日蓮宗 教化センター
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  絵で読む日蓮聖人のご生涯  

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目次  誕生  千葉小湊にご誕生  出家得度  清澄寺でお坊さんになる  比叡山遊学  比叡山横川定光院で修行  立教開宗  清澄山旭が森での決意  初転法輪  清澄寺で初めてのお説教  鎌倉辻説法  鎌倉でのご布教  松葉が谷法難  鎌倉松葉が谷のご法難  伊豆流罪  伊豆へ島流しとなる  伊豆法難  伊豆の伊東へ到着  小松原法難  千葉小松原のご法難  祈雨  鎌倉で雨乞い競う  召し取り  鎌倉で再び逮捕される  龍口法難  片瀬龍の口で斬首刑  佐渡塚原三昧堂  佐渡ケ島で流罪生活  大曼荼羅始顕  佐渡でお曼荼羅を書く  佐渡赦免状到着  佐渡に赦免状が届く  鎌倉幕府との対面  鎌倉幕府へ最後の警告  身延奥の院  山梨県の身延山に住む  身延離山  故郷をめざして出発  御入滅  東京池上でご入滅  ←前 次→

御遺文  〔小松原法難〕

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波木井殿御書 1927 生年四十、弘長元年辛酉、五月十二日には、伊豆の国、伊東の荘へ配流し、伊東八郎左衛門尉の預かりにて三箇年なり。同じき三年癸亥、二月二十二日赦免せらる。「如来現在猶多怨嫉 況滅度後」の法門なれば、日蓮この法門の故に、怨まれて死なんことは決定なり。今一度旧里へ下って、親しき人々をも見ばやと思いて、文永元年甲子十月三日に安房の国に下って三十余日なり。同じき十一月十一日には安房の国、東条の松原と申す大道にて、申酉の時ばかりにて候いしが、数百人の念仏者の中に取篭られ、日蓮は但一人物の用にあうべき者は、纔に三四人候いしかども、射る箭は雨のふるが如く、打つ太刀は電光の如し。弟子一人当座に打ち殺され候。また二人は大事の手を負い候いぬ。自身ばかりは、射られ、打たれ、切られ候いしかども、如何に候けん、打ち漏らされて、かまくらに登る。
可延定業書 862 日蓮、悲母をいのりて候いしかば現身に病をいやすのみならず、四箇年の寿命をのべたり。
南条兵七郎殿御書 326 今年も十一月十一日、安房国東條の松原と申す大路にして申酉の時、数百人の念仏等にまちかけられ候て、日蓮は唯一人十人ばかり、ものゝ要にあうものは、わづかに三四人なり。いる矢はふる雨のごとし、うつ太刀は稲妻のごとし。弟子一人は当座にうちとられ二人は大事のてにて候。自身もきられ打たれ、結句にて候いし程に、いかが候けん、うちもらされていままでいきてはべり。いよいよ法華経こそ信心まさり候え。第四の巻に云く「しかも此の経は如来の現在すらなお怨嫉多し いわんや滅度の後をや」。第五の巻に云く「一切世間に怨多くして信じ難し」等云云。
聖人御難事 1673 文永元年甲子、十一月十一日、頭にきずをかほり、左の手を打ち折らる。
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