日蓮宗 教化センター
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  絵で読む日蓮聖人のご生涯  

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目次  誕生  千葉小湊にご誕生  出家得度  清澄寺でお坊さんになる  比叡山遊学  比叡山横川定光院で修行  立教開宗  清澄山旭が森での決意  初転法輪  清澄寺で初めてのお説教  鎌倉辻説法  鎌倉でのご布教  松葉が谷法難  鎌倉松葉が谷のご法難  伊豆流罪  伊豆へ島流しとなる  伊豆法難  伊豆の伊東へ到着  小松原法難  千葉小松原のご法難  祈雨  鎌倉で雨乞い競う  召し取り  鎌倉で再び逮捕される  龍口法難  片瀬龍の口で斬首刑  佐渡塚原三昧堂  佐渡ケ島で流罪生活  大曼荼羅始顕  佐渡でお曼荼羅を書く  佐渡赦免状到着  佐渡に赦免状が届く  鎌倉幕府との対面  鎌倉幕府へ最後の警告  身延奥の院  山梨県の身延山に住む  身延離山  故郷をめざして出発  御入滅  東京池上でご入滅  ←前 次→

御遺文  〔身延奥の院〕

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九郎太郎殿御返事 1260 この身延の沢と申す処は、甲斐の国、波木井の郷の内の深山なり。西には七面のがれ、と申す嶽あり。東は天子のたけ、南は鷹取のたけ、北は身延のたけ。四山の中に深き谷あり。箱の底のごとし。
千日尼御返事 1765 その子、藤九郎守綱は此の跡をつぎて一向法華経の行者となりて、去年は七月二日、父の舎利を頸に懸け、一千里の山海を経て、甲州波木井、身延山に登りて法華経の道場にこれをおさめ、今年はまた七月一日に身延山に登りて慈父のはかを拝見す。子にすぎたる財なし、子にすぎたる財なし。南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経。
身延山御書 1915 誠に身延山の栖は、ちはやふる、神もめぐみを垂れ、天下りましますらん。心無き、しずの男しずの女までも心を留めぬべし。哀れを催す秋の暮には草の庵に露深く、ひさしにすだくさゝがにの糸玉を連ぬき、紅葉いつしか色深うして、たえだえに伝う懸樋の水に影を移せば、名にしおう龍田河の水上もかくやと疑われぬ。また後ろには峨峨たる深山そびえて梢に一乗の果を結び、下枝に鳴く蝉の音滋く、前には湯湯たる流水湛えて実相真如の月浮び、無明深重の闇晴て法性の空に雲もなし。かゝる砌なれば、庵の内には昼は終日に一乗妙典の御法を論談し、夜は竟夜、要文誦持の声のみす。伝え聞く釈尊の住み給いけん鷲峰を我が朝この砌に移し置きぬ。
光日房御書 1155 鎌倉へ帰り入る身なれば、また錦を着るへんもや、あらんずらん。その時、父母の墓をも見よかしと、ふかく思うゆえに、いまに生国へはいたらねども、さすがこいしくて、吹く風立つ雲までも、東の方と申せば、庵をいでて身にふれ、庭に立ちてみるなり。
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