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  絵で読む日蓮聖人のご生涯  

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目次  誕生  千葉小湊にご誕生  出家得度  清澄寺でお坊さんになる  比叡山遊学  比叡山横川定光院で修行  立教開宗  清澄山旭が森での決意  初転法輪  清澄寺で初めてのお説教  鎌倉辻説法  鎌倉でのご布教  松葉が谷法難  鎌倉松葉が谷のご法難  伊豆流罪  伊豆へ島流しとなる  伊豆法難  伊豆の伊東へ到着  小松原法難  千葉小松原のご法難  祈雨  鎌倉で雨乞い競う  召し取り  鎌倉で再び逮捕される  龍口法難  片瀬龍の口で斬首刑  佐渡塚原三昧堂  佐渡ケ島で流罪生活  大曼荼羅始顕  佐渡でお曼荼羅を書く  佐渡赦免状到着  佐渡に赦免状が届く  鎌倉幕府との対面  鎌倉幕府へ最後の警告  身延奥の院  山梨県の身延山に住む  身延離山  故郷をめざして出発  御入滅  東京池上でご入滅  ←前 次→

鎌倉幕府との対面


鎌倉幕府へ最後の警告

 お釈迦さまの誕生の聖日、四月八日、幕府は聖人に面会を求めてきました。
 対面したのは、執権北条時宗(ほうじょうときむね)の命令を受けた、平左衛門頼綱(侍所次官)<へいのさえもんよりつな>あの龍の口で首を斬ろうとした役人ですが、うって変わった丁重な態度で質問をしてきました。
 「蒙古来襲はいつでしょうか?」「年内には攻めてくるでしょう」「対策はどうすればいいのでしょうか?」「正しい法に従いなさい」という具合でしたが、信仰よりも習慣化・伝統化している宗派との繋がりの方が大切だと幕府は思っていたのです。
 聖人は、三度の諌めも聞かない幕府をみかぎり、日本中を歩いて法華経を広めようと考えられ、ついに身延山へ向かって旅立たれたのです。

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