日蓮宗 教化センター
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  絵で読む日蓮聖人のご生涯  

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目次  誕生  千葉小湊にご誕生  出家得度  清澄寺でお坊さんになる  比叡山遊学  比叡山横川定光院で修行  立教開宗  清澄山旭が森での決意  初転法輪  清澄寺で初めてのお説教  鎌倉辻説法  鎌倉でのご布教  松葉が谷法難  鎌倉松葉が谷のご法難  伊豆流罪  伊豆へ島流しとなる  伊豆法難  伊豆の伊東へ到着  小松原法難  千葉小松原のご法難  祈雨  鎌倉で雨乞い競う  召し取り  鎌倉で再び逮捕される  龍口法難  片瀬龍の口で斬首刑  佐渡塚原三昧堂  佐渡ケ島で流罪生活  大曼荼羅始顕  佐渡でお曼荼羅を書く  佐渡赦免状到着  佐渡に赦免状が届く  鎌倉幕府との対面  鎌倉幕府へ最後の警告  身延奥の院  山梨県の身延山に住む  身延離山  故郷をめざして出発  御入滅  東京池上でご入滅  ←前 次→

御遺文  〔初転法輪〕

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聖人御難事 1672 建長五年太歳癸丑、四月二十八日に、安房の国、長狭郡の内、東条の郷、今は郡なり。天照太神の御厨、右大将家の立て始め給いし、日本第二のみくりや、今は日本第一なり。この郡の内、清澄寺と申す寺の、諸仏坊の持仏堂の南面にして、午の時にこの法門申しはじめて、
波木井殿御書 1926 この法門を申さば、誰か用うべき、返りて怨をなすべし。人を恐れて申さずんば、仏法の怨となりて大阿鼻地獄に堕つべし。経文には、末法に法華経を弘むる行者あらば、上行菩薩の示現なりと思うべし。言わざる者は仏法の怨なり、と仏説き給えり。(中略)「我不愛身命」の法門なれば、命を捨ててこの法華経を弘めて、日本国の衆生を成仏せしめん。纔の小島の主君に恐れて、これをいわずんば、地獄に堕ちて閻魔の責をば如何がせん。
清澄寺大衆中 1134 これを申さば、必ず日蓮が命と成るべし、と存知せしかども、虚空蔵菩薩の御恩を報ぜんがために、建長五年四月二十八日、安房の国東条の郷、清澄寺、道善の房、持仏堂の南面にして、浄円房と申すもの、ならびに少々の大衆にこれを申しはじめて、
諸法実相抄 727 皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱えがたき題目なり。日蓮一人、はじめは南無妙法蓮華経と唱えしが、二人三人百人と次第に唱えつたうるなり。未来も又しかるべし。是あに地涌の義にあらずや。あまつさえ、広宣流布の時は、日本一同に南無妙法蓮華経と唱えん事は、大地を的とするなるべし。
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