日蓮宗 教化センター
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  絵で読む日蓮聖人のご生涯  

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目次  誕生  千葉小湊にご誕生  出家得度  清澄寺でお坊さんになる  比叡山遊学  比叡山横川定光院で修行  立教開宗  清澄山旭が森での決意  初転法輪  清澄寺で初めてのお説教  鎌倉辻説法  鎌倉でのご布教  松葉が谷法難  鎌倉松葉が谷のご法難  伊豆流罪  伊豆へ島流しとなる  伊豆法難  伊豆の伊東へ到着  小松原法難  千葉小松原のご法難  祈雨  鎌倉で雨乞い競う  召し取り  鎌倉で再び逮捕される  龍口法難  片瀬龍の口で斬首刑  佐渡塚原三昧堂  佐渡ケ島で流罪生活  大曼荼羅始顕  佐渡でお曼荼羅を書く  佐渡赦免状到着  佐渡に赦免状が届く  鎌倉幕府との対面  鎌倉幕府へ最後の警告  身延奥の院  山梨県の身延山に住む  身延離山  故郷をめざして出発  御入滅  東京池上でご入滅  ←前 次→

御遺文  〔伊豆流罪〕

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下山御消息 1330 夜中に、日蓮が小庵に数千人押し寄せて殺害せんとせしかども、いかんがしたりけん、その夜の害もまぬがれぬ。然れども心を合わせたる事なれば、寄せたる者も科なくて大事の政道を破る。日蓮が生きたる不思議なりとて伊豆の国へ流しぬ。
破良観等御書 1286 きりもの(権臣)ども寄り合いて、まちうど(町人)等をかたらいて、数萬人の者をもんて、夜中におしよせ失わんとせしほどに、十羅刹の御計らいにてやありけん、日蓮その難を脱れしかば、両国の吏、心をあわせたる事なれば、殺されぬをとがにして伊豆の国へながされぬ。最明寺殿ばかりこそ子細あるかとおもわれて、いそぎゆるされぬ。さりし程に最明寺入道殿隠れさせ給いしかば、いかにもこの事あしくなりなんず。いそぎ、かくるべき世なりとはおもいしかども、これにつけても法華経のかたうど、つよくせば、一定、事いで来たるならば身命をすつるにてこそあらめと思い切りしかば、讒奏の人人いよいよかずをしらず。上下萬人、皆父母のかたき、とわり(遊女)をみるがごとし。
妙法比丘尼御返事 1561 今日本国すでに大謗法の国となりて他国にやぶらるべしと見えたり。これを知りながら申さずば、たとい現在は安穏なりとも後生には無間大城に堕つべし。後生を恐れて申すならば流罪死罪は一定なりと思い定めて、去る文応のころ故最明寺入道殿に申し上げぬ。されども用い給う事なかりしかば、念仏者等、此由を聞きて、上下の諸人をかたらい、打ち殺さんとせし程に、かなわざりしかば、長時、武蔵の守殿は、極楽寺殿の御子なりし故に、親の御心を知りて、理不尽に伊豆の国へ流し給いぬ。
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