日蓮宗 教化センター
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  絵で読む日蓮聖人のご生涯  

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目次  誕生  千葉小湊にご誕生  出家得度  清澄寺でお坊さんになる  比叡山遊学  比叡山横川定光院で修行  立教開宗  清澄山旭が森での決意  初転法輪  清澄寺で初めてのお説教  鎌倉辻説法  鎌倉でのご布教  松葉が谷法難  鎌倉松葉が谷のご法難  伊豆流罪  伊豆へ島流しとなる  伊豆法難  伊豆の伊東へ到着  小松原法難  千葉小松原のご法難  祈雨  鎌倉で雨乞い競う  召し取り  鎌倉で再び逮捕される  龍口法難  片瀬龍の口で斬首刑  佐渡塚原三昧堂  佐渡ケ島で流罪生活  大曼荼羅始顕  佐渡でお曼荼羅を書く  佐渡赦免状到着  佐渡に赦免状が届く  鎌倉幕府との対面  鎌倉幕府へ最後の警告  身延奥の院  山梨県の身延山に住む  身延離山  故郷をめざして出発  御入滅  東京池上でご入滅  ←前 次→

松葉が谷法難


鎌倉松葉が谷のご法難

 「立正安国論」は、宿屋光則(やどやみつのり)という人を通して、幕府の最高責任者である前の執権の北条時頼に提出されました。
 幕府から何の返事もないまま、一ヶ月が過ぎたある日の夕刻、猿に衣を引っ張られるままに裏山へ登って振り返ると、多くの暴漢が押し寄せ、草庵が燃えあがっていました。
 いったんは千葉県中山の富木常忍(ときじょうにん)さんの家に身を潜めた日蓮聖人でしたが、再び松葉が谷に草庵を建てて、日昭・日朗・日興(こう)などの弟子とともに布教を再開しました。
 草庵を襲った人々は、日蓮聖人はすでに焼け死んだと思って安心していました。しかし、再び鎌倉の辻に立つその姿を見て、またまた大騒ぎになり、各宗の坊さんや信者さんが集まって、「何とか日蓮を懲らしめ、法華経を広めることを止めさせる方法はないものか」と、幕府の役人まで引き込んで、日蓮追放の秘策を話し合いました。

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