日蓮宗 教化センター
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  絵で読む日蓮聖人のご生涯  

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目次  誕生  千葉小湊にご誕生  出家得度  清澄寺でお坊さんになる  比叡山遊学  比叡山横川定光院で修行  立教開宗  清澄山旭が森での決意  初転法輪  清澄寺で初めてのお説教  鎌倉辻説法  鎌倉でのご布教  松葉が谷法難  鎌倉松葉が谷のご法難  伊豆流罪  伊豆へ島流しとなる  伊豆法難  伊豆の伊東へ到着  小松原法難  千葉小松原のご法難  祈雨  鎌倉で雨乞い競う  召し取り  鎌倉で再び逮捕される  龍口法難  片瀬龍の口で斬首刑  佐渡塚原三昧堂  佐渡ケ島で流罪生活  大曼荼羅始顕  佐渡でお曼荼羅を書く  佐渡赦免状到着  佐渡に赦免状が届く  鎌倉幕府との対面  鎌倉幕府へ最後の警告  身延奥の院  山梨県の身延山に住む  身延離山  故郷をめざして出発  御入滅  東京池上でご入滅  ←前 次→

御遺文  〔身延離山〕

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中務左衛門尉殿御返事 1524 日蓮が下痢、去年十二月三十日事起り、今年六月三日・四日、日々に度をまし月々に倍増す。定業かと存ずる処に、貴辺の良薬を服してより已来、日々月々に減じて、今百分の一となれり。しらず、教主釈尊の入りかわりまいらせて日蓮を扶け給うか。地涌の菩薩の、妙法蓮華経の良薬をさづけ給えるかと疑い候なり。
上野殿母尼御前御返事 1896 文永十一年六月十七日、この山に入り候て、今年十二月八日にいたるまで、この山出づる事、一歩も候はず。ただし八年が間、やせやまいと申し、としと申し、としどしに身弱く、心耄候いつるほどに、今年は春より、この病おこりて、秋すぎ冬にいたるまで、日々におとろえ、夜々にまさり候いつるが、この十余日は、すでに、食も殆ど、とゞまりて候上、雪はかさなり、寒はせめ候。身のひゆる事石のごとし。胸のつめたき事氷のごとし。しかるに、この酒温かにさし沸かして、かつかうをはたとくい切て、一度飲みて候えば、火を胸にたくがごとし、湯に入るににたり。汗に垢あらい、しづくに足をすゝぐ。
兵衛志殿御返事 1525 みそおけ一つ給び了んぬ。はらのけ(下痢)はさゑもん殿の御薬になおりて候。又このみそをなめて、いよいよ心ちなおり候いぬ。あわれあわれ今年御つゝがなき事をこそ、法華経に申し上げまいらせ候え。
波木井殿御書 1931 日蓮ひとつ志あり。一七日にして返る様に、安房の国にやりて、旧里を見せばや、と思いて、時に六十一と申す、弘安五年壬午、九月八日、身延山を立ちて、武蔵の国、千束の郷、池上へ著きぬ。
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