼し、出でて次し哀を発す。有司、奏言す、陰陽の書に準ずるに、甲子、辰に在るときは、哭泣す可からず、と。此れ亦流俗の忌む所なり、と。上曰く、君臣の義は、父子に同じ。情、衷より発す。安んぞ辰日を避けんや、と。遂に之を哭す。〔▽四七九頁〕


第四章

貞観十九年、太宗、高麗を征し、定州に次す。兵士の到る者有れば、帝、州城の北門楼に御して之を撫慰す。従卒一人有り、病みて進むこと能はず。招きて牀前に至らしめ、其の苦しむ所を問ひ、仍りて州県の医に勅して之を療せしむ。是を以て、将士、欣然として従ふを願はざるは莫し。〔▽四八〇−一頁〕
大軍回りて柳城に次するに及びて、詔して前後の戦亡人の骸骨を集め、大牢を設けて祭を致し、親しく之を臨哭し、哀を尽くす。軍人、泣を灑がざるは莫し。兵士の祭を観る者、家に帰りて其の父母に言ふ。父母曰く、吾が兒の喪、天子、之を哭す。死するも恨むる所無し、と。太宗、遼東を征し、白巌城を攻むるとき、右衛大将軍李思摩、流矢の中つる所と為る。帝親ら為めに血を吮ふ。将士、感励せざる莫し。〔▽四八一頁〕
※『平治物語』上、『源平盛衰記』巻十一、『太平記』巻三二



慎所好第二十一
第一章

貞観二年、太宗、侍臣に謂ひて曰く、古人云ふ、君は猶ほ器のごときなり。人は猶ほ水のごときなり。方円は器に在り、水に在らず、と。故に尭舜、天下を率ゐるに仁を以てして、人、之に従ふ。桀紂、天下を率ゐるに暴を以てして、人、之に従ふ。下の行ふ所は、皆、上の好む所に従ふ。〔▽四八三頁〕
梁の武帝父子の如きに至りては、志、浮華を尚び、惟だ釈老の教を崇ぶ。武帝、末年、乃ち頻に同泰寺に幸し、親ら仏教を講じ、百寮、皆、大冠高履、車に乗りて扈従し、終日、苦空を談説し、未だ嘗て軍国の典章を以て意と為さず。侯景が兵を率ゐて闕に向ふに及びて、尚書郎已下、多く馬に乗るを解せず。狼狽して歩走し、死する者、道路に相継ぐ。武帝及び簡文、卒に侯景に幽逼せられて死せり。〔▽四八四頁〕
孝元帝、江陵に在り、万紐・于謹の圍む所と為る。帝、猶ほ老子を講じて輟めず、百寮皆戎服して以て聴く。俄にして城陥り、君臣倶に囚執せらる。*ゆ信(ゆしん)も亦其の此の如きを歎じ、哀江南の賦を作るに及びて、乃ち云ふ、宰衡は干戈を以て兒戯と為し、縉紳は清談を以て廟略と為す、と。此の事、亦、鑒戒と為すに足る。朕が今好む所の者は、惟だ尭舜の道、周孔の書に在り。以為へらく鳥の翼有るが如く、魚の水に依るが如く、之を失へば必ず死し、暫くも無かる可からざるのみ、と。〔▽四八五頁〕


第二章

貞観二年、太宗、侍臣に謂ひて曰く、神仙の事は、本是れ虚妄にして、空しく其の名のみ有り。秦の始皇は非分に愛好し、遂に方士の詭詐する所と為り、乃ち童男童女数千人を遣はし、其れに随ひて海に入り仙薬を求めしむ。方士、秦の苛虐を避け、由りて留まりて帰らず。始皇、猶ほ海側に在りて*踟ちゅう(ちちゅう)して之を待つ。還りて沙丘に至りて死せり。又、漢の武帝は、神仙を求むるが為めに、乃ち女を将て道術の人に嫁す。事既に験無く、便ち誅戮を行へり。此の二事に拠るに、神仙は妄りに求むるを須ひざるなり、と。〔▽四八六−七頁〕


第三章

貞観四年、太宗謂ひて曰く、隋の煬帝は、性、猜防を好み、専ら邪道を信じ、云に胡人を忌み、乃ち胡牀を謂ひて交牀と為し、胡瓜を黄瓜と為し、又、長城を築き以て胡に備ふ。終に宇文化及に令狐行達をして之を殺さしめ被る。又、李金才を誅戮し諸李殆ど尽くるに及ぶも、卒に何の益する所あらん。且つ天下に居る者は、惟だ須く身を正しくし己を修むべきのみ。此の外の虚事は、懐に在らしむるに足らず、と。〔▽四八七−八頁〕


第四章

貞観五年、人有り注解図讖を上る。太宗曰く、此れ誠に不経の事、愛好する能はず。朕、徳に杖り義を履み、天下の蒼生を救ひ、上天の*けん命(けんめい)を蒙り、四海の主と為る。安んぞ図讖を用ひん、と。命じて之を焚かしむ。〔▽四八九頁〕



慎言語第二十二
第一章

貞観二年、太宗、侍臣に謂ひて曰く、朕、毎日、朝に坐し、一言を出さんと欲すれば、即ち此の言は百姓に於て利益有りや否やを思ふ。敢て多言せざる所以なり、と。給事中兼知起居事杜正倫進みて曰く、君挙すれば必ず書し、言、左史に存す。臣、職、兼修起居注に当る。敢て愚直を尽くさずんばあらず。陛下、若し一言、道理に乖かば、則ち千載、聖徳に累せん。止だ当今、百姓に損あるのみに非ず。願はくは陛下、之を慎めよ、と。太宗大いに悦び、絹百匹を賜ふ。〔▽四九〇頁〕


第二章

貞観八年、上、侍臣に謂ひて曰く、言語は、君子の枢機なり。談何ぞ容易ならんや。凡そ匹庶に在りても、一言、善からざれば、人則ち之を記し、其の恥累を成す。況んや是れ万乗の主をや。言を出すこと乖失する所有る可からず。其の虧損する所、至大なり。豈に匹夫に同じからんや。朕当に此を以て誡と為すべし。〔▽四九一頁〕
隋の煬帝、初めて甘泉宮に幸し、泉石、意に称ふ。而して蛍火無きを怪み、勅して云ふ、蛍火を捉取し、宮中に於て夜を照らせ、と。所司遽に数千人を遣はして採拾し、五百輿を宮側に送る。小事すら尚ほ爾り。況んや其の大事をや、と。魏徴対へて曰く、人君は四海の尊に居る。若し虧失有らば、古人以て日月の蝕の如く、人皆之を見ると為す。実に陛下の戒慎する所の如きなり、と。〔▽四九二頁〕


第三章

貞観十六年、太宗、公卿と言ひて古道に及ぶ毎に、必ず詰難往復す。散騎常侍*劉き(りゅうき)上書して諌めて曰く、帝王と凡庶と、聖哲と庸愚と、上下相懸たり、擬倫斯に絶す。是に知る、至愚を課して至聖に対し、極卑を以てして極尊に対する、徒らに自ら強むるを思ふとも、得可からざるなり。陛下、恩旨を下し、慈顔を仮し、旒を凝し以て其の言を聴き、襟を虚しくし以て其の説を納るるも、猶ほ群下の未だ敢て対揚せざらんことを恐る。況んや神機を動かし、天弁を縦にし、辞を飾りて以て其の理を折き、古を援きて以て其の議を排せば、凡蔽をして何に階して応答せしめんと欲する。〔▽四九三頁〕
臣聞く、皇天は言ふ無きを以て貴しと為し、聖人は言ふ無きを以て徳と為す、と。老君は大弁は訥の若し、と称し、荘生は至道は言無し、と称す。此れ、皆、煩はしきを欲せざるなり。是を以て、斉侯、書を読み、輪扁竊かに笑ひ、漢皇、古を慕ひて、長孺、譏を陳ぶ。此れ亦、労するを欲せざるなり。且つ多く記すれば則ち心を損じ、多く語れば則ち気を損ず。心気、内に損ずれば、形神、外に労す。初めは覚らずと雖も、後には必ず累を為さん。須く社稷の為めに自愛すべし。豈に性好の為めに自ら傷らんや。〔▽四九四頁〕
竊に以みるに、今日の昇平は、皆、陛下の力行の致す所なり。其の長久を欲せば、弁博に由るに匪ず。但だ当に彼の愛憎を忘れ、茲の取捨を慎み、毎時敦朴に、至公に非ざる無きこと、貞観の初の若くならば則ち可なるべし。秦政の強弁にして、人心を自ら矜るに失ひ、魏文の宏才にして、衆望を虚説に虧くが如きに至りては、此れ才弁の累、較然として知るべきなり。伏して願はくは、茲の雄弁を略し、浩然として気を養ひ、彼の*しょう図(しょうと)を簡にし、淡焉として目を怡ばし、万寿を南岳に固くし、百姓を東戸に斉しくせんことを。則ち天下の幸甚にして、皇恩斯に畢らん、と。〔▽四九六頁〕
手詔して答へて云く、慮に非ざれば、以て下に臨むこと無く、言に非ざれば、以て慮を述ぶる無し。比、談論有り、遂に煩多を致す。物を軽んじ人に驕ること、恐らくは茲の道に由らん。形神心気、此を労と為すに非ず。今、*とう言(とうげん)を聞く、懐を虚しくして以て改めん、と。〔▽四九七頁〕



杜讒佞第二十三〔▽四九八頁〕
第一章

貞観の初、太宗、侍臣に謂ひて曰く、朕、前代の讒佞の徒を観るに、皆、国の*ぼう賊(ぼうぞく)なり。或は言を巧にして色を令くして、朋黨比周す。暗主庸君の若きは、之を以て迷惑せざるは莫し。忠臣孝子、血に泣き冤を銜む所以なり。故に叢蘭、茂らんと欲すれば、秋風、之を敗る。王者、明かならんと欲すれば、讒人、之を蔽ふ。此の事、史籍に著る、具に道ふ能はず。斉隋の間の讒譖の事の如きに至りては、耳目の接する所の者、略ぼ卿等の与に之を言はん。〔▽四九八頁〕
斛律明月は、斉朝の良将にして、威、敵国に振ふ。周家、毎歳、汾河の氷を*き(き)るは、斉兵の西に渡るを慮りてなり。明月が祖孝徴に讒構せられて誅に伏するに及びて、周人、始めて斉を呑むの志有り。*高けい(こうけい)は、経国の大才有り、隋の文帝の為めに、覇業を賛け成し、国政を知ること二十余載、天下頼りて以て康寧なり。文帝惟だ婦言を是れ用ひ、特に擯斥せしむ。煬帝の殺す所と為るに及びて、刑政是に由りて衰へ壊る。〔▽四九九頁〕
又、隋の太子勇は、撫軍監国たること、凡そ二十年間、固に亦早く定分有り。揚素、主を欺き上を罔ひ、良善を賊害し、父子の道をして、一朝にして、天性を滅せしむ。逆乱の源、此より開けり。隋文既に嫡庶を混淆し、竟に禍、其の身に及び、宗社尋いで亦覆敗せり。古人云ふ、代乱るれば則ち讒、直に勝つ、と。誠に妄言に非ず。〔▽五〇〇頁〕
朕毎に微を防ぎ漸を杜ぎ、用つて讒構の端を絶つ。猶ほ心力の至らざる所、或は覚悟する能はざらんことを恐る。前史に云ふ、猛獣、山林に処れば、*黎かく(れいかく)、之が為めに、採らず。直臣、朝廷に在れば、姦邪、之が為めに謀を寝む、と。此れ実に朕が群公に望む所なり、と。〔▽五〇一頁〕
魏徴曰く、礼に云ふ、其の覩ざる所を誡慎し、其の聞かざる所を恐懼す、と。詩に云ふ、*がい悌(がいてい)の君子、讒言を信ずる無れ。讒言は極り罔く、交々四国を乱る、と。又、孔子、利口の邦家を覆すを悪む、と。蓋し此が為めなり。臣嘗て古より国を有ち家を有つ者を観るに、若し曲げて讒譖を受け、妄に忠良を害すれば、必ず宗廟丘墟、市朝霜露たらん。願はくは陛下深く之を慎まんことを、と。〔▽五〇二頁〕


第二章

尚書右僕射杜如晦奏言す。監察御史陳師合、抜士論を上り、兼ねて人の思慮は限有り、一人、数職を総知す可からず、と言ふ。臣等を論ずるに似たり、と。太宗、載冑に謂ひて曰く、朕、至公を以て天下を理む。今、玄齢、如晦を任用するは、勲旧の為めにするに非ず、其の才有るを以ての故なり。此の人妄に毀謗を事とするは、正に我が君臣を離間せんとす。昔、蜀の後主は昏弱、斉の文宣は狂勃なるに、国、治を称する者は、諸葛亮・揚遵彦を以て之を猜はざればなり。朕、今、如晦等に任ずるも、亦復た此の如し、と。是に於て、師合を嶺外に流す。〔▽五〇三頁〕


第三章

貞観中、太宗、玄齢・如晦等に謂ひて曰く、古より帝王、上、天心に合して、以て太平を致す者は、皆、股肱の力なり。朕、比、直諌の路を開く者は、冤屈を知らんことを庶ひ、規諌を聞かんことを欲す。所有、封事を上る人、皆多く百官を告訐す。細事にして殊に採る可き無し。〔▽五〇四−五頁〕
朕、前王を歴選するに、但だ、君、臣を疑ふ有れば、則ち下情、上達すること能はず。忠を尽くし慮を極めんことを求めんと欲するも、何ぞ得可けんや。而るに無識の人は、務めて讒毀を行ひ、交々君臣を乱る。殊に国に益あるに非ず。今より已後、上書して人の小悪を訐く者有らば、朕、当に讒人の罪を以て之を罪すべし、と。〔▽五〇五頁〕


第四章

魏徴、秘書監と為る。嘗て其の謀反を告ぐる者有り。太宗曰く、徴は本、吾の讎なり。正に事ふる所に忠なるを以て、遂に抜きて之を用ふ。何ぞ乃ち妄りに讒構を生ずるや、と。竟に徴を問はず、遽に告ぐる所の者を斬る。〔▽五〇六頁〕


第五章

貞観十年、権貴、魏徴を疾む者有り。毎に太宗に言ひて曰く、魏徴、凡そ諌諍する所、委曲反覆し、従はずんば止まず。竟に陛下を以て幼主と為し、長君に同じからざらしめんと欲す、と。太宗曰く、朕は是れ達官の子弟にして、少きより学問せず、唯だ弓馬を好めり。起義に至りて、即ち大功有り。既に封ぜられて王と為り、偏に寵愛を蒙る。理道政術、都て心に留めず。亦、解する所に非ず。〔▽五〇七頁〕
太子と為り、初めて東宮に入るに及び、天下を安んぜんことを思ひ、己に克ちて理を為さんと欲す。唯だ魏徴と王珪とのみ、我を導くに礼義を以てし、我を弘むるに政道を以てす。我、勉強して之に従ひ、大いに其の利益なるを覚り、力行して息まず、以て今日の安寧を致せり。竝びに是れ魏徴等の力なり。特に礼重を加へ、毎事聴従する所以は、之に私するに非ざるなり、と。言ふ者乃ち慙ぢて止む。太宗、呵して之を出さしむ。〔▽五〇八頁〕


第六章

貞観十一年、長安県人霍行斌、変を告げて言ふ、尚書右丞魏徴、事に預る、と。太宗、之を覧て、侍臣に謂ひて曰く、此の言太だ由緒無し。竝びに問ふを須ひず。行斌は宜しく所司に付して罪を理むべし、と。徴曰く、臣、近侍を蒙り、未だ善を以て聞えず。大逆の名あるは、罪、万死に合す。縦ひ陛下曲げて矜照を垂るるも、臣将た何を以て自ら安んぜんや。請ふ鞠尋されんことを、と。仍りて頓首拝謝す。太宗曰く、卿が仁を累ね行を積むは、朕の悉く知る所なり。愚人相謗るは、豈に能く己に由らんや。謝を致すを須ひず、と。〔▽五〇九−一〇頁〕


第七章

太宗、房玄齢等に謂ひて曰く、昨日、皇甫徳参上書して言ふ、朕が洛州の宮殿を修営するは、是れ民を労するなり。地租を収むるは、是れ厚く斂するなり。俗の高髻するは、是れ宮中の化する所なり、と。此の人の心を観るに、必ず国家をして一人を役せず、一租を収めず、宮人に皆、髪無からしめんと欲せば、乃ち其の意に称ふのみ。事既に*さん謗(さんぼう)なれば、当に須く罪を論ずべし、と。〔▽五一〇−一頁〕
魏徴進んで曰く、賈誼、漢文の時に当り、上書して曰く、為めに痛哭す可き者三、為めに長嘆息す可き者五、と。古より上書は、率ね激切なるもの多し。若し激切ならざれば、則ち人主の心を起す能はず。激切は即ち*さん謗(さんぼう)に似たり。所謂狂夫の言、聖人択ぶ、なり。惟だ陛下の裁察するに在るのみ。責む可からざるなり、と。太宗曰く、朕初め此の人を責めんと欲す。但だ已に直言を進むを許せり。若し之を責むれば、則ち後に於て誰か敢て言はんや、と。絹二十匹を賜ひて帰らしむ。〔▽五一一−二頁〕〔類似▽一七八頁〕


第八章

貞観十六年、太宗、諌議大夫*ちょ遂良(ちょすいりょう)に謂ひて曰く、卿、兼ねて起居に知たり。比来、我が行事の善悪を記するや否や、と。遂良曰く、史官の記は、君挙動すれば必ず書す。善は既に必ず書し、過も亦隠すこと無し、と。太宗曰く、朕、今、勤めて三事を行ふ。亦、史官が吾が悪を書せざらんことを望む。一には則ち前代の敗事に鑑み、以て元亀と為す。二には則ち善人を進用し、共に正道を成す。三には則ち群小を斥け棄て、讒言を聴かず。吾能く之を守り、終に転ぜざるなり、と。〔▽五一三頁〕



論悔過第二十四
第一章

貞観二年、太宗、房玄齢に謂ひて曰く、人と為りては大いに須く学問すべし。朕、往に群兇未だ定まらざるが為めに、東西征討し、躬、戎事を親らし、書を読むに暇あらず。比来、四海安静、身、殿堂に処るも、自ら書巻を執る能はず、人をして読ましめて之を聴く。君臣父子、政教仁義の道、竝びに書内に在り。古人云ふ、学ばざれば牆面す。事に莅みて惟れ繁なり、と。徒言ならざるなり。却つて少小の時の行事を省み、大いに其の非なるを覚ゆるなり、と。〔▽五一四頁〕


第二章

貞観中、太子承乾、多く法度を修めず。魏王泰、尤も才能を以て、太宗の重んずる所と為る。特に泰に詔して移りて武徳殿に居らしむ。魏徴上疏して諌めて曰く、此の殿は内に在り、処所寛閑にして、参奉往来するに、実に隠近と為す。但だ魏王は既に是れ陛下の愛子なり。陛下須く常に安全を保ち、毎事、其の驕奢を抑へ、嫌疑の地に処らざらしむべし。今、移りて此の殿に居り、便ち東宮の西に在り。或ひと云ふ、海陵、昔居り、時に海内陵替し、時人以て不可なりと為す。時異なり事異なると雖も、猶ほ人の多言せんことを恐る。又、王の本心も、亦、寧息せざらん。既に能く寵を以て懼を為す。伏して願はくは人の美を成さんことを、と。太宗曰く、朕、幾ど思量せず、大いに是れ錯誤す、と。遂に泰を遣りて本第に帰らしむ。〔▽五一五−六頁〕


第三章

貞観五年、太宗、侍臣等に謂ひて曰く、斉の文宣は何如なる人君ぞや、と。魏徴対へて曰く、非常なる顛狂なり。然れども人の共に道理を争ふ有りて、自ら短屈を知れば即ち能く之に従ふ。臣聞く、斉の時、*魏がい(ぎがい)先に青州の長史に任ぜらる。嘗て梁に使し、還りて光州の長史に除せらるるも、就かず。揚遵彦、之を奏す。文宣帝、大いに怒り、召して之を責む。*がい(がい)曰く、先に青州大藩の長史に任ぜられ、今使労有り。更に罪過無きに、反りて光州を授けらる。就かざる所以なり、と。乃ち顧みて遵彦に謂ひて曰く、此の漢、理有り、と。因りて命じて之を捨つ、と。〔▽五一七頁〕
太宗曰く、往者盧祖尚、官を受くるを肯ぜず、朕遂に之を殺す。文宣帝、復た癲狂なりと雖も、尚ほ能く容忍す。此の一事、朕の如かざる所なり。祖尚が処分を受けざるは、人臣の礼を失すと雖も、朕即ち之を殺す可けんや。大いに是れ急なるを傷む。一たび死せば再び生く可からず。悔ゆとも及ぶ所無し。宜く其の故官蔭を復すべし、と。〔▽五一八頁〕


第四章

貞観十七年、太宗、侍臣に謂ひて曰く、人情の至痛なる者は、親を喪ふより過ぎたるは莫きなり。故に孔子曰く、三年の喪は、天下の痛喪なり、と。天子より庶人に達するなり。又曰く、何ぞ必ずしも高宗のみならん。古の人皆然り、と。近代の帝王、遂に漢文の日を以て月に易ふるの制を行ひ、甚だ礼典に乖く。朕、昨、徐幹の中論の復三年喪篇を見るに、義理甚だ精審なり。深く恨むらくは早く此の書を見ず、行ふ所太だ疏略なりしを。但だ自ら咎め自ら責むるを知るのみ。追悔するも何ぞ及ばん、と。因つて悲泣すること久しうす。〔▽五一九−二〇頁〕


第五章

貞観十八年、太宗、侍臣に謂ひて曰く、夫れ人臣の帝王に対ふるは、多く意を承け旨に順ひ、甘言して容を取る。朕、今、己の過を聞かんと欲す。卿等、皆、直言すべし、と。散騎常侍*劉き(りゅうき)対へて曰く、陛下、公卿と事を論じ、及び上書する者有る毎に、其の旨に称はざるを以て、或は面のあたり詰難を加ふ。慙ぢ退かざるは無し。恐らくは、直言を誘進するの道に非ざらん、と。太宗曰く、朕も亦此の問難有りしを悔ゆ。卿が言是なり。当に卿の為めに之を改むべし、と。〔▽五二一頁〕



論奢縦第二十五
第一章

貞観二年、太宗、黄門侍郎王珪に謂ひて曰く、隋の開皇十四年、大いに旱し、人多く飢乏す。是の時、倉庫盈溢すれども、竟に賑給するを許さず。乃ち百姓をして糧を逐はしむ。隋文、百姓を憐まずして、倉庫を惜む。末年に至る比、天下の儲積を計るに、五六十年に供するを得。煬帝、此の富饒を恃む。奢華無道にして、遂に滅亡を致せる所以なり。煬帝の国を失ひしも、亦其の父に由る。〔▽五二二−三頁〕
凡そ国を理むる者は、務めて人に積み、其の倉庫を盈たすに在らず。古人云く、百姓足らずんば、君孰れと与にか足らん、と。但だ倉庫をして凶年に備ふ可からしむ。此の外何ぞ儲畜を煩はさん。後嗣若し賢ならば、自ら能く其の天下を保たん。如し其れ不肖ならば、多く倉庫を積むも、徒に其の奢侈を益さん。危亡の本なり、と。〔▽五二三頁〕


第二章

貞観七年、太宗、郭孝恪に西州道行軍総管を授け、歩騎三千人を率ゐ、銀山道に出で、以て焉耆を伐たしむ。夜、往きて其の城を掩襲して之を破り、其の王、龍突騎友を虜にす。太宗、侍臣に謂ひて曰く、計るに八月中旬郭孝恪発去すれば、廿日に至りて応に到るべし。必ず廿二日を以て焉耆を破らん。当に使を馳せて報ずべし。朕、其の行程を計るに、今日応に好消息有るべし、と。言未だ訖らざるに、騎至りて云ふ、孝恪已に焉耆を破る、と。太宗悦ぶ。〔▽五二四頁〕
亀茲を征するに及び、孝恪を以て崑山道副大総管と為す。其の都城を破るや、孝恪を留めて之を守らしむ。余軍、道を分ちて別に進む。城外未だ賓せず。孝恪因りて乃ち出でて外に営す。亀茲の人、来たりて孝恪に謂ふもの有りて曰く、那利は我の国相なり。人心素より帰す。今、亡げて野に在り。必ず変を為すを思はん。城中の人、頗る異志有り。公其れ之に備へよ、と。孝恪以て虞と為さず。那利等、果して衆万余を率ゐて、私かに城内の降胡と相知り、表裏応を為す。孝恪、警候を失す。賊、城に入りて鼓噪す。孝恪、始めて之を覚る。胡矢の中つる所と為りて死す。〔▽五二五頁〕
孝恪、性、奢侈なり。家の僕妾より以て器玩に及ぶまで、務めて鮮華を極む。軍中に在りと雖も、床榻什器、皆、飾るに金玉を以てす。仍りて金床華帳充具を以て、以て行軍大総管阿史那社爾に遣る。社爾、一も受くる所無し。太宗、之を聞き乃ち曰く、二将、何ぞ優劣同じからざるや。郭孝恪、今、冦虜の屠る所と為る自ら伊の咎を招くと謂ふ可きのみ、と。〔▽五二六頁〕


第三章

貞観九年、太宗、魏徴に謂ひて曰く、頃、周斉の史を読むに、末代の亡国の主、悪を為すこと多く相類するなり。斉主は深く奢侈を好む。所有、府庫、之を用ひて略々尽く。関子に至るに及ぶまで、税斂せざるは無し。朕常に謂へらく、此の輩猶ほ*ざん人(ざんじん)の自ら其の身を食ふが如し。肉尽くれば必ず死す、と。人君賦斂已まざれば、百姓既に弊れ、其の君も亦亡ぶ。斉主即ち是れなり。然れども天元と斉主と、若為か優劣せん、と。〔▽五二七頁〕
徴対へて曰く、二主、国を亡ぼすことは同じと雖も、其の行は則ち別なり。斉主は*ぜん弱(ぜんじゃく)にして、政、多門に出で、国に綱紀無く、遂に滅亡に至れり。天元は、性を立つること凶にして強、威福、己に在り。国を亡ぼすの事、皆、其の身に在り。此を以て之を論ずれば、斉主を劣れりと為す、と。〔▽五二八頁〕


第四章

貞観十一年、太宗、所司をして金銀器物五十事を造らしむ。侍御史馬周、上疏して曰く、臣、前代を歴観するに、夏殷より漢氏の天下を有つに及ぶまで、伝祚相継ぎ、多き者は八百余年、少き者も猶ほ四五百年。皆、徳を積み業を累ね、恩、人心に結ぶが為めなり。豈に僻王無からんや。前哲に頼りて以て免る。魏晋より已還、降りて周隋に及ぶまで、多き者も五六十年に過ぎず、少き者は纔に二三十年にして亡ぶ。良に創業の君、恩化を広くするを務めず、当時僅に能く自ら守るも、後、遺徳の思ふ可き無きに由る。故に伝嗣の主、政教少しく衰ふれば、一夫大呼して、天下土崩せり。〔▽五二九頁〕
今、陛下、大功を以て天下を定むと雖も、而も徳を積むこと日浅し。固に当に禹湯文武の道を崇び、広く徳化を施し、恩をして余地有らしめ、子孫の為めに万代の業を立つるを思ふべし。豈に但だ政教をして失する無からしめ、以て当年を持たんと欲するのみにならんや。〔▽五三〇頁〕
且つ古より明王・聖主は、能く身に節倹し、恩、人に加ふる有り。二者を是れ務む。故に其の下、之を愛すること父母の如く、之を仰ぐこと日月の如く、之を敬すること神明の如く、之を畏るること雷霆の如し。此れ其の福祚遐長にして、禍乱作らざる所以の者なり。〔▽五三一頁〕
臣愚、頃聞く、京師の営造、供奉の器物、頗る糜費多く、百姓或は嗟怨の言有り、と。陛下、少きとき人間に処り、百姓の辛苦、前代の成敗を知る。目の親しく見る所、尚ほ猶ほ此の如し。而るに皇太子、深宮に生長し、外事を更ず。則ち万歳の後、固に聖慮の当に憂ふべき所なり。臣竊に往代以来の成敗の事を尋ぬるに、但だ黎庶怨み叛きて、聚まりて盗賊を為す有れば、其の国、即ち滅びざるは無し。人主、改悔せんと欲すと雖も、未だ重ねて能く安全なる者有らず。〔▽五三一−二頁〕
凡そ、政教を修むるには、当に之を修む可きの時に修むべし。若し事変一たび起りて後に之を悔ゆるは、則ち益無きなり。故に人主、前代の亡ぶるを見る毎に、則ち其の政教の由りて喪ぶる所を知る。而も皆、其の身の失有るを知らず。是を以て殷紂、夏桀の亡びしを笑ひ、而して幽も亦殷紂の滅びしを笑ふ。隋帝、大業の初、又、周斉の国を失ひしを笑ふ。然して今の隋の煬帝を視ること、亦猶ほ煬帝の周斉を視しがごときなり。故に京房、漢の元帝に謂ひて曰く、臣、後の今を視ること、亦猶ほ今の古を視るがごとからんことを恐ふ、と。此の言、誡めざる可からざるなり。太宗曰く、近ごろ少しく随身の器物を造らしむ。意はざりき百姓遂に嗟怨有らんとは。此れ則ち朕の過誤なり、と。乃ち命じて之を停めしむ。〔▽五三三頁〕



論貪鄙第二十六
第一章

貞観の初、太宗、侍臣に謂ひて曰く、人、明珠有れば、貴重せざるは莫し。若し以て雀を弾ぜば、豈に惜む可きに非ずや。況んや、人の性命は、明珠よりも甚だし。金銀銭帛を見て、刑網を懼れず、径に即ち受納するは、乃ち是れ性命を惜まざるなり。明珠は是れ身外の物なるに、尚ほ雀を弾ず可からず。何ぞ況んや性命の重き、乃ち以て財物に博へんや。群臣若し能く備に忠直を尽くし、国家に益有らば、則ち官爵立ちどころに至らん。皆、此の道を以て栄を求むること能はず、遂に妄に銭物を受く。贈賄既に露はれ、其の身も亦殞す。実に笑ふ可しと為す、と。〔▽五三五頁〕


第二章

貞観二年、上、侍臣に謂ひて曰く、朕、常に謂へらく、貪人は財を愛するを解せざるなり、と。内外の官五品以上の如きに至りては、禄秩優厚にして、一年の得る所、其の数自ら多し。若し人の財賄を受くるも、数万に過ぎざらん。一朝彰露せば、禄秩削脱せらる。此れ豈に是れ財物を愛するを解するならんや。小得を規りて大失する者なり。昔、公儀休、性、魚を嗜めども、人の魚を受けず。其の魚長く存す。且つ主と為りて貪なれば、必ず其の国を喪ぼし、臣と為りて貪なれば、必ず其の身を亡ぼす。詩に曰く、大風、隧有り、貪人、類を敗る、と。固に謬言に非ざるなり。〔▽五三六−七頁〕
昔、秦の恵王、蜀を伐たんと欲すれども、其の径を知らず。乃ち五石牛を刻し、金を其の後に置く。蜀人、之を見、以為へらく牛能く金を便す、と。蜀王、五丁の力士をして牛を*ひ(ひ)きて蜀に入らしめ、道成る。秦の師、随ひて之を伐ち、蜀国遂に滅亡せり。漢末の大司農田延年、贈賄三千万、事覚はれて自ら死せり。此の如きの流、何ぞ勝て記す可けんや。朕、今、蜀王を以て元亀と為さん。公等も亦、須く延年を以て覆轍と為すべきなり、と。〔▽五三七−八頁〕


第三章

貞観四年、太宗、公卿に謂ひて曰く、朕、終日孜孜たるは、但に百姓を憂憐するのみに非ず、亦、卿等をして長く富貴を守らしめんと欲す。天は高からざるに非ず、地は厚からざるに非ず。朕常に競競業業として、以て天地を畏る。卿等若し能く小心にして法を奉ずること、当に朕が天地を畏るるが如くなるべければ、直に百姓安寧なるのみに非ず、自身常に驩楽を得ん。〔▽五三九頁〕
古人云ふ、賢者、財多ければ、其の志を損じ、愚者、財多ければ、其の過を生ず、と。此の言、以て深誡と為す可し。若し私に徇ひ貪濁ならば、止に公法を壊り、百姓を損するのみに非ず、縦ひ事未だ発聞せずとも、中心豈に恒に恐懼せざらんや。恐懼既に多く、亦、因りて死を致す有り。大丈夫豈に苟くも財物を貪り、以て身命を害し、子孫をして毎に愧恥を懐かしむるを得んや。卿等宜しく深く此の語を思ふべし、と。〔▽五四〇頁〕


第四章

貞観四年、濮州の刺史*ほう相寿(ほうそうじゅ)、貪濁聞ゆる有り。追還解任せらる。殿庭にて自ら陳べ、幕府の旧左右にして、実に貪濁ならず、と。太宗、之を矜み、舎人をして之に謂はしめて曰く、爾は是れ我が旧左右なり。我、極めて爾を哀矜す。爾、他の銭物を取れるは、祇だ応に貧の為めなるべし。今、爾に絹一百匹を賜ふ。還りて任所に向ひ、更に罪過を作す莫かれ、と。〔▽五四一頁〕
魏徴、進みて言ひて曰く、相寿の貪濁は、遠近の知る所なり。今、故旧の私情を以て、其の貪濁の罪を赦し、加ふるに厚賞を以てし、還して任に復らしむ。相寿の性識は、未だ愧恥を知らず。幕府の左右は其の数甚だ多し。人人、皆、恩私を恃まば、善を為す者をして懼れしむるに足る、と。〔▽五四一頁〕
太宗、欣然として之を納れ、相寿を前に引かしめ、親しく之に謂ひて曰く、我、昔、王と為り、一府の為めに主と作る。今、天子と為り、四海の為めに主と作る。既に四海の主と為れば、偏りて一府に恩択を与ふ可からず。向に爾をして重任せしめんと欲せしが、左右以為へらく、若し爾、重任せらるるを得ば、必ず善を為す者をして皆、心を用いざらしめん、と。今、既に左右の言ふ所を以て是と為す。便ち我が私意を申ぶるを得ず。且つ爾を放ちて帰らしむ、と。乃ち雑物を賜ひて之を遣る。相寿も亦辞し、悌を流して去る。〔▽五四二頁〕


第五章

貞観六年、右衛将軍陳万福、九成宮より京に赴くとき、法に違ひて、駅家の麩数石を取る。太宗、其の麩を賜ひ、自ら負ひて出でしめ、以て之を恥ぢしむ。〔▽五四三頁〕


第六章

貞観十年、持書御史権万紀、上書して言ふ、宣饒の二州、諸山大いに銀坑有り。之を採らば、極めて是れ利益あらん。毎歳、銭数百万貫を得可からん、と。太宗、謂ひて曰く、朕、貴きこと天子為り、少乏する所無し。惟だ嘉言善事の百姓に益有る者を須つ。国家、数百万貫の銭を*あま(あま)し得とも、何ぞ一才行人を得るに如かん。卿が賢を推し善を進むるの事を見ず。又、不法を按挙し、権豪を震粛する能はず。惟だ只だ銀坑を税鬻するを道ひ、利多きを以て美と為す。〔▽五四三−四頁〕
昔、尭舜は璧を山に抵ち、珠を谷に投ず。是に由りて崇名美号、千載に称せらる。後漢の桓霊二帝は、利を好み義を賎み、近代の庸暗の主為り。卿、遂に我を将て桓霊二帝に比せんと欲するか、と。是の日、放ちて第に還らしむ。〔▽五四五頁〕


第七章

貞観十六年、太宗侍臣に謂ひて曰く、古人云ふ、鳥、林に棲むも、猶ほ其の高からざらんことを恐れ、復た木末に巣ふ。魚、泉に蔵るるも、猶ほ其の深からざらんことを恐れ、復た其の下に窟穴す。然れども人の獲る所と為る者は、皆、餌を貪るに由るが故なり、と。〔▽五四六頁〕
今、人臣、任を受けて、高位に居り、厚禄を食む。当に須く忠正を履み、公清を蹈むべし。則ち災害無く、長く富貴を守らん。古人云ふ、禍福は門無し、惟だ人の召く所のみ、と。然らば其の身を陥るる者は、皆、財利を貪冒するが為めなり。夫の魚鳥と、何を以て異ならんや。卿等、宜しく此の語を思ひ、用て鑒誡と為すべし、と。〔▽五四六頁〕



貞観政要巻第七〔▽五四九頁〕
崇儒学第二十七
第一章

太宗初めて祚を践み、即ち正殿の左に於て、弘文館を置く。天下の文儒を精選し、本官を以て兼ねて学士に署せしめ、給するに五品の珍膳を以てし、更日に宿直し、朝を聴くの隙に、引きて内殿に入れ、墳典を討論し、政事を商略し、或は夜分に至りて乃ち罷む。又、詔して、勲賢三品以上の子孫を弘文館生と為す。〔▽五四九頁〕


第二章

貞観二年に至り、詔りして、周公を先聖と為すを停め、始めて孔子の廟堂を国学に立て、旧典に稽式し、仲尼を以て先聖と為し、顔子を先師と為し、而して辺豆干戚の容、始めて茲に備はる。是の歳、大いに天下の儒士を徴し、擢づるに不次を以てし、布きて廊廟に在る者甚だ衆し。学生の一大経に通ずる已上は、咸く吏に署するを得たり。国学、学舎を増築すること四百余間、国学四門博士、又、生員を増置す。其の書算、各々博士・学生を置き、以て衆芸を備ふ。玄武門の屯営飛騎より、亦、博士を給し、授くるに経業を以てす。能く経に通ずる者有らば、貢挙に預かるを聴す。〔▽五五〇−一頁〕
太宗又数々国学に幸し、祭酒・司業・博士をして講論せしめ、畢りて各々賜ふに束帛を以てす。四方の儒生、書を負ひて至る者、蓋し千を以て数ふ。俄にして高昌・高麗・新羅等の諸夷の酋長も、亦子弟を遣はして学に入らんことを請ふ。是に於て、国学の内、鼓篋して講筵に升る者、幾ど万人に至る。儒学の盛、古昔も未だ有らざるなり。〔▽五五二頁〕


第三章

十四年、詔して曰く、梁の皇侃・*ちょ仲都(ちょちゅうと)、周の熊安生・沈重、陳の沈文阿・周弘正・張譏、隋の何妥・*劉げん(りゅうげん)等は、竝びに前代の明儒にして、経術、紀す可し。加ふるに、所在の学徒、多く其の講疏を行ふを以てす。宜しく優異を加へ、以て後生を勧むべし。其の子孫の見在する者を訪ひ、名を録して奏聞す可し、と。〔▽五五三頁〕
二十一年、又詔して曰く、左丘明・卜子夏・公羊高・穀梁赤・伏生勝・高堂生・載聖・毛萇・孔安国・劉向・鄭衆・杜子春・馬融・盧植・鄭玄・服虔・何休・王粛・王弼・杜預・*范ねい(はんねい)等二十有一人は、竝びに其の書を用ひ、国冑に垂る。既に其の道を行へば、理、合に褒崇すべし。今より、太学に事有るときは、竝びに尼父の廟堂に配享す可し、と。其の儒学を尊崇すること此の如し。〔▽五五四頁〕


第四章

貞観二年、太宗、侍臣に謂ひて曰く、政を為すの要は、惟だ人を得るに有り。用ふること其の才に非ざれば、必ず理を致し難し。今、任用する所は、必ず須く徳行・学識を以て本と為すべし、と。諌議大夫王珪曰く、人臣と為りて、若し学業無くんば、前言往行を識る能はず、豈に大任に堪へんや。漢の昭帝の時は、詐りて衛太子と称するもの有り、聚まり観る者数万人、衆、皆、惑を致す。雋不疑、断ずるに*かいかい(かいかい)の事を以てす。昭帝曰く、公卿大臣は当に経術ありて古義に明かなる者を用ふべし、と。此れ則ち固に刀筆の俗吏の比擬す可き所に非ず、と。太宗曰く、信に卿の言の如し、と。〔▽五五六頁〕


第五章

貞観四年、太宗、経籍、聖を去ること久遠にして、文字訛謬せるを以て、前の中書侍郎顔師古に詔して、秘書省に於て五経を攷定せしむ。功畢るに及びて、復た尚書左僕射房玄齢に詔し、諸儒を集めて重ねて詳議を加へしむ。時に諸儒、師説を伝習し、舛謬已に久しく、皆共に之を非とし、異端鋒起す。師古、輒ち晋宋以来の古本を引きて、方に随ひて暁答し、援拠詳明にして、皆、其の意表に出で、諸儒、歎服せざるは莫し。太宗、善しと称し、帛五百匹を賜ひ、通直散騎常侍を加授す。仍りて其の定むる所の書を天下に頒ち、学者をして焉を習はしむ。〔▽五五七−八頁〕
太宗、又、儒学に門多く、章句繁雑なるを以て、師古に詔して国子祭酒孔穎達等諸儒と、五経の疏義を撰定せしむ。凡て一百八十巻、名づけて五経正義と曰ひ、国学に付して施行す。〔▽五五八−九頁〕


第六章

太宗嘗て中書令岑文本に謂ひて曰く、夫れ人、定性を稟くと雖も、必ず須く博く学びて以て其の道を成すべし。亦、猶ほ蜃の性は水を含めども、月光を待ちて水垂れ、木の性は火を懐けども、燧動くを待ちて焔発するがごとし。人の性は霊を含めども、学成るを待ちて美と為る。是を以て、蘇秦は股を刺し、董生帷を垂る。道芸を勤めざれば、則ち其の名、立たず、と。文本曰く、夫れ人の性は相近し、情は則ち遷移す。必ず須く学を以て情を飾り、以て其の性を成すべし。礼に云く、玉、琢かざれば、器を成さず。人、学ばざれば、道を知らず、と。所以に古人、学問に勤むる、之を懿徳と謂ふ、と。〔▽五五九−六〇頁〕


論文史第二十八
第一章

貞観の初、太宗、監修国史官房玄齢に謂ひて曰く、比、前後漢史を見るに、揚雄の甘泉・羽猟、司馬相如の子虚・上林、班固の両都等の賦を載録す。此れ既に文体浮華にして、勧誡に益無し。何の仮ありて之を史冊に書するや。其れ、上書して事を論ずるに、詞理切直にして、政理を裨く可き者有らば、朕が従ふと従はざると、皆、須く備に載すべし、と。〔▽五六一頁〕


第二章

貞観十一年、著作佐郎*とう崇(とうすう)、表して、太宗の文章を編次して集と為さんと請ふ。太宗謂ひて曰く、朕若し事を制し令を出し、人に益有る者は、史は則ち之を書し、不朽と為るに足らん。若し事、古を師とせず、政を乱り物を害せば、詞藻有りと雖も、終に後代の笑ひを貽さん。須ふる所に非ざるなり。祇だ、梁の武帝父子、及び陳の後主・隋の煬帝の如き、亦、大いに文集有り。而れども為す所多く不法にして、宗社、皆、須臾に覆滅せり。凡そ人主為るは惟だ徳化に在り。何ぞ必ずしも文章を事とするを要せんや、と。竟に許さず。〔▽五六二頁〕


第三章

尚書左僕射房玄齢、侍中魏徴、散騎常侍姚思廉、太子右庶子李百薬、孔穎達、中書侍郎岑文本、礼部侍郎*令狐徳ふん(れいことくふん)、舎人許敬宗等、貞観十年を以て、周斉梁陳隋等の五代の史を撰成して奏上す。〔▽五六三頁〕
太宗、之を労して曰く、良史は善悪必ず書し、懲勧と為すに足る。秦の始皇は奢侈度無く、志、悪を隠すに在り。書を焚き儒を坑し、用て談者の口を緘す。隋の煬帝は、志、悪を隠すに在り。日に学を好み天下の学士を招集すと雖も、全く礼待せず。竟に歴代の一史も修め得ること能はず、数百年の事、殆ど将に泯絶せんとす。朕、今、近代の人主の善悪を見て、以て身の誡と為さんと欲す。故に公等をして之を修めしめ、遂に能く五代の史を成す。深く朕が懐に副ふ、極めて嘉尚す可し、と。是に於て、進級班賜、各々差降有り。〔▽五六四頁〕


第四章

貞観十三年、*ちょ遂良(ちょすいりょう)、諌議大夫と為り、兼ねて起居注に知たり。太宗問ひて云く、卿、比、起居に知たり、何等の事を書するや。大抵、人君は観見することを得るや、否や。朕、此の注記を見んと欲する者は、将に却つて為す所の得失を観、以て警誡と為さんとするのみ、と。遂良云く、今の起居は、古の左右史にして、以て人君の言行を記す。善悪必ず書し、人主の非法を為さざらんことを庶幾ふ。帝王の躬自ら史を観るを聞かず、と。〔▽五六五頁〕
太宗曰く、朕、不善有らば、卿必ず記録するや、と。遂良対へて曰く、臣聞く、道を守るは官を守るに如かず、と。臣、職、載筆に当る。何ぞ之を書せざらん、と。黄門侍郎*劉き(りゅうき)進みて曰く、人君、過失有るは、日月の蝕の如く、人、皆、之を見る。設ひ、遂良をして記せざらしむとも、天下の人、皆、之を記せん、と。〔▽五六六頁〕


第五章

貞観十四年、太宗、房玄齢に謂ひて曰く、朕、毎に前代の史書を覩るに善を彰はし悪を*や(や)ましめ、将来の規誡と為すに足る。知らず、古より、当代の国史は、何に因りて帝王をして親ら見しめざる、と。対へて曰く、国史は既に善悪必ず書し、人主の非法を為さざらんことを庶幾ふ。止だ応に旨に忤ふ有らんことを畏るるなるべし。故に見るを得ざるなり。〔▽五六八頁〕
太宗曰く、朕が意は、殊に古人に同じからず。今、自ら国史を看んと欲する者は、若し善事有らば、故より論ずるを須ひず。若し悪事有らば、亦、以て鑒誡と為し、便ち自ら用て修改するを得んと欲するのみ。卿、撰録して進め来る可し、と。玄齢等、遂に国史を刪略して、編年の体と為し、高祖・太宗実録各々二十巻を撰し、表して之を上る。〔▽五六九頁〕
太宗、六月四日の事を見るに、語、微文多し。乃ち玄齢に謂ひて曰く、昔、周公、管蔡を誅し、而して周室安し。季友、叔牙を鴆し、而して魯国を寧し。朕の為す所は、義、此の類に同じ。蓋し社稷を安んじ万人を利する所以なるのみ。史官、筆を執るに、何ぞ隠す有るを煩はさん。宜しく即ち浮詞を改削して、其の事を直書すべし、と。〔▽五六九頁〕
侍中魏徴奏して曰く、臣聞く、人主、位、尊極に居り、忌憚する所無し。惟だ国史のみ用て懲勧を為す有り。若し書するに実を以てせずんば、後人何をか観ん。陛下、今、史臣をして其の辞を正さしむるは、雅に至公の道に合す。即ち天下の幸甚なり、と。〔▽五七〇頁〕



論礼楽第二十九
第一章

太宗、初めて位に即き、侍臣に謂ひて曰く、礼に準ずるに、名は終れば将に之を諱まんとす。前古の帝王、亦、生けるとき其の名を諱まず。故に周の文王、名は昌、周の詩に云ふ、克く厥の後を昌にす、と。春秋の時、魯の荘公、名は同、十六年の経に、斉侯・宗公、幽に同盟す、と書す。唯だ近代の諸帝は、皆、妄りに節制を為し、特に生けるときに其の諱を避けしむ。理、通允に非ず。宜しく改帳する有るべし、と。〔▽五七一頁〕
因りて詔して曰く、礼に依るに、二名は、義、偏諱せず。尼父は達聖なし。前指無きに非ず。近代已来、曲げて節制を為し、両字を兼ね避く。廃闕已に多く、意に率ひて行ふ。経誥に違へる有り。今宜しく礼典に依拠し、務めて簡約に従ひ、仰ぎて先哲に効ひ、法を将来に垂るべし。其の官号人名、及び公私の文籍に、世及び民の両字有りて、連読せざる者は、竝びに避くるを須ひず、と。〔▽五七二頁〕


第二章

貞観二年、中書舎人高季輔、上疏して曰く、竊に密王元暁等を見るに、倶に是れ懿親なり。陛下の友愛の懐は、義、古昔に高く、分つに車服を以てし、委むるに藩維を以てす。須く礼儀に依りて以て瞻望に副ふべし。比、帝子の諸叔を拝するを見るに、諸叔も即ち亦答拝す。今、王爵既に同じく、家人、礼有り。豈に合に此の如く昭穆を顛倒すべけんや。伏して願はくは、一たび訓誡を垂れ、永く彝則を修めんことを、と。太宗乃ち元暁等に詔して、呉王恪・魏王泰兄弟の拝に答ふるを得ざらしむ。〔▽五七四頁〕


第三章

貞観四年、太宗、侍臣に謂ひて曰く、比聞く、京城の士庶、父母の喪に居る者、乃ち巫書の言を信ずる有りて、辰日には哭せず。此を以て弔問を辞す、と。忌に拘はり哀を輟め、俗を敗り風を傷り、極めて人理に乖く。宜しく州県をして教導し、之を斉ふるに礼典を以てせしむべし、と。〔▽五七四−五頁〕


第四章

貞観五年、太宗、侍臣に謂ひて曰く、仏道の教を設くるは、本、善事を行ふ。豈に僧尼・道士等をして、妄に自ら尊崇し、坐ながら父母の拝を受けしめんや。風俗を損害し、礼経を悖乱す。宜しく即ち禁断し、仍りて拝を父母に致さしむべし、と。〔▽五七五頁〕


第五章

貞観六年、太宗、尚書左僕射房玄齢に謂ひて曰く、比、山東の崔・盧・李・鄭の四姓有り。累葉陵遅すと雖も、猶ほ其の旧地を恃み、好みて自ら矜大にし、称して士大夫と為す。女を他族に嫁する毎に、必ず広く聘財を索め、多きを以て貴しと為し、数を論じ約を定むること、市賈に同じ。甚だ風俗を損じ、礼経を紊る有り。既に軽重、宜しきを失ふ。理、須く改革すべし、と。〔▽五七六頁〕
乃ち吏部尚書高士廉、御史大夫韋挺、中書侍郎岑文本、礼部侍郎*令狐徳ふん(れいことくふん)等に詔して、姓氏を刊正し、普く天下の譜諜を責め、兼ねて史伝に拠憑し、其の浮華を剪り、其の真偽を定め、忠賢なる者は褒進し、悖逆なる者は乃ち貶黜し、撰して氏族志を為らしむ。士廉、氏族の等第を進定するに及び、遂に崔幹を以て第一等と為す。〔▽五七七頁〕
太宗、謂ひて曰く、我、山東の崔・盧・李・鄭と、旧既に嫌無し。其の世代衰微するが為めに、全く官爵無し。猶ほ自ら士大夫と云ひ、婚姻の際には、則ち多く銭物を索む。或は才識庸下なれども、偃仰して自ら高ぶり、*松か(しょうか)を販鬻し、富貴に依託す。我、人間何為れぞ之を重んずるかを解せず。且つ大丈夫、能く徳を立て功を立つる有りて、爵位崇重に、善く君父に事へて、忠孝、称す可く、或は道義素高く、学芸通博なるは、此れ亦、門戸を為し、天下の士大夫と謂ふ可きに足る。〔▽五七八頁〕
今、崔・盧の属は、唯だ遠葉の衣冠を矜る。寧ぞ当朝の貴に比せんや。公卿已下、何の仮ありてか多く銭物を輸し、兼ねて他の気勢を与し、声に向ひ実に背き、以て栄と為すを得んや。我、今、氏族を定むる者は、誠に今朝の冠冕を崇樹せんと欲す。何に因りて崔幹を猶ほ第一等と為すや。只だ卿等を看るに、我が官爵を貴ばざるか。数代已前を論ずるを須ひず、止だ今日の官品人才を取りて、等級を作し、宜しく一に量定し、用つて永則と為すべし、と。遂に崔幹を以て第三等と為す。十二年に至りて書成る。凡て百巻。天下に頒つ。〔▽五七九頁〕
又詔して曰く、氏族の盛は、実に冠冕に繋る。婚姻の道は、仁義より先なるは莫し。有魏、御を失ひ斉氏云に亡びしより、市朝既に遷り、風俗陵替す。燕趙の古姓、多く衣冠の緒を失ひ、斉韓の旧族、或は徳義の風に乖き、名、州閭に著れず、身、未だ貧賎を免れざるに、自ら膏梁の冑と号し、匹敵の儀を敦くせず。問名は惟だ貲を竊むに在り。*結り(けつり)は必ず富室に帰す。乃ち新官の輩、豊財の家有り、其の祖宗を慕ひ、競ひて婚媾を結び、多く貨賄を納るること、販鬻の如き有り。或は自ら家門を貶して、屈辱を*姻あ(いんあ)に受け、或は其の旧望を矜りて、無礼を舅姑に行ふ。積習、俗を成し、今に迄りて未だ已まず。既に人倫を紊り、実に名教を虧く。朕、夙夜*競てき(きょうてき)し、正道を憂勤し、往代の蠹害、咸く以て懲革す。唯だ此の弊風、未だ尽くは変ずる能はず。今より以後、明かに告示を加へ、嫁娶の序を識らしめ、務めて典礼に合し、朕が意に称はしめよ、と。〔▽五八〇頁〕


第六章

礼部尚書王珪の子敬直、太宗の女南平公主に尚す。珪曰く、礼の婦の舅姑に見ゆるの儀有り。近代、風俗弊薄してより、公主出降するとき、此の礼皆廃せり。主上欽明にして、動くに法政に循ふ。吾、公主の謁見を受くるは、豈に身の栄の為めならんや。国家の美を成す所以のみ、と。遂に其の妻と位に就きて坐し、公主をして親ら笄を執りて盥饋の道を行はしめ、礼成りて退く。太宗聞きて善しと称す。是の後、公主下降し、舅姑有る者は、皆、備に此の礼を行はしむ。〔▽五八二頁〕


第七章

貞観十二年、太宗、侍臣に謂ひて曰く、古者、諸侯入朝すれば、湯沐の邑有り。芻禾百車、待するに客礼を以てす。昼は正殿に坐し、夜は庭燎を設く。与に相見て其の労苦を問はんことを思ふ。又、漢家の京城にも、亦、諸郡の為めに邸舎を立つ。頃聞く、考使、京師に至る者、皆、房を賃して以て坐し、商人と雑居し、纔に身を容るるを得るのみと。既に之を待礼すること足らざるなり。必ず是れ人多く怨歎せん。豈に肯て情を共理に竭くさんや。乃ち京城の閑坊に就きて、諸州の考使の為めに、各々邸第を造らしむ。成るに及び、太宗親しく観行す。〔▽五八三頁〕


第八章

貞観十三年、礼部尚書王珪、奏言す、令に準ずるに、三品以上、親王に路に遇へば、合に馬を下るべからず。今、皆、法に違ひて敬を申ぶ。朝典に乖く有り、と。太宗曰く、卿が輩、自ら崇貴にして、我が兒子を卑しまんと欲するか、と。魏徴対へて曰く、漢魏以来、親王の班は、皆、三公の已下に次す。今、三品は竝びに天子の六尚書・九卿なり。王の為めに馬を下るは、宜しく当るべからざる所なり。諸を故事に求むれば、則ち憑る可き無し。之を今に行へば、又、国憲に乖く。理、誠に不可なり、と。〔▽五八四−五頁〕
帝曰く、国家、太子を立つる者は、以て君と為さんと擬す。人の修短は、老幼に在らず。設し太子無くんば、則ち母弟次ぎて立たん。此を以て言へば、安んぞ我が子を軽んずるを得んや、と。徴又曰く、殷人は質を尚び、兄終れば弟及ぶの義有り。周より以降、嫡を立つるは必ず長をす。*庶げつ(しょげつ)の*窺ゆ(きゆ)を絶ち、禍乱の源本を塞ぐ所以なり。国家を為むる者、宜しく深く慎むべき所なり、と。太宗遂に珪の奏を可とす。〔▽五八五−六頁〕


第九章

貞観十四年、特進魏徴上疏して曰く、臣聞く、君を元首と為し、臣を股肱と作す。斉契して心を同じくし、合して一体を成す。体、備はらざる或れば、未だ成人と為らず。然れば則ち首は尊高なりと雖も、必ず手足に資りて、以て体を成す。君は明哲なりと雖も、必ず股肱に藉りて以て治を致す。故に礼に云く、人は君を以て心と為し、君は人を以て体と為す。心壮なれば則ち体舒び、心粛めば則ち容敬す、と。書に云く、元首康きかな、股肱良なるかな、万事興るかな。元首*叢ざ(そうざ)なるかな、股肱堕るかな、万事*やぶ(やぶ)るるかな、と。然れば則ち股肱を委棄して、独り胸臆に任じ、体を具へ理を成すは、聞く所に非ざるなり。〔▽五八六−七頁〕
夫れ君臣相遇ふは、古より難しと為す。石を以て水に投ずるは、千載に一たび合ふ。水を以て石に投ずるは、時として有らざるは無し。其れ能く至公の道を開き、天下の用を申べ、内、心膂を尽くし、外、股肱を竭くし、和すること塩梅の若く、固きこと金石に同じき者は、惟だ高位厚秩のみに非ず、之を礼するに在るのみ。〔▽五八八頁〕
昔、周の文王、鳳凰の墟に遊び、*べつ系(べつけい)解けたり。左右を顧みるに、使む可き者莫し。乃ち自ら之を結べり。豈に周文の朝、尽く俊乂為り、聖明の代、独り君子無きならんや。但だ知ると知らざると、礼すると礼せざるとのみ。是を以て、伊尹は*有しん(ゆうしん)の*よう臣(ようしん)、韓信は項氏の亡命なり。殷湯、礼を致して、王業を南巣に定め漢祖、壇に登りて、帝功を垓下に成せり。若し夏桀、伊尹を棄てず、項王、恩を韓信に垂れなば、寧んぞ肯て已に成れるの国を敗りて、滅亡の虜と為らんや。又、微子は骨肉なり、茅土を宋に受く。箕子は良臣なり、洪範を周に陳ぶ。仲尼、其の仁を称し、之を非とする者有る莫し。〔▽五八九頁〕
礼記に称す、魯の穆公、子思に問ひて云く、旧君の為めに反服するは、古か、と。子思云く、古の君子は、人を進むるに礼を以てし、人を退くるに礼を以てす。故に旧君の為に反服するの礼有るなり。今の君子は、人を進むるには将に諸を膝に加へんとするが若く、人を退くるには将に諸を泉に墜さんとするが若し。戎首と為る無くんば、亦善からずや。又、何の反服か之れ有らん、と。〔▽五九一頁〕
晏子に云く、斉の景公、晏子に問ひて云く、忠臣の君に事ふること、如何、と。晏子対へて曰く、難有れば死せず、出亡すれば送らず、と。公云く、地を裂きて以て之を封じ、爵を疏ちて之を待つ。難有れば死せず、出亡すれば送ざるは、何ぞや、と。晏子曰く、言ひて用ひらるれば、終身、難無し、臣何ぞ死せん。諌めて従はるれば、終身、亡げず、臣何ぞ送らん。若し言ひて用ひられざるに、難有りて死するは、是れ妄死なり。諌めて従はられざるに、出亡して送るは、是れ詐忠なり、と。〔▽五九二頁〕
春秋左氏伝に曰く、崔杼、斉の荘公を殺す。晏子、崔氏の門外に立つ。其の人曰く、死せんか、と。曰く、独り吾が君ならんや。吾死せんや、と。曰く、行らんか、と。曰く、吾が罪ならんや。吾亡げんや。故に君、社稷の為めに死すれば、則ち之に死す。社稷の為めに亡ぐれば、則ち之に亡ぐ。若し己が為めに死し、己が為めに亡ぐれば、其の親昵に非ざれば、誰か敢て之に任ぜん、と。門啓きて入り、尸を股に枕せしめて哭し、興ちて三たび踊りて出づ、と。〔▽五九三頁〕
孟子曰く、君の臣を視ること手足の如くなれば、臣の君を視ること腹心の如くす。君の臣を視ること犬馬の如くなれば、臣の君を視ること国人の如くす。君の臣を視ること土芥の如くなれば、臣の君を視ること冦讎の如くす、と。臣の君に事ふること二志有ること無しと雖も、去就の節に至りては、尚ほ恩の薄厚に縁る。然れば則ち人の上為る者、安んぞ以て下に礼無かる可けんや。〔▽五九四頁〕
竊に在朝の群臣を観るに、枢機の寄に当る者は、或は地、秦晋に隣り、或は業、経綸に預り、竝びに事を立て功を立て、皆、一時の選にして、之を衡軸に処く。任為ること重し。之に任ずること重しと雖も、之を信ずること未だ篤からず。之を信ずること篤からざれば、則ち人或は自ら疑ふ。人或は自ら疑へば、則ち心、苟且を懐く。心、苟且を懐けば、則ち節義、立たず。節義、立たざれば、則ち名教、興らず。名教、興らざれば、則ち与に太平の基を固くし、七百の祚を保つ可きこと、未だ之れ有らざるなり。〔▽五九五頁〕
又聞く、国家、功臣を重惜し、旧悪を念はず、と。之を前聖に方ぶるに、一も間する所無し。然れども但だ大事に寛に、小罪に急なり。時に臨みて責怒し、未だ愛憎の心を免れず。以て政を為す可からず。君、其の禁を厳にすれども、臣或は之を犯す。況んや上其の源を啓けば、下必ず甚だしき有り。川壅がりて潰ゆれば、其の傷ること必ず多し。凡百の黎元をして、何に其の手足を措く所あらしめんと欲するや。此れ所謂、君、一源を開き、下、百端を生ず。百端の変は、動乱せざる者無きなり。〔▽五九六頁〕
礼記に曰く、愛すれども其の悪しきを知り、憎めども其の善きを知る、と。若し憎みて其の善きを知らざれば、則ち善を為す者は必ず懼る。愛して其の悪しきを知らざれば、則ち悪を為す者寔に繁し。詩に曰く、君子如し怒らば、乱庶はくは*すみや(すみや)かに沮まん、と。然れば則ち古人の震怒は、将に以て悪を懲らさんとす。今の威罰は、姦を長ずる所以なり。此れ尭舜の心に非ざるなり。禹湯の事に非ざるなり。書に曰く、我を撫すれば則ち后、我を虐すれば則ち讎なり、と。孫卿子曰く、君は舟なり。庶人は水なり。水は舟を載する所以、亦、舟を覆す所以なり、と。孔子曰く、魚は水を失へば則ち死す。水は魚を失ふとも猶ほ水為るなり、と。故に尭舜は戦戦慄慄として、日に一日を慎む。安んぞ之を深思せざる可けんや。安んぞ之を熟慮せざる可けんや。〔▽五九七頁〕
夫れ大臣に委ぬるに大体を以てし、小臣を責むるに小事を以てするは、国を為むるの常なり。治を為すの道なり。今、之に委ぬるに職を以てするには、則ち大臣を重んじて小臣を軽んず。事有るに至りては、則ち小臣を信じて大臣を疑ふ。其の軽んずる所を信じ、其の重んずる所を疑ひ、将に至治を求めんとするも、其れ得可けんや。又、政は恒有ることを貴び、屡々易ふるを求めず。今或は小臣を責むるに大体を以てし、或は大臣を責むるに小事を以てす。小臣は其の拠るところに非ざるに乗じ、大臣は其の守る所を失ふ。大臣は或は小過を以て罪を獲、小臣は或は大体を以て罰を受く。職、其の位に非ず、罰、其の罪に非ず。其の私無からんことを欲し、其の力を尽くさんことを求むるは、亦難からずや。小臣は委ぬるに大事を以てす可からず、大臣は責むるに小罪を以てす可からず。任ずるに大官を以てして、其の細過を求めば、刀筆の吏、旨に順ひ風を承け、文を舞はし法を弄し、其の罪を曲成す。自ら陳ぶるや、則ち以て心、辜に伏せずと為す。言はざるや、則ち以て犯す所皆実なりと為す。進退惟れ谷まり、能く自ら明かにする莫し。能く自ら明かにする莫ければ、則ち苟くも禍を免れんことを求む。大臣苟くも免るれば、則ち譎詐萌生す。譎詐萌生すれば、則ち矯偽、俗を成す。矯偽、俗を成せば、則ち以て至理に臻る可からざるなり。〔▽五九八−九頁〕
又、大臣に委任するは、其の力を尽くさんことを欲す。官闕くる有る毎に、其の人を取るを責む。或は知る所を言へば、則ち以て私意と為す。避忌する所有れば、則ち以て尽くさずと為す。若し挙ぐること其の人を得ば、何ぞ故旧を嫌はん。若し挙ぐること其の任に非ざれば、何ぞ疎遠を貴ばん。之を待するに未だ誠信を尽くさざれば、何を以て其の忠恕を責めんや。臣、或は之を失ふ有りと雖も、君も亦未だ得たりと為さざるなり。〔▽六〇〇−一頁〕
夫れ上の下を信ぜざるは、必ず以て、下、信ず可き無しと為す。若し必ず、下、信ず可き無ければ、則ち上も亦疑ひ有らん。礼に曰く、上の人疑へば、則ち百姓惑ふ。下、知り難ければ、則ち君長労す、と。上下相疑へば、則ち以て至理を言ふ可からず。当今、群臣の内、遠く一方に有り、流言三たび至りて、杼を投ぜざる者は、臣竊かに思ひ度るに、未だ其の人を見ず。夫れ四海の広き、民庶の衆きを以て、豈に一二の之を信ず可きもの無からんや。蓋し之を信ずれば、則ち信ず可からざる者無し。之を疑へば、則ち信ず可き者無し。豈に独り臣の過ならんや。〔▽六〇一−二頁〕
夫れ一介の庸夫を以て、結びて交友と為れば、身を以て相許し、死すとも渝らず。況んや君臣の契合は、実に魚水に同じ。君は尭舜為り。臣は稷契為るが若き、豈に一事に遇へば則ち志を変じ、小利を見れば則ち心を易ふること有らんや。此れ、下の忠を立つること、未だ明著なる能はずと雖も、亦、上の不信を懐きて之を待すること過薄なるの致す所に由る。此れ豈に君は臣を使ふに礼を以てし、臣は君に事ふるに忠を以てするならんや。陛下の聖明を以て、当今の功業を以て、誠に能く博く時俊を求め、上下、心を同じくせば、則ち三皇は追ひて四にす可く、五帝は俯して六にす可からん。夏殷周漢は、夫れ何ぞ数ふるに足らん、と。太宗深く之を嘉納し、駿馬一匹を賜ふ。〔▽六〇三頁〕


第十章

貞観十四年、太宗、礼官に謂ひて曰く、同爨すら尚ほ*し麻(しま)の恩有れども、嫂叔には服無し。又、舅と姨とは、親疎相似たれども、服紀殊なる有るは、未だ礼を得たりと為さず。宜しく学者を集めて詳議すべし。余、親重くして服軽き者有らば、亦附して奏文せよ、と。〔▽六〇四頁〕
是の日、尚書八座、礼官と与に議を定めて曰く、竊に之を聞く、礼は、嫌疑を決死、猶豫を定め、同異を別ち、是非を明かにする所以の者なり。豈に天従り下るに非ず、地従り出づるに非ず、人情のみ。人道の先にする所は、九族を敦睦するに在り。九族敦睦なるは、親を親とするに由り、近きを以て遠きに及ぼす。親族等差有り、故に喪紀に降殺有り。恩の薄厚に随ひ、皆、情を称りて以て文を立つ。〔▽六〇五頁〕
原ぬるに夫れ舅と姨とは、同気為りと雖も、之を母に推せば、軽重相懸たる。何となれば則ち舅は母の本宗為り、姨は外成他姓為り。之を母の族に求むるに、姨は焉に預らず。之を経史に考ふるに、舅は誠に重しと為す。故に周王、斉を念ひ、是を舅甥の国と称す。秦伯、晋を懐ひ、実に渭陽の詩に切なり。今、舅は、服、一時為るに止まり、姨の為めには喪に居ること五月なるは、名に徇ひ実を喪ひ、末を逐ひ本を棄つ。此れ古人の情、或は未だ達せざる有り。宜しく損益すべき所、寔に茲に在るか。〔▽六〇六頁〕
礼記に曰く、兄弟の子は猶ほ子のごとくするは、蓋し引きて之を進むるなり。嫂叔の服せざるは、蓋し推して之を遠ざくるなり、と。礼に継父同居すれば、則ち之が為めに期す。未だ嘗て同居せざれば、則ち為めに服せず。従母の夫、舅の妻、二の夫の人相為めに服す、と。或は曰く、同爨は*し麻(しま)す、と。然れば則ち継父従母の夫は、竝びに骨肉に非ず。服の重きは同爨に由り、恩の軽きは異居に在り。固に知る、服を制するは、名に継ぐと雖も、蓋し亦恩の厚薄に縁る者なり。或は長年の嫂有り、孩童の叔に遇ひ、劬労鞠養し、情、所生の若く、飢を分ち寒を共にし、契闊偕老するは、同居の継父に譬ふ。他人の同爨に方ぶるに、情義の深浅、寧ぞ日を同じくして言ふ可けんや。其の生に在るや、乃ち愛、骨肉に同じく、其の死に於けるや、則ち推して之を遠ざくるは、之を本源に求むるに、深く未だ喩らざる所なり。若し推して之を遠ざくるを是と為さば、則ち生きて居を共にす可からず。生きて居を共にするを是と為さば、則ち死して行路に同じくす可からず。其の生を重くして其の死を軽くし、其の始を厚くして其の終を薄くするは、情に称ひて文を立つること、其の義安くにか在る。〔▽六〇七−八頁〕
且つ嫂に事へて称せらるるもの、載籍、一に非ず。鄭忠虞は則ち恩礼甚だ篤し。顔弘都は則ち誠を竭くして感を致す。馬援は則ち見るや必ず冠す。*孔きゅう(こうきゅう)は則ち之を哭するに位を為る。此れ竝びに、躬、教義を践み、仁、孝友に深し。其の行ふ所の旨を察するに、豈に先覚者に非ずや。但だ時に于て、上に哲王無く、礼、下の議する所に非ず、遂に深情をして千載に鬱し、至理をして万古に蔵れしむ。其の来ること久し。豈に惜からずや。〔▽六〇九頁〕
今、陛下以為へらく尊卑の序、煥乎として已に備はると雖も、喪紀の制、或は情礼未だ安からず、と。爰に秩宗に命じ、詳議損益せしむ。臣等、明旨を奉遵し、類に触れて傍く求め、群経を*採せき(さいせき)し、伝記を討論し、或は抑へ或は引き、名を兼ね実を兼ね、其の余り有るを損し、其の足らざるを益し、無文の礼をして咸く秩し、敦睦の情をして畢く挙がらしめ、薄俗を既往に変じ、篤義を将来に垂る。信に六籍の談ずる能はざる所、百王を超えて独り得る者なり。〔▽六一〇頁〕
謹みて按ずるに、曾祖父母は、旧、斉衰三月に服す。請ふ加へて斉衰五月と為さん。嫡子の婦は、旧、大功に服す。今、請ふ、加へて期と為さん。衆子の婦は、旧、小功に服す。今、請ふ兄弟の子婦と同じく大功九月と為さん。嫂叔は、旧、服無し。今、請ふ小功五月とせん。其の弟の妻及び夫の兄に服することも、亦小功五月とせん。舅は、旧、*し麻(しま)に服す。請ふ従母と同じく小功に服せん、と。詔して其の議に従ふ。此れ皆魏徴の詞なり。〔▽六一一頁〕


第十一章

貞観十七年十二月癸丑、太宗、侍臣に謂ひて曰く、今日は是れ朕の生日なり。俗間、生日を以て喜楽す可しと為す。朕の情に在りては、還つて感思を成す。天下に君臨し、富、四海を有ちて、而も侍養を追求するに、永く得可からざるなり。仲由、負米の恨を懐く、良に以有るなり。況んや詩に云ふ、哀哀たる父母、我を生みて劬労す、と。奈何ぞ本劬労の辰為るを以て、遂に宴楽の事を為さん。甚だ是れ礼度に乖く、と。因りて泣下る。〔▽六一二−三頁〕


第十二章

太常少卿祖孝孫、定むる所の新楽を奏す。太宗云く、礼楽を作らるるは、是れ聖人、物に象りて教を設け、以て*そん節(そんせつ)を為すなり。治政の善悪は、豈に此に之れ由らんや、と。御史大夫杜淹対へて曰く、前代の興亡は、実に楽に由る。陳の将に亡びんとするや、玉樹後庭花を為る。斉の将に亡びんとするや、而ち伴侶を為る。行路、之を聞き、悲泣せざるは莫し。所謂亡国の音なり。是を以て之を観れば、実に楽に由る、と。〔▽六一四頁〕
太宗曰く、然らず。夫れ音声、豈に能く人を感ぜしめんや。歓ぶ者之を聞けば則ち悦び、憂ふる者之を聴けば則ち悲む。悲悦は人心に在り、楽に由るに非ざるなり。将に亡びんとするの政は、其の人必ず苦むこと然り。苦心の感ずる所、故に聞きて悲むのみ。何の楽声の哀怨か、能く悦ぶ者をして悲ましむること有らんや。今、玉樹後庭花・伴侶の曲、其の声具に存す。朕当に公の為めに之を奏すべし。公の必ず悲まざらんことを知るのみ、と。尚書右丞魏徴進みて曰く、古人称す、礼と云ひ礼と云ふ、玉帛を云はんや。楽と云ひ楽と云ふ、鐘鼓を云はんや、と。楽は人の和に在り、音調に由らず、と。太宗、之を然りとす。〔▽六一五頁〕


第十三章

貞観十七年、太常卿*蕭う(しょうう)、奏して言はく、今、破陣の楽舞は、天下の共に伝ふる所なり。然れども盛徳の形容を美するには、尚ほ未だ尽くさざる所有り。前後破る所の、劉武周・薛挙・竇建徳・王世充等、臣願はくは、其の形状を図し、以て戦勝攻取の容を写さん、と。〔▽六一六頁〕
太宗曰く、四方未だ定まらざるに縁るに当りて、因りて天下の為めに、焚を救ひ溺を拯ふ。故に已を獲ずして、乃ち征伐の事を行へり。人間に遂に此の舞有る所以なり。国家、茲に因り、亦、其の曲を製す。然れども雅楽の容は、止だ其の梗概を陳ぬるを得。若し委曲に之を写さば、則ち其の状、識り易からん。朕以ふに見在の将相、多く曾経て其の駆使を受けたる者有り、既に一日の君臣と為る。今若し重ねて其の擒獲せらるるの勢を見れば、必ず忍びざる所有らん。我、此等の為めに、為さざる所以なり、と。*蕭う(しょうう)謝して曰く、此の事、臣が思慮の及ぶ所に非ず、と。〔▽六一七頁〕




貞観政要巻第八〔▽六一九頁〕
務農第三十
第一章

貞観二年、太宗、侍臣に謂ひて曰く、凡そ事は皆、須く本を務むべし。国は人を以て本と為し、人は衣食を以て本と為す。衣食を営むには、時を失はざるを以て本と為す。夫れ時を失はざるは、唯だ人君の簡静に在りて、乃ち致す可きのみ。若し兵戈屡々動き、土木息まずして、而も農時を奪はざらんと欲すとも、其れ得可けんや、と。〔▽六一九頁〕
王珪曰く、昔、秦皇・漢武、外には則ち兵戈を窮極し、内には則ち宮室を崇侈す。人力既に竭きて、禍難遂に興る。彼豈に人を安んずるを欲せざらんや。其の人を安んずる所以の道を失へばなり。亡隋の轍、殷鑒、遠からず。陛下親しく其の弊を承け、之を易ふる所以を知る。然れども初に在りては則ち易く、之を終ふるは実に難し。伏して願はくは、終を慎むこと始の如くし、方に其の美を尽くさんことを、と。〔▽六二〇頁〕
太宗曰く、卿の言、是なり。其れ人を安んじ国を寧んずるは、惟だ君に在り。君無為なれば則ち人楽み、君多欲なれば則ち人苦む。朕が情を抑へ欲を損し、己に剋ち自ら励む所以なるのみ、と。〔▽六二一頁〕


第二章

貞観二年、京師大旱し、蝗虫大いに起る。太宗、苑に入りて禾を視、蝗を見、数枚を*ひろ(ひろ)ひて呪して曰く、人は穀を以て命と為す。而るに汝、之を食ふ。是れ百姓に害あり。百姓、過ち有るは、余一人に在り。爾其れ霊有らば、但だ当に我を食すべし。百姓を害ふ無かれ、と。将に之を呑まんとす。左右遽に諌めて曰く、恐らくは疾を成さん。不可なり、と。太宗曰く、冀ふ所は災を朕が躬に移さん。何ぞ疾を之れ避けん、と。遂に之を呑む。是に因りて、蝗、復た災を為さず。〔▽六二一−二頁〕


第三章

貞観四年、太宗、諸州の考使に謂ひて曰く、国は人を以て本と為し、人は食を以て命と為す。禾穀、登らざるが若きは、恐らくは朕が躬親らせざるに因るの致す所ならん。故に別院に就きて、三数畝の禾を種ゑ、時に自ら其の*てい莠(ていゆう)を鋤するに、纔かに半畝を得たるに、即ち甚だ疲乏す。此を以て之を思ふに、労、知る可きなり。農夫は実に甚だ辛苦す。〔▽六二三頁〕
頃聞く、関東及び諸処、粟は両銭半価、米は四銭価なり、と。深く慮る、無識の人、米の賎きを見て遂に農を惰りて自ら安んぜんことを。儻し水旱に遇はば、即ち飢餓を受けん。卿等、州に至るの日、毎県、時に官人を遣し、田隴の間に就きて勧励せよ。送迎有らしむるを得ず。若し送迎往還すれば、多く農業を廃す。此の若きの勧農は去るに如かず、と。〔▽六二三頁〕


第四章

貞観五年、有司上言すらく、皇太子将に冠礼を行はんとす。宜しく二月を用ふべきを吉と為す。請ふ兵を追ひて以て儀注に備へん、と。太宗曰く、今、東作方に興る。恐らくは農事を妨げん。改めて十月を用ひしめよ、と。太子少保*蕭う(しょうう)奏して言はく、陰陽家に準ずるに、二月を用ふるを勝れりと為す、と。〔▽六二四頁〕
太宗曰く、陰陽の拘忌は、朕の行はざる所なり。若し動静必ず陰陽に依り、礼義を顧みずんば、福祐を求めんと欲するも、其れ得可けんや。若し行ふ所、皆、正道に遵はば、自然に常に吉と会せん。且つ吉凶は人に在り。豈に陰陽の拘忌を仮らんや。農時は甚だ要なり。暫くも失ふ可からず、と。〔▽六二五頁〕


第五章

貞観五年、太宗、天下の粟価、率ね計るに斗に直五銭、其の尤も賎き処は、斗に直両銭なるを以て、因りて侍臣に謂ひて曰く、国は人を以て本と為し、人は食を以て命と為す。若し禾穀、登らずんば、則ち兆庶、国家の有する所に非ざらん。朕、億兆の父母と為り、既に豊稔に属すること斯の若し。安んぞ喜ばざるを得んや。唯だ躬ら倹約を務め、必ず輒く奢侈を為すを得ざらんと欲す。〔▽六二六頁〕
朕、常に、天下の人に賜ひて、皆富貴ならしめんと欲す。今、徭を省き賦を薄くし、農時を奪はず、比屋の人をして、其の耕稼を恣にせしめん。此れ則ち富むなり。敦く礼譲を行ひ。郷閭の間をして、少は長を敬し、妻は夫を敬せしめん。此れ則ち貴きなり。但だ天下をして皆然らしめば、朕、管弦を聴かず、畋猟に従はずとも、楽、其の中に在らん。〔▽六二七頁〕



論刑法第三十一
第一章

貞観元年、詔し大辟の罪を犯す者を以て、其の右趾を断たしむ。因りて侍臣に謂ひて曰く、前代、肉刑を行はざること久し。今、人の右趾を断つ。意、為すに忍びず、と。諌議王珪対へて曰く、古、肉刑を行ふは、以て罪を軽くするが為めなり。今、陛下、死を矜むこと多し。故に断趾の法を設く。一足を損じて以て其の大命を全うするは、犯す者に於て甚だ益あり。且つ之を見れば、懲誡と為すに足る、と。侍中陳叔達又曰く、古の肉刑は、死刑の外に在り。陛下は死刑の内に於て、降して断趾に従ふ。便ち是れ生を以て死に易ふるにて、寛法と為すに足る、と。〔▽六二八頁〕


第二章

貞観元年、太宗、侍臣に謂ひて曰く、死する者は再び生かす可からず。法を用ふること、須く務めて寛簡を存すべし。古人云ふ、棺を鬻ぐ者は、歳の疫あらんことを欲す。人を疾むには非ず。棺の售るるを利するが故なるのみ、と。今、諸司、一獄を覆理するに、必ず深刻を求め、其の考課を成さんことを欲す。今、何の法を作さば、平允ならしむるを得ん、と。諌議大夫王珪進んで曰く、但だ公直良善の人を選び、若し獄を断ずること允当なる者には、秩を増し金を賜はば、即ち姦偽自ら息まん、と。詔して之に従ふ。〔▽六二九−三〇頁〕
太宗又曰く、古者、獄を断ずるには、必ず三槐・九棘の官に訊ふ。今、三公・九卿は、即ち其の職なり。今より大辟の罪は、皆宰相・中書・門下の四品以上、及び尚書・九卿をして之を議せしめん。此の如くならば、冤濫を免るるに庶からん、と。是れ由り四年に至るまで、死刑を断ずること天下に二十九人のみ。幾ど刑措くを致せり。〔▽六三〇−一頁〕


第三章

貞観二年、太宗、侍臣に謂ひて曰く、比、奴、其の主の謀逆を告ぐるもの有り。此れ甚だ極めて弊法なり。特に須く禁断すべし。仮令、謀反する者有りとも、必ず独り成すを得ず。終に将に人と之を計らんとす。衆計の事は、必ず他人の之を論ずるもの有らん。豈に其の奴の告ぐるを藉らんや。今より、奴の主を告ぐる者は、皆、受くるを須ひず。尽く斬決せしめよ、と。〔▽六三二頁〕


第四章

貞観五年、張蘊古、大理丞為り。相州の人李好徳、素より風疾有り、言、妖妄に渉る。詔して其の獄を鞫せしむ。蘊古言ふ、好徳の癲病、徴有り、法当に坐すべからず、と。太宗許し将に寛宥せんとす。蘊古密に其の旨を報じ、仍りて引きて与に博戲す。治書侍御史権万紀、之を劾奏す。太宗怒り、東市に斬らしむ。〔▽六三二−三頁〕
既にして之を悔い、房玄齢に謂ひて曰く、公等、人の禄を食む、須く人の憂を憂ふべし。事、巨細と無く、咸く当に意を留むべし。今、問はざれば即ち言はず、事を見れども、都て争はずんば、何の輔弼する所ぞ。蘊古が、身、法官と為り、囚と博戲し、朕が言を漏洩するが如きは、此れ亦罪状甚だ重けれども、若し常律に拠らば、亦未だ極刑に至らじ。朕、当時盛怒し、即ち処置せしむ。公等、竟に一言無く、所司、又、覆奏せず。遂に之を即決せり。豈に是れ道理ならんや、と。因りて詔し、凡そ死刑有らば、即決せしむと雖も、皆須く五たび覆奏すべし、と。蘊古より始まるなり。〔▽六三三−四頁〕
蘊古、初め、貞観二年を以て、幽州総管府の記室より、中書省に直す。表して大宝の箴を上る。文義甚だ美にして、規誡と為す可し。其の詞に曰く、今来古往、俯して察し仰ぎて観るに、惟れ辟福を作す、君為ること実に難し。普天の下に宅り、王公の上に処る。土に任じて其の求むる所を貢し、僚を具えへて其の唱ふる所を和す。是の故に、競懼の心日に弛み、邪僻の情転た放なり。豈に知らんや、事は忽せにする所に起り、禍は無妄より生ずるを。〔▽六三五頁〕
固に以ふに、聖人、命を受け、溺を拯ひ屯を亨し、罪を己に帰し、恩を民に施す。大明、偏照無く、至公、私親無し。故に一人を以て天下を治め、天下を以て一人に奉ぜず。礼以て其の奢を禁じ、楽以て其の佚を防ぐ。左は言にして右は事、、出づるに警して入るに蹕す。四時、其の惨舒を調へ、三光、其の得失を同じくす。故に身は之が度と為り、而して声は之が律と為る。〔▽六三六頁〕
謂ふ勿れ知る無し、と。高きに居りて卑きに聴く。謂ふ勿れ何の害あらんと。小を積みて大を成す。楽は極む可からず、楽を極むれば哀を生ず。欲は縦にす可からず、欲を縦にすれば災を成す。九重を内に壮にするも、居る所は膝を容るるに過ぎず。彼の昏くして知らざるは、其の臺を揺にして其の室を瓊にす。八品を前に羅ぬるも、食ふ所は口に適ふに過ぎず。惟れ狂にして念ふ罔きは、其の糟を丘にして其の酒を池にす。〔▽六三七頁〕
内は色に荒む勿、。外は禽に荒む勿れ。得難きの貨を貴ぶ勿れ、亡国の音を聴く勿れ。内荒は人の性を伐り、外荒は人の心を蕩かす。得難き者は侈り、亡国の声は淫す。〔▽六三八頁〕
我を尊しと謂ひて賢に傲り士を侮る勿れ。我を智なりと謂ひて諌を拒ぎ己に矜る勿れ。之を聞く、夏后は饋に拠りて頻に起つと、亦魏帝は裾を牽けども止らざること有り、と。彼の反側を安んずるは、春陽秋露の如く、巍巍蕩蕩として、漢高の大度を推せ。茲の庶事を撫するは、薄きを履み深きに臨むが如く、戦戦慄慄として、周文の小心に同じくせよ。〔▽六三九頁〕
詩に云く、識らず知らず、と。書に云く、偏無く黨無し、と。彼此の胸臆に一にし、好悪を心想に損ぜよ。衆棄てて而る後に刑を加へ、衆悦びて而る後に賞を命ぜよ。其の強を弱くして其の乱を治め、其の屈を申べて其の枉を直くせよ。故に曰く、衡の如く石の如く、物を定むるに数を以てせず、物の懸る者、軽重自ら具はる。水の如く鏡の如く、物に示すに情を以てせざれ。物を鑒する者、妍蚩自ら生ず、と。〔▽六四〇−一頁〕
渾渾として濁ること勿れ、皎皎として清むこと勿れ。*もんもん(もんもん)として闇きこと勿れ、察察として明かなること勿れ。冕旒目を蔽ふと雖も、而も形無きに察せよ。*とう紘(とうこう)耳を塞ぐと雖も、而も声無きに聴け。心を湛然の域に縦にし、神を至道の精に遊ばしめよ。之を扣く者は洪繊に応じて響きを効し、之を酌む者は浅深に随ひて皆盈つ。故に曰く、天の経、地の寧、王の貞と。四時言はずして代序し、万物言ふこと無くして成を受く。豈に帝、其の力有りて、天下和平なるを知らんや。〔▽六四一−二頁〕
吾が王、乱を撥め、戡つに智力を以てす。民其の威を懼れ、未だ其の徳に懐かず。我が皇、運を撫し、扇ぐに淳風を以てす。民其の始に懐き、未だ其の終を保せず。爰に金鏡を述べ、神を窮め聖を尽くす。〔▽六四三頁〕
人を使ふに心を以てし、言に応ずるに行を以てす。治体を苞括し、詞令を抑揚す。天下を公と為せば、一人、慶有り。羅を開きて祝を起し、琴を援きて詩を命ず。一日二日、茲を念ふに茲に在り。惟だ人の招く所のままなり。天より之を祐く。争臣、詞直なり。敢て前疑を告ぐ、と。太宗、之を嘉し、帛三百段を賜ひ、仍りて授くるに大理寺丞を以てす。〔▽六四四頁〕
※『源平盛衰記』巻五


第五章

貞観五年、詔して曰く、京にある諸司、比来奏して死囚を決するに、五覆すと云ふと雖も、一日に即ち了り、都て未だ審かに思ふに暇あらず。五たび奏すとも何の益あらん。縦ひ追悔有りとも、又、及ぶ所無からん。今より後、京にある諸司、奏して死囚を決するに、宜しく二日の内に五たび覆奏すべし。下の諸州は三たび覆奏すべし、と。〔▽六四六頁〕
又、手勅して曰く、比来、有司、獄を断ずるに、多く律文に拠り、情、矜む可きに在りと雖も、而も敢て法に違はず。文を守り罪を定むるに、或は冤有らんことを恐る。今より、門下省覆し、法に拠りて合に死すべけれども、情、矜む可きに在る者有らば、宜しく状を録して奏聞すべし、と。〔▽六四六頁〕


第六章

貞観中、塩沢*ろ道(ろどう)の行軍総管、岷州の都督高甑生、李靖の節度に違ふに坐し、死を減じて辺に徙さる。時に上言する者有り、曰く、甑生は旧秦府の功臣なり。請ふ其の過を寛くせん、と。〔▽六四七頁〕
太宗曰く、甑生、李靖の節度に違ひ、又、靖、逆を謀ると誣告す。是れ藩邸の旧労、誠に忘る可からずと雖も、然れども国を理め法を守るには、事須く画一にすべし。今若し之を赦さば、便ち僥倖の路を開かん。且つ国家、義を太原に建つるや、元従及び征戦に功有る者甚だ衆し。若し甑生、免るるを獲ば、誰か覬覦せざらん。有功の人、皆、須く我が法を犯すべし。我が必ず赦さざる所以の者は、正に此が為めなり、と。〔▽六四八頁〕


第七章

貞観十一年、特進魏徴、上疏して曰く、臣聞く、書に曰く、徳を明かにし罰を慎む。惟れ刑を恤へよや、と。礼に曰く、上と為りて事へ易く、下と為りて知り易ければ、則ち刑、煩はしからず。上、疑多ければ、則ち百姓惑ふ。下、知り難ければ、則ち君長労す、と。夫れ上、事へ易ければ、下、知り易く、君長、労せず、百姓惑はず。故に君、一徳有り、臣、二心無く、上、忠厚の誠を播き、下、股肱の力を竭くす。然して後、太平の基、墜ちず、康哉の詠、斯に起る。当今、道、華戎に被り、功、宇宙に高く、思ひて服せざるは無く、遠しとして臻らざるは無し。然れども言は簡大を尚ぶも、志は明察に在り。刑賞の用、未だ尽くさざる所有り。〔▽六四九頁〕
夫れ刑賞の本は、善を勧めて悪を懲らすに在り。帝王の天下の与に画一を為す所以にして、親疎貴賎を以てして軽重を為さざる者なり。今の賞罰は、未だ必ずしも尽くは然らず。或は申屈、好悪に在り、或は軽重、喜怒に由る。喜びに遇へば、則ち其の情を法の中に矜み、怒に逢へば、則ち其の罪を事の外に求む。好む所は、則ち皮を鑽ちて其の毛羽を生じ、悪む所は、則ち垢を洗ひて其の瘢痕を求む。瘢痕、求む可ければ、則ち刑斯に濫る。毛羽、生ず可ければ、則ち賞典謬まる。刑濫るれば、則ち小人、道長じ、賞謬まれば、則ち君子、道消す。小人の悪、懲らさず、君子の善、勧めずして、而も治安にして刑措くを望むは、聞く所に非ざるなり。〔▽六五〇−一頁〕
且つ夫れ、暇豫の清談は、皆、敦く孔老を尚び、威怒の至る所は、則ち法を申韓を取る。道を直くして行ふも、三たび黜けらるること無きに非ず。人を危くして自ら安んずること、蓋し亦多し。故に道徳の旨未だ弘からず、刻薄の風已に扇ぐ。夫れ刻薄既に扇げば、則ち下、百端を生ず。人競ひて時に*おもむ(おもむ)けば、則ち憲章、一ならず。此を王度に稽ふるに、実に君道を虧く。〔▽六五一−二頁〕
昔、州犁、其の手を上下して、楚刻の法遂に差ふ。張湯、其の心を軽重して、漢朝の刑以て弊る。人臣の頗僻なるを以てすら、猶ほ能く其の欺罔を申ぶる莫し。況んや人君の高下するは、将た何を以て其の手足を措かんや。叡聖の聡明を以て、幽微として燭さざるは無し。豈に神、達せざる所有り、智、通ぜざる所有らんや。其の安んずる所に安んじて、刑を恤ふるを以て念と為さず、其の楽む所を楽みて、遂に先笑の禍を忘る。禍福相倚り、吉凶、域を同じうす。惟だ人の招く所のままなり。安んぞ思はざる可けんや。頃者、責罰稍多く、威怒微しく励し。或は供帳の贍らざるを以てし、或は営作の差違するを以てし、或は物の心に称はざるを以てし、或は人の欲に従はざるを以てす。皆、治を致すの急にする所に非ず、実に驕奢の漸する攸を恐る。是に知る、貴は驕と期せずして、驕自ら至り、富は奢と期せずして、奢自ら至るとは、徒語に非ざるなり。〔▽六五二−三頁〕
且つ我の代る所は、実に有隋に在り。隋氏の乱亡の源は、聖明の臨照する所なり。隋氏の府蔵を以て、今日の資儲に譬へ、隋氏の甲兵を以て、当今の士馬に況べ、隋氏の戸口を以て、今時の百姓に校べ、長を度り大を概るに、曾て何の等級ぞ。然れども隋氏は富強を以てして喪敗するは、之を動かせばなり。我は貧寡を以てして安寧なるは、之を静かにすればなり。之を静にすれば則ち安く、之を動かせば則ち乱るるは、人、皆、之を知る。隠れて見え難きに非ざるなり。微にして察し難きに非ざるなり。然れども平易の途を蹈むもの鮮く、覆車の轍に遵ふもの多きは、何ぞや。安にして危を思はず、治にして乱を念はず、存にして亡を慮らざるの致す所に在るなり。〔▽六五四−五頁〕
昔、隋氏の未だ乱れざれしとき、自ら謂へらく、必ず乱るる無からん、と。隋氏の未だ亡びざりしとき、自ら謂へらく、必ず亡びざらん、と。所以に甲兵屡々動き、徭役、息まず。将に戮辱を受けんとするに至りて、竟に未だ其の滅亡の由る所を悟らざるなり。哀しまざる可けんや。〔▽六五六頁〕
夫れ形の美悪を鑑みるには、必ず止水に就き、国の安危を鑑みるには、必ず亡国を取る。故に詩に曰く、殷鑒遠からず、夏后の世に在り、と。又曰く、柯を伐り柯を伐る、其の則遠からず、と。臣願はくは、当今の動静、必ず隋氏を思ひて、以て殷鑒と為さんことを。則ち存亡治乱、得て知る可し。若し能く其の危かりし所以を思はば則ち安からん。其の乱れし所以を思はば則ち治まらん。其の亡びし所以を思はば則ち存せん。存亡の在る所を知り、嗜欲を節して以て人に従ひ、遊畋の娯を省き、靡麗の作を息め、不急の務を罷め、偏聴の怒を慎み、忠厚を近づけ、便佞を遠ざけ、耳を悦ばすの邪説を杜ぎ、口に苦きの忠言を甘しとし、進み易きの人を去り、得難きの貨を賎しみ、尭舜の誹謗を採り、禹湯の己を罪するを追ひ、十家の産を惜み、百姓の心に順ひ、近く諸を身に取り、怒して以て物を待ち、労嫌して以て益を受くるを思ひ、自ら満ちて以て損を招かず、動かす有れば則ち庶類を以て和し、言を出せば而ち千里斯に応じ、上徳を前載に超え、風声を後昆に樹てん。此れ聖哲の宏規にして、帝王の盛業、能事斯に畢る。慎み守るに在るのみ。〔▽六五六−七頁〕
夫れ之を守ることは則ち易く、之を取ることは実に難し。既に能く其の難き所以を得たり。豈に其の易き所以を保つ能はざらんや。其れ或は之を保つこと固からざるは、則ち驕奢淫溢、之を動かせばなり。終を慎むこと始の如くすること、勉めざる可けんや。易に曰く、君子は、安、危を忘れず、存、亡を忘れず、治、乱を忘れず。是を以て身安くして国家を保つ可きなり、と。誠なるかな斯の言、以て深く察せざる可からざるなり。伏して惟みるに、陛下、善を欲するの志、昔時に減ぜず、過を聞きて必ず改むるは、少しく嚢日よりも虧けたり。若し能く当今の無事を以て、疇昔の恭倹を行はば、則ち善を尽くし美を尽くさん。固に得て称する無からん、と。太宗深く納用を加ふ。〔▽六五八−九頁〕


第八章

貞観十四年、戴州の刺史賈崇、所部に十悪を犯す者有るを以て、御史権万紀に劾奏せらる。太宗、侍臣に謂ひて曰く、昔、唐尭は大聖、其の子丹朱は不肖、柳下恵は大賢、其の弟盗跖は巨悪を為す。夫れ、聖賢の訓、父子兄弟の親を以てするも、尚ほ陶染変革して、悪を去り善に従はしむる能はず。今、刺史をして、化、下に被り、人咸く善道に帰せしめんこと、豈に得可けんや。若し此に縁りて皆貶降を被らしめば、或は恐らくは逓に相掩蔽して、罪人斯に失はん。諸州に十悪を犯す者有りとも、刺史は従坐するを須ひず。但だ明かに糾訪を加へ罪を科せしめば、庶はくは以て姦悪を粛清す可からん、と。〔▽六六〇頁〕


第九章

貞観十六年、太宗、大理卿孫伏伽に謂ひて曰く、夫れ甲を作る者は、其の堅からんことを欲し、人の傷つかんことを恐る。箭を作る者は、其の鋭からんことを欲し、人の傷かざらんことを恐る。何となれば則ち各々有司存し、利、職に称ふに在るが故なり。朕、常に法官に刑罰の軽重を問ふに、毎に往代よりも寛なりと称す。仍ほ獄を主るの司、利、人を殺し人を危くして自ら達し、以て声価を釣るに在らんことを恐る。今の憂ふる所は、正に此に在るのみ。深く宜しく禁止して、務めて寛平に在るべし、と。〔▽六六一−二頁〕



論赦令第三十二
第一章

貞観七年、太宗、侍臣に謂ひて曰く、天下、愚人は多く、智者は少なし。智者は敢て過を為さず、愚人は好みて憲章を犯す。凡そ赦宥の恩は、惟だ不軌の輩に及ぶ。古語に曰く、小人の幸にして、君子の不幸なり。一歳に再び赦すれば、好人暗噫す、と。凡そ*ろう莠(ろうゆう)を養ふ者は、禾稼を傷ひ、*姦き(かんき)を恵む者は、良人を賊ふ。〔▽六六三頁〕
昔、文王、罰を作り、茲を刑して赦す無し。又、蜀の先主、嘗て諸葛亮に謂ひて曰く、我、陳元方・鄭康成の間に周旋し、毎に啓告せらる。理乱の道備はれり。曾て赦を論ぜざりき、と。故に諸葛亮、蜀を理むること十年、赦せずして蜀大いに化す。梁の武帝、毎年数々赦し、卒に傾敗に至る。夫れ小仁を謀る者は、大仁の賊なり。故に我、天下を有ちて已来、絶えて赦令せず。四海安静に、礼義興り行はる。非常の恩は、弥々数々す可からず。将に愚人常に僥倖を冀ひ、惟だ法を犯さんと欲し、過を改むる能はざらんことを恐れんとす、と。〔▽六六四頁〕


第二章

貞観七年、工部尚書段綸、奏して巧工楊思斉を進む。既に至る。上、之を試みしむ。綸、傀儡の戯具を造らしむ。上、綸に謂ひて曰く、進むる所の巧工は、将に国事に供せんとす。卿、先づ此の物を造らしむ。豈に是れ百工相戒め、奇巧を作す無きの意ならんや、と。乃ち詔して綸の階級を削り、并びに此の戯を禁断す。〔▽六六五−六頁〕


第三章

貞観十年、太宗、侍臣に謂ひて曰く、国家の法令は、惟々須く簡約なるべし。一罪に数種の條格を作す可からず。格式既に多ければ、官人、尽く記する能はず、更に姦詐を生ぜん。若し罪を出さんと欲せば、即ち軽條を引かん。若し罪に入れんと欲せば、即ち重條を引かん。数々法を変ずるは、実に理道に益あらず。宜しく審細にせしめて、互文にせしむる毋るべし、と。〔▽六六七頁〕


第四章

貞観十一年、太宗、侍臣に謂ひて曰く、詔・令・格・式、若し常に定まらざれば、則ち人心多く惑ひ、姦詐日に益す。周易に称す、渙のとき其の大号を汗の如くす、と。号を発し令を施すこと、汗の体より出づるが若く、一たび出でて、復た入らざるを言ふなり。又、書に曰く、乃の令を出すを慎め。令出づれば惟れ行へ。惟れ反せざれ、と。且つ漢祖は、日、給するに暇あらず。蕭何、法を制するの後、猶ほ画一と称せらる。今宜しく詳かに此の義を思ふべし。軽々しく詔令を出す可からず。必ず須く審定して以て永式と為すべし、と。〔▽六六七−八頁〕


第五章

長孫皇后、疾に遇ひ、漸く危篤に至る。皇太子、后に啓して曰く、医薬備に尽くせども、今、尊体、*い(い)えず。請ふ奏して囚徒を赦し、併せて人を度して道に入れん。冀はくは福助を蒙らん、と。后曰く、死生は命有り、人力の加ふる所に非ず。若し福を修して延ばす可くんば、吾は、素、悪を為すに非ず。若し善を行ひて効無くば、何の福をか求む可き。赦は国の大事なり。仏道は、上、常に異方の教を存するを示すのみ。常に治体の弊する所と為らんことを恐る。豈に吾一婦人を以てして、天下の法を乱さんや。汝の言に依る能はざるのみ、と。〔▽六六九頁〕


第六章

貞観十一年、詔して曰く、朕聞く、死とは終なり。物の真に反らんことを欲するなり。葬とは蔵なり。人の見るを得ざらんことを欲するなり。上古、風を垂るる、未だ封樹を聞かず。後聖、範を貽し、始めて棺槨を備ふ。僭侈を譏る者は、其の厚費を愛むに非ず。倹薄を美る者は、寔に其の危き無きを貴ぶ。〔▽六七〇頁〕
是を以て、唐尭は聖帝なり。穀林には通樹の説有り。秦穆は明君なり。*たく泉(たくせん)には丘隴の処無し。仲尼は孝子なり。防墓、墳せず。延陵は慈父なり。*えい博(えいはく)、隠る可し。斯れ皆、無窮の慮を懐き、独結の明を成す。乃ち体を九泉に便にす、名に百代に徇ふ者に非ざるなり。〔▽六七一頁〕
闔閭に*およ(およ)びて、礼に違ひ、珠玉を鳧雁と為し、始皇、度無く、水銀を江海と為し、季孫、魯を擅にし、斂するに*はんよ(はんよ)を以てし、*桓たい(かんたい)、宋を専らにし、葬るに石槨を以てす。蔵多くして以て禍を速き、利有るに由りて辱を招かざるは莫し。玄盧既に発し、焚如を夜臺に致し、黄腸再び開き、暴骸を中夏に同じくす。嚢事豈に悲しからずや。斯に由りて之を観れば、奢侈する者は、以て戒めと為す可し。節倹する者は、以て師と為す可し。〔▽六七二頁〕
朕、四海の尊に居り、百王の弊を承け、未明に化を思ひ、中宵に載ち*てき(てき)す。往を送るの典は、諸を儀制に詳かにし、礼を失ふの禁は、著して刑書に在りと雖も、而も勲戚の家、多く習俗に流遁し、閭閻の内、或は侈靡にして風を傷る。厚葬を以て終に奉ずと為し、墳を高くするを以て孝を行ふと為す。遂に衣衾棺槨をして、雕刻の華を極め、*霊じ(れいじ)明器をして、金玉の飾りを窮めしむ。富者は法度を越えて以て相高くし、貧者は資産を破りて而も逮ばず。徒らに教義を傷り、泉壌に益無し。害を為すこと既に深し、宜しく懲革を為す可し。〔▽六七三−四頁〕
其れ王公より以下、爰に黎庶に及ぶまで、今より以後、送葬の具、令式に依らざる者有らば、州県の官司、明かに検察を加へしめ、状に随ひて罪を科せん。在京の五品以上、及び勲戚の家は、仍ほ録して聞奏せよ、と。〔▽六七四−五頁〕


第七章

貞観十五年、詔して曰く、朕、朝を聴くの暇、頗る前史を観、名賢の時を佐け、忠臣の国に徇ふを覧る毎に、何ぞ嘗て其の人を想見し、書を廃して欽歎せざらん。近代に至りて已来、年載、遠きに非ず。其の胤緒、或は当に見存すべし。縦ひ未だ顕かに旌擢を加ふる能はずとも、其の後裔を棄つ容き無し。其れ周隋二代の名臣、及び忠節の子孫にして、貞観已来、罪を犯して流さるる者有らば、宜しく所司をして、具に録して奏聞せしむべし、と。是に於て多く赦宥に従ふ。〔▽六七五−六頁〕



論貢献第三十三
第一章

貞観二年、太宗、朝集使に謂ひて曰く、土に任じて貢を作すこと、布きて前典に在り。当州の産する所、即ち庭実に充つ。比聞く、都督・刺史、声名を邀射し、厥の土の賦する所、或は其の不善を嫌ひ、境を踰えて外に求め、更に相放効し、遂に以て俗と成す、と。極めて労擾と為す。宜しく此の弊を改め、更に然るを得ざるべし、と。〔▽六七七頁〕


第二章

貞観中、林邑国、白鸚鵡を貢す。性甚だ弁恵にして、尤も応答を善くし、屡々寒に苦しむの言有り。太宗、之を愍み、其の使に付して、還りて林薮に放たしむ。〔▽六七八頁〕


第三章

貞観十三年、疎勒・朱倶波・甘棠、使を遣はして方物を貢す。太宗、群臣に謂ひて曰く、向し中国をして安からざらしめば、日南・西域の朝貢使、亦何に縁りてか至らん。朕、何の徳か以て之に堪へん。之を覩て翻つて危懼を懐く。近代、天下を平壱し、辺方を拓定せし者は、惟だ秦皇・漢武のみなり。始皇は暴虐にして、子に至りて亡べり。漢武は驕奢にして国祚幾ど絶えんとせり。〔▽六七八−九頁〕
朕、三尺の剣を提げ、以て四海を定め、遠夷率ゐ服し、億兆乂安なり。自ら謂へらく、二主に減ぜざるなり、と。然れども二主の末途を念ふに皆、自ら保つこと能はず。是に由りて毎に危亡を懼れ、敢て懈怠せず。惟だ卿等が直言正諌し、以て相匡弼するに藉る。若し惟だ美を揚げ過を隠し、共に諛言を進めば、則ち国の危亡、立ちて待つ可きなり、と。〔▽六七九−七〇頁〕


第四章

貞観十八年、太宗将に高麗を伐たんとす。其の莫離支、使を遣はして白金を貢す。黄門侍郎*ちょ遂良(ちょすいりょう)諌めて曰く、莫離支、其の主を虐殺す。九夷の容れざる所なり。陛下、之を以て兵を興し、将に弔伐を事とし、遼山の人の為めに、主辱しめらるるの恥を報いんとす。〔▽六八〇−一頁〕
古者、君を殺すの賊を討ずるに其の賂を受けず。昔、宋の督、魯君に遺るに*こう鼎(こうてい)を以てす。桓公、之を大廟に受く。臧哀伯諌めて曰く、人に君たる者は、将に徳を昭かにし違へるを塞がんとす。今、徳を滅ぼし違へるを立てて、其の賂器を大廟に*お(お)く。百官、之に象らば、又何ぞ誅めん。武王、商に剋ち、九鼎を洛邑に遷す。義士猶ほ或は之を非る。而るを況んや将に違乱の賂器を昭かにし、諸を大廟に*お(お)かんとするは、其れ之を若何せん、と。〔▽六八一頁〕
夫れ春秋の書は、百王、法を取る。若し不臣の*筐ひ(きょうひ)を受け、弑逆の朝貢を納れ、以て愆と為さずんば、何の伐を致す所あらん。臣謂ふに、莫離支が献ずる所は、自ら合に受くべからず、と。太宗、之に従ふ。〔▽六八二頁〕


第五章

貞観十九年、高麗王高蔵、及び莫離支蓋蘇文、使を遣はして二美女を献ず。太宗、其の使に謂ひて曰く、朕、此の女が其の父母兄弟に本国を離るるを憫む。其の色を愛して其の心を傷るが若きは、我、取らざるなり、と。竝びに之を還さしむ。〔▽六八三頁〕


弁興亡第三十四(刊本は、この篇を設く)



貞観政要巻第九〔▽六八五頁〕
議征伐第三十四
第一章

武徳九年、冬、突厥の頡利、突利二可汗、其の衆二十万を以て、渭水の便橋の北に至る。酋帥執失思力を遣はし、入朝して覘ふを為さしめ、自ら形勢を張りて云はしむ、二可汗、兵百万を総べて、今已に至れり、と。乃ち反命を請ふ。〔▽六八五頁〕
太宗謂ひて曰く、我、突厥と面のあたり自ら和親せり。汝は則ち之に背く。我は愧づる所無し。何ぞ輒ち兵を将ゐて我が畿県に入り、自ら疆盛を誇るや。我当に先ふ爾を戮すべし、と。思力懼れて命を請ふ。*蕭う(しょうう)・封徳彝、礼して之を遣らんと請ふ。太宗曰く、然らず。今若し奉還せば、必ず我懼ると謂はん、と。乃ち之を囚へしむ。〔▽六八六頁〕
太宗曰く、頡利、我が国家新たに内難有り、朕又、初めて位に即くを聞く。所以に其の兵衆を率ゐて、直に此に至る。乃ち我敢て之を拒がじと謂ふ。朕若し門を閉ぢて自ら守らば、虜必ず兵を縦ちて大いに掠めん。彊弱の勢、今の一策に在り。朕将に独り出でて以て之を軽んずるを示し、且つ軍容を耀かして、必ず戦ふを知らしめんとす。事、不意に出で、其の本図に乖かん。匈奴を制服せんこと、茲の挙に在り、と。遂に単馬にして進み、津を隔てて与に語る。頡利、能く測る莫し。俄にして六軍継ぎて至る。頡利、軍容の大いに盛んなるを見、又、思力が拘に就くを知る。是に由りて大いに懼れ、盟を請ひて退く。〔▽六八六−七頁〕


第二章

太宗の帝範に曰く、夫れ兵甲は、国の凶器なり。土地、広しと雖も、戦を好めば則ち人凋す。邦境、安しと雖も、戦を忘るれば則ち人殆し。凋は保全の術に非ず、殆は擬冦の方に非ず。以て全く除く可からず、以て常に用ふ可からず。故に農隙に武を講ずるは、威儀を習ふなり。三年に治兵するは、等列を弁ずるなり。是を以て、勾践、蛙に軾して、卒に覇業を成す。徐偃、武を棄てて、終に以て邦を喪ふ。何となれば則ち、越は其の威儀を習へばなり。徐は其の備を忘るればなり。孔子曰く、教へざるの人もて戦ふは、是れ之を棄つと謂ふ、と。故に知る、弧矢もて威を立つるは、以て天下を利するを。此れ兵を用ふるの機なり、と。〔▽六八八頁〕


第三章

貞観の初、嶺南の諸州奏言す、高州の酋帥、*馮おう(ふうおう)・談殿、兵を阻みて反叛す、と。将軍藺暮に詔して、江嶺数十州の兵を発して之を討たしむ。秘書監魏徴諌めて曰く、中国初めて定まり、創痍未だ復せず。嶺表は瘴癘あり、山川阻深なり。兵運、継ぎ難く、疾疫或は起らん。若し意の如くならずんば、悔ゆとも追ふ可からず。且つ*馮おう(ふうおう)若し反せば、即ち須く中国の未だ寧からざるに及びて、遠人を交結し、険要を分断し、州県を破掠し、官司を署置すべし。何に由つて告げ来ること数年なるに、兵、境を出でざるや。此れ則ち反形未だ成らず、衆を動かす容き無し。陛下既に未だ使人を遣はして、彼に就きて観察せず。即し来りて朝謁すとも、明かにせられざらんことを恐る。今若し使を遣はして、分明に暁諭せば、必ず師旅を労せず、自ら闕庭に致さん、と。太宗、之に従ふ。嶺表悉く定まる。〔▽六九〇頁〕
侍臣奏言すらく、*馮おう(ふうおう)・談殿、往年恒に相征伐し、当時、議する者、屡々之を討たんことを請ふ。陛下、一単使を発して、嶺表をして帖然たらしむ、と。太宗曰く、初め嶺南の諸州、盛んに*おう反(おうはん)す、と言ふ。朕、必ず之を討ぜんと欲す。魏徴頻に諌め、以て不可と為す。但だ之を懐くるに徳を以てせば、必ず討ぜずして自ら来らん、と。既に其の計に従ひ、遂に嶺表無事なるを得たり。労せずして定まれるは、十万の師よりも勝れり、と。乃ち徴に絹五百匹を賜ふ。〔▽六九一−二頁〕
徴辞して曰く、陛下、徳化の被むる所、八表安寧なり。臣豈に敢て天の功を貪り、以て己の力と為さんや、と。太宗曰く、臣に善有らば須く顕揚すべし。正に此の如くならしむ、と。杜如晦曰く、陛下聖明なり。故に功を推し善を下に帰す。前代の王者、皆以て難しと為す、と。〔▽六九二−三頁〕


第四章

貞観四年、有司上言すらく、林邑国の蛮、表疏、順ならず。請ふ兵を発して之を討撃せん、と。太宗曰く、兵は凶器なり。已むを得ずして之を用ふ。故に光武曰く、一たび兵を発する毎に、覚えず頭鬢、白と為る、と。古より已来、兵を窮め武を極めて、未だ亡びざる者は有らざるなり。苻堅は自ら兵の彊きを恃み、必ず晋室を呑まんと欲し、兵を興すこと百万、一挙にして亡べり。隋主も亦必ず高麗を取らんと欲し、頻年労役し、人、怨に勝へず。遂に匹夫の手に死せり。頡利の如きに至りては、往歳数々来りて我が国家を侵し、部落、征役に疲れ、遂に滅亡に至れり。〔▽六九三−四頁〕
朕、今、親しく此を見る。豈に輒く即ち兵を発するを得んや。山険を経歴し、土に瘴癘多し。若し我が兵士疾疫せば、此の蛮を剋翦すと雖も、亦何の補ふ所かあらん。言語の間、何ぞ意に介するに足らんや、と。竟に之を討たず。〔▽六九五頁〕


第五章

貞観五年、康国、帰附せんことを請ふ。太宗、侍臣に謂ひて曰く、前代の帝王、大いに土地を広むるを務め、以て身後の虚名を求めんとするもの有り。身に益無く、其の人甚だ困む。仮令、身に於て益有りとも、百姓に於て損有らば、朕、必ず為さず。況んや虚名を求めて百姓を損ずるをや。康国既に来りて朝に帰せば、急難有らば、救はざるを得ず。兵行万理、豈に労無きを得んや。人を労して名を求むるが若きは、朕が欲する所に非ず。帰附を請ふは、納るるを須ひざるなり、と。〔▽六九五−六頁〕


第六章

貞観十四年、兵部尚書侯君集、以て高昌を伐つ。師、柳谷に次るに及びて、候騎言ふ、高昌王麹文泰死す。日に剋して将に葬らんとす。国人咸く集まる。二千の軽騎を以て之を襲はば、尽く得可きなり、と。副将薛万均・姜行本、皆、以て然りと為す。君集曰く、天子、高昌の驕慢なるを以て、吾をして恭しく天誅を行はしむ。乃ち墟墓の間に於て、掩ひて以て其の葬を襲ふは、武と称するに足らず。此れ罪を問ふの師に非ざるなり、と。遂に兵を按じて以て葬の畢るを待ち、然る後軍を進め、其の国を平ぐ。〔▽六九七頁〕


第七章

貞観十六年、太宗、侍臣に謂ひて曰く、北狄代々冦乱を為す。今、延陀屈彊なり。須く早く之が計を為すべし。朕、熟々之を思ふに、惟だ二策有り。徒十万を選び、撃ちて之を虜にし、凶醜を滌除せば、百年無事ならん。此れ一策なり。若し其の来り請ふを遂げなば、之と姻媾せん。朕は蒼生の父母為り。苟に之を利す可くんば、豈に一女を惜まんや。北狄の風俗は、多く内政に由る。亦既に子を生まば、則ち我が外孫なり。中国を侵さざらんこと、断じて知る可し。此を以てして言へば、辺境、三十年来無事なるを得るに足らん。此の二策を挙ぐるに、何者をか先と為さん、と。〔▽六九八−九頁〕
司空房玄齢対へて曰く、隋室の大乱の後に遭ひ、戸口太半未だ復せず。兵は凶にして戦は危く、聖人の慎む所なり。和親の策、実に天下の幸甚なり、と。〔▽六九九−七〇〇頁〕


第八章

貞観十七年、太宗、侍臣に謂ひて曰く、蓋蘇文、其の主を殺して、其の国政を奪ふ。誠に忍ぶ可からず。今日、国家の兵力、之を取ること難からず。朕未だ即ち兵衆を動かす能はず。且く契丹・靺鞨をして之を撹擾せしめば、何如、と。〔▽七〇〇頁〕
房玄齢対へて曰く、臣、古の列国を観るに、彊を以て弱を陵ぎ、衆もて寡を暴せざるは無し。今、陛下、蒼生を撫養し、将士勇鋭なり。力、余有れども之を取らず。所謂、戈を止むるを武と為す者なり。昔、漢の武帝、屡々匈奴を伐ち、隋の後主、三たび遼左を征す。人貧しく国敗るるは、実に此に之れ由る。惟だ陛下詳察せよ、と。太宗曰く、善し、と。〔▽七〇一頁〕


第九章

貞観十八年、太宗、高麗の莫離支、其の主を賊殺し、其の下を残虐せるを以て、議して将に之を討たんとす。諌議大夫*ちょ遂良(ちょすいりょう)進みて曰く、陛下の兵機神算は、人、能く知るもの莫し。昔、隋末の乱離のとき、冦難を克平せり。北狄、辺を侵し、西蕃、礼を失ふに及びてや、陛下、将に命じて之を撃たんと欲す。群臣、苦諌せざるは莫し。唯だ陛下、明略独断し、卒に竝びに誅夷せり。〔▽七〇二頁〕
今、陛下将に高麗を伐たんとすと聞き、意皆*けい惑(けいわく)す。然れども陛下の神武英声は、周隋の主に比せず。兵若し遼を渡らば、事須く剋捷すべし。万一、獲ざれば、威を以て遠方に示す無く、必ず更に怒を発し、再び兵衆を動かさん。若し此に至らば、安危、測り難からん、と。太宗、之を然りとす。〔▽七〇三頁〕


第十章

貞観十八年、太宗、親ら高麗を征せんとす。開府儀同三司尉遅敬徳奏言すらく、車駕若し自ら遼左に往かば、皇太子、又国を定州に監せん。東西の二京、府庫の在る所、鎮守有りと雖も、終に是れ空虚ならん。遼東は路遥なり。玄感の変有らんことを恐る。且つ辺隅の小国、親ら万乗を労するに足らず。若し克勝すとも、武と為すに足らず。儻し勝たずんば、翻つて毀す所と為らん。伏して請ふ、之を良将に委ねんことを。自ら応時に摧滅す可し、と。太宗、其の議に従はずと雖も、識者、之を是とす。〔▽七〇四頁〕


第十一章

礼部尚書江夏王道宗、太宗に従ひて高麗を征す。道宗に詔し、李勣と与に前鋒と為す。遼水を済り、蓋牟城に剋つに及びて、賊兵の大いに至るに逢ふ。軍中、僉、溝を深くし険を保ち、太宗の至るを待ちて徐ろに進まんと欲す。道宗議して曰く、不可なり。賊、急に赴き遠く来り、兵実に疲頓す。衆を恃みて我を軽んず。一戦して摧く可し。昔、*耿かん(こうかん)、賊を以て君父を遺さず。我既に職、全軍に在り。当に須く道を清めて以て輿駕を待つべし、と。〔▽七〇五頁〕
李勣大いに其の議を然りとす。乃ち驍勇数百騎を率ゐ、直ちに賊陣を衝き、左右に出入す。勣因つて合撃し、大いに之を破る。太宗至り、深く賞労を加ふ。道宗、陣に在りて足を損ず。帝親ら其の為めに針し、賜ふに御膳を以てす。〔▽七〇六頁〕


第十二章

貞観二十二年、太宗、将に重ねて高麗を討たんとす。是の時、房玄齢、疾に寝ね増々劇し。顧みて諸子に謂ひて曰く、当今、天下静謐にして咸く其の宜しきを得たり。唯々東のかた高麗を討たんと欲するは、停めずんば方に国の害と為らん。吾、知りて言はざるは、恨を銜みて地に入ると謂ふ可し、と。遂に上表して諌めて曰く、臣聞く、兵は*おさ(おさ)めざるを悪み、武は戈を止むるを貴ぶ。当今、聖化の覃ぶ所、遠しとて*およ(およ)ばざるは無し。上古の臣とせざる所の者、陛下皆能く之を臣とし、制せざる所の者、皆能く之を制す。〔▽七〇七頁〕
詳かに古今を観るに、中国の患害を為すは、突厥に過ぎたるは無し。遂に能く坐に神策を運らし、殿堂を下らずして、大小の可汗、相次ぎて手を束ね、分ちて禁衛を典り、戟を行間に執る。其の後、延陀鴟張するも、尋いで夷滅に就く。鉄勒、義を慕ひ、州県を置かんと請ふ。沙漠已北、万里、塵無し。高昌が流沙に叛換し、吐渾が積石に首鼠するが如きに至りては、偏師薄か伐ち、倶に平蕩に従ふ。〔▽七〇八頁〕
高麗は、歴代、誅を逋れ、能く討撃する莫し。陛下、其の逆乱にして主を殺し人を虐するを責め、親ら六軍を総べ、罪を遼碣に問ふ。未だ旬日を経ざるに、即ち遼東を抜く。前後の虜獲、数十万計、諸州に分配し、処として満たざるは無し。往代の宿恥を雪ぎ、*こう陵(こうりょう)の枯骨を掩ふ。功を比べ徳を校ぶるに、前王に万倍す。此れ聖主の自ら知る所なり。微臣安んぞ敢て備に説かん。〔▽七〇九頁〕
且つ陛下、仁風、率土に被り、好徳、配天に彰る。夷狄の将に亡びんとするを覩れば、則ち期を数歳に指し、将帥の節度を授くれば、則ち機を万里に決す。指を屈して駅を候ひ、景を視て書を望む。符応すること神の若く、算に遺策無し。将を行伍の中に擢で、士を凡庸の末に取る。遠夷の単使も、一見すれば忘れず、小臣の名も、未だ嘗て再び問はず。箭は七札を穿ち、弓は六鈞を貫く。加ふるに情を墳典に留め、意を篇什に属し、筆は鍾張に邁ぎ、詞は曹馬を窮むるを以てす。文鋒既に振へば、則ち宮徴自ら諧ひ、軽翰暫く飛べば、則ち*花い(かい)競ひ発く。〔▽七一〇頁〕
万姓を撫するに慈を以てし、群臣を遇するに礼有り。秋毫の善を褒し、呑舟の網を解く。逆耳の諌必ず聞き、膚受の愬斯に絶つ。生を好むの徳、障塞を江湖に禁じ、殺を悪むの仁、鼓刀を屠肆に息む。鳧鶴も稲粱の恵を荷ひ、犬馬も帷蓋の恩を蒙る。乗を降りて思摩の瘡を吮ひ、堂に登りて魏徴の柩に臨す。戦亡の卒を哭すれば、則ち哀、六軍を慟せしめ、填道の薪を負へば、則ち精、天地を感ぜしむ。黔黎の大命を重んじ、特に心を庶獄に尽くす。臣、心識昏窒ネり。豈に聖功の深遠を論じ、天徳の高大を談ずるに足らんや。〔▽七一一−二頁〕
陛下、衆美を兼ねて之を有し、備具せざるは靡し。微臣深く陛下の為めに之を惜み之を重んじ、之を愛し之を宝とす。周易に曰く、進むことを知つて退くことを知らず、存することを知つて亡ぶることを知らず、得ることを知つて喪ふことを知らず。其れ聖人か、と。又曰く、進退存亡を知つて、其の正を失はざる者は、其れ惟だ聖人か、と。此に由りて之を言へば、進に退の義有り、存は是れ亡の機、得は是れ喪の理なり。老臣、陛下の為めに之を惜む所以の者は、蓋し此を謂ふなり。老子曰く、足るを知れば辱しめられず、止まるを知れば殆からず、と。〔▽七一三頁〕
臣謂へらく、陛下、威名功徳、亦、足る可し。地を拓き疆を開くこと、亦、止まる可し。彼の高麗は、辺夷の賎類なり。待するに仁義を以てするに足らず、責むるに常礼を以てす可からず。古来、魚鼈を以て之を畜ふ、宜しく闊略に従ふべし。若し必ず其の種類を絶たんと欲せば、深く恐る獣窮すれば則ち搏たんことを。〔▽七一四頁〕
且つ陛下、死囚を決する毎に、必ず三覆五奏を命じ、素食を進め、音楽を停むる者は、蓋し人命の重き所にして、聖慈を感動するを以てなり。況んや今、兵士の徒は、一の罪戻無し。故無くして之を行陣の間に駆り、之を鋒刃の下に委し、肝脳をして地に塗れ、魂魄をして帰する無からしめ、其の老父・孤兒・寡妻・慈母をして、*えい車(えいしゃ)を望みて泣を掩ひ、枯骨を抱きて心を摧かしむ。以て陰陽を変動し、和気を感傷するに足る。実に天下の冤痛なり。〔▽七一四−五頁〕
且つ兵は凶器なり。戦は危事なり。已を得ずして之を用ふ。向使、高麗、臣節を違失せば、陛下之を誅して可なり。百姓を侵擾せば、陛下之を滅ぼして可なり。長久に能く中国の患を為さば、陛下之を降して可なり。此に一有らば、日に万夫を殺すと雖も、*はぢ(はじ)と為すに足らず。今、此の三條無きに、坐中国を煩はし、内は旧王の為めに怨を雪ぎ、外は新羅の為めに讎を報ゆ。豈に存する所の者小にして、損ずる所の者大なるに非ずや。〔▽七一五−六頁〕
願はくは陛下、皇祖老子の止足の誡に遵ひ、以て万代巍巍の名を保ち、霈然の恩を発し、寛大の詔を降し、陽春に順ひて以て沢を布き、高麗に許すに自ら新たにするを以てし、凌波の船を焚き、応募の衆を罷めんことを。自然に華夷慶頼し、遠きは粛し迩きは安からん。〔▽七一七頁〕
臣、老病の三公、朝夕、地に入らん。恨む所は、竟に塵露の微の海岳を増すこと無きを。謹みて残魂余息を*つく(つく)し、預め草を結ぶの誠に代ふ。儻し此の哀鳴を録するを蒙らば、即ち臣死すとも朽ちざらん、と。太宗、表を見て歎じて曰く、此の人危篤なること此の如きに、尚ほ能く我が国家を憂ふ。真に忠臣なり、と。〔▽七一七−八頁〕


第十三章

貞観二十二年、軍旅亟々動き、宮室互に興り、百姓頗る労弊有り。充容徐氏上疏して諌めて曰く、貞観以来、二十有二載、風調ひ雨時在り、年登り歳稔り、人に水旱の弊無く、国に饑饉の災無し。昔、漢武は守文の常主なるに、猶ほ刻石の符を登す。斉桓は小国の庸君なるに、尚ほ泥金の望を図る。陛下、功を推し己を損し、徳に譲りて居らず。億兆、心を傾くるも、猶ほ告成の礼を虧く。云亭、謁を佇めども、未だ昇中の儀を展べず。此の功徳、以て百王を咀嚼し、千代を網羅するに足る者なり。然れども古人、云へる有り、休しと雖も休しとする勿れ、と。良に以有るなり。始を守り末を保つは、聖哲、兼ぬること罕なり。是に知る、業大なる者は驕り易し、願はくは陛下、之を難しとせよ。始を善くする者は、終り難し、願はくは陛下、之を易しとせよ。〔▽七一九頁〕
竊に見るに、頃年已来、力役兼ね総べ、東に遼海の軍有り、西に崑丘の役有り、士馬、甲冑に疲れ、舟車、転輸に倦めり。且つ召募の兵戎は、去留、死生の痛みを懐き、風に困しみ浪に阻み、人米、漂溺の危に有り。一夫力耕するに、年に数十の獲無く、一船、損を致せば、則ち数百の糧を傾く。猶ほ是れ尽くる有るの濃功を運し、無窮の巨浪に填め、未だ獲ざるの他の衆を図り、已に成るの我が軍を喪ふ。兇を除き暴を伐つは、国を有つの常規と雖も、然れども武を黷し兵を翫ぶは、先哲の戒むる所なり。〔▽七二一頁〕
昔、秦皇、六国を併呑し、返つて危亡の基を速き、晋武、三方を奄有し、翻つて覆敗の業を成す。豈に功に矜り大を恃み、徳を棄てて邦を軽んじ、利を図り害を忘れ、情を肆にし欲を縦にしたるに非ずや。遂に悠悠たる六合をして、曠しと雖も其の亡を救はず、嗷嗷たる黎庶をして、弊に因りて以て其の禍を成さしむ。是に知る、地広きは常安の術に非ず、人労るるは、乃ち乱れ易きの源なるを。願はくは陛下、沢を布き仁を流し、疲弊を矜恤し、行役の煩を減じ、湛露の恵を増さんことを。〔▽七二二頁〕
妾又聞く、治を為すの本は、無為に在るを貴ぶ、と。竊かに土木の功を見るに、兼ね遂ぐ可からず。北闕初めて建ち、南のかた翠微を営す。曾て未だ時を踰えざるに、玉華創制す。復た山に因り水に藉ると雖も、築架の労無きに非ず。之を損じ又損じ、頗る功力の費有り。終に茅茨を以て約を示すも、猶ほ木石の疲れを興す。仮使和雇して人を取るも、煩擾の弊無きにあらず。是を以て卑宮菲室は、明王の安んずる所、金屋瑶臺は、驕主の麗と為すなり。故に有道の君は逸を以て人を逸し、無道の君は、楽を以て身を楽む。願はくは陛下、之を使ふに時を以てせば、則ち力竭きざらん。用ふれども之を息はしめば、則ち人斯に悦ばん。〔▽七二三頁〕
夫れ珍翫伎巧は、乃ち国を喪ぼすの斧斤なり。朱玉錦繍は、寔に心を迷わすの酖毒なり。竊に見るに、服翫の繊靡なるは、自然より変化するが如く、職貢の珍奇なるは、神仙の製する所の若し。華を季俗に馳すと雖も、実に素を淳風に敗る。是に知る、漆器は叛を延くの方に非ざるも、舜、之を造りて人叛く。玉杯は豈に亡を招くの術ならんや、紂、之を用ひて国亡ぶ。方に侈麗の源を験するに、遏めざる可からず。夫れ法を倹に作すも、猶ほ其の奢らんことを恐る。法を奢に作さば、何を以て後を制せん。〔▽七二四−五頁〕
伏して惟みるに陛下、明、未形を照らし、智、無際に周く、奥秘を麟閣に窮め、*探さく(たんさく)を儒林に尽くし、千王の治乱の蹤、百代の安危の迹、興衰禍福の数、得失成敗の機、故に亦心府の中に苞呑し、目圍の内に循環す。乃ち神衷の久しく察し、一二の言を仮ること無し。惟だ恐らくは之を知ること難きに非ず、之を行ふこと易からざらんことを。志は業の泰なるに驕り、体は時の安きに逸す。伏して願はくは、志を抑へ心を裁し、終を慎み始を成し、軽過を削り以て重徳を添へ、後是を択び以て前非を替てんことを。則ち鴻名、日月と与に窮り無く、成業、乾坤と与に永く大ならん、と。上、其の言を善しとし、優賜甚だ厚し。〔▽七二六頁〕



議安辺第三十五
第一章

貞観四年、李靖、突厥の頡利を撃ちて之を敗る、其の部落、帰降する者多し。詔して安辺の術を議す。中書令温彦博議す、請ふ河南に於て之を処かん。漢の建武の時、降れる匈奴を五原塞下に置きしに準じ、其の部落を全くして、捍蔽と為すを得、又、其の土俗を離れずして、因りて之を撫せん。一には則ち空虚の地を実て、二には則ち猜無きの心を示さん。故に是れ含育の道なり、と。太宗、之に従ふ。〔▽七二八頁〕
秘書監魏徴曰く、匈奴、古より今に至るまで、未だ斯の如きの破敗有らず。此は是れ上天の勦絶、宗廟の神武なり。且つ其れ世々中国に冦し、百姓の冤讎なり。陛下、其の降を為すを以て誅滅する能はずば、即ち宜しく河北に遣還し、其の旧土に居らしむべし。匈奴は人面獣心にして、我が族類に非ず。強ければ必ず冦盗し、弱ければ則ち卑服し、恩義を顧みざるは、其の天性なり。秦・漢、此を患ふること是の若し。故に猛将を発し以て之を撃ち、其の河南を収め、以て郡県と為せり。陛下、奈何ぞ内地を以て之を居くや。且つ今、降る者幾ど十万に至る。数年の間、滋息過倍せん。我が肘腋に居り、甫めて王畿に迩づかば、心腹の疾、将に後の患を為さんとす。尤も処くに河南を以てす可からざるなり、と。〔▽七二九頁〕
温彦博曰く、天子の物に於けるや、天覆ひ地載し。我に帰する者有れば、則ち必ず之を養ふ。今、突厥破滅し、余の部落帰附す。陛下、憐愍を加へず、棄てて納れざるは、天地の道に非ず、四夷の意を阻まん。臣愚、甚だ不可と為す。之を河南に処くは、所謂死して之を生かし、亡して之を存するなり。我が厚恩に懐き、終に叛逆する無からん、と。〔▽七三〇頁〕
魏徴又曰く、晋、有魏に代はるや、時に胡落分れて近郡に居る。江統、逐ひて塞外に出さんことを勧むるも、武帝、其の言を用ひず。数年の後、終に*てん洛(てんらく)を傾く。前代の覆車、殷鑒、遠からず。陛下、必ず彦博の言を用ひて河南に居らしめば、所謂獣を養ひて自ら患を遺すなり、と。〔▽七三一頁〕
彦博又曰く、臣聞く、聖人の道は、通ぜざる所無し、と。突厥の余魂、命を以て我に帰す。収めて内地に居き、教ふるに礼法を以てし、其の酋帥を選び、宿衛に居らしめば、威を畏れ徳に懐かん。何の患か之れ有らん。且つ光武、南単于を内郡に居き、以て漢の藩翰と為す。一代を終るまで、叛逆有らず、と。〔▽七三二頁〕
太宗竟に其の議に従ひ、幽州より霊州にいたるまで、順・祐・化・長の四州の都督府を置き、以て之を処く。其の人、長安に居る者、近く且に万家ならんとす。十二年、太宗、九成宮に幸す。突利可汗の弟、中郎将阿史那結社率、陰に所部を結び、并に突利の子賀邏鶻を擁し、夜、御営を犯す。事敗る。皆捕へて之を斬る。太宗、是より、突厥を直とせず、其の部落を中国に処けるを悔い、其の旧部を河北に還し、牙を故の定襄城に建て、李思摩を立てて、*乙弥泥孰俟ひつ可汗(おつびじゅくきりひつかかん)と為し、以て之を主らしむ。〔▽七三二−三頁〕
因りて侍臣に謂ひて曰く、中国の百姓は、天下の根本なり。四夷の人は、乃ち国の枝葉なり。其の根本を擾し、以て枝附を厚くし、用て久安ならんことを求むるは、未だ之れ有らざるなり。初め魏徴の言を納れず、遂に労費の日に甚だしく、幾ど久安の道を失へるを覚ゆ、と。〔▽七三三−四頁〕


第二章

貞観十四年、太宗、侍臣と突厥を安置するの事を議す。中書令温彦博対へて曰く、隋の文帝、兵馬を労し、倉庫を費し、可汗を樹立し、其の国に復らしむ。後、遂に恩に孤き信を失ひ、煬帝を雁門に圍めり。今、陛下仁厚にして、其の欲する所に従ひ、河南河北、情に任せて居住せしめば、各々酋長有りて、相統属せず、力散じ勢分れ、安んぞ能く害を為さん、と。〔▽七三四−五頁〕
給事中杜楚客進みて曰く、北狄は人面獣心なり。徳を以て懐け難く、威を以て服し易し。今、其の部落をして、河南に散処し、中華に逼近せしめば、久しうして必ず患を為さん。雁門の役の如きに至りては、是れ突厥が恩に背くと雖も、自ら隋主の無道に由り、中国、之を以て喪乱せり。豈に亡国を興復し、以て此の禍を致す、と云ふを得んや。夷、華を乱らざるは、前哲の明訓なり。亡を存し絶を継ぐは、列聖の通規なり。臣恐る、事、古を師とせざれば、以て長久なり難きを、と。太宗、其の言を嘉すれども、方に懐柔に務めたれば、未だ之に従はざるなり。〔▽七三五−六頁〕
突厥の頡利の破れしより後、諸部落に首領の来り降る者有り、皆、将軍・中郎将に拝せられ、朝廷に布列す。五品已上の者百余人、殆ど朝士と相半す。唯だ拓抜のみ至らず。又、之を招慰せしむ、使者、道に相望む。〔▽七三六頁〕
涼州の都督李大亮、以て事に於て益無く、徒らに中国を費すと為し、上疏して曰く、臣聞く、遠きを綏んぜんと欲する者は、必ず先づ近きを安んず、と。中国の百姓は、天下の根本なり。四夷の人は、猶ほ枝葉に於けるが如し。其の根本を擾し、以て枝附を厚くして、久安ならんことを求むるは、未だ之れ有らざるなり。古より明王、中国を化するに信を以てし、夷狄を馭するに権を以てす。故に春秋に曰く、戎狄は豺狼なり。厭かしむ可からざるなり。諸夏は親昵なり。棄つ可からざるなり、と。〔▽七三七頁〕
陛下、区宇に君臨してより、根を深くし本を固くし、人逸し兵強く、九州殷盛にして、四夷、自ら服す。今者、突厥を招致し、提封に入ると雖も、臣愚稍しく労費なるを覚え、未だ其の益有るを悟らざるなり。然して河西の民庶は、藩夷を鎮禦し、州県蕭條、戸口先少なり。加ふるに隋の乱に因り、減耗尤も多し。突厥未だ平がざるの前、尚ほ業を安んぜず。匈奴微弱なりし以来、始めて農畝に就く。若し即ち労役せば、恐らくは妨損を致さん。臣の愚惑を以てするに、請ふ招慰を停めんことを。〔▽七三八頁〕
且つ之を荒服と謂ふ者は、故、臣とすれども内れざるなり。是を以て、周室、民を愛し狄を攘ひ、竟に七百の齢を延くせり。秦王、軽々しく戦ひて胡を事とし、四十載にして絶滅せり。漢文、兵を養ひて静に守り、天下安豊なり。孝武、威を揚げ遠く略し、海内虚耗せり。輪臺を悔ゆと雖も、追へども已に及ばず。隋室に至りては、早く伊吾を得、兼ねて*ぜん善(ぜんぜん)を統ぶ。且つ夫れ既に得たるの後、労費日に甚だしく、内に虚しくして外に致し、竟に損して益無し。遠く秦漢を尋ね、近く隋室を観れば、動静安危、昭然として備はれり。〔▽七三九頁〕
伊吾、已に臣附すと雖も、遠く藩磧に在り。民は夏人に非ず、地は沙鹵多し。其の自ら竪立して藩・附庸を称する者は、請ふ羈縻して之を受け、塞外に居らしめん。必ず威を畏れ徳に懐き、永く藩臣と為らん。蓋し虚恵を行ひて実福を収むるなり。〔▽七四〇頁〕
近日、突厥、国を傾けて入朝す。既に之を江淮に俘にし、以て其の俗を変ずること能はず、乃ち内地に置き、京を去ること遠からず。則ち寛仁の義なりと雖も、亦、久安の計に非ざるなり。一人の初めて降るを見る毎に、物五匹、袍一領を賜ひ、酋帥には悉く大官を授く。禄厚く位尊く、理、糜費多し。中国の租賦を以て、積悪の凶虜に供す。其の衆益々多し。中国の利に非ざるなり、と。太宗、納れず。〔▽七四一頁〕


第三章

貞観十四年、侯君集、高昌を平げしの後、太宗、其の国を以て州県と為さんと欲す。魏徴奏して曰く、陛下初めて天下に臨みしとき、高昌王先づ来りて朝謁せり。自後数々商胡有り。其の貢献を遏絶し、加之大国の詔使に礼あらざるを称し、王誅載ち加ふ。若し罪、文泰に止まらば、斯れ亦可なり。未だ因りて其の人民を撫して其の子を立つるに若かず。所謂罪を伐ち民を弔し、威徳、遐外に被り、国を為むるの善なる者なり。〔▽七四二頁〕
今若し其の土壌を利し、以て州県と為さば、常に須く千余人にて鎮守すべし。数年にして一たび易ふれば、往来交替する毎に、死する者十に三四有らん。衣資を遣弁し、親戚に離別し、十年の後には、隴右空虚とならん。陛下、遂に高昌の撮穀尺布を得て、以て中国を助くる能はざらん。所謂有用を散じて無用を事とするなり。臣未だ其の可なるを見ず、と。太宗、従はず。竟に其の地を以て西州を置く。仍りて西州に於て安西都護府を置き、毎歳、千余人を調発して、其の地を防遏す。〔▽七四三頁〕
黄門侍郎*ちょ遂良(ちょすいりょう)も、亦、以て不可なりと為し、上疏して曰く、臣聞く、古者、哲后、朝に臨み、明王、制を創むるや、必ず華夏を先にして、夷狄を後にし、諸の徳化を広め、遐荒を事とせず。是を以て、周宣は薄か伐ち、境に至りて返れり。始皇は遠く塞し、中国分離せり。陛下、高昌を誅滅し、威、西域に加はり、其の鯨鯢を収め、以て州県と為す。然れば則ち王師初めて発するの歳、河西、役を供するの年、蒭を飛ばし粟を輓き、十室にして九、数郡蕭然として、五年、復せず。〔▽七四四頁〕
陛下、歳に千余人を遣はして、遠く屯戍を事とす。終年別離し、万里、返るを思ふ。去る者の資装は、自ら須く営弁すべく、既に菽粟を売り、其の機杼を傾く。途を経て死亡するは、復た京外に在り。兼ねて罪人を遣はし、其の防遏を増す。遣はす所の内、復た逃亡有り。官司捕捉し、国の為めに事を生ず。〔▽七四五頁〕
高昌の途路は、沙磧千里、冬風は氷烈、夏風は焚くが如く、行人の去来するもの之に遇へば多く死す。易に曰く、安くして危きを忘れず、理まりて乱るるを忘れず、と。設し張掖をして塵飛び、酒泉をして烽挙がらしむとも、陛下豈に能く高昌の一人斗粟を得て、事に及ばんや。終に須く隴右の諸州を飛ばし、星馳電撃すべし。斯に由りて言へば、此の河西は、方に以て腹心にして、彼の高昌は他人の手足なり。豈に中華を糜費して、以て無用を事とするを得んや。〔▽七四六頁〕
陛下、頡利を沙塞に平げ、吐渾を西海に滅ぼす。突厥の余部落、為めに可汗を立て、吐渾の遺萌、更に君長を樹つ。復た高昌を立つるは、前例無きに非ず。此れ所謂罪有りて之を誅し、既に服して之を立つるなり。宜しく高昌の立つ可き者を択び、徴して首領を給し、本国に還らしむべし。洪恩を負戴し、長く藩翰と為り、中国を擾れず、既に富みて且つ寧く、之を子孫に伝へ、以て長代に貽さん、と。疏奏す。納れず。〔▽七四七頁〕
十六年に至りて、西突厥、兵を遣はして西州に冦す。太宗、侍臣に謂ひて曰く、朕聞く、西州、今警急有り、と。害を為すに足らずと雖も、然れども豈に能く憂無からんや。往者、初めて高昌を平げしとき、魏徴・*ちょ遂良(ちょすいりょう)、朕に勧めて麹文泰の子弟を立て、旧に依りて国を為さしむ。朕、竟に其の計を用ふること能はざりき。今日方に自ら悔責す。昔、漢の高祖、平城の圍に遭ひて、婁敬を賞し、袁紹、官度に敗れて、田豊を誅せり。朕恒に此の二事を以て誡と為す。寧ぞ言ふ所の者を忘るるを得んや、と。〔▽七四八頁〕



貞観政要巻第十〔▽七五一頁〕
論行幸第三十六
第一章

貞観の初、太宗、侍臣に謂ひて曰く、隋の煬帝、広く宮室を造り、以て行幸を肆にす。西京より東京に至るまで、離宮別館、道次に相望む。則ち并州・*たく郡(たくぐん)に至るまで、悉く然らざるは無し。馳道は皆広さ数百歩、樹を種ゑ以て其の傍を飾る。人力、堪へず、相聚まりて賊を為す。末年に至るに逮びて、尺土一人も、復た己が有に非ず。此を以て之を観れば、宮室を広くし、行幸を好むは、竟に何の益か有らん。此れ皆朕が耳に聞き目に見る所なり。深く以て自ら誡む。故に敢て軽々しく人力を用ひず。惟だ百姓をして安静にして、怨叛有ること無からしむるのみ、と。〔▽七五一頁〕


第二章

貞観十一年、太宗、洛陽宮に幸し、舟を積翠池に泛べ、顧みて侍臣に謂ひて曰く、此の宮観臺沼は、竝びに煬帝の為る所。生人を駆役し、此の雕麗を窮む。復た此の一都を守り、万人を以て慮と為す能はず。行幸を好みて息まざるは、人の堪へざる所なり。昔、詩人云く、何の年か行かざらん、何の草か黄ならざらん。大東小東、杼軸其れ空し、と。正に此を謂ふなり。遂に天下をして怨み叛かしめ、身死し国滅ぶ。〔▽七五二−三頁〕
今其の宮苑、尽く我が有と為る。隋氏の傾覆せるは、豈に惟だ其の君の無道なるのみならんや。亦、股肱に良臣無きに由る。宇文述・虞世基・裴蘊の徒の如き、高官に居り、厚禄を食み、人の委任を受け、惟だ諂佞を行ひ、聡明を蔽塞す。其の君をして危き無からしめんと欲するも、理、得可からざるなり、と。〔▽七五三−四頁〕
司空長孫無忌、奏言すらく、隋氏の亡ぶる、其の君は則ち*忠とう(ちゅうとう)の言を杜塞し、臣は則ち苟くも自ら全くせんと欲す。左右、過有るも、初より糾挙せず。冦盗滋蔓するも、亦、実陳せず。此に拠れば、即ち惟だに天道のみならず、実に君臣相匡弼せざるに由る、と。太宗曰く、朕、卿等と、其の余弊を承く。惟だ須く道を弘め風を移し、万代をして永く頼らしむべし、と。〔▽七五四頁〕


第三章

貞観十三年、太宗、魏徴等に謂ひて曰く、隋の煬帝は、文帝の余業を承け、海内殷阜なり。若し能く常に関中に拠らば、豈に傾敗有らんや。遂に百姓を顧みず、行幸すること期無く、径に江都に往き、董純・崔民象等の諌争を納れず。身戮せられて国滅び、天下の笑と為る。復た帝祚の長短は、委ぬるに玄天を以てすと雖も、而も善に福し淫に禍するは、亦、人事に由る。〔▽七五五頁〕
朕毎に之を思う。若し君臣長久に、国に危敗無からんことを欲せば、君に違失有らば、臣須く極言すべし。朕、卿等の規諌を聞かば、縦ひ当時即ち従ふ能はずとも、再三思審し、必ず善を択びて用ひん、と。〔▽七五六頁〕



論佃猟第三十七
第一章

秘書少監虞世南、太宗頗る佃猟を好むを以て、上疏して諌めて曰く、臣聞く、秋*せん(せん)し冬狩するは、蓋し惟れ恒典なり。隼を射禽に従ふは、前誥に備はれり、と。伏して惟みるに、陛下、聴覧の余辰に因り、天道に順ひ以て殺伐す。将に斑を摧き掌を砕かんと欲し、親ら皮軒に御し、猛獣の窟穴を窮め、逸材の林薮を尽くす。凶を夷げ暴を翦り、以て黎元を衛り、革を収め羽を擢き、用つて軍器に充て、旗を挙げ獲を効し、式て前古に遵ふ。〔▽七五七頁〕
然れども黄屋の尊、金輿の貴、八方の徳を仰ぐ所、万国の心を係くる所なり。道を清めて行くも、猶ほ*銜けつ(がんけつ)を戒む。斯れ蓋し、重く慎みて微を防ぐは、社稷の為めにするなり。是を以て馬卿、前に直諌し、張昭、色を後に変ず。臣誠に微物、敢て斯の義を忘れんや。且つ天孤*星ひつ(せいひつ)、殪す所已に多く、禽を頒ち獲を賜ふ、皇恩亦溥し。伏して願はくは、時に猟車を息め、且く長戟を韜み、芻蕘の請を拒がず、*涓かい(けんかい)の流を降納し、袒裼徒搏は、之を群下に任ぜんことを。則ち範を百王に貽し、永く万代を光らさん、と。太宗深く其の言を納る。〔▽七五八頁〕


第二章

谷那律、諌議大夫と為る。嘗て太宗の出猟に従ひ、塗に在りて雨に遇ふ。上問ひて云く、油衣、若為にせば漏らるざるを得ん、と。対へて曰く、能く瓦を以て之を為らば、必ず漏らざらん、と。意、太宗の遊畋せざらんことを欲するなり。深く其の言を嘉納し、太宗大いに悦び、帛二百段を賜ひ、加ふるに金帯一條を以てす。〔▽七五九−六〇頁〕


第三章

貞観十四年、太宗、同州の沙苑に幸し、親ら猛獣を格す。復た晨に出で夜に還る。特進魏徴奏して曰く、臣聞く、書には文王が敢て遊畋に盤まざるを美とし、伝には虞の箴に*夷げい(いげい)を称して以て誡と為すを述ぶ、と。昔、漢の文帝、覇坂に臨み、馳せ下らんと欲す。*袁おう(えんおう)、轡を攬りて曰く、聖主は危きに乗ぜず、徼幸せず。今、陛下六飛を騁せ、不測の山に馳す。如し馬驚き車覆る有らば、陛下、縦ひ自ら軽んぜんと欲すとも、高廟を奈何せん、と。〔▽七六一頁〕
孝武好みて猛獣を格し、相如陳ぶ、力は烏獲を称し、捷は慶忌を言ふ。人、誠に之れ有り、獣も亦宜しく然るべし。卒然として逸材の獣に遇ひ、不存の地に駭かば、烏獲・逢蒙の伎と雖も、用ふるを得ず、而して枯木朽株、尽く難を為さん。万全にして患無しと雖も、然れども本、天子の宜しく近づくべき所に非ず、と。〔▽七六二頁〕
孝元、泰畤に効す。因りて留まりて射猟す。薛広奏称す、竊に見るに関東困極し、百姓、災に離れるに、今日、亡秦の鍾を撞き、鄭衛の楽を歌ひ、士卒暴露し、従官労倦す。顧ふに其れ宗廟社稷を如何せん。憑河暴虎、未だ至誡とするに足らざるなり、と。臣竊に思ふに、此の数帝の心、豈に木石にして、独り馳騁の楽を好まざらんや。而るに情を割き己を屈し、臣下の言に従ふ者は、志、国の為めにするに存し、身の為めにせざればなり。〔▽七六三頁〕
臣伏して聞く、車駕近ごろ出で、親ら猛獣を格し、晨に往き夜に還る、と。万乗の尊を以て、荒野に闇行し、深林を践み、豊草を渉るは、甚だ万全の計に非ず。願はくは陛下、私情の娯を割き、格獣の楽を罷め、上は宗廟・社稷の為めにし、下は群僚兆庶を慰めんことを、と。太宗曰く、昨日の事は、遇々塵昏に属す。故らに然るに非ざるなり。今より深く用つて誡めと為さん、と。〔▽七六四頁〕


第四章

貞観十四年、冬十月、太宗、将に櫟陽に幸して遊猟せんとす。県丞劉仁軌、収穫未だ畢らず、人君の順動の事に非ざるを以て、行所に詣り、上表切諌す。太宗遂に猟を罷め、擢でて仁軌を新安の令に拝す。〔▽七六五頁〕



論祥瑞第三十八
第一章

貞観六年、太宗、侍臣に謂ひて曰く、朕、比、衆議を見るに、祥瑞を以て盛事と為し、頻に表して賀慶する有り。朕の本心の如きは、但だ天下をして太平に、家々給し人々足らしめば、祥瑞無しと雖も、亦、徳を尭舜に比す可し。若し百姓、足らず、夷狄内侵せば、縦ひ芝草、街衢に遍く、鳳凰、苑圃に巣ふ有りとも、亦何ぞ桀紂に異ならん。〔▽七六六頁〕
嘗て聞く、後魏の時、郡吏の連理の木を燃き、白雉の肉を煮て喫する有り、と。豈に称して明主と為すを得んや。又、隋の文帝、深く祥瑞を愛し、秘書監王劭をして衣冠を著け、明堂に在りて、考使の前に対し、香を焚き以て皇隋感瑞経を読ましむ。旧、嘗て伝説に見る、此の事、実に以て笑う可しと為す。〔▽七六七頁〕
夫れ人君と為りては、当に須く至公にして天下を理め、以て万姓の歓心を得べし。昔、尭舜の上に在るや、百姓、之を敬すること天地の如く、之を愛すること父母の如く、動作興事、人皆之を楽み、号を発し令を施し、人皆之を悦ぶ。此は是れ大祥瑞なり。此より後、諸州の所有祥瑞、竝びに申奏を用ひざれ、と。〔▽七六八頁〕



論災異第三十九
第一章

貞観八年、隴右、山崩れ、大蛇屡々見はれ、山東及び江淮、大水多し。太宗、以て侍臣に問ふ。秘書監虞世南対へて曰く、春秋の時、梁山崩る。晋侯、伯宗を召して問ふ。対へて曰く、国は山川に主たり。故に山崩れ川竭くれば、君、之が為めに挙せず、服を降し、縵に乗り、祝、弊して以て礼す。梁山は、晋の主とする所なり、と。晋侯、之に従ふ。故に害無きを得たり。漢の文帝の元年、斉楚の地二十九山、同日に崩れ、水大いに出づ。郡国をして来り献ずる無からしめ、恵を天下に施し、遠近歓洽す。亦、災を為さず。後漢の霊帝の時、青蛇、御座に見はる。晋の恵帝の時、大蛇長さ三百歩、斉の地に見はれ、市を経て朝中に入る。按ずるに蛇は宜しく草野に在るべし。而るに朝市に入るは、怪と為すべき所以なるのみ。〔▽七六九頁〕
今、蛇、山沢に見はる。蓋し深山大沢には、必ず龍蛇有り、亦、怪むに足らず。又、山東の足雨は、則ち其の常なりと雖も、然れども陰潜、久しきに過ぐるは、恐らくは冤獄有らん。宜しく繋囚を料省すべし。庶幾はくは或は天意に当らん。且つ妖は徳に勝たず。唯だ徳を修むれば以て変を銷す可し、と。太宗、以て然りと為す。因りて使者を遣はして、饑餒賑恤し、獄訟を申理し、原宥する所多し。〔▽七七〇頁〕


第二章

貞観八年、彗星有り、南方に見はる。長さ六丈、百余日を経て乃ち滅す。太宗、侍臣に謂ひて曰く、天、妖星を見はすは、朕が不徳にして、政に虧失有るに由る。是れ何の妖ぞや、と。〔▽七七一頁〕
虞世南対へて曰く、昔、斉の景公の時、彗星見はるる有り。公、晏嬰に問ふ。嬰対へて曰く、公、池沼を穿てば、深からざらんことを畏れ、*臺しゃ(だいしゃ)を起せば、高からざらんことを畏れ、刑罰を行へば、重からざらんことを畏る。是を以て、天、彗星を見はして、公の誡と為すのみ、と。景公懼れて徳を修む。後十日にして星没す。陛下若し、徳政、修まらざれば、麟鳳数々見はると雖も、終に是れ益無からん。但だ朝をして闕政無く、百姓をして安楽ならしめば、災変有りと雖も、何ぞ時に損ぜん。願はくは陛下、功の古人より高きを以てして、自ら矜大にする勿れ。太平漸く久しきを以てして、自ら驕逸する勿れ。若し能く終を慎むこと始の如くならば、彗星見はるるも、未だ憂と為すに足らず、と。〔▽七七二頁〕
太宗曰く、吾の国を理むるは、良に景公の過無し。但だ朕、年十八、便ち王業を経綸し、北のかた劉武周を剪り、西のかた薛挙を平げ、東のかた竇建徳・王世充を擒にし、二十四にして天下定まり、二十九にして大位に居り、四夷降伏し海内乂安なり。自ら謂へらく、古来の英雄撥乱の主、及ぶ者見る無し、と。頗る自ら矜るの意有り。此れ吾の過なり。上天、変を見はすは、良に是が為めなるか。秦の始皇、六国を平げ、隋の煬帝、富、四海を有つ。既に驕り且つ逸し、一朝にして敗る。吾亦何ぞ自ら驕るを得んや。言に此を念へば、覚えず*てき焉(てきえん)として震懼す、と。〔▽七七三頁〕
魏徴進みて曰く、臣聞く、古より帝王、未だ災変無き者有らず。但だ能く徳を修むれば、災変自ら銷す。陛下、天変有るに因りて、遂に能く誡懼し、反覆思量し、深く自ら剋責す。此の変有りと雖も、必ず災を為さざるなり、と。〔▽七七四頁〕


第三章

貞観十一年、大いに雨ふり、穀水溢れ、洛城門を衝いて、洛陽宮に入る。平地に五尺興り、宮寺を毀ること十九所、七百余家を漂はす。太宗、侍臣に謂ひて曰く、朕の不徳なる、皇天、災を降す。将に視聴、明かならず、刑罰、度を失ふに由りて、遂に陰陽をして舛謬し、雨水をして常に乖かしめんとす。物を矜み己を罪し、載ち*憂てき(ゆうてき)を懐く。朕、又、何の情ぞ独り滋味を甘しとせん。毎日、尚食して、肉を断ち疏食を進めしめ、文武百官をして各々封事を上り、得失を極言せしむ可し、と。〔▽七七五頁〕
中書侍郎岑文本、封事を上りて曰く、臣聞く、撥乱の業を開くこと、其の功既に難し。已成の基を守ること、其の道、易からず。故に安きに居りて危きを思ふは、其の業を定むる所以なり。始有り卒有るは、其の基を崇くする所以なり、と。今、億兆乂安に、四隅寧謐なりと雖も、既に喪乱の後を承け、又、凋弊の余に接し、戸口減損すること尚ほ多く、田疇墾開すること猶ほ少なし。*覆とう(ふとう)の恩著はるれども、而も瘡痍未だ復せず。徳教の風被れども、而も資産屡々空し。〔▽七七六頁〕
是を以て、古人、之を樹を種うるに譬ふ。年祀綿遠なれば、則ち枝葉扶疎なり。若し之を種うること日浅く、根本未だ固からずんば、之を壅ふに黒墳を以てし、之を暖むるに春日を以てすと雖も、一人、之を揺がさば、必ず枯槁を致さん。今の百姓は、頗る此に類す。常に含養を加ふれば、則ち以て滋息に就き、暫く征役有れば、則ち随ひて凋耕す。凋耕既に甚だしければ、則ち人、生を聊んぜず。人、生を聊んぜざれば、即ち怨気充塞す。怨気充塞すれば、則ち離叛の心を生ず。〔▽七七七頁〕
故に帝舜曰く、愛す可きは君に非ずや、畏る可きは人に非ずや、と。孔安国曰く、人は君を以て命と為す、故に愛す可し。君、道を失へば、人、之に叛く、故に畏る可し、と。仲尼曰く、君は猶ほ舟のごときなり。人は猶ほ水のごときなり。水は舟を載する所以、亦、舟を覆す所以なり、と。是を以て、古の哲王、休しと雖も休しとすること勿く、日、一日を慎む者は、良に此が為めなり。〔▽七七八頁〕
伏して惟みるに、陛下、古今の事を覧、安危の機を察し、上は社稷を以て重しと為し、下は億兆を以て念と為し、選挙を明かにし、賞罰を慎み、賢才を進め、不肖を退け、過を聞けば既に改め、諌に従ふこと流るるが如く、善を為すことは疑はざるに在り、令を出すことは必信を期し、神を頤ひ性を養ひ、佃猟の娯を省き、奢を去り倹に従ひ、工役の費を減じ、務めて方内を静かにして、土を闢くを求めず、載ち弓矢を*おさ(おさ)むるも、武備を忘るる無し。〔▽七七九頁〕
凡そ此の数事は、国を為むるの恒道にして、陛下の常に行ふ所なりと雖も、臣の愚心、惟だ願はくは、陛下、思ひて怠らざらんことを。則ち至道の美、三五と隆を比し、億載の祚、天地に随ひて長久ならん。桑穀をして妖を為し、龍蛇をして*げつ(げつ)を作し、雉をして鼎耳に*な(な)き、石をして晋の地に言はしむと雖も、猶ほ当に禍を転じて福と為し、咎を転じて祥と為すべし。況んや水雨の患いは、陰陽の恒理なり。豈に之を天譴と謂ひて、聖心に繋く可けんや。臣聞く、古人、言へる有り、農夫労して君子養はれ、愚者言ひて智者択ぶ、と。輒ち狂瞽を陳し、伏して斧鉞を待つ、と。太宗深く其の言を納る。〔▽七八〇頁〕



論慎終第四十
第一章

貞観五年、太宗、侍臣に謂ひて曰く、当今、遠夷率ゐ服し、百穀豊稔し、賊盗、作らず、内外寧静なり。此れ、朕一人の力に非ず、実に公等が共に相匡輔するに由る。然れども安くして危きを忘れず、理まりて乱るるを忘れず。今日の無事なるを知ると雖も、亦、須く其の終始を思ふべし。常に此の如きを得ば、始めて是れを貴ぶ可きなり、と。〔▽七八一−二頁〕
魏徴対へて曰く、古より已来、元首股肱、備具すること能はず。或は時君、聖と称すれども、臣は即ち賢ならず、或は賢臣に遇へども、即ち聖主無し。今、陛下、聖明にして、理を致す所以なり。向に若し直だ賢臣に任ずれども、君、化を思はざれば、亦、益する所無からん。天下、今、太平なりと雖も、臣等猶ほ未だ以て喜と為さず。惟だ、陛下が安きに居りて危きを思ひ、孜孜として怠らざらんのみ、と。〔▽七八二−三頁〕


第二章

貞観六年、太宗、侍臣に謂ひて曰く、古より、人君の善を為す者、多く其の事を堅守すること能はず。漢の高祖は、泗上の一亭長なるのみ。初め能く危きを拯ひ暴を誅し、以て帝業を成せり。然れども更に数十年を延ばさば、縦逸の敗、亦、保す可からず。何を以てか之を知る、孝恵は嫡嗣の重にして、温恭仁孝為り。而るに高帝、愛姫の子に惑ひ、廃立を行はんと欲す。蕭何・韓信は、功業甚だ高し。蕭は既に妄に繋がれ、韓も亦濫に黜けらる。自余の功臣、黥布の輩、懼れて安んぜず、以て反逆に至れり。君臣父子の間、悖謬せること此の若し。豈に保し難きの明験に非ずや。朕、敢て天子の安きを恃まず、毎に危亡を思ひ、以て自ら誡懼し、用つて其の終を保たんとする所以なり、と。〔▽七八三−四頁〕


第三章

貞観九年、太宗、公卿に謂ひて曰く、朕、端拱無為にして、四夷咸く服す。豈に朕一人の致す所ならんや。実に諸公の力に頼るのみ。当に始を善くし終を令くして、永く鴻業を固くし、子子孫孫、逓に相輔翼し、豊功厚利をして、来葉に施さしめ、数百年の後に、我が国史を読むものをして、鴻勲茂業、粲然として観る可からしめんことを思ふべし。豈に維だ隆周・盛漢、及び建武・永平の故事を称するのみならんや、と。〔▽七八五−六頁〕
房玄齢進みて曰く、臣、近古撥乱の主を観るに、皆、年四十を踰る。惟だ漢の光武のみ年三十三なり。豈に陛下が年十八にして、便ち経綸を事とし、遂に天下を平げ、二十九にして、昇りて天子と為るに如かんや。此れ則ち武、古に勝れるなり。少くして戎旅に従ひ、書を読むに暇あらざりしが、貞観已来、手に巻を釈てず、風化の本を知り、理政の源を見、之を行ふこと数年、天下大いに治まる。此れ又、文、古に過ぎたるなり。昔、周秦以降、戎狄内に侵す。今、戎狄*稽そう(けいそう)して、皆、臣吏と為る。此れ又、遠きを懐くること古に勝れるなり。已に此の功業有り、何ぞ始を善くし終を慎まざるを得可けんや、と。〔▽七八六−七頁〕


第四章

貞観十二年、太宗、侍臣に謂ひて曰く、朕、書を読みて前王の善事を見れば、皆、力行して怠らず。其の任用する所、公の輩数人、誠に以て賢なりと為す。然れども政理、三五の代に比するに、猶ほ逮ばずと為すは、何ぞや、と。〔▽七八九頁〕
魏徴対へて曰く、今、四夷賓服し、天下、事無く、誠に曠古の未だ有らざる所なり。然れども古より帝王、初めて位に即く者、皆、精を励まして政を為し、迹を尭舜に比せんと欲す。其の安楽なるに及びては、則ち驕奢放逸にして、能く其の善を終ふるもの莫し。人臣の初めて任用せらるるもの、皆、主を匡し時を済ひ、蹤を稷契に追はんと欲す。其の富貴なるに及びては、則ち苟くも官爵を全くせんことを思ひ、能く其の節を尽くすもの莫し。若し君臣をして常に懈怠すること無く、各々其の終を保たしめば、則ち天下、理まらざるを憂ふること無きなり、と。太宗曰く、誠に卿の言の如し、と。〔▽七九〇頁〕


第五章

貞観十三年、魏徴、太宗の克く倹約に終ること能はずして、近歳頗る奢縦を好むを恐る。上疏して諌めて曰く、臣、古よりの帝王の、図を受け鼎を定むるを観るに、皆、之を万代に伝へ、厥の孫謀を貽さんと欲す。故に其の巌廊に垂拱し、政を天下に布くに、其の治を語るや、必ず淳朴を先にして浮華を抑へ、其の人を論ずるや、必ず忠良を貴びて邪佞を鄙み、制度を言ふや、則ち奢靡を絶ちて倹約と崇び、物産を談ずるや、則ち穀帛を重んじて珍奇を賎しむ。然して命を受くるの初、皆、之に遵ひて以て治を成す。稍々安きの後、多く之に反して俗を敗る。〔▽七九一頁〕
其の故は何ぞや。豈に万乗の尊に居り、四海の富を有ち、言を出せば己に逆ふ莫く、為す所あれば人必ず従ひ、公道、私情に溺れ、礼節、嗜欲に虧くるを以ての故ならずや。語に曰く、之を知ることの難きに非ず、之を行ふこと難し。之を行ふことの難きに非ず、之を終ふること難し、と。斯の言、信なるかな。〔▽七九二頁〕
伏して惟みるに、陛下、年甫めて弱冠、大いに横流を拯い、区宇を平一し、肇めて帝業を開く。貞観の初、年方に克く壮に、嗜欲を抑損し、躬ら節倹を行ひ、内外康寧にして、遂に至治に臻る。功を論ずれば、則ち湯武も方ぶるに足らず。徳を語れば、則ち尭舜も未だ遠しと為さず。臣、擢でられて左右に居りしより、十有余載、毎に帷幄に侍し、屡々明旨を奉ず。常に仁義の道を許し、守りて失はず、倹約の志、終始渝らず。一言にして邦を興すとは、斯の謂れのなり。徳音、耳に在り、敢て之を忘れんや。而るに頃年已来、稍々曩志に乖き、敦朴の理、漸く終を克くせず。謹みて聞ける所を以て、之を列ぬること左の如し。〔▽七九三頁〕
陛下、貞観の初、無為無欲にして、清静の化、遠く遐荒に被る。之を今考ふるに、其の風漸く墜つ。言を聴けば、則ち遠く上聖にも超ゆるも、事を論ずれば、則ち未だ中主に踰えず。何を以てか之を言ふ。漢文・晋武は、倶に上聖に非ざるに、漢文は千里の馬を辞し、晋武は雉頭の裘を焚く。今は則ち駿馬を万里に求め、珍奇を域外に市ふ。怪を道路に取り、戎狄に軽んぜらる。此れ其の漸く終を克くせざるの一なり。〔▽七九四頁〕
昔、子貢、人を理むるを孔子に問ふ。孔子曰く、懍乎として、朽索の六馬を馭するが若し、と。子貢曰く、何ぞ其れ畏るるや、と。子曰く、道を以て之を導かざれば、則ち吾が讎なり。若何ぞ其れ畏れざらんや、と。故に書に曰く、人は惟れ邦の本、本固ければ邦寧し。人の上為る者は、奈何ぞ敬せざらん、と。陛下、貞観の始め、人を視ること傷つけるが如く、其の勤労を見て、之を愛すること猶ほ子のごとく、毎に簡約を存し、営為する所無し。頃年已来、意、奢縦に在り、忽ち卑倹を忘れ、軽々しく人力を用ひ、乃ち云はく、百姓、事無ければ則ち驕逸す。労役すれば則ち使ひ易し、と。古より、未だ百姓の逸楽するに由りて傾敗を致せる者有らざるなり。何ぞ逆め其の驕逸を畏れて故らに之を労役せんと欲するもの有らんや。恐らくは邦を興すの至言に非ざらん。豈に人を安んずるの長算ならんや。此れ其の漸く終を克くせざるの二なり。〔▽七九五−六頁〕
陛下、貞観の初、己を損して以て物を利す。今者に至りて、欲を縦にして以て人を労す。卑倹の迹歳ごとに改り、驕侈の情日々に増す。是れ人を憂ふるの言は、口に絶えずと雖も、而も身を楽ますの事、実に心に切なり。或は時に営する所有らんと欲すれば、人の諌を致さんことを慮り、乃ち云はく、若し此を為さざれば、我が身に便ならず、と。人臣の情、何ぞ復た争ふ可けんや。此れ直だ、意、諌者の口を杜ぐに在り、豈に善を択びて行ふ者ならんや。此れ其の漸く終を克くせざるの三なり。〔▽七九七頁〕
立身の成敗は、染まる所に在り。*蘭し(らんし)鮑魚、之と倶に化す。習ふ所を慎むこと、思はざる可からず。陛下、貞観の初め、明節を砥砺し、物を私せず、唯だ善にのみ是れ与し、君子を親愛し、小人を疎斥す。今は則ち然らず、小人を軽褻し、君子を礼重す。君子を重んずるや、敬して之を遠ざけ、小人を軽んずるや、狎れて之を近づく。之を近づくれば、則ち其の非を見ず、之を遠ざくれば、則ち其の是を知る莫し。其の是を知る莫ければ、則ち間せずして自ら疎んず。其の非を見ざれば、則ち時有りて自ら昵しむ。小人を昵近するは、治を致すの道に非ず。君子を疎遠するは、豈に邦を興すの義ならんや。此れ其の漸く終を克くせざるの四なり。〔▽七九八頁〕
書に曰く、無益を作して有益を害せざれば、功乃ち成る。異物を貴びて用物を賎まざれば、人乃ち足る。犬馬は其の土性に非ざれば、畜はず、珍禽奇獣は、国に育はず、と。陛下、貞観の初、動きて尭舜に遵ひ、金を捐て璧を抵ち、朴に反り淳に還る。頃年以来、奇異を好尚し、得難きの貨、遠しとして臻らざるは無く、珍玩の作、時として能く止むる無し。上、奢靡を好みて、而も下の敦朴ならんことを望むは、未だ之れ有らざるなり。末作滋々興りて、而も農人の豊実ならんことを求むるは、其の得可からざること、亦已に明かなり。此れ其の漸く終を克くせざるの五なり。〔▽七九九頁〕
貞観の初、賢を求むること渇せるが如く善人の挙ぐる所は、信じて之に任じ、其の長ずる所を取り、常に及ばざらんことを恐る。近歳已来、心の好悪に由る。或は衆善しとして挙げて之を用ひ、一人毀りて之を棄つ。或は積年、任じて之を信じ、一朝、疑ひて之を遠ざく。夫れ行に素履有り、事に成跡有り。毀る所の人、未だ必ずしも誉むる所よりも信ず可からず。積年の行、応に頓に一朝に失ふべからず。且つ君子の懐は、仁義を蹈みて大体を弘む。小人の性は讒毀を好みて以て身の謀を為す。陛下、審かに其の根源を察せずして、軽々しく之が臧否を為す。是れ道を守る者をして日に疎く、干求する者をして日に進ましむ。故に人、苟くも免れんことを思ひ、能く力を尽くすもの莫し。此れ其の漸く終を克くせざるの六なり。〔▽八〇〇−一頁〕
陛下初めて大位に登るや、高く居り深く視、事惟だ清静、心に嗜欲無く、内、畢弋の物を除き、外、佃猟の源を絶つ。数載の後、志を固くすること能はず。十旬の逸無しと雖も、或は三駆の礼に過ぎ、遂に盤遊の娯をして、百姓に譏られ、鷹犬の貢をして、遠く四夷に及ばしむ。或は時に教習するの処、道路遥遠にして晨を侵して出で、夜に入りて方に還る。馳騁を以て歓娯と為し、不虞の変を慮ること莫し。事の不測なる、其れ救う可けんや。此れ其の漸く終を克くせざるの七なり。〔▽八〇二頁〕
孔子曰く、君、臣を使ふに礼を以てし、臣、君を事ふるに忠を以てす、と。然れば則ち君の臣を待する、義、薄かる可からず。陛下、初めて大位を践むや、敬以て下に接し、君恩下に流れ、臣情上に達す。咸く力を竭くさんことを思ひ、心、隠す所無し。頃年以来、忽略する所多し。或は外官、使に充てられ、事を奏して入朝し、闕庭を覩んことを思ひ、将に見る所を陳べんとするに、言はんと欲すれば則ち顔色、接せず、請はんと欲すれば、又、恩礼、加はらず。乍ち短なる所に因りて、其の細過を詰る。聡弁の略有りと雖も、能く其の忠款を申ぶる莫し。而るに上下心を同じくし、君臣交泰せんことを望むは、亦難からずや。此れ其の漸く終を克くせざるの八なり。〔▽八〇三頁〕
傲りは長ず可からず、欲は縦にす可からず、楽は極む可からず、志は満たす可からず。四つの者は、前王の福を致す所以、通賢、以て深誡と為す。陛下、貞観の初、孜孜として怠らず、己を屈して人に従ひ、恒に足らざるが若くせり。頃年已来、微しく自ら矜放にして、功業の大を恃み、意、前王を蔑ろにし、聖智の明なるを負み、心、当代を軽んず。此れ傲りの長ぜるなり。為す所有らんと欲すれば、皆、意を遂ぐるを取る。縦ひ或は情を抑へ諌に従ふも、終に是れ懐に忘るること能はず。此れ欲の縦なるなり。志は嬉遊に在り、情は厭倦無し。全くは政事を妨げずと雖も、復た心を治道に専らにせず。此れ楽の将に極まらんとするなり。率土乂安に、四夷款服するも、仍ほ遠く士馬を労し、罪を遐荒に問はんと欲す。此れ志、満たし難きなり。親狎なる者は、旨に阿りて肯て言はず。疎遠なる者は、威を畏れて敢て諌むる莫し。積みて已まざれば、将に聖徳を虧かんとす。此れ其の漸く終を克くせざるの九なり。〔▽八〇四−五頁〕
昔、尭舜・成湯の時、災患無きに非ず。然れども其の聖徳を称する者は、其の始有り終有り、無為無欲、災に遇へば則ち其の憂勤を極め、時安ければ則ち驕らず逸せざるを以ての故なり。貞観の初、頻年霜旱あり、畿内の戸口、竝びに関外に就き、老幼を攜負し、来往するもの数千。曾て一戸の逃亡無く、又、一人の怨苦無し。此れ陛下の矜育の懐を識るに由る。所以に死に至るまで攜弐するもの無し。頃年已来、徭役に疲れ、関中の人、労弊尤も甚だし。工匠の徒、下番悉く留めて和雇し、正兵の輩、上番多く別に駆使す。和市の者、郷閭に絶えず、逓送の夫、道路に相継ぐ。既に弊るる所有り、驚擾を為し易し。脱し水旱に因りて、穀麦、収まらずんば、恐らくは百姓の心、前日の寧恬の如くなる能はざらん。此れ其の漸く終を克くせざるの十なり。〔▽八〇六−七頁〕
臣聞く、禍福は門無し、唯だ人の招く所のままなり、と。人釁無ければ、妖、妄りに作らず。伏して惟みるに、陛下、天を統べ*う(う)を御すること、十有三年、道、寰中に洽く、威、海外に加はり、年穀豊稔し、礼教聿に興り、比屋、封ず可きに踰え、菽粟、水火に同じ。今歳に曁びて、天災流行し、炎気、旱を致し、乃ち遠く郡国を被り、凶醜、*げつ(げつ)を作し、忽ち近く轂下に起る。夫れ天何をか言はんや、象を垂れ誡を示す。斯れ陛下の恐懼の辰、憂勤の日なり。若し誡を見て懼れ、善を択びて従ひ、周文の小心なるに同じく、殷湯の己を罪せしを追ひ、前王の治を致す所以の者は、勤めて之を行ひ、今時の徳を敗る所以の者は、思ひて之を改め、物と更新し、人の視聴を易へば、則ち宝祚、疆無く、普天幸甚だしく、何の禍敗か之れ有らんや。〔▽八〇八頁〕
然れば則ち社稷の安危、国家の理乱は、一人に在るのみ。当今太平の基、既に極天の峻を崇くす。九仞の積、猶ほ一簣の功を虧く。千載の休期、時、再び得難し。明主、為す可くして為さず、微臣が鬱結して長歎する所以の者なり。臣誠に愚鄙にして、事機に達せず。略ぼ見る所の十條を挙げ、輒ち以て聖聴に上聞す。伏して惟みるに、陛下、臣が狂瞽の言を採り、参するに芻蕘の議を以てせんことを。冀はくは千慮の一得、袞職、補有らんことを。則ち死するの日は猶ほ生けるの年のごとし。甘んじて*ふ鉞(ふえつ)に従はん、と。〔▽八一〇頁〕
疏奏す。太宗、徴に謂ひて曰く、人臣の主に事ふる、旨に順ふは甚だ易く、情に忤ふは尤も難し。公、朕が耳目股肱と作り、常に論思献納す。朕、今、過を聞きて能く改む。庶幾はくは克く善事を終へん。此の言に違はば、更に何の顔ありてか公と相見ん。復た何の方ありてか以て天下を理めんと欲せん。公の疏を得しより、反覆研尋し、深く詞強く理直きを覚ゆ。遂に列して屏障と為して、朝夕瞻仰し、兼ねて又、録して史司に付す。冀はくは千載の下、君臣の義を識らんことを、と。乃ち黄金十斤、厩馬二疋賜ふ。〔▽八一一頁〕


第六章

貞観十四年、太宗、侍臣に謂ひて曰く、天下を平定するは、朕、其の事有りと雖も、若し之を守ること図を失はば、功業、亦復た保ち難からん。秦の始皇、初め亦六国を平げ、四海を拠有す。末年に及びて、善く守ること能はず。実に誡めと為す可き哉。公等、宜しく公を念ひ私を忘るべし。則ち栄名高位、以て克く其の美を終ふ可し、と。〔▽八一二−三頁〕
魏徴対へて曰く、臣、之を聞く、戦勝つは易く、文を守るは難し、と。陛下、深く思ひ遠く慮り、安くして危きを忘れず、功業既に彰はれ、徳教復た洽し。恒に此を以て政を為さば、宗社、由りて傾敗すること無からん、と。〔▽八一三頁〕


第七章

貞観十六年、太宗、魏徴に問ひて曰く、近古の帝王を観るに、位を伝ふること十代なる者有り、一代・両代なる者有り、亦、身に全きを得て、身に生を失ふ者有り。朕、常に憂懼を懐く所以なり。或は恐る、蒼生を撫養すること其の所を得ざらんことを。或は恐る、心に驕逸を生じ、喜怒、度に過ぎんことを。然れども自ら知ること能はず。卿、朕が為めに之を言ふ可し。当に以て楷則と為すべし、と。〔▽八一四頁〕
徴対へて曰く、嗜欲喜怒の情は、賢愚皆同じ。賢者は能く之を節して、度に過ぎしめず。愚者は之を縦にして、多く所を失ふに至る。陛下、聖徳玄遠にして、安きに居りて危きを思ふ。豈に常情同じからんや。然れども伏して願はくは、常に能く自ら心を制し、以て終を克くするの美を保たんことを。則ち万代永く頼らん、と。〔▽八一五頁〕




貞観政要〔附篇〕(初進本である写字臺本)〔▽八一七−九〇四頁〕
貞観政要巻第四
輔弼第九
第一章

貞観の初、太宗、虞世南を引きて上客と為す。因りて文学館を開く。館中、号して多士と為す。咸、世南を推して文学の宗と為す。記室を授け、房玄齢と対して文翰を掌る。嘗て命じて列女伝を写し、以て屏風を装せしむ。時に本無し。世南、之を暗書し、一も遺失無し。〔▽八一七頁〕
累りに秘書監に拝せらる。太宗、其の博物を重んじ、機務の隙毎に、独り世南を引きて之と談論し、共に史籍を観る。古先帝王の政を為すの得失に論及し、毎に諷諌を存し、補益する所多し。〔▽八一九頁〕〔類似▽一三〇頁〕
又、嘗て上疏して曰く、臣聞く、冬*せん(せん)し秋狩するは、蓋し惟れ恒典なり。隼を射禽に従ふは、前誥に備はれり、と。伏して惟みるに、陛下、聴覧の余辰に因り、天道に順ひて以て殺伐す。将に斑を摧き掌を砕かんと欲し、親ら皮軒に御し、猛獣の窟穴を窮め、逸材を林薮に尽くす。凶を夷げ暴を翦り、以て黎元を衛り、革を収め羽を擢き、用つて軍器に充て、旗を挙げ獲を効し、式つて前古に遵ふ。然れども黄屋の尊、金輿の貴は、八方の徳を仰ぐ所、万国の心を係くる所なり。道を清めて行くも、猶ほ*銜けつ(がんけつ)を誡む。斯れ蓋し、重く慎みて微を防ぐは、社稷の為めにするなり。是を以て馬卿、前に直諌し、張昭、色を後に変ず。臣誠に微物、敢て斯の義を忘れんや。且つ矢孤星罩、殪す所已に多し。禽を頒ち獲を賜ふ、皇恩亦溥し。伏して惟みるに、時に猟車を息め、且く長戟を韜み、芻蕘の請を拒がず、*涓かい(けんかい)の流を降納し、袒裼徒搏は、之を群下に任ぜんことを。則ち範を百王に貽し、永く万代を光らさん、と。其の忠を納れ犯を宥むること、此の類多し。〔▽八一八−九頁〕〔類似▽七五七−八頁〕
太宗、是を以て益々之を親礼す。年老いて致仕を乞ふ。之を許す。学士は故の如し。高祖の晏駕するに及びて、太宗、喪を執ること礼に過ぎ、哀容*毀すい(きすい)し、久しく万機を替つ。百僚文武、計の出づる所無し。世南、因りて入りて進諌し、安危禍福を具陳し、哀情を寛譬す。後、復た封事もて進諌す。太宗、甚だ之を嘉納す。〔▽八一九−二〇頁〕
嘗て朝に臨みて称す。世南一人遂に五絶を兼ぬ。一に曰く博聞。二に曰く徳行。三に曰く書翰。四に曰く詞藻。五に曰く忠直。此に一有らば、名臣と謂ふに足る。而るに世南は之を兼ぬ。寧ぞ絶類に非ずや、と。尋いで卒す。太宗、之を悼み、哀を別次に挙げ、之を哭して甚だ慟す。喪事官給し、賜ふに東園の秘器を以てす。〔▽八二〇頁〕
魏王泰に手勅して曰く、世南の我に於ける、猶ほ一体のごときなり。遺を拾ひ闕を補ひ、日として暫くも忘るること無し。実に当代の名臣、人倫の準的なり。吾に小善有れば、必ず順ひて之を成し、吾に小失有れば、必ず顔を犯して之を諌む。今、其れ云に亡す。石渠・東観の中、復た人無し。痛惜豈に言ふ可けんや、と。〔▽八二一頁〕〔類似▽一三二頁〕
未だ幾くならずして、太宗、詩一篇を為り、往古の治乱の道を追思す。既にして歎じて曰く、鍾子期死して、伯牙復た琴を鼓せず。朕の此の篇、将た何の示す所ぞ、と。因りて起居郎*ちょ遂良(ちょすいりょう)をして、其の霊帳に詣り、読み訖りて之を焚かしむ。其の重んぜらるるや此の如し。〔▽八二一−二頁〕


第二章

貞観四年、太宗、隋日の禁囚を論ず。魏徴対へて曰く、臣、往に隋朝に在りしとき、曾て盗発の有るを聞く。煬帝、於士澄をして捕逐せしむ。但だ疑似有れば、苦だ拷掠を加ふ。枉げて俗と成る者、二千余人。竝びに同日に斬決せしむ。大理丞張元済、之を怪しむ、試みに其の状を尋ぬるに、乃ち六七人有り、盗発の日、先に他所に禁せられ、放たれて纔に出づれば、亦、推勘に遭ひ、苦痛に勝へず、自ら盗を行ふと誣ふ。元済、此に因りて更に究尋するを事とするに、二千人の内、惟だ九人のみ、逗留して明かならず。官人、諳識する者有り、九人の内に就きて、四人は賊に非ず。有司、煬帝が已に斬結せしめたるを以て、遂に執奏せず。竝びに皆之を殺せり、と。〔▽八二二−三頁〕
太宗曰く、直に煬帝の無道なるのみに非ず、臣下も亦心を尽くさず。須く匡諌して誅戮を避けざるべし。豈に惟だ諂佞を行ひ、苟くも悦誉を求むるのみなるを得んや。君臣、此の如くならば、何ぞ能く敗れざらんや。朕、公等が共に相輔助するに頼り、遂に囹圄空虚なるを得たり。願はくは、公等、始めを善くし終を令くすること、恒に今日の如くならんことを、と。〔▽八二四頁〕


第三章

貞観五年、隋の通事舎人鄭仁基の女、年十六七、麗、当時に妙絶す。文徳皇后、訪ひ求めて之を得、嬪御に備へんと請ふ。太宗乃ち聘して充華と為す。詔書已に出で、策使将に発せんとす。〔▽八二五頁〕
魏徴、其の父の康が已に陸氏に許嫁せりと曰ふを聞き、遽に進みて言ひて曰く陛下、民の父母と為り、万姓を子愛す。当に其の憂ふる所を憂へ、其の楽しむ所を楽しむべし。古より、有道の主は、百姓の心を以て心と為す。故に君、*臺しゃ(だいしゃ)に処れば、則ち民の棟宇の安有らんことを欲し、膏梁を食へば、則ち民の饑寒の患無からんことを欲し、嬪御を顧へば、則ち民の室家の歓有らんことを欲す。此れ人主の常道なり。〔▽八二六頁〕
今、鄭氏の女、已に人に許せり。陛下、之を取りて疑はず、顧み問ふ所無く、之を四海に播く。豈に民の父母為るの義ならんや。臣が伝聞せる許す所、或は未だ指的せざるも、然れども盛徳を虧損せんことを恐れ、情、敢て隠さず。君挙すれば必ず書す。願ふ所は特に神慮を留めんことを、と。〔▽八二七頁〕
太宗、之を聞きて大いに驚き、乃ち手詔して之に答へ、深く自ら克責し、遂に策使を停め、即ち女をして旧夫に還さしむ。左僕射房玄齢、中書令温彦博、礼部尚書王珪、御史大夫韋挺等、内外の朝臣咸云ふ、女、陸氏に適くを許せること、顕然の状無し。大礼既に行はる、中止す可からず、と。陸氏又、抗表して云ふ、其の父の康の在りし日、鄭家と還往し、時に資材を相贈遺すれども、初より婚姻の交接無し。親戚竝びに云へり。外人は知らずして、妄に此の語有り、と。大臣皆勧進す。〔▽八二八頁〕
太宗、是に於て、頗る以て疑を為し、魏徴に問ひて云く、群臣は或は旨に順ふ可きも、陸氏何為れぞ理に過ぎて分疎するや、と。徴曰く、臣以て之を度るに、其の意、識る可し。将に陛下を以て太上皇に同じくせんとす、と。太宗曰く、何ぞや、と。〔▽八二九頁〕
徴曰く太上皇初め京城を平ぐるや、辛処倹の婦を得、稍や寵遇を蒙る有り。処倹時に太子の舎人為り。太上、之を聞きて悦ばず、遂に東宮に令し、出して万泉県の令と為す。毎に戦懼を懐き、常に首領を全くせざらんことを恐れたり。陸爽以為へらく、陛下、今、容納すと雖も、陰に譴責を加へん、と。反覆して自ら陳する所以は、意、此に在り。怪みを為すに足らず、と。〔▽八二九−三〇頁〕
太宗笑ひて曰く、外人の意見、或は当に此の如くなるべし。然れば則ち朕の言ふ所、未だ人をして必ずしも信ぜしむること能はず、と。乃ち勅を出して曰く、今聞く、鄭氏の女、先に已に人の礼聘を受けたり、と。前に文書を出せるの日、事、詳審ならざりしは、此れ乃ち朕の不是にして、亦、有司の過なり。充華を授くる者は宜しく停むべし、と。之を聞く者、聖明の主と称せざるは莫し。〔▽八三〇−一頁〕
※『平家物語』巻六、『太平記』巻十八、『源平盛衰記』巻二五、等に引用あり。


第四章

貞観十年、太宗、侍臣に謂ひて曰く、太子の大保は、古より其の選を難しとす。成王幼少なりしとき、周邵を以て保伝と為し、左右皆賢にして、以て仁を長ずるに足り、理、太平を致し、称して聖主と為す。秦の胡亥に及びては、始皇の愛する所にして、趙高を伝と作し、教ふるに刑法を以てす。其の簒ふに及びてや、功臣を誅し、親戚を殺し、酷烈なること已まず。踵を旋らして亦亡ぶ。此を以てして言へば、人の善悪は、誠に近習に由る。朕、弱冠の交遊は、惟だ柴紹・竇誕等のみ。人と為り、既に三益に非ず。朕が茲の宝位に居り、天下を経理するに及びて、尭禹の明に及ばずと雖も、孫皓、高緯の暴を免るるに庶し。此を以てして言へば、復た染に由らざるは何ぞや、と。〔▽八三二−三頁〕〔類似▽二七七−八頁〕
魏徴進言して曰く、中人は、与に善を為す可く、与に悪を為す可し。然れども上智の人は、自ら染まる所無し。陛下、命を受くること天よりし、冦乱を平定し、万民の命を救ひ、理を升平に致す。豈に紹誕の徒、能く聖徳を累はさんや。但だ伝に云ふ、鄭声を放ち、佞人を遠ざけよ、と。近習の間、尤も深く慎む可し、と。太宗、善しと称す。〔▽八三四頁〕



直言諌争第十
第一章

貞観三年、詔有りて、関中は二年の調税を免じ、関東は給復すること一年。尋いで勅有り、已に役し已に治むるは、竝びに輸納し了らしめ、明年総べて為めに準折せしむ。給事中魏徴、上書して諌めて曰く、臣伏して八月九日の詔書を見るに、率土、皆給復すること一年、老幼相歓び、或は歌ひ且つ舞ふ。又聞く、勅有りて、丁已に役を配せるは、即ち役をして満たしめ、折造の余物も、亦、輸し了らしめ、明年に至るを待ちて、総て為めに準折せしむ、と。道路の人、咸、望む所を失ふ。此れ誠に万姓を平分し、七子を均同にす。但だ下民は与に始を図り難し。日を用ひて知らず。皆、以て国家、前言を追悔し、其の徳を二三にすとせん。〔▽八三五頁〕
臣竊かに聞く、天の輔くる所の者は仁なり。人の助くる所の者は信なり、と。今、陛下、初めて大宝に膺り、億兆、徳を観る。始めて大号を発し、便ち二言有り。八表の疑心を生じ、四時の大信を失ふ。縦ひ国家、倒県の急有りとも、猶ほ必ず不可なり。況んや泰山の安きを以てして、輒ち此の事を行ふ。陛下の為めに此の計を為す者は、財利に於ては少しく益するも、徳義に於ては大いに損す。臣誠に智識浅短なるも、竊かに陛下の為めに之を惜む。伏して願はくは少しく臣が言を覧て、詳かに利害を択ばんことを。冒昧の罪は、臣の甘心する所なり、と。〔▽八三七頁〕
簡点使出づ。右僕射封徳彝等、竝びに中男の十八已上を、簡取して軍に入れんと欲し、勅三四たび出づ。徴、執奏して以て不可なりと為す。徳彝重ねて奏す、今、簡点使を見るに云ふ、次男の内に、大いに壮なる者有り、と。太宗怒りて、乃ち勅を出して、中男已上、未だ十八ならずと雖も、身形壮大なるは亦取らしむ。徴、又、従はず、勅に署するを肯んぜず。〔▽八三八頁〕
太宗、徴及び王珪を召し、色を作して之を待ちて曰く、中男若し実に小ならば、自ら点して軍に入れず。若し実に大ならば、是れ其れ詐妄なり。式に依りて点取すること、理に於て何ぞ嫌はん。君過ぎて此の如きの固執を作す。朕、公の意を解せず。〔▽八三八−九頁〕
徴、色を正しくして曰く、臣聞く、沢を竭くして漁するは、魚を得ざるに非ざれども、明年、魚無し。林を焚きて畋するは、獣を獲ざるに非ざれども、明年、獣無し。若し次男已上、尽く点して軍に入れば、租賦雑徭、将た何に給を取らん。且つ比来、国家の衛士、攻戦するに堪へざるは、豈に其の少きが為めならんや。但だ礼遇の所を失ふが為めに、遂に人をして戦ふ心無からしむ。若し多く点して人を取り、還って雑使に充てば、其の数多しと雖も、遂に是れ用無からん。若し壮健を精簡し、之を遇するに礼を以てすれば、人、其の勇を百にせん。何ぞ必ずしも多きに在らん。陛下毎に云ふ、我の君為る、誠信を以て物を待し、官人百姓をして、竝びに矯偽の心無からしめんと欲す、と。登極より已来、大事三数、皆是れ不信なり。復た何を以てか信を人に取らん、と。〔▽八三九−四〇頁〕
太宗愕然として曰く、云ふ所の不信とは、是れ何等ぞや、と。徴曰く、陛下初めて即位せしとき、詔書に曰く、逋租宿債、欠負の官物、竝びに悉く原免す、と。即ち所司に命じ、列して事條を為さしむ。秦府の国司も、亦、官物に非ずとす。陛下、秦王より天子と為る。国司、官物為らずんば、其の余の官物、復た何の有る所ぞ。〔▽八四〇−一頁〕
又、関中、二年の租調を免じ、関外は給復すること一年、百姓、恩を蒙り、忻悦せざるは無し。更に勅有りて云ふ、今年は白丁已に多く役し訖る。若し此より放免せば、便ち是れ虚しく国恩を荷はん。若し已に折し已に輸するは、竝びに総て納使し了らしめ、免ずる所の者は、皆、来年を以て始と為さん、と。散じ還るの後、方に更に徴収す。百姓の心、怪しむ無きこと能はず。已に徴して物を得、便ち点して軍に入れ、来年を始めと為さば、何の信を取る所あらん。又、共理の寄する所は、県令・刺史に在り。平常の検閲は、竝びに悉く之を委ぬ。簡点するに至りて、即ち其の詐偽を疑はば、下の誠信を望まんこと、亦難からずや、と。〔▽八四一−二頁〕
太宗曰く、我、君が固く執りて已まざるを見、君が此の事に蔽はるるかと疑へり。今、国家の不信を論ぜるは、廼ち是れ人情に通ぜり。我等、思はず、過ち亦甚だし。行事、往往にして此の如く錯まらば、天下、若為ぞ理を致さん、と。乃ち中男を取るを停め、徴に金甕一口を賜ひ、王珪に絹五十匹を賜ふ。〔▽八四三頁〕
※『平家物語』巻七、『源平盛衰記』巻三十


第二章

貞観三年、太宗、侍臣に謂ひて曰く、義寧の初、国家、関中を有つと雖も、王充・李密は、若ち一遇に拠る。此の日に当りて、諸君の事ふる所の主は、誰か優、誰か劣なるや、と。載冑奏称す、王充は言議分明なれども、繁にして要寡し。理を為すには但だ一時の利を求めて、甚だしく其の後図を思はず、と。魏徴対へて曰く、李密は智計英抜なれども、器局褊小なり、と。〔▽八四四頁〕


第三章

貞観三年、太宗、侍臣に謂ひて曰く、君為ること極めて難し。若し、法、急なれば善人を濫さんことを恐る。法、寛なれば、即ち*奸き(かんき)を粛せず。寛猛の間、若為にして折衷せん、と。魏徴奏称して曰く、古より理を為すには、時に因りて教を設く。若し、人情、急に似たれば、則ち之を済ふに寛を以てし、若し、寛慢有れば、則ち之を糾すに猛を以てす。時既に恒ならず、法令定まること無し、と。〔▽八四五頁〕
太宗又曰く、朕、常に数種の事を思ふ。古より、但だ天下を有つ者は、皆、子孫万世にして、理道、尭舜よりも過ぎんことを欲す。其の行ふ所に及びては、即ち尭舜と相反す。秦の始皇の如きは、亦是れ英雄の主なり。六国を平定するの已後、纔に其の身を免るるも、子に至つて便ち其の国を失ふ。桀紂・幽(ゆうれい)も、亦皆、己を喪ふ。朕、此が為めに誡懼せざるを得ず。且つ天下の百姓、目を傾け耳を側てて、唯だ朕一人の善悪を看る。豈に思量せざるを得んや、と。〔▽八四六頁〕
魏徴奏称す、古より以来、人君を難しと為す。祇だ言を出せば即ち善悪と成るが為めなり。若し、人君、言を出し、己の過ちを聞かんと欲せば、其の国即ち興る。若し言を出し、人をして己の志に従はしめんとせば、其の国即ち喪ぶ。古人云ふ、一言以て邦を興す可く、一言以て邦を喪ぼす可し、とは、正しく当に此が為めなるべし。但だ天下の人は皆自ら陛下に進め、以て其の身を栄えしむ。正人の若きは即ち正道を以て自ら進めんと欲し、佞人は即ち邪道を以て自ら媚び、工巧の者は則ち奇巧異器を進め、鷹犬を好む者は、即ち勧めて田遊せしめんと欲す。自ら進めんと欲する所の者は、非為るを覚らず、皆、己を是なりと言ふ。陛下、正道を守れば、即ち奸人、自ら効すこと能はず。如し其の路を開かば、則ち邪佞、其の心を遂げんと欲す、と。太宗曰く、此の事は誠に卿の言ふ所の如し、と。〔▽八四六−七頁〕


第四章

貞観四年、太宗、毎に従容として古よりの理政の得失を論ず。因りて曰く、当今大乱の後、造次に理を致す可からず、と。給事中魏徴曰く、然らず。凡そ人、安楽に居れば則ち驕溢、驕溢なれば則ち乱を思ふ。乱を思へば則ち理め難し。危困に在れば則ち死亡を憂ふ。死亡を憂ふれば則ち理を思ふ。理を思へば則ち教化し易し。然らば則ち乱後の教へ易きは、猶ほ飢人の食し易きがごときなり、と。太宗曰く、善人、邦を為むること百年にして、然る後、残に勝ち殺を去るといふ。大乱の後、将に理を致すを求めんとす。寧ぞ造次にして臨む可けんや、と。〔▽八四六−七頁〕〔類似▽七三頁〕
徴曰く、此れ常人に拠る。聖哲に在らず。聖哲化を施すや、上下、心を同じくす。民応ずること響きの如し。疾からずして速かなり。朞月にして可なること、信に難しと為さず。三年にして功を成すも、猶ほ其の晩きを謂ふ、と。太宗、深く其の言を納る。〔▽八四九頁〕〔類似▽七四頁〕
封徳彝等咸共に之を非として曰く、三代の以後、民漸く澆訛なり。故に秦は法律に任じ、漢は覇道を雑ふ。皆、理を欲すれども能はず。豈に理を能くすれども欲せざらんや。魏徴は書生、時務を識らず。若し其の虚偽の論を信ぜば、必ず国家を敗乱せん、と。〔▽八四九−五〇頁〕〔類似▽七四−五頁〕
徴曰く、五帝・三王は、民を易へずして理まる。帝道を行へば則ち帝なり。王道を行へば則ち王なり。当時の之を化する所以に在るのみ。之を載籍に考ふれば、得て知る可し。昔、黄帝、蚩尤と七十余戦し、其の乱るること甚し。既に勝つの後、便ち太平を致せり。九黎、徳を乱り、*せんぎょく(せんぎょく)、之を征す。既に克つの後、其の理を失はず。桀、乱虐を為して、湯、之を放く。湯の代に在りて、即ち太平を致せり。紂、無道を為し、武王、之を征す。成王の世、亦太平を致せり。若し、民漸く澆訛にして、純樸に反らずと言はば、今に至りては、応に悉く鬼魅魍魎と為るべし。寧ぞ復た得て教化す可けんや、と。封徳彝等、以て之を難ずる無し。然れども咸以て不可なりと為す。〔▽八五〇頁〕〔類似▽七六頁〕
太宗、力行して倦まず。三数年の間に、契丹・靺鞨、竝びに皆内附し、突厥破滅し、部落列して編戸と為る。太宗毎に群臣に謂ひて曰く、貞観の初、人皆、異論して云ふ、当今は必ず帝王道を行ふ可からず、と。唯だ魏徴のみ、我に勧めて已まず。朕、其の言に従ひ、数載を過ぎずして、遂に華夏安寧に、遠戎賓服するを得たり。突厥は、万代以来、常に中国の勍敵為り。今、頭首竝びに刀を帯びて宿衛し、部落、皆衣冠を襲す。我をして干戈を動かさず、数年の間、遂に此に至らしめしは、皆魏徴の力なり、と。〔▽八五一頁〕〔類似▽七七−八頁〕
又、顧みて徴に謂ひて曰く、玉は美質有りと雖も、石間に在りて、良工の琢磨に値はざれば、瓦礫と別たず。若し良工に遇へば、即ち万代の宝と為る。朕、美質無しと雖も、君の切磋する所と為る。朕を約するに仁義を以てし、朕を弘むるに道徳を以てす。朕をして功業を以て此に至らしむ。君も亦良工と為すに足る。唯だ恨むらくは、封徳彝をして之を見しむるを得ざることを、と。〔▽八五一−二頁〕〔類似▽七九頁〕
徴再拝して謝して曰く、匈奴破滅し、海内康寧なるは、自ら是れ陛下の盛徳の加はる所にして、実に群下の力に非ず。臣、但だ身、明世に逢ふを喜び、敢て天の功を貪らず、と。太宗曰く、朕能く卿に任じ、委ぬる所に称ふ。其の功独り朕に在らんや。卿何ぞ飾譲を煩はさん、と。〔▽八五二頁〕〔類似▽七九頁〕


第五章

貞観五年、治書権万紀、侍御史李仁発、倶に告訐譖毀を以て、数々引見を蒙る。遂に心に任せて弾射し、其の欺罔を肆にす。在上をして震怒し、臣下をして以て自ら安んずる無からしむ。外内、其の不可なるを知れども、能く論争するもの莫し。〔▽八五三頁〕
給事中魏徴、色を正しくして之を奏して曰く、権万紀・李仁発は、竝びに是れ小人にして、大体を識らず、譖毀を以て忠と為し、告訐を直と為す。凡そ弾射する所、皆、罪有るに非ず。陛下、其の短なる所を掩ひ、其の一切を収む。乃ち其の姦計を騁せ、下を讃し上を罔ひ、多く無礼を行ひ、以て強直の名を取る。玄齢を誣ひ、張亮を斥退す。粛(しゅくれい)する所無く、徒らに聖明を損ず。道路の人、皆、謀議有り。〔▽八五三−四頁〕
臣伏して聖心を度るに、必ず其の謀慮深長を以て、委ぬるに棟梁の任を以てす可しとせず、将に其の避忌する所無きを以て、以て群臣を警(けいれい)せんと欲せんとするならん。若し回邪を任使するは、猶ほ小を以て大を謀る可からず。群臣は素より矯偽無し。空しく上下をして心を離さしむ。玄齢・亮の徒すら、猶ほ其の枉直を伸ぶるを得可からず。其の余の疏賎、孰か能く其の欺誣を免れん。〔▽八五四−五頁〕
伏して願はくは、陛下、神を留めて再思せんことを。二人を駆使してより以来、一事の弘益有らば、臣即ち斧鉞に甘心し、不忠の罪を受けん。陛下、縦ひ未だ善を挙げて以て徳を嵩くする能はずとも、豈に姦を進めて自ら損す可けんや、と。〔▽八五五頁〕
太宗、欣然として之を納れ、絹五百匹を賜ふ。其の万紀等、又姦状漸く露はれ、仁発は解黜せられ、万紀は連州司馬に貶せらる。朝廷相慶ぶ。〔▽八五六頁〕


第六章

貞観六年、人尚書右丞徴を告げて、其の親戚に阿黨すと言ふ者有り。太宗、御史大夫温彦博をして其の事を案験せしむ。乃ち告ぐる者、直ならず。彦博奏称す、魏徴既に人臣為れば、須く形迹を存すべし。嫌疑を遠避する事能はずして、人の道ふ所と為る。情、私無きに在りと雖も、亦、責め有る可し、と。遂に彦博をして徴に謂はしめて曰く、爾、我を諌正すること凡そ数百條、豈に小事を以て、便ち衆義の美を損ぜんや。然れども今より以後、形迹を存せざるを得ず、と。〔▽八五七頁〕
居ること数日、太宗、徴に問ひて云く、昨来、外に在りて、何の不是の事有るを聞ける、と。徴、色を正しくして曰く、前日、彦博をして勅を宣して臣に語げしめて、何に因りて形迹を作さざるや、と云ふ。此の言大いに不是なり。臣聞く、君臣は叶契、義、一体に同じ、と。未だ公道を存せずして、惟だ形迹を事とするを聞かず。若し君臣上下、同じく此の路に遵はば、則ち邦の興喪、或は未だ知る可からず、と。太宗、瞿然として容を改めて曰く、前に此の語を発し、尋いで已に之を悔ゆ。実に大いに不是なり。公も亦、此の事に因りて、遂に隠避を懐くことを得ざれ、と。〔▽八五八頁〕
徴乃ち拝して言ひて曰く、臣、身を以て国に許し、道を直くして行ふ。必ず敢て欺負する所有らず。但だ願はくは陛下、臣をして良臣と為らしめよ。臣をして忠臣と為らしむること勿れ、と。太宗曰く、忠良、異なること有りや、と。徴曰く、良臣は、稷・契・*咎よう(こうよう)、是なり。忠臣は、龍逢・比干、是なり。良臣は、身をして美名を獲しめ、君をして顕号を受けしめ、子孫、世に伝へ、福禄、疆無し。忠臣は、身、誅夷を受け、君、大悪に陥り、国家竝びに喪び、独り其の名有り。此を以てして言へば、相去ること遠し、と。太宗曰く、君但だ此の言に違うこと莫れ。我必ず社稷の計を忘れざらん、と。乃ち絹三百匹を賜ふ。〔▽八五九頁〕


第七章

貞観七年、蜀王の妃の父楊誉、省に在りて婢を競ふ。都官郎中薛仁方、身を留めて勘問す。未だ与奪に及ばず。其の子、千牛為り、殿庭に於て陳訴して云ふ、五品已上は、反逆に非ざれば、合に身を留むべからず。是れ国親なるを以て、故らに節目を生じ、敢て断結せず。歳年を淹歴す、と。太宗、之を聞き、大いに怒りて曰く、是れ我の親戚なるを知りて、故らに此の如きの艱難を作す、と。即ち令して仁方を杖つこと一百、任ずる所の官を解かしむ。〔▽八六一頁〕
侍中魏徴曰く、城狐社鼠は、皆是れ微物なり。其の憑恃するところ有るが為めに、故に之を除くこと易からず。況んや外戚・公主は、旧、理め難しと号す。漢晋以来、能く禁禦するもの莫し。武徳の中、以に驕縦多し。陛下登極し、方に始めて粛然たり。仁方は既に是れ職司、能く国家の為めに法を守る。豈に横に厳罰を加へ、以て外戚の私を成す可けんや。此の源一たび開かば、万端争ひ起らん。後必ず之を悔ゆるも、将に及ぶ所無からんとす。古より、能く此の事を禁断するは、惟だ陛下一人のみ。不虞に備豫するは、国を為むるの道なり。豈に水の未だ横流せざるを以て、便ち自ら*てい防(ていぼう)を毀らんと欲す可けんや。臣竊かに思ひ度るに、未だ其の可なるを見ず、と。〔▽八六二頁〕
太宗曰く、誠に公の語の如し。向者には思はざりき。然れども仁方は輒ち禁じて言はず。頗る是れ専擅なり。重罪に合せずと雖も、宜しく少しく懲粛を加ふべし、と。乃ち杖たしむること二十にして之を赦す。〔▽八六三頁〕


第八章

貞観八年、左僕射房玄齢、右僕射高士廉、路に於て少府監竇徳素に逢ひ、北門、近来、更に何の営造有るか、と問ふ。徳素、以て聞す。太宗乃ち玄齢等に謂ひて曰く、君は但だ南牙の事を知るのみ。我が北門少しく営造すること有るも、何ぞ君が事に預らん、と。玄齢等拝謝す。〔▽八六四頁〕
魏徴進言して曰く、臣、陛下の責むるの意を解せず。亦、玄齢・士廉が拝謝するの意を解せず。玄齢既に大臣に任ぜらる。即ち陛下の股肱耳目なり。営造する所有らば、何ぞ知らざる容けんや。其の官司に訪問するを責むるは、臣が解せざる所なり。〔▽八六四頁〕
且つ為す所に利害有り、功を役するに多少有り。陛下の為す所、若し是ならば、当に陛下を助けて之を成すべし。為す所、是ならざれば、已に営造すと雖も、当に陛下に奏して之を罷むべし。此れ乃ち、君、臣を使ひ、臣、君に事ふるの道なり。玄齢等が問ひしこと既に罪無し。而るに陛下之を責む。玄齢等守る所を識らず、但だ拝謝するのみを知る。臣、亦、解せず、と。太宗深く之を愧づ。〔▽八六五頁〕


第九章

貞観八年、是より先、桂州の都督李弘節、清慎を以て聞ゆ。身没するの後に及びて、其の家、珠を売る。太宗、之を聞き、乃ち朝に宣して曰く、此の人、生平、宰相、皆、其の清きを言へり。今日既に然り。挙ぐる所の者、豈に過無きを得んや。必ず当に深く之を理むべし。捨つ可からざるなり、と。〔▽八六六頁〕
侍中魏徴、間を承けて言ひて曰く、陛下、生平、此の人濁ると言ふも、未だ財を受くるの所を見ず。今、其の珠を売るを聞き、将に挙ぐる者を罪せんとす。臣、謂ふ所を知らず。聖朝より以来、国の為めに忠を尽くし、清貞慎守、終始、渝らざる者は、屈突通・張道源のみ。通の子三人来選せしとき、一匹の羸馬有り。道源の兒子は、存立すること能はず。未だ一言の之に及ぶを見ず。〔▽八六七頁〕
今、弘節、国の為めに功を立て、前後、大いに賞賚を蒙る。官に居りて終歿し、貧賎なるを言はず。妻子、珠を売るは、未だ罪有りと為さず。其の清き者を審かにするも、存問する所無く、其の濁る者を疑ひて、旁ら挙人を責む。悪を疾むの情深し、と云ふと雖も、実に亦、善を好むこと篤からず。臣竊かに思ひ度るに、未だ其の可なるを見ず。恐らくは有識之を聞かば、必ず横議を生ぜん。伏して願はくは心を留めて再思せんことを、と。〔▽八六八頁〕
太宗、掌を撫ちて曰く、造次、思はず、遂に此の語有り。方めて談の容易ならざるを知る。竝びに之を問ふ勿れ。其れ屈突通・張道源の兒子には、宜しく各々一官を与ふべし、と。〔▽八六九頁〕


第十章

貞観九年、北蕃より帰朝せる人奏称す、突厥の内大いに雪ふり、人饑ゑ、羊馬竝びに死す。中国の人の彼に在る者、皆、山に入りて賊を作し、人情大いに悪し、と。太宗、侍臣に謂ひて曰く、古来の人君を観るに、仁義を行ひ、賢良に任ずれば則ち理まり、暴乱を行ひ、小人に任ずれば則ち敗る。突厥の信任する所の者は、竝びに公等と共に之を見るに、略々忠正なる者無し。頡利、復た百姓を憂へず、情の為す所を恣にす。朕、人事を以て之を観るに、亦何ぞ久かる可けんや、と。〔▽八六九−七頁〕
魏徴進みて曰く、昔、魏の文侯、里克に問ふ、諸侯誰か先づ亡びん、と。克曰く、呉先づ亡びん、と。文侯曰く、何が故ぞ、と。克曰く、数々戦ひ数々勝つ。数々戦へば則ち民疲れ、数々勝てば則ち主驕る。驕を以て疲民を馭す。亡びずして何をか待たん、と。頡利、隋末の中国の喪乱に逢ひ、遂に衆を恃みて内侵し、今尚ほ息まず、此れ必ず亡ぶるの道なり、と。太宗深く此れを然りとす。〔▽八七〇−一頁〕


第十一章

貞観十年、越王は、長孫皇后の生む所、太子の介弟にして、聡敏絶倫、太宗の特に寵異する所なり。貴要、数々三品已上、皆、王を軽蔑す、と言ふ者有り。意、侍中魏徴等を譖毀するに在り、以て太宗を激怒す。〔▽八七二頁〕
太宗、斉政殿に御し、三品已上を引きて入れ、坐定まる。大いに怒り色を作して言ひて曰く、我、一言有り、公等に向ひて道はん。往前の天子は、是れ天子。今時の天子は、天子に非ずや。往前の天子の兒は、是れ天子の兒。今日の天子の兒は、天子の兒に非ずや。我、隋家の諸王を見るに、達官一品以下、皆、其の躓頓を被るを免れず。我の兒子は、自ら其の縦横を許さず、公等何ぞ過ぎて共に相軽蔑するを得容けんや。我若し之を縦さば、豈に公等を躓頓する能はざらんや、と。房玄齢等戦慄し、起ちて皆拝謝す。〔▽八七二−三頁〕
魏徴、色を正して諌めて曰く、当今、群臣、必ず敢て越王を軽んずる者無し。然れども礼に在りて、臣子は一礼なり。伝に称す、王人は微なりと雖も、諸侯の上に列す、と。諸侯、之を用ひて公と為せば即ち是れ公、之を用ひて卿と為せば即ち是れ卿なり。若し公卿と為らざれば、即ち下土の諸侯なり。今、三品已上は、列して公卿と為り、竝びに天子の大臣にして、陛下の礼を加へて敬異する所なり。縦ひ其れ小しく不是有りとも、越王何ぞ軽々しく折辱を加ふ容けんや。〔▽八七四頁〕
若し国家の綱紀廃壊せば、臣が知らざる所なり。当今聖明の時を以て、越王豈に此の如くなるを得んや。且つ隋の高祖は礼義を知らず。諸王を寵樹し、無礼を行はしめ、尋いで罪を以て黜く。国を為むるの礼法を知らず。亦、何ぞ道ふに足らんや、と。〔▽八七三−四頁〕
太宗、其の言を聞き、喜、色に形はれ、群臣に謂ひて曰く、凡そ人の言語、理到れば、服せざる可からず。朕が言ふ所は、当身の私愛なり。魏徴が道ふ所は、国家の礼法なり。朕向者に忿怒し、自ら理在りと謂ひて疑はざりき。魏徴が論ずる所を見るに及びて、始めて大いに道理に非ざるを覚る。人君と為りては、言何ぞ容易ならんや、と。房玄齢等を召して之を切責し、魏徴に絹一千匹を賜ふ。〔▽八七五頁〕


第十二章

貞観十一年、太宗、侍臣に謂ひて曰く、朕、昨、懐州に往きしとき、封事を上る者有りて云ふ、何為すれぞ恒に山東の衆丁を差して、苑内に於て営造する。即日の徭役は、隋の時に下らざるに似たり。懐洛以東、凋残し、人、命に堪へず。而るに田猟尤ほ数々なるは、驕逸の主なり。今者復た懐州に来りて遊畋す、恐らくは復た洛陽に至るを得ざらん、と。〔▽八七六頁〕
夫れ四時の蒐田は、既に是れ帝王の常礼なり。今者懐州、秋豪も百姓を干さず。凡そ上書諌争するは、自ら常礼有り。臣は辞有るを貴び、主は能く改むるを貴ぶ。斯の如く詆毀するは、呪詛するに似たる有り、と。〔▽八七七頁〕
侍中魏徴、奏称す、国家、直言の路を開く、封事を上る者極めて多き所以なり。陛下親しく自ら披閲し、或は片言の取る可からんことを冀ふ。徼幸の士、醜辞を肆にするを得る所以なり。臣、其の君を諌むるには、甚だ須く折衷して、従容として諷諌す合し。〔▽八七七−八頁〕
漢の元帝、常て宗廟に酎祭し、便門を出で、楼船に御せんとす。御史大夫薛広徳、乗輿の前に当りて冠を免ぎて頓首して曰く、宜しく橋よりすべし。陛下、臣を聴かずんば、臣、自刎して頚血を以て車輪を汗さん。陛下廟に入らざらん、と。元帝、悦ばず。光禄勲張猛、進みて曰く、臣聞く、主聖なれば臣直なり、と。船に乗るは危く、橋に就くは吉なり。聖主は危きに乗ぜず。広徳の言、聴く可し、と。元帝曰く、人を暁すこと、当に此の如くなるべからざらんや、と。乃ち橋よりせり。此を以てして言へば、張猛は能く其の君を諌むと謂ふ可きなり、と。〔▽八七八−九頁〕


第十三章

貞観十一年、太宗、侍臣魏徴に謂ひて曰く、比来行ふ所、得失政化、往前に何如、と。徴対へて曰く、威の加はる所、遠夷朝貢するが若きは、貞観の始に比すれば、等級して言ふ可からず。徳義潜く通じ、民心悦伏するが若きは、貞観の初に比すれば、相去ること又亦甚だ遠し、と。〔▽八八〇頁〕
太宗曰く、遠夷来服するは、応に徳義の加はる所に由るべし。徳義加はらざれば、往前の功業、何に因りてか大なるを得ん、と。徴曰く、昔者、四方未だ定まらざるや、常に徳義を以て心と為せり。海内虞無きを以て、漸く更に驕奢自ら溢す。功業盛んなりと雖も、終に是れ往初に如かざる所以なり、と。〔▽八八〇−一頁〕
太宗曰く、今日の行ふ所、往前と何をか異なれる、と。徴曰く、貞観の初、人の言はざらんことを恐れ、之を導きて諌めしむ。三年已後、人の諌争を見て、悦びて之に従ふ。一二年より来、人の諌むるを悦ばず、*俛びん(べんびん)して聴受すと雖も、而も終に疑難の色有り、と。〔▽八八一頁〕
太宗曰く、何事に於て此の如くなる、と。徴曰く、即位の初め、元律師を死罪に処す。孫伏伽諌めて曰く、法、死に至らず。濫に酷罰を加ふ容き無し、と。遂に賜ふに蘭陵公主の園の、直銭百万なるを以てす。人或は曰く、言ふ所は乃ち常にして、而も称する所は太だ厚し、と。答へて云く、我即位より来、未だ諌むる者有らず、之を賞する所以なり、と。此れ之を導きて言はしむるなり。〔▽八八二頁〕
徐州の司戸柳雄、隋の資に於て妄に階級を加ふ。人、之を告ぐる者有り。陛下、其をして自首せしむ。首せずんば罪を与えん、と。遂に固く是れ実なり、と言ひ、竟に敢て首せず。大理、推して其の偽りなるを得、将に雄を死罪に処せんとす。少卿載冑奏す、法は止だ徒に合す、と。陛下曰く、我已に其に断当を与え訖れり。但だ当に死罪を与ふべし、と。冑曰く、陛下、既に然せずして、即ち臣法司に付す。罪、死に合せず、酷濫なる可からず、と。陛下、色を作して殺ささめんとす。冑、之を執りて已まず。四五たびに至り、然る後に之を赦す。乃ち法司に謂ひて曰く、但だ能く我が為めに此の如く法を守らば、豈に濫に誅夷有るを畏れんや、と。此れ則ち悦びて以て諌めに従ふなり。〔▽八八三頁〕〔類似▽四〇二−四頁〕
往年、陝県の丞皇甫徳産、上書し、大いに聖旨に忤ふ。陛下、以て*さん謗(さんぼう)すと為す。臣、奏称し、上書は激切ならざれば、人主の意を起す能はず。激切は即ち*さん謗(さんぼう)に似たり、と。時に于て、臣の言に従ひ、物二十段を賞すと雖も、意甚だ平かならず。諌を受くるに難んずるなり、と。〔▽八八四頁〕
太宗曰く、誠に公の言の如し。公に非ずんば、能く此を道ふ者無からん。人、皆、自ら覚らざるに苦しむ。公が向に未だ道はざりし時、都て自ら謂へらく、行ふ所、変ぜず、と。公の論説を見るに及びて、過失、驚くに堪へたり。公但だ此の心を存せよ。朕、終に公の語に違はざらん、と。〔▽八八五頁〕



興廃第十一
第一章

貞観九年、太宗、侍臣に謂ひて曰く、比三両月来、公等の*とう言(とうげん)を見ず。未だ知らず、朕が諌諍す可からざるを以て、隠して言はざるか。是の庶事を為し、咸く論を須ひざるを得んや、と。侍中魏徴対へて曰く、陛下、一事毎に即ち鑑誡と為す。臣等、深く聖情を識り、必ず事理違ふこと有れば、豈に肯て隠して奏せざらんや。然れども比来大使既に出で、内外、事無し。論ぜざる所以なり、と。〔▽八八六頁〕
太宗曰く、古より来、喪乱に遭ふと雖も、未だ隋日の如き者有らず。朕、皆之を平ぐ。功、古人に何如、と。魏徴対へて曰く、前代、喪乱に遭ふと雖も、皆、牧宰割拠し、数歳に過ぎずして、即ち帰する所有り。隋末に至りては、天下鼎沸し、百姓塗炭すること、十余年を経たり。陛下、天に応じ人に順ひ、一時に平定す。此れ乃ち天地を再造し、重ねて区夏を立つ。此の功業は、古来、未だ之れ有らざるなり、と。〔▽八八七頁〕
太宗、右僕射李靖等に謂ひて曰く、人君の道は、唯だ寛厚ならんことを欲す。但だ刑戮のみに非ず、乃ち鞭撻に至りても、亦行ふを欲せず。比毎に人の我が大寛なるを嫌ふもの有り。未だ此の言の信ず可きや否やを知らず、と。魏徴対へて曰く、古来の帝王、殺戮を以て威を肆にする者は、実に久安の策に非ず。臣等、隋の煬帝を見るに、初めて天かを有つや、亦大いに威厳あり。而るに官人百姓、罪を造すもの一に非ず。今、陛下、天下を仁育し、万姓、安きを獲たり。臣下愚なりと雖も、豈に恩造を識らざるべけんや、と。〔▽八八八頁〕
太宗曰く、人の一身は、縦令病無くとも、疥癬を免れず、時に及んで、小小の悪処有り、と。魏徴対へて曰く、古より化を為すには、唯だ大体を挙ぐ。尭舜の時、全く悪無きに非ず、但だ悪を為す者少し。桀紂の世、全く善無きに非ず、但だ悪を為す者多し。譬ば百丈の木の如し、豈に能く一枝一節無からんや。今、官人の職に居るもの、豈に能く全く非を為さざらんや。但だ罪を犯す者少ければ、是を取りて太だ理るなり、と。〔▽八八九頁〕


第二章

貞観九年、太宗、侍臣に謂ひて曰く、朕、隋主の文集を観るに、実に博物にして才有り。亦、尭舜の風を悦び、桀紂の行を醜むを知る。然れども行事は、即ち言と相反するは何ぞや、と。魏徴対へて曰く、古より理と称するは、皆是れ人君の能を量りて任使すればなり。故に智者は之が為めに謀り、勇者は之が為めに戦ふ。聡明なる聖哲と雖も、尚ほ*とう紘(とうこう)を以て耳を塞ぎ、冕旒を目に垂る。隋主は俊才有りと雖も、君の量無し。才を恃み物に驕り、滅亡に至る所以なり、と。太宗曰く、然り。昔、漢武は征役息まず、戸口減半す。中途にして能く改め、還た祚を子孫に伝ふるを得たり。向使隋主をして早く寤らしめば、亦、滅亡に至らざらん、と。〔▽八九〇頁〕
是より先、慶善楽を以て文舞と為し、破陣楽を武舞と為す。魏徴・虞世南・*ちょ亮(ちょりょう)・李百薬等に詔して之が詞を為らしむ。太宗、侍臣に謂ひて曰く、昔、周公・成王、礼を製し楽を作り、久之乃ち成る。朕、位に即くに逮び、数年の間に、此の二楽を成し、五礼又復た刊定す。未だ知らず、後世の為めに法と作すに堪ふるや否や。朕、前王の民に功有る者を観るに、事を作し令を施し、後に即ち法と為る。所謂其の徳を忘れざる者なり。既に天下を平げ、海内を安堵す。若し徳恵倦まず、始有り終を善くし、我より古を作さば、何ぞ法とせざるを慮らん。若し遂に物に徳無ければ、後何の遵ふ所あらん。此を以て言へば、後の法とするも法とせざるも、猶ほ朕に在るのみ、と。〔▽八九一頁〕
魏徴奏称す、陛下、乱を撥め正に反し、功は百王よりも高く、開闢より以来、未だ陛下に如く者あらざるなり。便ち新楽を創し、兼ねて大礼を修む。我より古を作し、万代、法を取る。豈に子孫に止るのみならんや、と。〔▽八九二頁〕


第三章

貞観九年、太宗、顧みて侍臣に謂ひて曰く、西蕃、通じ来りてより幾時ぞ、と。侍中魏徴対へて曰く、禹貢に、西は流沙に至る。亦西戎、叙に即く、と。境域の及ぶ所を明かにせず。漢の武帝に至り、燉煌・張掖等の郡を置く。此より已後、漸く西域に通ず、と。〔▽八九三頁〕
太宗曰く、朕聞く、漢の武帝の時、西蕃に通ずるを為し、中国の百姓、死する者大半なり。此の事、史籍に著れ、具述する能はず。但だ隋の後主、葱嶺已西を開かんと欲し、当時の死する者、道路に継ぐ。聞くが如くんば沙州已西に、仍ほ隋時の破壊せる車轂有り、其の辺には即ち白骨の狼籍たる有り、と。北は長城を築き、東は遼水を度り、征伐息まず、人、生を聊んずる無し。天下園班怨叛し、聚りて盗と為る。煬帝、安然として、其の欲する所を恣にし、遂に滅亡に至る。祇だ其の過を聞かざるが為めなり。朕、此の事を以て、永く鑒誡と為す。〔▽八九四頁〕
今、公等と共に百姓を理む。但だ安穏便ならざるの事有らば、即ち朕に向ひて道へ。面従して苟も相悦誉するを得る勿れ。且つ朕は素より術学無く、未だ政道を聞かず。一日万機、耳目を尽くす能はず。有る所の処断は、独見、明かならず、失有るを致さん。公等に委任する所以なり。公等、善く相輔弼し、兆庶をして所を得しめよ。此れ乃ち永く富貴を保ち、蔭、子孫に及ばん。若し尸禄曠官、苟も栄利を貪らば、朕、当に必ず黜辱を加へ、終に容捨せざるべし。朕既に漢の武帝・隋の後主を以て亀鏡と為す。公等恒に此の事を将て共に規諌せよ、と。〔▽八九五頁〕
魏徴進んで曰く、陛下、至理を弘めんことを思ひ、群下を砥砺す。臣等豈に敢て股肱の力を竭さざらんや。但だ識度愚浅にして、万分の一に益する無からんことを恐る。臣聞く、漢の武帝、五代の資を承け、天下無事にして、倉庫充実し、士馬強盛なり。遂に其の欲を騁せんことを思ひ、以て四夷に事あり。蒟醤を聞きて*きょうほく(きょうほく)を開き、良馬を貪りて大宛に通じ、北は匈奴を逐ひ、南は百越を征し、老弱は転輸に疲れ、丁壮は軍旅に死す。海内騒然として、戸口減半し、国用足らず、府庫空虚なるに至る。乃ち塩鉄を*かくこ(かくこ)し、関市に征税し、舟車に課算し、*びん(びん)を告げ爵を売り、百姓を侵凌す。万端倶に起り、外内窮困し、辺費に給せず、戎卒を以て田を営み運を助けんと議す。暮年に迄り、方に始めて覚悟し、哀痛の詔を下し、丞相を封じて富民侯と為し、僅に寿を以て終るも、幾ど大乱を致さんとす。〔▽頁八九六〕
煬帝、其の強盛を恃み、漢武を追従せんと欲するを思ふ。車駕屡々動き、民、生を聊んずること無し。十余年間、国亡び身戮せらる。陛下、威、海外に加はり、遠しとして臻らざるは無し。深く二主を惟ひ以て殷監と為す。所謂一人慶有れば、兆民之に頼る、なり。臣等、奉じて以て周旋し、敢て失墜せざらん。脱し千慮に一失せば、必ず犯す有りて隠す無からんことを望まん、と。〔▽八九八頁〕
七年、徴、侍中に遷る。累に鄭国公に封ぜらる。疾を以て職を解かれんことを請ふ。太宗曰く、公独り見ずや、金の鉱に在るは、何ぞ貴ぶに足らんや。良冶之を鍛へて器と為せば、人をして之を謂ひて宝と為さしむ。朕方に自ら金に比し、卿を以て良匠と為す。卿、疾有りと雖も、未だ衰老と為さず。豈に便ち爾るを得んや、と。徴、乃ち止む。後復た固辞す。侍中を解くを聴し、授くるに特進を以てし、仍ほ門下省の事を知せしむ。〔▽八九九頁〕〔類似▽一一六頁〕
十二年、帝、侍臣に謂ひて曰く、貞観以前、我に従ひて天下を平定し、艱険に周旋するは、玄齢の功、与に譲る所無し。貞観の後、心を我に尽くし、*忠とう(ちゅうとう)を献じ国を安んじ、我が今日の功業を成し、天下に称せらるるを為せる者は、唯だ魏徴のみ。古の名臣、何を以てか加へん、と。是に於て、親ら佩刀を解き、以て二人に賜ふ。〔▽八九九頁〕〔類似▽一一七頁〕
十七年、太子大師に拝せられ、門下の事を知すること故の如し。尋いで疾に遇ふ。徴の宅内、先に正堂無し。時に太宗、小殿を営まんと欲す。乃ち其の材を輟めて為に造らしむ。五日にして就る。中使を遣はして、賜ふに布被素褥を以てし、其の尚ぶ所を遂げしむ。数日にして薨ず。太宗親臨して慟哭し、司空を贈り、諡して文貞と曰ふ。太宗、親ら為めに碑文を制し、復た自ら石に書す。特に其の家に実封九百戸を賜ふ。〔▽九〇〇頁〕〔類似▽一一八頁〕
太宗嘗て侍臣に謂ひて曰く、夫れ銅を以て鏡と為せば、以て衣冠を正す可し。古を以て鏡と為せば、以て興喪を知る可し。人を以て鏡と為せば、以て得失を明かにす可し。朕常に此の三鏡を保ち、以て己が過を防ぐ。今、魏徴*そ逝(そせい)し、遂に一鏡を亡ふ、と。因りて泣下ること久之、詔して曰く、昔、惟だ魏徴のみ、毎に余が過を顕す。其の逝きしより、過つと雖も彰すもの莫し。朕、豈に独り往時に非にして、皆茲の日に是なること有らんや。故に亦庶僚、苟くも順ひ、龍鱗に触るるを難る者か。己を虚して外に求め、迷を披きて内に省みる所以なり。言へども用ひざるは、朕が甘心する所なり。用ふれども言はざるは、誰の責ぞや。斯より以後、各々乃の誠を悉くせ。若し是非有らば、直言して隠すこと無かれ、と。〔▽九〇〇−一頁〕〔類似▽一一九頁〕



求媚第十二
第一章

貞観七年、太宗、蒲州に幸す。刺史趙元楷、父老に課して黄紗の単衣を服し、迎へて路左に謁す。廨宇を盛飾し、楼雉を修営して、以て媚を求む。又、潜かに羊百余口、魚数千頭を飼ひ、将に貴戚に餽らんとす。〔▽九〇一頁〕
太宗知りて之を数めて曰く、朕、河洛を巡省し、数州を経歴す。凡そ須ふる所有れば、皆、官物に資る。卿、羊を飼ひ魚を養ひ、院宇を雕飾す。此れ乃ち亡隋の弊俗にして、復た行ふ可からず。当に朕が心を識り、卿が旧心を改むべきなり、と。元楷、隋に在りて邪佞の目に陥る。太宗、故に此の言を発し、以て之を誡む。元楷慙ぢ懼れ、数日食はずして卒す。〔▽九〇二頁〕



貞観政要〔補篇〕〔▽九〇五−九二八頁〕
(南本・菅本・写字本には無く、刊本だけにある章、及び刊本に重出するものを補篇とした。なお、刊本は中国では一三三三年、日本ではそれが一六〇〇年に刊行された。)


○巻二 納諌篇
太宗、一駿馬有り、特に之を愛し、常に宮中に於て養飼す。病無くして暴に死す。太宗、馬を養う宮人を怒り、将に之を殺さんとす。皇后諌めて曰く、昔、斉の景公、馬の死するを以て人を殺さんとす。晏子、其の罪を数めんと請ひて云ふ、爾、馬を養いて死せり。爾が罪の一なり。公をして馬を以て人を殺さしむ。百姓、之を聞かば、必ず我が君を怨みん。爾が罪の二なり。諸侯、之を聞かば、必ず吾が国を軽んぜん。爾が罪の三なり、と。公乃ち罪を釈せり。陛下嘗て書を読みて、此の事を見たり。豈に之を忘れしか、と。太宗、意乃ち解く。又、房玄齢に謂ひて曰く、皇后は庶事相啓沃す、極めて利益有るのみ、と。〔▽九〇五頁〕




貞観七年、太宗、将に九成宮に幸せんとす。散騎常侍姚思廉、進み諌めて曰く、陛下、高く紫極に居り、蒼生を寧済す。応に須く欲を以て人に従ふべし。人を以て欲に従はしむ可からず。然れば則ち離宮の遊幸は、此れ秦皇漢武の事、故より尭舜禹湯の為す所に非ざるなり、と。言甚だ切至なり。太宗、之を諭して曰く、朕、気疾有り、熱すれば便ち頓に劇し。故、情、遊幸を好むに非ず。甚だ卿が意を嘉す、と。因りて帛五十段を賜ふ。〔▽九〇六−七頁〕
貞観十八年、太宗、長孫無忌等に謂ひて曰く、夫れ人臣の帝王に対する、多く順従して逆はず、甘言して以て容を取る。朕、今、問を発す。隠すこと有るを得ず。宜しく次を以て朕の過失を言ふべし、と。長孫無忌・唐倹等咸曰く、陛下の聖化、太平を導致す。臣を以て之を観るに、其の失を見ず、と。黄門侍郎*劉き(りゅうき)対へて曰く、陛下、乱を撥め化を造し、実に功、万古に高きこと、誠に無忌等の言の如し。然れども頃、人の上書して辞理称はざる者有れば、或は面に対して窮詰し、慙退せざるは無し。恐らくは進言を奨むる者に非ざらん、と。太宗曰く、此の言是なり。当に卿の為めに之を改むべし、と。〔▽九〇八頁〕



○巻二 納諌篇直諌附
貞観六年、匈奴克平し、遠夷入貢し、符瑞日に至り、年穀頻に登る。岳牧等、屡々封禅せんことを請ふ。群臣等、又、功徳を称述し、以為へらく、時は失ふ可からず、天は違ふ可からず。今、之を行ふも、臣等猶ほ其の晩きを謂ふ、と。惟だ魏徴のみ以て不可と為す。太宗曰く、朕、卿が之を直言することを得んことを欲す。隠す所有る勿れ。朕の功高からざるか、と。曰く、高し、と。徳未だ厚からざるか、と。曰く、厚し、と。華夏未だ理まらざるか、と。曰く、理まれり、と。遠夷未だ慕はざるか、と。曰く、慕へり、と。符瑞未だ至らざるか、と。曰く、至れり、と。年穀登らざるか、と。曰く、登れり、と。然らば則ち何為すれぞ不可なる、と。〔▽九〇九頁〕
対へて曰く、陛下、功高し。民未だ恵に懐かず。徳厚し。沢未だ滂流せず。華夏安し。未だ以て事に供するに足らず。遠夷慕へり。以て其の求めに供する無し。符瑞、臻ると雖も、*い羅(いら)猶ほ密なり。積歳豊稔すれども、倉廩尚ほ虚し。此れ臣が竊かに未だ可ならずと謂ふ所以なり。臣未だ遠く譬ふること能はず、且く借に近く人に喩へん。人有り、十年の長患に、疼痛して任持すること能はず。療理して且に愈えんとし、皮骨僅に存せんに、便ち、一石の米を負ひて、日に百里を行かんと欲するも、必ず得可からざらん。隋氏の乱は、止だに十年のみに非ず。陛下、之が良医と為り、其の疾苦を除く。已に乂安なりと雖も、未だ甚だしくは充実せず。成を天地に告ぐること、臣竊かに疑有り。〔▽九一〇−一一頁〕
且つ陛下東封せば、万国咸く萃まり、要荒の外、奔馳せざるは莫からん。今、伊洛の東より、海岱に及ぶまで、*かん莽(かんもう)巨沢、茫茫千里、人煙断絶し、鶏犬聞えず。道路蕭條、進退艱阻なり。寧ぞ彼の戎狄を引きて、示すに虚弱を以てす可けんや。財を竭くして以て賞するも、未だ遠人の望を厭かしめざらん。年を加へて給復すとも、百姓の労を償はざらん。或は水旱の災、風雨の変に遇はば、庸夫の邪議、悔ゆとも追ふ可からざらん。豈に独り臣の誠懇のみならんや、亦、輿人の論有り、と。太宗、善しと称し、是に於て乃ち止む。〔▽九一二頁〕




貞観十一年、所司、凌敬の乞貸の状を奏す。太宗、侍中魏徴等が濫に人を進むるを責む。徴曰く、臣等、顧問を蒙る毎に、常に具に其の長短を言ふ。学識有りて強く諌諍するは、是れ其の長ずる所なり。生活を愛し、経営を好むは、是れ其の短なる所なり。今、凌敬、人の為めに碑文を作り、人に漢書を読むを教え、茲に因りて附托し、回易して利を求む。臣等が説く所と同じからず。陛下未だ其の長を用ひずして、惟だ其の短を見、以て臣等欺罔すと為す。実に敢て心伏せず、と。太宗、之を納る。〔▽九一三−四頁〕




貞観十二年、太宗、東に巡狩し、将に洛に入らんとし、顕仁宮に次す。宮苑の官司、多く責罰を被る。侍中魏徴、進言して曰く、陛下、今、洛州に幸するは、是れ旧の征行の処なるが為めに、其の安定を庶ふ、故に恩を故老に加へんと欲す。城郭の民、未だ徳恵を蒙らざるに、宮司苑監、多く罪辜に及ぶ。或は供奉の物精しからざるを以てし、又、献食を為さざるを以てす。此れ則ち止足を思はず、志、奢靡に在り。既に行幸の本心に乖く、何を以て百姓の望む所に副はん。〔▽九一五頁〕
隋主先づ在下に命じて、多く献食を作さしめ、献食多からざれば、則ち威罰有り。上の好む所、下、必ず甚だしき有り。競ひ為すこと限り無く、遂に滅亡に至れり。此れ載籍の聞く所に非ず、陛下の目に親しく見る所なり。其の無道なるが為めに、故に天、陛下に命じて之に代らしむ。当に戦戦慄慄として、事毎に省約し、踪を盛列に参へ、訓を子孫に昭かにすべし。奈何ぞ今日、人の下に在らん事を欲するや。陛下若し以て足れりと為さば、今日、啻だに足るのみならず。若し以て足らずと為すさば、此に万倍すとも、亦足らざらん、と。太宗大いに驚きて曰く、公に非ざれば、朕、此の言を聞かざらん。今より已後、庶幾はくは此の如き事無からん、と。〔▽九一六頁〕



○巻三 君臣鑒戒篇
貞観三年、上、侍臣に謂ひて曰く、君臣は、本、治乱を同じくし、安危を共にす。若し主、忠諌を納るれば、臣、直言を進めん。斯の故に君臣合契するは、古来、重んずる所なり。若し君自ら賢なりとせば、臣、匡正せざらん。危亡せざらんと欲するも得可からざらん。君、其の国を失えば、臣も亦独り其の家を全くすること能はざらん。隋の煬帝の暴虐なるが如きに至りては、臣下、口を鉗み、卒に其の過を聞かざらしめ、遂に滅亡に至る。虞世基等も、尋いで亦誅死せらる。前事、遠からず、朕、卿等と与に慎まざるを得可けんや。後の嗤ふ所と為る無からん、と。〔▽九一七頁〕〔類似▽一四二頁〕


○※この章、旧鈔本は巻七礼義篇に載せ、明本・韓版・戈本は巻三君臣鑒戒篇に載せ、元槧は両篇に重出する。文に異同が無いから再掲しない。

貞観十四年、特進魏徴上疏して曰く、臣聞く、君を元首と為し、臣を股肱と作す。云々〔▽九一八頁〕〔▽五八七頁と同じ〕



貞観十九年、太宗、侍臣に謂ひて曰く、古人云ふ、鳥、林に棲むも、猶ほ其の高からざらんことを恐れ、復た木杪に巣ふ。魚、泉に蔵るるも、猶ほ其の深からざらんことを恐れ、復た泥下に窟穴す。然れども人の獲る所と為る者は、皆、餌を貪るに由るが故なり、と。今、大臣、委任を受けて、高位に居り、厚禄を食む。皆須く忠信を履み、公清を蹈むべし。則ち咎悔無く、長く富貴を守らん。其の刑に陥る者は、祇だ財利を貪冒するが為なり。魚鳥と何を以て異ならんや。卿等、宜しく此の語を記し、用て鑒誡と為すべし、と。〔▽九一九頁〕〔類似▽五四六頁〕



○巻五 公平篇
貞観の初、太宗、侍臣に謂ひて曰く、朕、今、孜孜として士を求め、心を政道に専らにせんと欲し、好人有りと聞けば、則ち抽擢駆使す。而るに議する者多く称す、彼は皆宰臣の親故なり、と。但だ公等、至公にして事を行ひ、此の言を避けて、便ち形迹を為す勿れ。古人の内挙には親を避けず、外挙には讎を避けざるは、挙ぐること其の真賢を得るが為めの故なり。但だ能く挙用して才を得れば、是れ子弟及び讎嫌のもの有りと雖も、挙げざるを得ず、と。〔▽九二〇頁〕



○巻六 貪鄙篇
戸部尚書載冑卒す。太宗、其の居宅弊陋にして、祭享するに所無きを以て、有司をして特に之が為めに廟を造らしむ。〔▽九二一頁〕




温彦博、尚書右僕射と為り、家貧しくして、正寝無し。薨ずるに及びて、竝室に殯す。太宗、聞きて嗟嘆し、遽に所司に命じて、為めに堂を造らしめ、厚く賻贈を加ふ。〔▽九二一頁〕




岑文本、中書令と為り、宅、卑陋にして、帷帳の飾無し。其れに産業を営まんことを勧むる者有り。文本歎じて曰く、吾は、本、漢南の一布衣のみ。竟に汗馬の労無く、徒らに文墨を以て位を中書令に致す。斯れ亦極まれり。俸禄の重きを荷ひ、懼為ること已だ多し。更に産業を言ふを得んや、と。言ふ者歎息して退く。〔▽九二二頁〕




魏徴の宅内、先に正堂無し。疾に遇ふに及び、太宗、時に小殿を造らんと欲す。而るに其の材を輟め、徴の為に営構し、五日にして就る。中使を遣はし、素褥布被を齎して之に賜ひ、以て其の尚ぶ所を遂げしむ。〔▽九二三頁〕〔類似▽一一八頁〕〔類似▽九〇〇頁〕



○巻八 貢献篇禁末作附
貞観九年、上、侍臣に謂ひて曰く、政を為すの要は、必ず須く末作を禁ずべし。伝に曰く、雕琢刻鍾は農事を傷ひ、纂俎文彩は女工を害す。古より聖人、法を制するや、節倹を崇び、奢侈を革めざるは莫し。〔▽九二四頁〕〔類似▽四六一頁〕
又、帝王、凡そ興造有るは、亦須く物情に順ふを貴ぶべし。昔、大禹、九山を鑿ち、九江を通じ、人力を用ふること極めて広し。而るに*怨とく(えんとく)無き者は、物情の欲する所にして、衆の有する所を共にするが故なり。秦の始皇、宮室を営建して、人多く謗議する者は、其の私に徇ひて、衆と共にせざるが為めの故なり。朕、今、一殿を造らんと欲し、材木已に具はる。遠く秦皇の事を想ひ、遂に復た作らざるなり。〔▽九二四−五頁〕〔類似▽四六一−二頁〕
古人云ふ、無益を作して有益を害せざれ、欲す可きを見さざれば、心をして乱れざらしむ、と。鏤雕器物、珠玉服翫の如きに至るまで、若し其の驕奢を恣にせば、則ち危亡、立ちて待つ可きなり。今より王公以下、品秩に准じ、服用に合せざる者は、宜しく一切禁断すべし、と。是に由りて数十年間、風俗簡朴にして、財帛富饒、復た飢寒の弊無し。〔▽九二五頁〕〔類似▽四六三頁〕



○巻八 弁興亡篇
貞観二年、太宗、黄門侍郎王珪に謂ひて曰く、隋の開皇十年、大いに旱し、人多く飢乏す。是の時、倉庫盈溢すれども、竟に賑給するを許さず。乃ち百姓をして糧を逐はしむ。隋文、百姓を憐まずして、倉庫を惜むこと此の如し。末年に至りて、天下の儲積を計るに、五十年に供するを得。煬帝、此の富実を恃む。華侈無道にして、以て滅亡を致せる所以なり。煬帝の国を失ひしも、亦、其の父に由る。〔▽九二六頁〕〔類似▽五二二−三頁〕
凡そ国を理むるには、務めて人に積むに有り、其の倉庫を盈たすに在らず。但だ凶年に備ふるに足らしむ。此の外何ぞ儲畜を煩はさん。後嗣若し賢ならば、自ら能く其の天下を保たん。如し不肖有らば、多く倉庫を積むも、徒に其の奢侈を益して、危亡の本なり、と。〔▽九二六頁〕〔類似▽五二三頁〕




貞観元年、太宗、魏徴に謂ひて曰く、頃、周斉史を読むに、末代亡国の主、悪を為すこと多く相類す。斉主は所以に倉庫、之を用ひて略々尽く。乃ち関子に至るまで、税斂せざるは無し。常に謂へらく、此の輩猶ほ*ざん人(ざんじん)の自ら其の肉を食ふが如し。肉尽くれば必ず死す、と。人君、賦斂已まざれば、百姓既に弊れ、其の君も亦亡ぶ。斉主即ち是なり。然れども天元と斉主と、若為か優劣せん、と。〔▽九二七頁〕〔類似▽五二七頁〕
徴対へて曰く、二主、国を亡ぼすことは同じと雖も、其の行は則ち別なり。斉主は懦弱にして、政、多門に出で、国に綱紀無く、遂に滅亡に至れり。天元は、性凶にして彊、威福、己に在り。国を亡ぼすの事、皆、其の身に在り。此を以て之を論ずれば、斉主を劣れりと為す、と。〔▽九二七−八頁〕〔類似▽五二八頁〕

 
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