日蓮宗 教化センター
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  絵で読む日蓮聖人のご生涯  

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目次  誕生  千葉小湊にご誕生  出家得度  清澄寺でお坊さんになる  比叡山遊学  比叡山横川定光院で修行  立教開宗  清澄山旭が森での決意  初転法輪  清澄寺で初めてのお説教  鎌倉辻説法  鎌倉でのご布教  松葉が谷法難  鎌倉松葉が谷のご法難  伊豆流罪  伊豆へ島流しとなる  伊豆法難  伊豆の伊東へ到着  小松原法難  千葉小松原のご法難  祈雨  鎌倉で雨乞い競う  召し取り  鎌倉で再び逮捕される  龍口法難  片瀬龍の口で斬首刑  佐渡塚原三昧堂  佐渡ケ島で流罪生活  大曼荼羅始顕  佐渡でお曼荼羅を書く  佐渡赦免状到着  佐渡に赦免状が届く  鎌倉幕府との対面  鎌倉幕府へ最後の警告  身延奥の院  山梨県の身延山に住む  身延離山  故郷をめざして出発  御入滅  東京池上でご入滅  ←前 次→

祈 雨


鎌倉で雨乞い競う

 文永五年正月、鎌倉幕府に蒙古から手紙が届きました。
 蒙古はすでに中国全土を制圧し、ヨーロッパにまで手を伸ばす勢いをもって日本に迫ってきたのです。
「立正安国論」で、正しい法に従わなければ「他国から侵略される」と忠告された危機が迫ったのです。
 聖人は幕府や寺々に十一通の手紙を出して「日本のために仏教の真実の教えをはっきりさせよう」と呼びかけましたが、返事はありませんでした。
 さらに三年後、大干ばつが続き、幕府は生き仏と呼ばれた律宗の極楽寺良観(両火房)に雨乞いを命じました。
 聖人は「七日で雨が降れば日蓮の負け、降らなかったら良観の負けとしよう」という手紙を出し、雨を待ちましたが、七日を過ぎても一滴の雨も降らず、良観は涙を流して悔しがりました。

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